1-4 母親たちの競演もしくは狂宴
王妃モリウェナと公爵夫人クラリッサを中心にお届けします。
■クラリッサ公爵夫人■
公爵夫人クラリッサは王妃を見つめながら、扇で口元を隠して夫にささやいた。
「歴史をその目で見たいだけと言っていた観察者が、ようやく動き出したわ」
ゴドリック・ダンブリッジ公爵は軽く目線を送って給仕を呼び寄せると、夫婦はそれぞれワインの杯を手にした。
「誰が家庭教師に立候補するのか、実に興味深いね」
かつては公爵夫人――クラリッサも国王の婚約者候補だった。
だが、傍若無人な男が生涯の伴侶など、考えるだけで虫唾が走る。
自分の評判を落とさず、なおかつ選ばれないようにしなくては。
それが当時の彼女にとって、最優先事項となった。
一方、王妃モリウェナは違うことを考える。
モリウェナの実家は、「選ばれない」という選択肢を許さなかった。
グリムリーに対して親愛の情など微塵も抱いていなかったが、「歴史を当事者として眺められる」喜びをなんとか見いだした。
どうせ抗えないなら前向きに……それが彼女の矜持であった。
そこで、クラリッサとモリウェナは協力関係を結んだ。
権力が好きな婚約者候補には、グリムリーの権限を侵すような発言をするよう会話を誘導した。権力欲の塊である彼が最も嫌うことをして、その令嬢の順位はぐっと下がった。
あるときは、庇護欲をそそるような婚約者候補の前で、クラリッサがグリムリーを正論で追い詰め、モリウェナが彼をかばう。
クラリッサの迫力に、女の子はオロオロするだけ。
そんな茶番を演じることで、可愛いだけでは役に立たないと気付かせた。
別の日は、モリウェナが静かに読書をしているところにクラリッサが乱入し、「グリムリーを甘やかすのは、彼のためによくない」と議論をふっかける。
そんな姿は、二人ともタイプは違えども、模範的な婚約者候補に見えたことだろう。
口げんかの体裁で作戦会議をしていることに気付いたのは、ゴドリックくらいだった。
■モリウェナという女■
モリウェナは無事にグリムリーの婚約者となり、やがて王妃の座に就いた。
しかし時が経つにつれ、彼女は次第に覇気のない、ただ義務をこなすだけの存在として見なされるようになった。
彼女の本質は、あくまで歴史と教養を愛し、政局すら「物語」として愉しむ人間だった。
「願わくば、数百年後に自分の手記が、歴史研究の第一級史料になりますように」
そうなれば、歴史研究者たちは彼女に強い――もはや「愛」と呼べるほどの情熱を注ぐだろう。
彼女の言葉を一言一句反芻し、その真意を正しく読み取ろうとする。
そして、決してまみえることのできない過去の存在として、もしかしたら女神のように崇めるかもしれない。
一方、国王グリムリーは「前進」「発展」「行動力」こそが正義だと信じて疑わない。
それ自体は間違いではない。だが、彼の視野には周囲への配慮が欠けていた。
鉄道の用地買収を進めるのはいい。
だが、土地を手放した人々のその後の生活、牧草地や畑が失われた後の食糧事情には、まるで無関心だった。
モリウェナは、自分が手記を綴る余裕が確保できる程度の国力だけは、保てるよう立ち回っている。
食糧難や武力衝突、治安悪化といった面倒ごとの気配を察知したら、それを静かに、徹底的に排除していく。
だが表立って、国王の暴走を止めようとはしなかった。
そうして、「国王に従うだけの王妃」という評判ができあがった。
国が栄えようと、滅びようと、どちらも歴史の一ページ。モリウェナにとっては、どちらでも構わない。
滅びる直前までの当事者の記録など、後の歴史研究家にとって垂涎の逸品になるだろう。
――ただ一つ。
歴史を軽視し、王立学園の授業数を削ったこの男だけは、「愚かな王」として書き残すことが決定事項である。
魔術が組み込まれた契約で国土を失うなど、歴史に何度も登場する手口。知らなかったではない。騙される方が馬鹿なのだ。
モリウェナは自分の息子が愚かな振る舞いをすることも、観察してきた。
自分の不利益になることに、本当に気づいていないのか。
それとも、わかっていながら止められないのか。
あるいは――自分と同じく、利益より「どうなるか」を見たいという、頭のネジが飛んだ人間なのか。
歴史は往々にして、予測のつかない型破りな者たちが動かすことがある。
理屈と計算で物事を考える自分のような人間には、できないことだ。
夫と子どもの行動に対して、「王権を絶対と思っている愚か者が……」と思う瞬間は多々あった。
それでもどこかで、想像もできない歴史を作り上げてくれるかもしれない、と期待している。
それが王妃にとっての「家族の形」である。
■コーデリアは誰のもの?■
パーティー会場に、コーデリアが戻ってきた。
先ほどまで表情を隠していた髪をハーフアップにして、知性の漂う顔立ちを覗かせている。
リボンやフリルの装飾過多なドレスは、シンプルなドレスに替わっている。腰回りを豊かに見せるペチコートを少なくして、裾に施された刺繍が優雅な歩みを際立たせていた。
さらに、王太子のエスコートでは腰が引けて見栄えが良くなかった彼女が、ジークムントの隣で背筋を伸ばし美しく颯爽と歩いている。
王妃の話が一段落し、軽食を摘まんでいた王太子が近づいてきた。
「なぜ隠していた? その姿なら愛してやらんこともないのに」
反省もせず、不躾な言葉を投げつける。
軽食の小皿を置くこともせずに追いかけてきたロクサナが、王太子の足を思いきり踏みつけた。弾みで、小さなパイが床に転がる。
そのパイをちらりと横目で見て、それから王太子に目線を戻した。
「嫌われたかったので、好かれないように努力していたのですわぁ。ふっふふふふふ」
コーデリアはそう言って笑い出した。
仕掛けていたイタズラが成功したような、無邪気な笑い声に、王太子は口をぽかんと開けた。
両者を余裕の表情で眺めていたジークムントは、コーデリアの手に口づけた。
「エスコートできて光栄です」
王太子に見せつけるかのように。
「俺というものがありながら、許さんぞ!」と王太子が叫ぶ。
だが、コーデリアはすっと目を細め、静かに答えた。
「あなたに何の権利があって?
今日の入場だって、婚約者のわたくしではなく、そちらの方をエスコートしておいて、何を今更……。
もう婚約者ではありませんし、あなたは国王でもない。残念ながら、あなたの命令に従う理由は見つかりませんわねぇ」
「では、私が求婚してもよいだろうか?」
ジークムントはコーデリアの手を取ったまま、跪いた。
王太子はどうしていいかわからず、公爵夫妻と話をしていた王妃に助けを求めた。
「母上! 他国の皇子がコーデリアを横取りしようとしているんです。放っておけるはずがありませんよね?」
国名を名乗っていても、王弟や従姉妹など「皇子」ではない場合がある。それを明かさずに通っていたのに、王太子が口にしてしまった。
高位貴族は薄々知っているので、驚いているのは主に下級貴族だが。
とても学園を卒業し、本格的に公務に携わる立場の人間の言動とは思えない。
王妃と公爵夫妻は苦笑いをした。
国王から豪胆さを取り除いたら、こんな感じになるのだろうかと。
王妃は息子に向かって、はっきりと言った。
「コーデリアの王太子妃教育は、王族としての基礎教養までしか進めていません。
お前がその娘と親密になっていましたからね。
王家の機密など伝えていませんから、国外に出しても差し支えありませんよ」
その冷静な物言いに、国王が顔をしかめて近づいてきた。
「何を言っておるのだ。機密の問題だけではない!
これは単なる個人的な問題ではなく、貴族の国に対する忠誠、国家の威信と外交に関わる重大な問題なのだ。
この国の王太子妃候補だった娘が、他国の皇子に嫁ぐなど――!」
そこへ、コーデリアの母、クラリッサが割って入った。
「あら、国王陛下。
我が公爵家を軽んじられた挙げ句に、今さら忠誠をお望みとは驚きましたわ。
男爵家を重用し、我が公爵家の娘を侮辱したことをもうお忘れでしょうか?
公爵家の娘を男爵令嬢の下に置くなど、貴族社会の秩序をきちんと理解しておいでなのかしら。
ご存じかは知りませんが、遠い国では平民の資産階級が台頭し、貴族階級の揺らぎが起きております。
何かが起きたときに、王族だけは安泰だと思われますか?」
「我が国ではそんなことは有り得ん!」
「だと良いですわね。
かの国では鉄道事業も、平民の投資家たちに経済的な豊かさをもたらした要因の一つだと聞いておりますけれど」
娘の求婚者ジークムントは立ち上がり、守るように斜め前に立っている。
求婚しただけで、娘も両親もまだ同意したわけではないのだが、誰もそれを指摘しない。
クラリッサはその二人に柔らかな微笑みを見せてから、国王に改めて向き合った。
「あなたの息子が、平民とそう変わりない男爵の娘を王妃にしようと画策していました。
他国から見れば、『貴族階級の揺らぎ』として、大差ない状況に見えるのではないでしょうか」
国王が言葉を失う。
クラリッサは冷たく微笑みながら続けた。
「王妃陛下の差配に免じて、こちらも穏やかに済ませようと婚約破棄を受け入れ、その先を考えようとしているのですが……ご理解いただけませんの?」
公爵が妻の肩を抱き、これが公爵家の意思であることを裏付けた。
それを見て、国王グリムリーは、まるで親友に裏切られたかのような顔をした。
会場は再び静まりかえり……いや、ためらいがちに演奏だけが続いている。
モリウェナ王妃は、婚約者選び時代を思い出させるような懐かしいやり取りを、目を輝かせて眺めていた。
モリウェナ王妃もなかなかの曲者でした。




