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唯一の救い

「ね、パパァ、抱っこして」


 小さな手が、もみじのような手が父親に伸ばされる。1人娘でデレデレと鼻の下を伸ばしながら、たくましい腕で小さな体をひょいと持ち上げた。


「もう、パパにすぐ甘えるんだから。パパも、抱っこグセがついちゃうからすぐ抱っこしないでって言ったでしょ」


 細いサラサラとなびく髪に鼻をくすぐられながら妻の小言を受け流す。


「恵はいつも一緒にいるからいいけど、俺は土日しかずっといれないから。ね〜夏美」


 可愛さに垂れた目で娘に問いかける。その問いもいまいち理解していない娘であったが、ね〜、と父親のおうむ返しする。舌ったらずな返事は一層父親を甘くしていくのである。


「パパァ、なつみ、グミたべたい」

「だーめ! 晩御飯食べれなくなっちゃうよ」


 パパ、ダメだからね! と念押しされ、晩御飯の準備を始めた。トントンと規則的に鳴る包丁の音に、いつから名前からパパ呼びになったんだっけなぁと感慨にふけっていると、膝に柔らかな感覚がある。

 夏美が、膝に手を置いて、父親を見上げている。小さな口が、音を発さずにパクパク動いている。


 何事かとしっかりみると、「ぐ・み」と小さな小さな声で言っていた。その必死さ、妻の恵に聞こえないようにという賢さ、なにより可愛さに胸を打たれる。

 こんなことをされては、グミをあげる以外の選択肢はもう無かった。幸い、その小さな可愛い声は包丁の音にかき消され、妻には聞こえていなかった。


「ひとつだけだよ、ママに怒られちゃうから」


 ウサギの形をしている、オレンジ味のグミをひとつ摘み、娘に差し出す。まだ使うことに慣れていないような手つきでグミと、父親の手を掴む。

 さあ、すぐ口に入れるかな?と眉を垂らしながら見つめている。

 小さな手で、小さな口に一生懸命ものを運ぶ姿は、ずっと見ていても飽きないほどであった。



「……しあ……わせだった……なぁ……」


 俺は、何をしていたんだっけ。

 バリバリと貪られている体は、もう痛覚を感じなかった。視界の端にボコボコになっている、血濡れたバットが見えた。


 ああそうだ、ゾンビをめちゃくちゃにして……


 悪いことをしたかもな……


 でもこれで……なつみに……めぐみにあえる……



「……しあわせ……だな……」





 若い、警察官がひとり部屋にいた。

 そこは、遺留品など、まとめておく部屋であったが、付いている肉片などで腐臭が漂っており誰も近づきたがらない部屋であった。


 数日前、発症者を何体か殺し自分も発症者に食べられた、殺人で書類送検になっている男のものを、ジイと見つめる。ボコボコに殴った、血濡れたバットと、指輪だけが、その男の遺留品であった。


「……あなたは、死んで、本当にしあわせだったんだろうか」


 光の反射で、指輪がキラリと光る。


「おい、こんなとこにいたのか。巡回だ、行くぞ」


 苦虫を潰したような、臭い顔の上司がドアを少しだけ開けて話しかける。


「はい、すいません。いますぐ」


 急いで出る部屋と、閉まりかけるドアから見える結婚指輪に寄り添うバットは、何かとても寂しいような、しかしどことなく、安心してる様にみえた。



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