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遙かなるシアラ・バドヴィアの軌跡  作者: 乾 隆文
第一章 第二十六節 第62回サリア魔法大学院習得技識披露大会
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1-26 断節 ヴァニラ・クエイン(前)






 激痛が走った。


 思わず、意識を手放しそうになるほど。


 ぼんやりとした頭の中に蘇ってくるのは、ここまでの、身に起きた出来事。


 昼休みに実行委員の準備室に押しかけ、自分だけ扉の外で待たされたこと。


 廊下の寒さに耐えかね、大混雑の食堂で注文の行列に並んでいたところ、リーラと出会ったこと。


 ゼル先輩の裏切り疑惑と他の仲間の動向を説明し、今さらエルダール師など尾行している場合ではないと説いて。


 ティリルの第三種出場に何やら声を上げるリーラを引きずって、改めて二人でゼルを探し始め。


 その途中でミスティ先輩に会い、さらにしつこく捜索を続けて。


 粗方の場所を探し終え、最後に辿り着いた時計塔。


 待ち構える、アイント。


 ミスティ先輩が、リーラさんをティリルの元に走らせ。


 口論の末に始まった、場外乱闘。


 ……いや。ミスティ先輩も自分も、魔法は使えないのだ。


 始まったのは一方的な蹂躙。逃げるしかない絶望。


 そして、自分は右足を負傷し。


 さらに襲ってくる、ガラス片を含んだ竜巻。


 身動きの取れぬ状況に、あっとそのまま死をも覚悟し、そして――。


「ったく、あんたたちホントいいとこで出てくるんだから」


 最早耳慣れた、ミスティの捻くれた言い草。閉ざされた視界、耳に音と言葉がよく響く。


「助けてやったのにこの言い草だよ。ホント甲斐がねぇよな」


「感謝してるわよ。でもそれはそれ。もっと早く来てくれりゃ、ヴァニラだってこんな怪我しないで済んだのに」


「ヴァニラさんには申し訳なかったです。ですが、私たちも別にタイミングを見計らったわけではないんですよ」


「全くだよ。俺らのせいで怪我したみたいに言われても」


 そんなことは言わないわよ。ミスティが明るく言う。そんなことを言っていたように聞こえたが、と、夢現にヴァニラは思った。二人のせいで、なんて、思わない。言うはずもない。死さえ覚悟したあの状況から、二人のおかげで自分は今も生きているんだ。二人の……、二人……。ところで、この二人は一体誰だろうか。


 ゆっくりと、目を開ける。


 そして、意識とともに蘇ってくる右足の激痛に、うぅと小さく呻きを上げた。


「あっ、動かないでください。まだ怪我の処置は何もできていないんです」


 そう、慌てた声で言ってくれたのはマノン。痛みに耐えながらもう一度ゆっくりと目を開くと、彼女の優しい笑顔が、上下逆さまになって視界を覆っていた。


 どうやら、彼女の膝の上に寝かされているらしかった。


「悪いな、結構深く刺さっててさ。下手に抜くと出血しそうなんで、このままにしてるんだ。傷口を冷やしたら、医務の人を呼んでくるから」


 足許からの声は、ルースのものだった。


 横たえられた自分の体。いまだガラス片が刺さったまま、ザクザクとしている自分の右足。軽く眩暈を起こしながら、必死に感覚を探ってみる。ひんやりと心地よい冷気が、傷口の熱を覆ってくれていた。彼の、魔法か。


「お二人とも、ごめんなさい。……お世話、かけてしまって」


 途切れ途切れに感謝を告げる。んなこと気にするとこじゃねぇ。意外にも、先に反応をくれたのはルースだった。元々は女遊びの達人。卒業したとて、その辺りの気遣いは身に沁み付いている、ということだろうか。


 ――なんて、考えるのはちょっと失礼かな。


「ルースさんはあなたに感謝してるんですよ。身を挺してミスティをかばってくれたこと」


 余計なこと言うなって。マノンの微笑にぶっきら棒な怒声を上げる、ルース。ああなるほど、そういうことかとヴァニラも得心した。腕組みしながらふいと顔を背けるルースの様子は、なんだか可愛らしかった。


「もちろん、私も感謝していますよ。ミストニアの友人として。そして、ティリルの姉として」


 ぶふっ、と吹き出してしまい、揺らした足に痛みが走った。懐かしいネタだなぁ、思わず笑みがこぼれた。


「でも、同時にあなたの友人として、少し怒りもあります。自分の身も大事にしてくださいね。あなただって、どうにかなってしまったら、私たちみんな悲しいんですから」


「あ……、えっと、その、……はい」


「ミストニアも、ああ見えて酷くあなたのことを気にしています」


 ああ見えて、とマノンは言う。だがヴァニラの位置からはミスティの姿は見えなかった。声はした。先程、確かに聞こえた。さて、本人はどこに行ってしまったのか。


「ああ、ミストニアはあそこです。見えますか?」


 ぐぎ。マノンがヴァニラの首を持ち上げ、首から変な音がした。あれぇ? 実のとここの人、怪我人を労わる気持ち、あんまりない? 眉間に皺を寄せながら、示された先を見た。


 少し離れた場所で、ミスティが気絶したアイントを縛り上げていた。両手を縛り、足を縛り。どこからそんな布を用意したのか、と思ったが、先輩のスカートがいつの間にか膝の上まで短くなっていた。千切ったらしい。


 ふう、と一息ついた様子。最後にアイントの腰のポケットに、白い石を一つ放り込んで作業を終えた。嫌精石。彼女が目を覚ました時に、魔法を使って逃げ出さないように、という処置だろう。


「ったく。淑やかさの欠片もねぇ」


「あら? あると思ってた?」


 ルースの呆れ声に、ぱんぱんと手をはたきながら、けろっと答える。全くこの人たちは。怪我に響くのでやめてほしい。笑いをこらえるのは、案外辛いのだ。


「さて」


 僅か、先に声を上げたのはルースだったと思う。気付けば自分の足許に、大きな氷の塊ができていた。


 ほぼ同時に声を揃えたミスティ。視線をアイントから外し、時計塔に続く奥の階段を睨んで、わざとらしく唾を吐く。


「じゃ、私は、塔の上の王子様を締め上げに行ってくるわ」


「付いていきたいとこなんだけどな。さすがにこれ以上、ヴァニラをほっとくわけにいかない」


 ええ、あなたは人を呼んできて。ミスティが言う。一瞥、自分にも視線をくれたような気がした。申し訳なさそうに顔を曇らせてくれるミスティ。そんな表情はいらない、とヴァニラは彼女から目を背けた。


 ミスティが歩を進めた。足音が、階段を上る足音が、少しずつ遠ざかっていく。


 じゃあとルースも踵を返し、ヴァニラとマノンに目線だけ残して、反対側の建物の入り口の方へ走っていった。




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