第9話「史霊・石田三成」
電子記録板の画面が深い青色に染まり、刻み込まれた文字列が冷たい光を放っていた。
『あなたの人間らしさで、私の計算を補完してください』
音声としての振動は存在しない。情報場から流れ込んだ文字列が、音声入力を介さず蒼の脳髄で声へ変換されていた。
観測シェルターの量子フィルタリング・ガラスの向こう。ミッドナイトハンマーの着弾で巻き上げられた土砂と、推定レベル4.2の情報汚染が荒れ狂う闇の中で、青白い光の収束点だけが静止している。
近未来的な軍服と古い和装を組み合わせた装束。黒地に金色の計算尺模様が刻まれた陣羽織。腰には青白いホログラムの軍配団扇。戦術ブーツには草鞋の意匠が組み込まれている。
周囲では、半透明の算盤玉状のデータクラスターが回転と整列を繰り返していた。背後には戦術マップのグリッド線と陣形図が光の帯となって展開されている。
史霊・石田三成。通称、治部。
男が蒼を見据えた。瞳の奥で、網膜の代わりに無数のデータストリームが一定速度で流れている。
『現在の戦術統制システムTACTICAの演算には、致命的な欠陥があります』
蒼のこめかみが脈打った。
『項羽の《逆境の炎》は、損耗を推進力へ転じています。このままでは基地防衛が成立しません』
記録板へ新たなデータが流れ込む。
途切れた防衛線。損耗予測、九十二パーセント。
公式に提示されている予測は八十五パーセントだった。
数字を追うたび、視線の奥に針を差し込まれるような痛みが残る。室温表示に変化はない。それでも皮膚には冷気がまとわりつき、呼吸のたびに硝煙と血の幻臭が肺の奥へ入った。
「……なぜ、俺に干渉する」
声が掠れた。
「俺には戦術的介入の権限がない。お前を運用するなら、司令部を通すはずだ」
『システムの全体最適アルゴリズムには、人間的変数が欠落しています』
算盤玉が一斉に停止した。
『計算上、それを入力する外部ポートとして、あなたが必要です』
青白い光点が組み替わる。
『必要なのは、計算の目的を指定する外部入力です。何を残すかは、あなたが指定してください』
こめかみがさらに締まった。
蒼の左手が記録板を握る。金属の角が掌へ食い込んだ。
画面の中央に入力欄が開いた。
『目的:――』
空欄だった。
次の瞬間、網膜ディスプレイが勝手に起動する。
セクターD。旧地下鉄陥没穴。
赤いマーカーが一つ点滅していた。
その横で、小さな生体反応の波形が上下している。
サヤ。
蒼の呼吸が止まりかけた。
TACTICAは九十九パーセントの確率で失われると判定していた。だが、波形はまだ消えていない。
『先ほどの対象を、計算の目標にしますか』
記録板へ指を伸ばす。
指先は画面に触れた。遠く離れた陥没穴には届かない。
網膜の奥で微小な火花が散った。
目的欄へ文字列が入る。
『対象:サヤ』
同時に、青いグリッドの外側で複数の光点が薄くなった。
蒼はそちらへ視線を動かした。
サヤを計算の中心へ置けば、中心から外れる対象が出る。
治部は何も補足しなかった。
『私と契約してください。あなた自身を接続先に指定します』
記録板が急速に熱を持った。
「……契約?」
『あなたが目標を設定し、私が最適解を算出します』
治部の瞳のデータストリームが、一瞬だけ強く発光した。
『結果を保証するものではありません』
蒼の親指が、記録板の縁で止まった。
鼻の奥が熱い。
一滴、血が上唇へ落ちた。
袖で拭う。赤い筋が布に残った。
画面には警告が増えていた。
『未認可接続』
『軍規違反』
『情報負荷:算出不能』
高耐性のS級でも、レベル4を超える情報存在との直接接続が人体へ何を残すかは表示されなかった。
金属フレームを握る指の関節が白くなる。
『ミッドナイトハンマーによる進軍遅延は、TACTICAの初期予測を上回って持続しています』
青い光点が河境の地形図上で移動した。
『再計算。敵先鋒との接触まで、残り四十二分です』
数字が一つ減った。
『接続するかを決めてください』
蒼は息を吸った。
舌の奥に、鉄と泥の味が残っている。
制服の襟が汗で首筋へ貼りついていた。胸元では認識票が冷たく皮膚に触れている。
「……俺が目標に指定すれば、サヤへ到達できるのか」
『現在の条件では、到達経路を算出できます』
わずかな間。
『実行時には再計算が必要です』
断定しない。
治部もまた、まだ起きていない結果を保証しなかった。
蒼は画面へ目を落とした。
記録番号0001。
未分類現象として残した男と青白い光。その記録が、端末の片隅に残っている。
その隣でサヤの生体波形がもう一度上下した。
四十二分。
蒼は記録板をコンソールの上へ置いた。
手を離しても、掌には金属の角の跡が白く残った。
ガラス越しに、治部が右手を上げた。
青白いホログラムの軍配団扇がゆっくりと持ち上がる。
算盤玉状のデータクラスターが、一斉に配置を変えた。
細い光が一本、量子フィルターを透過する。
蒼は退かなかった。
光は胸元へ真っ直ぐ伸びてきた。




