踏み越えたもの
王都ルミナス。
王城の執務室。
窓の外では、復興の音が響いている。
石を運ぶ音。
人々の声。
街は確実に立ち直りつつあった。
だが、その中心にいる男の表情は晴れない。
レオン。
勇者。
そして、代王。
机の上に置かれた報告書に、視線を落としている。
数枚。
簡潔にまとめられた内容。
だが、その一つ一つが重い。
「……成功、か」
小さく呟く。
声に感情は乗らない。
だが、その意味は深い。
報告書には、こう記されていた。
――対死霊術式、第一次実験成功。
――対象個体、消滅せず。
――制御下に移行。
そこで、ページが止まる。
それ以上は読まない。
読む必要がない。
すでに理解している。
「……ふざけているのか」
低く、吐き捨てるように言う。
だが、その声は静かだった。
怒りではない。
判断だ。
扉が叩かれる。
「入れ」
短く許可する。
入ってきたのは、側近の一人だった。
軍務に関わる男。
「報告は受けているな」
「はい」
簡潔な応答。
「どう見る」
問い。
試すようなものではない。
純粋な確認。
男は一瞬だけ考え、答えた。
「……有効な対抗手段になり得るかと」
慎重な言い方。
だが、肯定寄り。
無理もない。
これまで、死霊王に対抗する手段はなかった。
それが、初めて“形”になった。
そう見える。
だが。
「違う」
レオンは即座に否定した。
迷いはない。
「これは武器じゃない」
一拍。
「毒だ」
静かな断定。
側近は言葉を失う。
「制御下に置く、だと?」
レオンは報告書を指で叩く。
「どうやってだ」
「何をもって“制御”とする」
問いは鋭い。
だが、答えは出ない。
報告書には書かれていない。
いや。
書けないのだ。
「……保証がありません」
側近が絞り出す。
レオンは頷く。
「そうだ」
「ない」
だから危険だ。
「意思のないものを、外側から上書きしているだけだ」
「それが崩れたとき、どうなる」
誰も答えられない。
予測不能。
それが、最大の問題だった。
「……ですが」
側近が言葉を続ける。
「他に手がないのも事実です」
それもまた、正しい。
王国には力がない。
軍も。
将も。
失われている。
「分かっている」
レオンは静かに言う。
「だから厄介なんだ」
選択肢がない。
だから、間違ったものでも掴まざるを得ない。
それが、今の王国だった。
「枢機卿は、どこまで進めるつもりだ」
「第二段階に移行するとのことです」
即答。
「対象の強度を引き上げると」
レオンの目が細くなる。
「……馬鹿か」
小さく吐き捨てる。
だが、その声には疲れが滲んでいた。
止めるべきだ。
分かっている。
だが。
止められない。
教会はすでに独自の動きを持っている。
そして。
王国はそれに依存している。
「……エリシアは」
ふと、問う。
側近は一瞬だけ言葉に詰まり、答えた。
「実験に参加しています」
その一言で、十分だった。
レオンは目を閉じる。
短く。
思考を整理するように。
やがて、開く。
「……止める」
静かに言う。
決意。
だが。
それは簡単なことではない。
「枢密院で議題に上げる」
「進行の制限をかける」
現実的な手段。
完全な停止ではない。
できないから。
だが、それでも。
やらないよりはいい。
「準備をしろ」
「は」
側近は一礼し、退出する。
扉が閉まる。
静寂。
レオンは、ゆっくりと立ち上がる。
窓の外を見る。
王都ルミナス。
復興の街。
人々が生きている。
守らなければならないもの。
そのために、何をするべきか。
「……選ばされているな」
小さく呟く。
誰に、とは言わない。
教会か。
状況か。
それとも。
もっと別のものか。
分からない。
ただ一つ、分かっているのは。
「……これは、長くは持たない」
均衡。
そう呼ばれているもの。
それはすでに、崩れ始めている。
静かに。
確実に。
レオンは目を細めた。
その先にあるものを、見据えるように。




