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遙かなるシアラ・バドヴィアの軌跡  作者: 乾 隆文
第一章 第二十六節 第62回サリア魔法大学院習得技識披露大会
210/220

1-26-13.直接対決(末)







「さぁ、おしゃべりもそろそろおしまいにしましょう。時間切れなんかにしたくないの。きっちり磨り潰してあげるから、覚悟して」


 アルセステの顔が豹変した。妖魔どころではない。堕した戦神ヴェラルグもかくやといった迫力。背中が総毛立った。


 アルセステが右手を振り下ろす。空から氷が降ってくる。それを必死に、右へ左へとステップを踏んで躱す。


 アルセステが左手を振り下ろす。地面から棘が伸びてくる。必死に後ろへ飛び退り、何とか体に当たるのを回避する。


「ほらほら、もうそんなに逃げ場はないわよっ」


 あははは、と哄笑を上げながら魔法を重ねるアルセステ。ティリルの焦燥が募る。打つ手がない。反撃の手はおろか、身を守る術さえない。悔しさと、恐ろしさと、絶望感とが一気に心に押し寄せてくる。動悸が激しくなる。


「ティリルっ? どうしたの、何かあったの?」


 ミスティが声をくれる。だが答える余裕がない。声を発しようと振り返れば、次の瞬間すぐ目の前を氷の刃が降り走り、骨が凍り付く。


 様子がおかしいと、ミスティが審判に駆け寄ってくれているのが、耳に届いた。


「試合を止めて! 様子がおかしいわ、何かティリルの身にあったのよ」


 だが、ペンタグリヤ師は動かない。ティリルが戦っている以上、審判は試合を止めない。ペンタグリヤ師の判断は、間違っていなかった。試合を止めたかったら、ティリルが棄権の意思を示さねばならない。


 そのつもりはなかった。


 絶望的な状況でも、勝機がないわけではなかった。一番の狙いは時間切れ。今のこの勢いなら、アルセステはきっと、一つ残した最後の風船の扱いを忘れている。自陣に入れることなく手許に持ち続けていれば、その風船はどちらの得点にもならず、結果的に十の風船を壊したアルセステの敗北になる。


 だが、彼女がそれを忘れ去っているという保証もない。できることなら、その一つを壊してしまいたい。減点でも構わない、ティリルがその風船に手をかけ、破り捨てることができれば、引き分け以上には持ち込めるはずだ。


 この期に及んで尚、勝負にこだわっている自分がいることに、驚いた。試合(ゲーム)の勝敗がどうなろうが、アルセステが痛痒を感じるとも思えない。だが、黙って負けてやるつもりもない、という、これはティリルの方の矜持だった。


「ごめん、ミスティ。でも私、どんなに絶望的でも、この勝負は最後まで戦いたい」


 ある意味では逃避だったのかもしれない。もしかして、いや恐らく、もう二度と魔法が使えない。その、先の見えない恐怖心を今この一瞬だけでも忘れるために、勝負にこだわったのかもしれない。傍目には一方的に攻撃され続けるだけの試合になったとしても、ティリルにとっては必要な「逃避」であり「覚悟」でもあった。


 チッとアルセステが大きく舌打ちをする。


「あんた、ホントに鬱陶しくなったわね。魔法が使えなくなったのよ? もうあんたには、この学院にいる意味も、生きている意味もなくなったでしょうに」


 アルセステの暴言にも、ティリルの心は折れない。


「生きる意味はあります。あなたなんかにとやかく言われる筋合いありません。

 何より、あなたにだけは負けるわけにいかない。あなたみたいな人を、勝たせるわけにはいかないんです。あなたみたいな他人を道端の石ころ程度にしか思っていない人に、力も栄誉も持たせちゃいけない」


 キリと相手を睨みつけ、強い口調で宣言する。


 アルセステの表情が歪む。ギリ、と奥歯を噛み締めている。


「ホンっと生意気。あんたの生きる意味なんて、私がここできっちり霧消させてあげる。さぁ、行くわよ」


 言って、アルセステが念を込める。


 ごくりと、ティリルは喉を鳴らした。風か。水か。それとも炎か。アルセステが操る次なる攻撃は一体何か。


 襲来を前に避ける構えを取ろうとして、そこで気付いた。左足、踝までが土に食われて動けなくなっている。


「これ……、違う……っ」


 今度は確信があった。アルセステは、次に放つ攻撃に集中している。自分を捉えるこの魔法は、明らかに他の誰かが使ったもの。


「ティリルっ? 審判止めて! ティリルの様子がおかしいわ!」


 ミスティも、異変に気付いて声を上げてくれる。だが、ペンタグリヤ師は試合を止めない。気付いていないのか、見えないのか。あるいは審判もアルセステの手の内か。


 くっ、と右頬の奥の辺りで悔しさを音にする。左足を引っ張るが、抜ける様子はない。このまま、アルセステの魔法を待つしかないのか。


 ――パァンッ!


 どこか、校舎の上階か。それとも空か、高いところで花火が弾けるような音がした。


 一秒ほど間を置いて、ティリルの足が自由になる。足首を掴んでいた土は、水分を失ったようにほろほろと崩れて力なく地面に落ちた。


 視界の端、運営委員たちの席で、ランツァートが左肩を抑えたのが見えた。――血、だろうか。何やら赤いものがちらついて見える気がする。


 何が起こったのか、判然たる部分は少ない。だが今は、動けるようになった。それだけ分かれば十分だった。


「はあっ!」


 アルセステの号。ティリルの頭上に、百にも届くほどの数の氷柱が浮かぶ。いや、浮かんではいない。空中で生じたそれは、重力に抗うことなく素直に落下してくる。


 氷柱は、地面にグサグサと穴を開けて刺さった。


 足を掴まれたままだったら、そのまま、ティリルの体は穴だらけになっていただろう。腹の底にぞわりとした冷たいものを感じながら、降りしきる氷の刃を大きく後ろに下がって回避する。


「うざったいわね、もう、逃げ場ごと燃やしてやるわっ! いいから死になさいっ」


 アルセステは叫ぶと同時に、今度は猛烈な炎の渦を、ティリル目掛けて放った。


 試合場の半分を焼き尽くそうかという程の大規模な炎の竜巻が、その頭の先をティリルに向け、地面を撫でながら突進してくる。逃げ切れない。絶望が胸中を支配した。


 観客席とて巻き込むことを前提にした、強烈な攻撃。背後からきゃあと、わぁとざわめきが生じている。焦燥も混ざり込む。


 ごくりと唾を飲む。


 彼女の実力と俄かには信じ難い、しかし確かに彼女が使った、強力な魔法。


 ペンタグリヤの瞠目が、エルダールやリークヴェルタの恐慌が、他の教師たちの喧騒が、視界の端に映る。ネスティロイも立ち上がって何やら構えを取っている。


 その全てが、観客席を守るに間に合っても、ティリルのことを守るには届かないと、肌で感じ取った。


 赤が迫る。


 熱が襲う。


 死が猛る。


 ――精霊さん、助けて……。


 縋る思いで念じると、ふわり、微かに右手に絡む空気の流れが感じられた。


 錯覚か。そう悩む一瞬が存在しただろうか。


 迫りくる炎の波を睨みつけ、ティリルは大声で、あらん限りの大音声で叫んだ。


「吹き飛ばしてえぇっ!」


 烈風が、走った。


 前に突き出した両手の平から、強烈な空気の塊が生まれ、巨岩さえ吹き飛ばせそうな勢いで炎の渦を飲み込み、疾駆した。


 炎を食べ、両目を見開いたアルセステの五体を飲み込み。


 ネスティロイの魔法を弾き飛ばし、ペンタグリヤの驚嘆を吹き飛ばし。


 そこかしこから響く悲鳴と感嘆の声を貪りながら、ごぅごうぅとうねりを上げた。


 観客の頭上を掠めて飛び、正面の校舎、三階の壁に激しく激突。窓ガラスを砕いて食い散らし、教室の中までどうやらぐちゃぐちゃにかき混ぜて、軽く二十秒は蠢いていただろうか。


 魔法の姿が完全になくなったあと、会場は、しんと静寂(しじま)に飲み込まれた。


 その一瞬間の風景は、まるで空から見ていたかのように、ティリルの頭に広く大きく焼き付いていた。


 呆然と、参加者席から見守るルースとマノン。


 貴賓席で、同じく口を開けるアリアとエルサ。


 両手を合わせ祈る姿勢で、安堵に表情を崩すリーラ。


 中でも印象的だった、立ち上がって満面に笑みを浮かべた、スティラ。


 そして、次の瞬間緊張の糸が切れ、その場に倒れ込んでしまうティリルの体を、駆け寄り間一髪のところで支えてくれた、ミスティ。


 静まり返った観客席が、やがてどよめきと、祝福と、非難とが織り交ざった不可思議な雰囲気を纏う。だがその困惑した観衆の反応を、ティリルはこれ以上詳細には思い出せない。


 何せティリルは、ミスティの腕の中、ミスティの笑顔の下、この後ふっと意識を手放してしまったのだから。






 こうして、第六十二回サリア魔法大学院修得技識披露大会は、騒乱のうちに閉幕した。

 

 

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