第十話「出発の朝」
出発の朝、ミナは港に来た。
早かった。
夜明け前だった。
船が、準備をしていた。
水夫たちが、動いていた。
荷物が積まれていた。
ハルがいた。
甲板から、港を見ていた。
ミナを見つけた。
降りてきた。
「来てくれましたね」と言った。
「来ました」とミナは言った。「見送りに」
「ありがとうございます」
「一つだけ、渡したいものがあります」とミナは言った。
紙を出した。
「これは」とハルは言った。
「航海の記録です」とミナは言った。「船の中で読んでいた本ではなく、私が書いたものです。サルガッソ海のことを、書きました」
「書いたんですか」
「止まっている間に、書きました」とミナは言った。「海藻のこと。静かな水面のこと。嵐のこと。風が来た朝のこと。それから」
「それから?」
「嵐の後に風が来ると言った人のことを」とミナは言った。
ハルは、紙を受け取った。
「これを持って、サルガッソを渡ります」と言った。
「また止まるかもしれませんよ」とミナは言った。
「止まってもいいです」とハルは言った。「あなたの記録を、読む時間ができます」
「止まらない方がいいです」とミナは言った。「早くセビリャへ着いてください。私も、行きます。いつか」
「待っています」とハルは言った。「どんなに時間がかかっても」
「待たせません」とミナは言った。「風が来れば、すぐ行きます」
「風が来るといいですね」とハルは言った。
「来ます」とミナは言った。「必ず来ます。あなたが言ったので」
夜明けが来た。
空が、橙になった。
海が、光を受けた。
船が、動き始めた。
ミナは、岸で見ていた。
船が小さくなっていった。
遠くに、緑がかった海が見えた気がした。
サルガッソの色が。
風が来ていた。
岸から、船へ向かって。
(第十話 了)
静かな海の果て――サルガッソの恋 完




