1-26-6.戦う決意
「とりあえずさ」
溜息を深々と。額を押さえながらミスティが口を開いた。
場所は上階の小教室。椅子に座ったティリルの脇で、ミスティが鼻息を荒くしている。
普段は十人ちょっとも学生が入れば満員になるのだろう、そんな小さな部屋を、衝立で仕切って更に四つのスペースに分けている。他のスペースに座る人の、話し声も身動ぎの音も丸聞こえ。逆もそうなのだろうと、自然に声は小さくなった。
「ティリルの気持ちを教えてよ。第三種、出たかったの?」
「まさか! そんな……」
小声で、しかし強く否定する。
出たいなんて気持ちは、蜘蛛の糸の幅程も持っていない。ただ、じゃあなぜと、怒るミスティの気持ちはよくよくわかっている。
「待って、私別に怒ってるわけじゃないの」
肩を、首を、腕を縮めて親友の威勢を上目遣いに見るティリルに、ミスティは両手を腰に当て、言い放った。怒ってるじゃない、と口を尖らせたくなる剣幕だが、では、一体何を思ってティリルを睨みつけているのだろうか。
「私もね。あの場でできる限り話の流れを変えられるよう努力したつもりだったけど……、最終的には言い包められて、言葉が出なくなっちゃった。だから、むしろ私が謝んなきゃ。力になれなくてさ。その上で、今後のことを確かめたいの。どうであれ、ティリルが決めたことなら私全力で応援したいから」
「ミスティ……」
ほう、と息を吐く。ぼんやりと白く、目の前が曇る。
この、狭く、暗く、扱いの悪い小教室は、委員会の部屋や、こともあろうに校庭と比べても、なんだかずっと冷えている。校庭から少し離れた棟の上階。他の試合が見えず、加えて他の出場者と一応でも区分けされている、そんな条件で出場者十七名が過ごせる部屋を用意するのはさぞ大変だったろう。その労苦は想像するが、さりとて暖房が行き届いていないのは頗る困惑だ。
自分で暖めろ、ということなのだろうか。競技前に負担をかけることを、ネライエがするとも思えないのだが。
「だから、ティリルが少しでも競技に出たいって思ったなら、そう言ってほしいのよ」
「……ありがと。ミスティはいつも優しいね」
ふふ、と笑って答えた。
それから少し俯いて、自分の気持ちを整理する。
「正直、たった一試合でも、怖いっていう気持ちは強いわ。ルールに則った『試合』で、傷つけ合うことが目的じゃない、って言っても、やっぱり魔法を使って直接人と競い合ったことなんて今までないから、何をすればいいのかもよくわかってないの」
「だったら――」
「でも、対戦相手がわかってるから、ちょっと安心、っていうか」
いたずらめかしてくすっと笑う。
腰に手を当て、眉間に皺を寄せ。どうやらすぐにはティリルの意図が伝わらなかったらしい。暫時考え、そして、あっと口を開く。
「ひょっとして、あのバカのこと信用してるのっ?」
「ええ、もちろん。アルセステさんを倒してくれるって信じてるわ」
ここは特に、音が出ないくらいに声を潜めて。
「あのね、そんなうまくいかないわよ。そりゃあいつだって初戦敗退ってこともないでしょうけど、最後まで勝ち抜くなんてのも絶対楽じゃないんだから。二年も遊んでたあいつがそうそう勝ち進むなんて甘い話――」
「あら、ミスティは私以上にあの人のこと信じてるのかと思ってた。そんな風に言うなんて、ちょっと意外」
目を細めて、ミスティの言葉を遮る。ちょっとした軽口。言える自分は、そこそこ落ち着いているなと、客観視することもできていた。
「それにね。私自身、戦わなきゃっていう気持ちはあるの。今回のゼルさんの作戦、もちろんいいとは思ったんだけど、みんなに頼り過ぎだなっていう気持ちはあったから。元々は私と彼女の話なのに、結局私、今回のことで何の役割も担ってないんだもん」
「それは、あなたが一番危険な立場だから」
「うん、わかってる。みんなが守ってくれてるのも。でも、やっぱりそれじゃけじめ付かないなって思うんだよ。私、震えて怯えていれば王子様が助けてくれるような、そんな物語のお姫さまじゃないもの。自分で戦えるようにならなきゃ。……そのために、学院へ来たんだもん」
膝の上で拳を握る。
蘇るのは、嵐の夜の決意。そして、その半月ほど前にあった、心底から悔しさを覚えた別離。
夢の中では嘲笑までよこした幼馴染に、確と手を伸ばすために。
「ゼルの作戦は、もう信用できないのよ?」
「わかってる。だからこそだよ」
ミスティが口を震わせ、最後の確認を取る。
頷き、目を鋭くして親友の顔を見上げた。
拳が震える。足が笑う。
さて武者震いか、部屋が寒いのか。問われたらどちらを紡ごうかと、笑顔の下でティリルは逡巡した。
果たして、ミスティがそんなことを指摘することはなかった。ただ、深く、諦めたような溜息を一つ、吐いた。
「わかったわ」
腕を組んで、それじゃあ改めて、今回の競技のルールを検討しましょう、と提案してくれた。
本当に、心強い。
あのまま、養母と幼馴染と一緒に山奥の家で過ごしていたら、それはそれできっと幸せだっただろう。けれど、彼女とは出会えなかった。頼もしい仲間たちにも出会えないまま、時を過ごしていた。その想像にぞっとしてしまうくらいに、ティリルは、今を受け入れることができていた。
たとえ、戦うことに恐怖を覚えていたとしても。
「さっきの副委員長の態度である程度読めたわね。ともかく、ティリルを第三種競技に出場させること、なんて王陛下からの命令はない。その令状がでっち上げで、第三種競技にあなたを出場させることがアルセステの目論見。ランツァートがその協力者、ね」
「……朝、ネスティロイさんやエルザさんにも怪訝な顔をされたよ。多分、私をこの大会に出場させようっていう推薦状自体がでっち上げ。王様は、私なんかを推薦されてないわ」
「ふぅん。……陛下の名を騙って書状を偽造した、って証拠が挙がれば、あっという間に片がついちゃうわね」
「そっか。随分危ない手段を使ってるのね、彼女も」
「と思うわ。そこまでしてあなたを第三種競技に引きずり出したい。……で、あなたはまんまとその手の内ってわけだけど、勝算はあるの?」
じろりと睨むミスティに、う、と言葉を詰まらせる。
勝算は、ないわけではない。だがあると胸を張れるほどでもない。確固とした作戦を立ててくれたゼルに比べたら、自分の策など絵空事もいいところだ。
「……ゼルさん」
「だからあいつのことは忘れなさいって」
叱られ、力なく頷く。仕方のないことだ。裏切られた確証はないが、信じられなくなったことは事実。それを、運否天賦のダメ元で賭けるならともかく、勝算の一つとしてはっきりと数え上げることは、もうできない。
どの道、自分は選んだ。誰が味方であろうが、誰が裏切ろうが、することは一つ。自ら、魔法を纏って戦うことだ。
「気持ちはわかるけどね。とにかく、今あいつのこと考えててもしょうがない。どの道、ティリルがあいつからもらった作戦はないんだから。
まずは自分たちの頭で、もしあいつと戦うことになった時に勝てる方法を考えましょう」
「……うん。そう、だね」
今度は、力強く頷く。ゆっくりと、だが確かに、ティリルの意志が固まっていく。
信じるのと、頼るのとは違う。まずは、自分の十全を発揮しよう。彼の話はその上だ。
気持ちを切り替え、ミスティと作戦会議に耽る。そのうち、一時の鐘が鳴った。校庭の喧騒が、微風の音程度に微かに届いてきた。
籤運で有利不利が生まれてしまうことを避けるため、後の試合の出場者は試合を見ることもできない。余興程度の扱いなら、自分は他の試合を見せてもらってもよいのではないか、と、ティリルは自分の扱いに少し不満を覚えた。




