1-27-2.決着
「ラヴェンナ様。バルディアル氏が、昨日国議会議員の役職を更迭されました。理由は、押印の入った偽造文書の作成。ゼーランド女史を第三種競技に出場させる王命が、王の認識の外で行われていたことが問題とされました。昨日遅くに緊急の議会が開かれ、その場で氏が断罪された、とのことです」
アルセステの表情は、姿勢は、ぴたりと固まったまま。ごくりと音を立てて唾を飲みながら、静かに学院長の話を聞いていた。
「さらにバルディアル氏を推薦したパルミラ・アルセステ氏も、選定委員を辞退させるとの話が挙がっています。氏はまだ距離的な問題で話を受け取っていませんが、ご自身で辞任なさるか、王命により解任されるかのどちらかのなりそうです。この街に住むパルファディアの親族たちが抗議の声を上げているようですが、恐らく効果はありません」
「……どういう、ことよ」
「ご父君、ご母堂、ともにソルザランド国政への関与権の一切を失われた、ということです。またこの大学院についても、私スヴァルト、そして教頭のネルヴァンが、今朝付で任を解かれました。これにより、ラヴェンナ様。あなたの家の人間で、ソルザランド王国の公職に就く者はいなくなりました」
淡々と、学院長が伝える。いつも、教頭の背後で黙って机に両肘をついていたように。感動薄く、静かにティリルやミスティに辛辣な決定をのみ、告げていたように。
「嘘よっ!」代わりにアルセステが取り乱す。「ふざけないで! 母様が解任? バルディアルおじ様が更迭? そんなことあるわけないわ。悪いことなんて、何にもしていないのに!」
「ラヴェンナ様」
口調を強めた。敬称を添えて呼ぶ名に、敬意は感じられない。
「悪事を重ねたのはあなたです。ラクナグ師を学院から追放し、校舎の一つに火を放ち、気に入らない学生に卑劣な嫌がらせを繰り返し行った。ご父君やバルディアル氏も、悪い噂が一切ない清廉な政治家、というわけではありませんでしたが、その手腕は評価されてもいました。
今回、闇曜の夜半に緊急議会が招集されこれだけの大事が迅速に決定された。その要因のほとんどはあなたの放埓で傲慢な行動です。バルディアル氏が王に無断で書類に王印を押した。文書偽造は本来ならば大罪です。更迭で済んだのは陛下のご温情です」
「私のせいだって言うのっ?」
「違うとお思いですか?」
学院長が鋭い目で睨む。あのアルセステが、気圧されている。唇を噛み、右の拳をわなわなと震わせながら、しかし次の言葉を見付けられずにいる。眼力ですら、学院長に睨み負けている。
「あの、学院長先生」
怖ずと手を上げ、口を開いた。
視線を移しこちらを向いた学院長。表情が、瞬時に柔らかく解ける。
「ゼーランドさん。私はもう、学院長ではない。ただのヴォルク・スヴァルトです」
「あ、はい。えっと、では、スヴァルトさん。その、あなたは、アルセステさんの……?」
気になったことを、聞いてみる。二人の距離感。学院長と学生のものにしては近過ぎる。
「元々私は、ラヴェンナ様の教育係でした。アリアネス共和国にあるアルセステ邸で雇われ、ラヴェンナ様が幼い頃から様々なことをお教えして参りました」
「……ろ」
「ラヴェンナ様のご両親がソルザランド国政に関わっていらしたのは、もうご存知ですね。私自身、国議会の決定でこの魔法学院の学院長の地位に就いた人間です。ラヴェンナ様の目付け役として」
「…めろ」
「アルセステ氏のやりようも公私混同には違いありませんでしたが、それでも私が学院長の職務を堅実に全うすればよいこと。そう考えて参りました。ですが、結局のところラヴェンナ様の放埓な行いを正せないばかりか、傲慢な言動に屈しさえしてしまった」
「やめろっ!」
ギリと奥歯を噛む音がした。
喉が軋むような声で、アルセステが絶叫した。
目には涙を浮かべている。初めて見る、アルセステの弱った顔。それでも、今もってティリルとスヴァルトを憎しみを込めて睨み付けてよこすことに、尊敬を通り越して呆れてしまう。
「黙って聞いてればあることないことベラベラと……っ! スヴァルトッ! お前は今日限りでクビよ、あんたもあんたの周囲の人間も、みんな破滅させてやるから、そのつもりで首を洗ってなさい」
「ええ、ラヴェンナ様。私の力ではあなたの性根は直せなかった。教育者失格です。これ以上あなたの側に仕えることは、あなたにとっても害悪だ。晴れて学院長の役職から外れたこれを機に、教育係も辞職させて頂きます」
「フン、いい度胸じゃない」
「あなたのご両親も、会社も、あなたのわがままを聞くことで重大な損害を被りました。この上まだあなたの私怨を晴らすために何かしてくださるなどと、私には到底考えられませんが、そうですね。学院での最後の仕事を終えたら、故郷に帰って家族を守るため、最善を尽くすことに致します」
突き放すように、その高い身長を使って、スヴァルトはアルセステを見下し言った。これが、スヴァルトがアルセステに向ける最後の言葉。彼がそのつもりで口を閉じたことが、ティリルにもわかった。
くっ、と喉を鳴らすアルセステ。さすがの彼女にも、これ以上継ぎ足す言葉は見つけられないようだった。
既にこの会話に、周囲のベッドに寝ている者たち全員が、聞き耳を立てている。それはティリルも勘付いている。最初は気配を潜め、寝たふりをしている者が殆どだったが、話が進むごと、声や息の漏れる音が増えた。スヴァルトの最後の言葉を聞いては、「マジかよ」とこぼす言葉がはっきりと聞き取れた。
スヴァルトが、こちらを見る。今までについぞ見ることができなかった、優しげな、そしてとても悲しげな。鋭い目をさらに細くして向けられた、笑顔。
「あなた方には、どれだけ詫びても足りない。ラヴェンナ様を自分一人で導けないものかと思い悩むあまり――、いえ、これも言い訳ですね。結局のところ、私は保身ばかり考えてしまった。ラヴェンナ様を強く叱ることができなかった。そのためにあなた方を苦しめる決定を重ねてしまった。本当に申し訳ありませんでした」
「え……、あ、えっと、その――」
「ルーティアさんやレイデンさんウォルノートさん、それにクェインさんにも謝罪に向かいます。それが、私のここでの最後の仕事です。
私にこんなことを言う資格はないのですが、ゼーランドさん。どうぞこれからも自らの研鑽に励み、お母君を越える魔法使を目指してください」
そう言って、スヴァルトは深く頭を下げた。腰を直角に曲げ、ティリルの胸より深く。
思わず恐縮してしまい、ティリルはベッドから降りて両手を振った。恨むこともありはしたが、こうも真摯に謝罪されては、それ以上何も言えない。
言う相手は、違う。ティリルはスヴァルトに顔を上げさせてから、視線を動かし、アルセステを睨みつけた。
「アルセステさん」
呼ぶ。
呆けた表情の彼女に、もう、憎まれ口を叩く余裕はおろか、ティリルを睨みつける余裕さえ、残ってはいないらしかった。
「私は、例え百万回謝ってもらっても。あなたのことを決して赦しません。ましてや今に至っても、ただの一度も謝ってもらっていないのですから。
ですが、あなたは私に教えてくれた。世の中には、会話ではわかり合えない敵意があること。そのことは感謝します。そして、あなたに勝ったことは誇らせてもらおうと思います。あなたのおかげで私は、自分の中にある力を信じられそうです」
拳を握って、伝えた。
結局この段になっても、ティリルの言葉はアルセステの耳に届いたのかどうか。一度としてまともに自分の言葉を受け止めてもらえなかったのだとすれば、そのことが少し淋しいなと、ティリルは思った。
最初に、スヴァルトが去った。もう一度深々頭を下げ、そして医務室を出て行く。
敵意が立ち込めたこの場をはらはらと見守っていた校医も、そろそろ心配はなさそうだと結論した様子。ではと踵を返し、室の端にある自分の作業机に戻っていった。
先に動く。自分も、もう部屋に帰ろうとしていたところ。布団を軽く整えると、カーテンを大きく開け、横を素通りして校医へ挨拶に向かう。
残されたアルセステは、どのくらいその場で呆けていたのだろう。
知ったことではない。
もう、ティリルは振り返りはしなかった。




