サハルの宮殿
初めはサハル視点、途中 ◇ からはルーワン(サハルの婚約者の生んだ子、実際は兄の子。また、ホライヨンの従弟、実質は異母弟)視点になります
使役されている猛禽たちが、サハルの元へ報告を齎した。岩山の頂上においてあったダレイオの遺体に両腕が戻ってきたという。
……残るは首のみか。
青白いサハルの顔の中で、残忍な赤い唇がわずかに開く。
両手・両脚・胴体・頭部。
6つの部位に切り離された兄の体は今、岩山のてっぺんに集まっている。欠けているのは頭部のみ。
8年前、ダレイオの妻タビサは、両腕を差し出すことをしつこく拒んだ。ようやく彼女は、夫の体を見つけたようだ。胴体と脚部に両腕を加え、彼の体は今、結界によって守られている。恐らく、タビサの張った結界だろう。
◇
「|義父様」
声を掛けられ、サハルは顔を挙げた。
「お前か、ルーワン」
「はい。義父様。今日は鷹狩のご予定です。ご準備はなさらないのですか?」
「気が変わった。狩りにはいかない」
「わたくしの弓を見て下さるお約束でしたが」
「そんな約束をしたか?」
「はい。楽しみにしておりました」
「ふうん」
寄り掛かったクッションのフリンジを、サハルは無意識に撫でた。伏し目だったルーワンが、そんな彼をちらりと見上げた。
「引き籠ってばかりおられては、体に毒です。私と一緒に外に出ましょう」
「うるさい。俺に指図をするな」
「ですが……」
「下がれ!」
「……はい」
すごすごとルーワンは王の元から下がった。
彼には、幼少期の記憶がない。気がついたら地下牢で正座をさせられており、両膝の上には重いレンガが乗せられていた。
粗末ではあったが、食事はきちんと供されていた。だが日の射さない地下牢では、物の形さえ見極めることができない。食欲などわかず、それどころかどんどん視力が弱っていった。また、常時膝に乗せられたレンガの重みで、脚の骨が歪んでいく。
そんな彼を暗い地下から救い出してくれたのが、サハルだった。彼は、医者を呼んでルーワンの脚を治療させ、王家の治癒魔法を用いて視力も矯正させた。
直立して立てるようになり視力も回復したある日、ルーワンはサハルに呼ばれた。
「身体も元に戻ったようだな。よし。お前を俺の養子にする。今日からお前は俺の息子だ」
サハルの言葉に、ルーワンは息が詰まりそうだった。だって彼はこの国の王なのだ。
「なんだ。不満か?」
「いいえ。なんといっていいのかわからなくて」
「なら何も言うな」
「心からの感謝を」
「そんなもんはいらん」
ぷいと、サハルはそっぽを向いた。
義父は、気が向けば、ルーワンに剣術や弓矢の手ほどきしてくれた。領土の経営は難しいからと言って、官僚に教育を委ねたが、武術だけは、自分が見てくれた。時折、少数の護衛をつけて、領土を巡ることもある。二頭の馬に引かせた二人乗りの戦車を使うので、これも軍事教育の一環だと、サハルは思っているようだ。けれどルーワンにとっては、楽しい小旅行だ。
エメドラードの王として、足りぬものなど何一つない身分でありながら、時折サハルは、ひどく気分の沈んでいることがあった。何日も私室に籠り、運ばれてくる食事さえ満足に摂っている気配がない。
ルーワンは心配でたまらない。
もともと白い肌がまるで透き通るようになって、体がどんどんやせ細っていく。
……また、あれが始まる。
禁じられていたが、ルーワンはこっそりと義父の部屋に近づいた。
厚く垂れこめた緞帳の向こうから、微かな声が聞こえる。
……「目を開けてくれ、ダレイオ。何か言ってくれ。まだ俺のことを怒っているのか? 俺はあんたの王位を簒奪し、こんな姿にしたもんな。あんたの妻と息子は宮殿を出て行方不明だ。あんたもタビサも、そしてあの小さなホライヨンも、さぞや俺のことを恨んでいるだろうな」
……「子どもの頃、あんたが俺に向けてくれた愛情が嬉しかった。優しくてたくましい、ハンサムな兄が、自慢で仕方がなかった。子どもの頃、俺はあんたが好きだったんだよ、兄さん」
……「俺のこの不自然に白い肌の色のせいで、いいや、もう認めちまおう。何をやってもあんたに劣っているこの俺を、父王は殆ど憎んでいた。母も同じだ。俺には心を許せる友達もできず、やっと見つけたエルナにとっても、俺という存在は、大切な人からはほど遠かった。思えば、俺の人生で、あんたほど俺を愛してくれた人はいなかったんだな」
……「ダレイオ。兄さん。そんな姿にした俺を、今でもあんたは愛してくれているのだろうか」
ルーワンは、緞帳の割れ目から室内を覗くことをしなかった。
見たくなかったからだ。
膝に乗せた兄の生首、青ざめたその唇に、義父がキスをしている姿を。
2章はここで終わりです。
ストックが尽きました。ある程度書き溜めてから公開します。少し間が空いてしまいますが、どうか御縁が続きますように。




