第12話「青い線の先へ」
戦術記録室の巨大ディスプレイでは、ヴォルガ軍の赤い光点群が第三防衛ラインへ迫っていた。
防衛火器の発砲表示。
損耗。
再配置。
また損耗。
網膜へ重なる《吏治万象》の青いグリッドでも、味方のアイコンが次々と赤へ変わっていく。
蒼は記録板の縁を握ったまま、指を開けなかった。
『第三防衛ライン、突破予測まで残り百八十秒。味方ユニットの損耗率、限界許容値を突破しました』
治部の声が脳髄へ直接落ちる。
青い数字を追うたび、蒼の目の奥が焼けた。
「戦線の維持は不可能と判断する」
エリナの声が飛んだ。
「司令部へ再投射の最終承認を送信。キネティック・ストライク・システム『ミッドナイトハンマー』、攻撃シーケンスへ移行。目標座標、河境セクターCからDの境界。敵主力が最も密集するポイントへ」
コンソール上に新しい円が展開された。
『軌道衛星アルゴス、最終アライメント完了。投射まで残り二百四十秒』
蒼の指が止まった。
着弾予定円。
その中心部へ、治部の青いグリッドが収束する。
泥と瓦礫に覆われた陥没穴。
赤いマーカーが一つ残っていた。
『対象サヤの生体反応を確認しました』
座標。
非戦闘員。
戦術価値ゼロ。
さらに文字列が重なる。
『着弾に伴う衝撃波、および情報汚染レベルの局所的急上昇により、対象の生存確率は0.00%に低下します』
蒼の爪がキーへ食い込んだ。
生体反応あり。
死亡記録なし。
生存確率0.00%。
三つの表示が、同じ対象の上に並んでいた。
カーソルが点滅する。
蒼が入力した機動条件で、敵の点はセクターDへ寄っていた。その密集を囲うように、今度の着弾予定円が重なっている。
蒼は椅子を引いた。
脚が床へ当たる。
「少佐。着弾予測円内、セクターD座標X-44に民間人が残留しています。攻撃シーケンスの中止、あるいは着弾点の修正を具申します」
「却下する」
エリナは振り返った。
「着弾点をずらせば敵先鋒への損耗効果が不足する。第三防衛ラインは持たない」
「対象には生体反応があります」
「TACTICAの判定は」
「0.00%です」
「ならば、それが現在の戦術評価だ」
蒼の視界で、サヤの赤い点だけが点滅していた。
「だが、死亡記録はありません」
エリナの瞳が蒼へ向いた。
「記録官」
声の高さは変わらなかった。
「お前の任務は事実を記録することだ。戦術を決めることではない」
蒼は画面へ目を戻した。
赤いマーカー。
生体反応。
0.00%。
同じ対象に、両方が表示されている。
カーソルが点滅していた。
蒼はTACTICAとの同期ケーブルへ手を伸ばした。
引き抜く。
鋭い警告音が鳴った。
『戦術AI・TACTICAとの同期が切断されました』
中央同期を示すアイコンが灰色へ変わった。
記録板の画面は消えない。
サヤの座標と、最後に取得した生体反応が残っている。
「何をしている」
エリナの声が近くなった。
蒼はケーブルを机へ置いた。
耳の奥で高い音が鳴る。
治部の青いグリッドだけが残った。
『あなたの生存確率が低下しています。行動目標を再指定してください』
蒼は記録板を持ち上げた。
画面には三行が残っている。
『対象:サヤ』
『生体反応:あり』
『記録状態:未完了』
どれも消していない。
「目標は変更しない」
治部の表示が一瞬止まった。
「到達ユニットに俺を指定しろ。対象までの経路を出せ」
赤い警告が視界を埋めた。
その中央に、細い青い線が一本だけ残った。
『新規条件を受理しました。到達経路を再計算します』
線は記録室の壁際へ伸びた。
緊急用装備ロッカー。
蒼はそこへ歩いた。
「蒼三等記録官。止まれ」
背後からエリナの声。
蒼は振り返らなかった。
ロッカーの認証端末へ左手を置く。
『警告。記録官単独での高汚染区域への進入は許可されていません』
解除キーを回した。
重い金属音。
扉が開く。
内部に強襲防護服が吊られていた。
通常の記録巡回用より厚い外殻。胸部装甲。補助駆動。独立給気系。
記録板には『未完了』の表示が残ったままだった。
蒼は支持架へ背を入れた。
片脚ずつ外殻へ通す。
胸。
腰。
固定具が閉じるたび、硬い音が鳴った。
右手の記録板を脇の受け台へ置く。
ヘルメットを被る。
『給気を確認してください』
首の後ろへ冷たい空気が流れ込んだ。
蒼は一度吸った。
吐く。
密閉表示を確認する。
記録板を取り直した。
支持架の留め具が外れる。
外殻の重みが腰へ落ちた。
膝が曲がる。
補助駆動が半拍遅れて身体を押し上げた。
足首へ重量が残る。
青い線は扉の向こうへ続いている。
「止まれ、記録官」
蒼は一歩出た。
補助駆動が半拍遅れて脚を押す。
二歩目で歩幅を小さくした。
機械が遅れて追いついてくる。
背後で警告音が鳴り続けていた。
記録室を出る。
外部エアロックまでの廊下にも、青い線が伸びている。
内側の扉が閉まった。
気圧調整。
金属壁の向こうで、低い振動が続いている。
ヘルメット内部にカウントが表示された。
『投射まで残り百九十一秒』
前方の隔壁に開放表示が出る。
蒼は記録板を握った。
サヤの生体反応を示す赤い点が、画面の端でまだ明滅している。
その横に、青い経路線。
隔壁のロックが外れた。
蒼は、青い線の先へ顔を向けた。




