不味いコーヒー
「いますぐ、攻撃をやめ、武器を捨てなさい」
発症者を集めないよう。囁くように言う自衛隊の目線の先には、ボロボロになったティーシャツを身にまとった、30代ほどの男がいた。白だったティーシャツは、血に濡れ茶色く染まっていた。
男の周りには、倒れたゾンビがいた。頭は潰れ、何ともわからないような液体を頭から漏らしている。男は、手に持った、もうボコボコと凹んだバットを地面に叩きつけた。
「こんなもん、頭叩けば一発なんだよ!!」
「ただちに、発症者に対する攻撃をやめ……」
「っふざけるな!!!」
噛まれてはいないものの、血走った目や食いしばった歯は発症者を連想されるものであった。
「おめえらが……!! おめえらがとっととコイツらを殺しちまえば、恵は……夏美は……嫁と子供はゾンビにならなかったんだよ!!」
倒れている発症者を、これでもかというほど、殴りつける。音に寄って来た発症者たちは、自衛隊により保護されていたが、男に向かっていった発症者は、惨たらしく叩かれ倒れてゆく。
「やめなさい、あなたのやっていることは、殺人ですよ」
「ふざけるな!! 人殺しはどっちだ!」
血走った目からは、ボロボロと涙がこぼれた。
「こんな!! 気持ち悪りぃ噛むしか脳がねえ化け物と! これから未来のある子供と!どっちが守るべきものだと思う!! ふざけるな!!」
ハアハアと肩で息をする男は、盾を持った自衛隊員をじっと見つめる。
「お前、娘はいるか」
「関係ないことだ、はやく、武器を捨てこちらに来なさい」
「あんな可愛かった娘が、おしゃべりでませた娘が、唸り声しか出さなくなって、異様な力でつかんでくんだよ」
わかるか、と自衛隊員に問いかける。
「嫁もよ、最後まで抱いてた娘に噛まれて。綺麗だったんだよ、うちの嫁。目がぱっちりしてて……可愛かったんだよ」
娘と嫁に似て、助かったよ、と笑顔で話した。自衛隊員も数が少なくなっているため、語りかけられている隊員以外、集まったゾンビたちを保護する隊員で手一杯だった。
攻撃しなくなった男に、ゾンビが群がり始める。
「おい、危険だ! こっちにこい!」
「……娘も嫁も、あんな姿で街中を一生徘徊するくらいなら、この手でって、思ったんだよ」
男はそういって、自分の両手を見る。その腕すら、発症者たちに捕まれた。
「あぶない!!」
「じゃあな、隊員さん」
今行くよ。そういうと、捕まれていない腕をポッケにつっこみ、包丁を出した。隊員が、包丁だと認識する間に、刃先は首へと向かい、力が込められていた。
道路は真っ赤に染まり、群がっていた発症者何体かも、赤に染められる。
ドサリという重い肉塊が落ちる鈍い音とともに、カラン、とバットが転がる軽い音がした。
隊員の足元に、血が流れてくる。力の抜けた、人だったものにはゾンビが群がる。隊員は、ただ、その光景を見つめるしかなかった。
「総理、また報告が……昼に、感染者殺害と自殺です。各地で起こってます」
「……そうか」
「総理! いくら分からない病気だとしても、はやく手を打たないと手遅れになりますよ」
「……ああ。わかっている」
そうとだけいい、人をさっさと部屋から追い出す。あれだけすぐ殺せといっていた人が保身ですか、と皮肉をいい、上の空の総理を一瞥したあと、苦い顔をしながら立ち去った。うす暗い部屋に、コーヒーの湯気がゆらりと立ち上る。
しんと静まった部屋に、総理の声が響く。
「……助かる方法が見つかるまで、望みを捨てたくないというのは」
ただのエゴなのだろうな。
なあ、藤田。
自分で入れたコーヒーをすすり、ひとつ、ため息を吐くと、書類に目を落とした。




