【3】セラフィドの木の下で
セラフィドはその国の国花であった。
糸のように細く淡い緑の葉の間から覗く小さな白い花は、春の使者。
芽吹きの季節には国中至る所で咲き誇り、花盛りともなれば其処此処の村々で花見と称した宴が夜ごとに開かれ、お祭り騒ぎとなる。
人々に愛されるセラフィドの木は、農民から貴族まで広く人々に愛でられ、どんな辺境の村にも必ず一本は植えられているのであった。
***
そのセラフィドの木は村はずれにあった。
小高い丘の上から穏やかな辺境の村を見守ってきた大木は、御神木と大切にされていた。
その日、村は柔らかな霧雨が降っていた。
白く小さな花を沢山咲かせたセラフィドは、物憂げに葉を揺らめかす。
春雨に濡れそぼった枝葉は色を濃くし、花は白く艶めいていた。
見れば、その根元に黒い塊がある。
(人だ。年若い。女の。眠っている。……誰か来た。別の人間だ。男。幼い)
セラフィドの若葉達は揺らめく。
――ここにおいで、と。
セラフィドの花達は舞い散る。
――見て、君たちの仲間がいるよ、と。
セラフィドの呼び声に誘われてか、一人の幼子が丘を登ってきた。
彼は、セラフィドの根元に倒れた人影に目を丸くし、恐る恐る近づく。
だが、その泥にまみれた幼いた顔を見て、彼は肩の力を抜いた。
自分より年長ではあるが、まだ幼さの残る顔立ちが、警戒心を薄れさせたのだ。
彼はまじまじと、その泥だらけの全身を観察した。
頬の痩けたその顔は、血色がよくなかった。
服の上からでも、その体がやせ細っているのが分かる。
彼が興味をひかれたのは、その亜麻色の髪であった。
髪も瞳も焦げ茶色が多いこの地方では珍しい色。
幼き者特有の無謀さから、彼は亜麻色に手を伸ばす。
短い髪は、お世辞にも手触りがいいとは言い難かった。
しばらく撫でていると、その人物の瞼が動いた。
ゆっくりと開いたその瞳の色は灰色。
「きれい」
思わずといった風に呟いた彼を映した瞳は、やがて、再び重たげに閉じられた。
閉じる寸前、灰色の瞳の持ち主は呟いた。
「セラフィ……ド」
***
亜麻色の髪と灰色の瞳の持ち主は、スタインの姉となった。
名は無いと言った少女に、スタインは言った。
「ねぇ、ねぇ。じゃあ、お姉ちゃんの名前は、セラフィドにしようよ」
「あら、どうして?」
尋ねた母親に、スタインは目を輝かせて答えた。
「だって、セラフィドの木の下で眠るお姉ちゃんは、キラキラしてて、まるでセラフィドの妖精のようだったよ」
その台詞に少女は真っ赤になった。
教会の宗教画で中性的な美貌とともに描かれる春の使者に、まったく自分は似てなんかいない。あんなに綺麗な存在と自分を一緒にしたらだめだ。
必死にそう主張する少女に、少年は反論した
「お姉ちゃんは綺麗だよ。セラフィドの花みたいに」
絶句したセラフィドの頭を母親は撫でた。
「そうね。ぴったりだわ。セラフィド」
父親もそれに頷く。
「人々に天の祝福をもたらすセラフィド。うん、いいじゃないか」
自分は祝福なんかもたらせない、と呟いたセラフィドに母親は微笑んだ。
「そんなことないわよ。ちゃんと我が家にセラちゃんは祝福をくれたわよ。ねぇ、スタン」
うんっ! とスタインは元気よく返事をした。
「セラ姉はね、僕にお姉ちゃんをくれたんだ」
正解だ、と父親がスタインの頭を撫でる。
「そして、俺たちには可愛い娘を、な。セラ、我が家にようこそ」
そして、四人は仲良く暮らしたのだった。
数年後、流行病で両親が亡くなるまで。
セラフィドは、両親から教わった花言葉を思い出す。
(セラフィドの花言葉は、『祝福の使者』、『純真無垢』、か。まるで、この膝で眠る弟のような花だな。)
葬儀が終わり、泣き疲れて眠る弟に、セラは誓った。
(私にとって、セラフィド『祝福の使者』は、お前だ。スタン。お前は、私に名前と家族と生きる意味をくれた。誓うぞ、スタン。私の全てはお前のために。お前の幸せが私の幸せ。お前の望みが私の望み。お前こそが私の生きる意味)
その誓いの下、セラはスタンと二人、暮らしてきたのだった。
***
「スタン、そろそろ出発するぞ」
セラはセラフィドの木の下で何かを祈っている弟に声をかけた。
二人はこれから、王都騎士団学校の試験会場の一つであるマカンに向かう。
大体、徒歩で二週間といったところだろうか。
家と畑は他人に貸すことにした。
一人で大丈夫だからセラ姉は村に残って、とスタンは言ったが、過保護なセラがそれを許すはずもなかった。
祈り終わったらしい弟が、丘を駆け降りてくる。
そのままの勢いで姉に体当たりしてきた小さな宝物を抱きとめてセラは問いかけた。
「なんてお祈りしていたんだ?」
秘密、と笑う弟とじゃれる姉。
そんな姉弟をセラフィドの木は、若葉を揺らしながら見守っていた。
その枝には、まだ小さく固い蕾がある。
スタンが試験に受かれば、この蕾が花開く頃、二人は王都にいることになる。
「さぁ、行くぞ」
「うん」
セラフィドの木は次第に遠のく二つの人影に向かって、薄緑の葉を靡かせていた。
まるで、二人に祝福を贈るかのように。
いつまでも、いつまでも。
『セラフィド様。例え、この村を離れても、俺達は二人仲良くこれからも生きていきます。どうか、セラ姉と俺を出逢わせて下さったセラフィド様に豊饒神スタイン様のご加護がありますように』
本編はこれにて完結です。
ここまでお読みいただきまして、ありがとうございました。