1-3 既成事実があれば、なんとかなると思うなよ
王妃様のターンです。
国王が宰相たちと壇上の隅に下がり、何事か話し始めたのを見届けると、王妃モリウェナは静かに一歩前に出た。
「皆さま、お騒がせいたしました。本日の主賓はこの愚息ではなく、めでたく卒業を迎えた学生たちです。
どうか、お気になさらず、引き続きパーティーをお楽しみくださいませ」
王妃が軽く指で合図をすると、楽団が音楽を奏で始めた。
ざわついていた貴族たちも王妃の態度に安堵し、少しずつ落ち着きを取り戻していく。
思い思いに食事を取りに行ったり、パートナーとダンスを踊ったりと、卒業パーティーらしい雰囲気が広がっていった。
その一方で、王妃はロクサナと王太子、そして彼に連なる三名の青年をじっと見つめる。
「——あなたたち、こちらへいらっしゃい」
それは逆らうことを許さない声音だった。
ロクサナはふてぶてしい足取りで進み出たが、王太子たちの顔は青ざめたままだ。
王妃は侍女に命じて、サマセット男爵を呼んだ。
すぐに現れたサマセット男爵。その親子に、王妃は静かに告げる。
「ロクサナ・サマセット。あなたが汚したコーデリア嬢のドレスは、今日のために公爵夫妻が用意し、彼女の侍女たちが心を込めて整えたものです。それを故意にあのような……しかと弁償なさい」
「はあ?」とロクサナが不満を露わにしたが、王妃は表情を変えずに続けた。
「サマセット男爵、あなたの娘が着ているドレスは、王太子が用意した物ですね?
他にも贈り物がないかを確認し、王家に返還するか、同等額を用意なさい。
このままでは……横領と見なされる恐れがありますからね」
にこやかに、お前たちを犯罪者にしないためですよと、親切なふりをして忠告した。
そして、息子には明らかに失望したという顔を向ける。
「お前が私費で用意したならともかく、婚約者への予算を使用したのですから、れっきとした目的外使用に当たります。下品な言い方をすれば『横流し』です。
……いいですか。
先ほど婚約破棄が成立するより前の出来事は、全て『浮気』だと胸に刻みなさい。
そして、今後、正式に婚約が成立するまでは、だたの『愛人』として扱われますよ。異論は認めません」
「真実の愛」に酔い、新たな婚約者に据えることができたら、全て水に流されると思い込んでいた__。
王太子と側近たちは押し黙り、ただ震えるばかりだった。
ロクサナが横から反論しようとしたが、王妃は目線だけでそれを封じた。
「さて、あなた。本当に妊娠しているのかしら?」
王妃の問いかけに、ロクサナは戸惑いつつも頷いた。
「……はい」
「わかりました。王城に部屋を用意しましょう。
ただし、護衛を二十四時間つけます。あなたの安全と、王家の名誉のために」
そして、誰も予想していなかったことを言い出した。
「妊婦でも、学園には通えます。
産前産後の通えない期間は免除しますが、その間も家庭教師から学び、きちんと卒業しなさい。
王妃を目指すなら、それ相応の教養を身につけ、学園内で人間関係を築くこと。
それすらできないなら、王太子の婚約者は務まりません」
ロクサナの顔がひきつった。既成事実さえあれば、なし崩しに認められると高をくくっていたのだ。
「特に、礼儀作法は__そうですね。学園長に一年生の授業に参加できるか、相談してみましょうか。
それから……最初の居室は、使用人の部屋にいたします。
礼儀作法が二年生の水準に達したら低位貴族も使える客間に、無事に卒業できたら愛妾の部屋へ。
王太子の宮へ移るのは、王妃教育の目処が立ったら__ですね。
そこまでできたら初めて、婚約者として扱います。
……男爵、異論はありますか」
男爵は気の毒なくらい青ざめて、言葉を発することもできずに、うなずくだけだった。
娘は大胆にも王妃を睨みつけた。
__あら、ここで心が折れないのね。見込みがあるかもしれないわ。
「やる気があるなら、認めると言っているのです。
ないのなら、出産まで使用人の部屋で過ごせばいいし、生まれた子どもを取り上げて会わせません」
「未来の王妃にこんなことをして……!」
ロクサナが怒鳴りかけた瞬間、少し離れた場所で話していた国王に睨みつけられた。
その眼光の鋭さに、「ひっ」と小さな悲鳴をあげ、王太子にすがりつく。
「その発言が、『国王への叛意』と取られかねないことを、理解しなさい。
もしあなたがこの王家に入り、外国の王族に同じようなことを言ったら国際問題になります。
王妃はこの国の最上位の女性ですが、世界における最上位ではありません。
言って良いこと悪いことが判断できない者を、国の代表として人前に出せるはずもない。
愛でられるだけなら、王城のどこかで王太子の訪れを待つだけの存在になるのです。……当然、それ以外の男性を侍らせるなど言語道断ですからね」
王太子の側近、三名をじっと見つめた。
王妃は、会場の貴族たちが聞き耳を立てているのを承知して話している。
これを聞いて、なお、この小娘に手を出そうという者はいないだろう。
そして、王太子へ視線を戻した。
「アーチボルト。
あなたは、コーデリア嬢に期待されていた分の責務まで果たす覚悟を持って、ことを起こしたのですか?
……マルザヴァ語が免除になっていましたが、外交に不自由しない水準まで習得なさい。
それができるまで、狩りには参加させません。
もう、甘えは許しませんよ」
王太子は縋るような目を王妃に向けたが、そこに甘やかしてくれる隙は見いだせなかった。
しかたなく、小さく頷く。
これは、貴族たちへ「誘うな」というけん制と、王太子に「自分を誘え」と言われたときに断れるようにするために聞かせている。
狩りを通して王太子と親交を深めていた者たちは、口を歪めたり、肩をすくめたりしていた。
そして王妃は会場全体を見渡し、高らかに告げた。
「皆様にご協力を仰ぎたいことがございます。
低位貴族のご出身で、高位貴族の家門に嫁ぎ、礼儀を身につけられたご婦人の中から——」
一瞬の間。
「王太子妃候補の家庭教師を募集いたします」
会場にどよめきが広がった。
「礼儀作法や常識を教え、泣き言を聞き、共に成長してくださる方を求めます。
……サマセット嬢の道は、容易ではありません。
けれど、わたくしたち高位貴族として育った者には、彼女が何につまづき、何が理解できないのかを察することは難しいのです」
学園でロクサナを苦々しく見ていた高位の令嬢たちは、王妃の言葉に溜飲を下げた。
「私は皆と違うの」という彼女の口癖の意味が、見事に反転したのだ。
王妃とて、この娘が妊娠したという情報が入ってから、考えた。
側妃として正妃を補佐できる人材か、愛妾として契約を交わすに値する人柄か。
興味を持っている分野があるなら、それと勉強を絡めてやる気を出せるように手配してやろう、と。
だが、本人を見て、必要なのは「教育」ではなく「調教」だと判断した。
もし、やる気がないなら、王城で飼い殺しにするしかない。
こちらが認めざるを得ない状況を作り上げようとする小賢しさ。それは所詮、楽天的な学生が思いつく程度のもの。
大人として、「制度」と「理性」で応じ、様々な未来を提示してあげましょう。
義務を果たした分だけ描いた理想に近付き、努力を怠れば自由を失う__ただ、それだけのこと。
そして仕上げに、王太子に向けて慈愛に満ちた言葉を送る。
「甘やかすのではなく、励ましなさい。それが、本当に愛するということです」
言葉の一つ一つが、王太子の胸に重くのしかかる。
誰も口を挟めない。
王妃の言葉により、パーティーの空気は、まるで未来に希望があるかのような錯覚に包まれていった。
余談になるが、この場にいた侍従や、卒業生の親として出席していた文官たちは、王妃の姿に衝撃を受けていた。
国王の影に控え、従順な妃と思われていた女性。しかし、国王が動揺して動けない現状で、これほどの統率力を見せるとは……。
ある者は安堵し、ある者は自らの今までの態度を思い返して青ざめた。
実は、王妃は口に出さなかったが、王太子にやる気がないようなら、これから生まれる子を跡継ぎとして育てればいいと思っている。
ここまで愚かで傲慢に育った男が、果たしてどこまで変れるのか。最悪の場合は廃嫡や幽閉をすればいい。
正直、あまり期待していないのだ。夫である国王に、とてもよく似ているから。
だがせめて、傀儡として前に出せる程度には、変わってくれるとよいのだが——それが、王妃モリウェナの本音だった。
控えめな女性を「なめたら、いかんぜよ」という回でした。




