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こんばんはおはようございます。
森林で降る雨は時に落葉のように柔らかな音を出す。
それは俺がVRMMOにハマってから気が付いたことだった。
「一休憩するか」
誰にも聞かれることのない言葉が雨と混じる。俺は体が冷えるのも構わずに、ただただ雨音を楽しんでいた。
VRゲームが販売されてから二十年。最先端だった技術への人々の熱狂は、すでに過去のものになっていた。
時間は残酷だ。どれだけもてはやされたハイテクも、いつかはローテクに落ちていくのだから。
人々が再びVR技術に感動を覚えることはないように思われた。……あの技術革新まで。
次世代型コンピューターサーバーの完成。
それは間違えなく、人々が忘れていたものを呼び起こすものだった。
これまで最新式とされていたものがおもちゃに見えるほどの劇的な性能を誇るサーバーが構築した仮想空間はまさしく新世界、現実世界の映し鏡といってもよいぐらいの精密さを実現した。
その夢のような装置を豪勢にも七機もそろえ、ゲームとしてリリースされたのがNamed Online、略称【NO】である。
初めてNOにログインした日は今でも忘れない。
あたり一面に広がる色鮮やかな草原、頬をなでるそよ風、くすぐったささえ感じてしまう草が揺れる音。全てが現実のよう、いや現実そのものだった。
ベータテスト体験者の中には、ログインに失敗したと勘違いしたものもいたらしい。曰く、自分は寝てしまい、とてもリアルな夢を見てしまったのではないかと。多くの未体験者はこの噂を一笑していたが、それもゲームを始めるまでだ。サービスが開始してからは誰もが疑ったことを恥じた。それほどまでに次世代型サーバーの性能は凄まじいものだったのだ。
あらゆるゲーマーがNOに熱中した。グラフィックがビビるほど綺麗だったからというのもある。だがそれだけが原因じゃない。
このゲームが多くのゲーマーに愛されたのは、単純に他と比べ物にならないぐらい面白かったのだ。何よりも凄かったのは、オリジナルのキャラを育てられる【二つ名システム】の実装だ。
通常のゲームには限界がある。どんなに様々なコンテンツを提供したとしても、大量のプレイヤーによって情報が収集され取捨選択されることで、ある程度の定石が定まってしまう。
例えばMMOにおいてあるジョブのビルド構築が、プレイのうえで有利だとしよう。すると次の日にはネットで情報は公開され、プレイヤーの常識になってしまう。それが積み重なると、ゲームのすべてが常識として網羅されるようになる。
結果として起きるのはゲームの面白さの消失。プレイヤーのゲーム離れだ。
それを防ぐために運営側は、追加コンテンツを設けるが、焼け石に水ですぐさまプレイヤーによって分析されてしまう。
このようにどれだけ運営陣が努力しようが、やっていることはゲームコンテンツの終わりに向けての永遠のいたちゴッコだ。
二つ名システムはそういったゲームのジレンマを解消する画期的な方法だった。NO内においてプレイヤー全員が共通して学べるスキルは基本的なものを除けばわずかしか存在せず、そして自分のキャラステータスを設定することもできない。また、レベルにおけるキャラ性能の差も他のゲームと比べると少ない。
ではどこで他プレイヤーと差を生むのか。装備とPS、そして〈二つ名〉である。プレイヤーは自分が成し遂げた偉業、常日頃行っている習慣などを元に、ゲーム管理者である次世代型サーバーからふさわしい二つ名を与えられる。二つ名には唯一無二の能力・スキルが備わっており、二つ名所有者にしか使用することができない。つまりプレイヤーは二つ名で成長していくことができるのだ。
このシステムに魅了されないゲーマーを探すほうが難しいだろう。誰とも被ることのない、自分だけのキャラを作り、演じることができる。その言葉に心が躍らないはずがない。かくいう自分も例外ではなく、何年もNOにのめりこんだ。そして気が付けばそれなりに名の知れるプレイヤーになっていた。
「さて、と。そろそろドロップ品を頂戴しますか」
雨音をひとしきり堪能した後、俺はそれまでほったらかしにしていた今回の獲物に目を向ける。
それは曇天の空を仰ぐかのように、道の真ん中で倒れていた。右肩から腹にかけて裂かれており、すでにHPが尽きているのは明らかだった。現実であれば血なり、内臓なりが見えるだろうが、全くその心配がないのは仮想空間の素晴らしいところだ。
「お、ドロップがいいな。というよりこれ全ロストじゃないか。かわいそうに」
それが持っていた装備、ゴールドを回収していく。死亡時のペナルティはランダムだが、よっぽどの不運に見舞われなければ全て失うことはめったにない。
若干の申し訳なさを感じつつ、今さっき俺に殺された不幸なプレイヤーの二つ名を確認する。
俺はPKプレイヤーとして名を馳せていた。
PK、プレイヤーキル。モンスターではなくプレイヤーを狩ることで、彼らが死亡時に落とすアイテムを奪い、経験値を稼ぐ行為。俺はそれを主としてNOをプレイしていた。
VRゲームでPKしているというと、ドン引きされることが多い。だからこそ先に断っておく。別に人を殺したいとかいうヤバい欲求があるわけではない、現実でのうっぷん晴らしをしたいわけでもない。ただ何となくそういう遊び方にハマっていただけだ。
スポーツ感覚。強いて形容するのであれば、それが一番しっくりくる。
これはおかしなことなのかもしれない。最低でも万人に受け入れられることじゃない。
でも俺はこう思う。
ゲームなんだから何をしたっていいじゃんか、と。
娯楽として自分たちはゲームを買って、それを楽しんでいるわけで、その世界の中でルール違反になっているようなことじゃなければ何をしたっていいじゃないか。NOにおいてPKは推奨されていないけど、別に禁止はされていない。それならしてもいいじゃんというのが自分のスタンスだった。
「こりゃたいそうな二つ名だな」
哀れな犠牲者は、近くの町を拠点にしているギルドのマスターだった。道理でここいらで活動するプレイヤーにしては強いと感じるはずだ。使っていた武器も魔法が施された高性能なものだったし、下手したら返り討ちにあっていた可能性もあったな。
「ま、がんばれ。次は雨の時に外をほっつきまわらないようにしな」
空っぽな死体に意味のない忠告――すでに中のプレイヤーは登録しているポータルに死に戻りしているだろう――をする。
先ほどから降り続けている雨は、俺の黄色いレインコートに当たる度に音を響かせながらはじけていく。
〈雨天の訪問者〉
それが俺の第一名称だ。
この二つ名は雨の時にしかPKをしない俺のために付けられたもの。
入手した当時は扱いに困ったが、今ではお気に入りの二つ名だ。
この名を轟かせるために、また今日も一人犠牲になったわけである。
アイテムをあらかた回収し終え、立ち去ろうとし背を向けた途端、背後から風船を破裂させたような爆発音が聞こえた。
「っ!?」
慌てて振り返ると、プレイヤーの亡骸から赤く光る弾が天高く打ち上げられていた。
目の覚めるような冴えた色は、不吉なことが起きる予兆を感じさせられた。
読んでいただきありがとうございました。