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遙かなるシアラ・バドヴィアの軌跡  作者: 乾 隆文
第一章 第二十六節 第62回サリア魔法大学院習得技識披露大会
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1-26-3.スパイヤーの正体







 競技は、あっという間だった。


 並べられた席は、拍子抜けするほど簡素だった。どこかの教室から運んできたらしい、見慣れた授業用の長机。ぐるりと四角く並べられ、外を向いて内側に座らされる。他の選手の様子を見にくくするためか、観客から見えるようにするためか。後者だとしたら、そんな気遣いが本当に必要なのか首を捻ってしまう程、見つめる視線は少なかった。


 場所取り合戦が落ち着き、国王の挨拶も終わった今、街の人たちの興味は完全に、学校の周りを囲んで立ち並ぶお祭りの出店へと移っていた。


「聞いてはいたけど、第一種の注目度ってこんなに低いんだ」


 ぼんやり呟くその間に、競技は淡々と始まっていった。


 ネスティロイの反応を見ていたので心底から驚くことはなかったが、それでも改めて息を零す間は必要だった。


 取り囲まれた机の中央、主審台に立って選手に出題する役目は、エルダール師が担っていた。ティリルが顔を上げると、観覧席の端にリーラの姿が映る。両手を合わせ、ごめんなさいと示しているようだ。リーラのせいではない。見張るにした所で、この展開でできたことなど何もなかっただろう。


 実は、最後まで少しだけ疑念を残していた。もし本当にネスティロイが出題するとして、しかし堂々と矢面に立つことはしないだろう。エルダール師は、あくまで問題を読み上げるだけの役目ではないか。本当は、ネスティロイが問題を作っていて、師に、実行委員会にその問題の束を渡してあるのではないか。


 微かな期待は、読み上げられた一問目で、儚く散った。


「第一問。今から総員の前に用意される、芯をじっくりと湿らせてある蝋燭に、点火すること」


 フォルスタなら、こんなつまらない問題は出さない。彼が一目置くネスティロイが、こんな益体のない試しなどしない。やり方に凝ろうと思えばできるが、言ってしまえばこの課題は、威力の大きな炎を用いれば簡単にこなせてしまう。


 少しだけ意地になって、ティリルはわざわざ濡れた芯を風の魔法で乾燥させてから小さな火を灯した。大概の者が、蝋が二、三センターンも溶けるような大きな炎を呼び起こし、点火していたが、評価に差が出るわけでもなかった。


 そして第六問目、あえなくティリルは課題に失敗した。机から離れた広い場所でする課題。大きな氷を召喚して、それをさらに風圧で細かく削るような課題だったが、ティリルは単純に「魔法力不足」で届かなかった。ネスティロイが主審であればもう少し熟せていただろう、と悔しく思う気持ち半分、しかし純粋な「魔法力」を競うのもこの第一種のルールの内ではある。不当だとは言えぬ結果に、競技会場から静かに去る他なかった。




 まだ競技が続く中、とぼとぼと観覧席に戻ってくる。


 待っていてくれた親友に、悔しさを仄かに滲ませた照れ笑い。ミスティは右手を腰に当て、微苦笑しながら「お疲れさん」と労ってくれた。思わず目頭が熱くなり、慌てて首を振って、雫を振り払った。


「ちょっとティリル!」


 そんな瞬間。まるで頭上から、名を呼ぶ声がした。慌てて見上げた先には、アリアの座る貴賓席。少し高くなった段。しかしその上にティリルを見つめる視線はなかった。


「ティリルってば!」


 声の主は、するすると貴賓席を駆け下りて、二人のところまで駆け寄ってきたところ。


「ヴァニラさん。どうしたんですか、そんなに慌てて」


「どうしたじゃないよ! あれ見て、あれ!」


 人差し指を伸ばし、体の陰に隠すように方向を示すヴァニラ。ままに視線を向けると、ルートが座っていた。傍らには栗色の髪の、見たような男性が一人。アルセステとアイントの姿はない。


「彼女がどうかしました?」


「違う、その隣の男よ!」


「あれは……、確か、スパイヤーさんでしたよね? 大会の実行委員会の」


「あいつ実行委員なんかやってんだっけ。ゼルのルームメイトでしょ?」


 そうなんですか? 驚きに目を見開く。部屋が離れたこともあって、そういえば彼の情報をミスティに聞いたことはなかった。しまったな、ぐるぐる考えているうちに、いちばん近い人に聞きそびれて情報を得損ねてしまっていた。


 そんなことを思いながらふと、ティリルは強烈な違和感に襲われた。


「ちょ、ちょっとティリル、何暢気に笑ってんのよ」


「え? ……でも、ルートさんはスパイヤーさんのことはご存知だったみたいですし、お二人が話してても特に――」


「そういうんじゃなくて! あいつでしょっ? 半年以上前、突然教室に入ってきて『シアラ・バドヴィアの娘はいるか?』って騒ぎ立てたの」


「……え」


「ちょっと、それホントなのっ?」


 ミスティが怒声を上げる。


 ティリルは答えられなかった。


 思考が、凍り付いてしまった。


 代わりに、記憶が溢れてきた。


 あの日。


 自分がバドヴィアの娘だと、学院中に曝されてしまった、あの日。


 確かに、覚えている。


 昼休みに入り、移動の準備をしながらヴァニラと「何を食べるか」といった益体のない話をしていた。


 突然飛び込んできた、男。


 見ず知らずの青年に、呼ばれた名。


 ゼーランドはいるか。


 迂闊に名乗ると、大声で、『バドヴィアの娘』と呼ばわってきた。


 そうだ。


 そうだ、あの男だ。


 スパイヤー。あの男。


 先日準備室に飛び込んできたときは、一瞬のことだったので気付けなかった。


 今も、一瞥ではわからなかった。


 だが、ヴァニラのおかげで開いた記憶の箱は、あの日の様子を克明に遺していた。


 そして、ほんの少し前、ミスティの話に感じた違和感の正体も、ティリルは明確につかみ取ることができた。


「……ミスティ、彼がゼルさんのルームメイトって……?」


「え? ええ、ホントよ。ただでさえ同学年同士のルームメイトなんて珍しかったもの。みんな話題にしたし、今の三年はみんな知ってると思うわ」


「…………私、ゼルさんに聞いたことがあるの。実行委員会で名前を聞いて気になって、『どういう人か知っていますか』って。そうしたら、『知らない』って言われたの」


「はぁ?」


 ミスティが喉を震わせた。


 けれど、それ以上の悪態は出てこない。何ふざけたこと言ってんのあいつ、なんて、いつもの軽妙な怒りは浮かばない。


 横でうっすらと蒼褪めている、ヴァニラもまた感じ取っているに違いない。ゼルの言葉が『ふざけたこと』である可能性など、どれほどあるものか。


 頭が思考を拒む。そんなことはあるわけないと、無駄な心配だと棚に上げたがっている。だが、警鐘は鳴り止まない。よく考えろと、もう一人の自分がずっと叫び続けている。


「……問い詰める必要がありそうね」


 結論したのはミスティだった。


 腰の脇で両の拳を震わせながら、こくりと頷いた。


「そうだよね。放ってはおけないね」


 ヴァニラも同意を示した。考えたくないことではあっても、考えなければならない。その場の三人の、総意だった。


「とにかく私はゼルを探すわ。ティリル、補助はもう必要ないわよね?」


「あ、うん。もちろん。というか、私も行くよ。私もゼルさんに、直接聞きたい」


「や、ティリルは待ってて」


 震える足を叱りつけ、握った拳を胸の前。せっかく奮い立たせた気持ちを、ミスティは素気無く座らせる。え、どうして? 顔を顰める。恐怖はあるが、戦う気持ちも自分の中にはあるのに。


「ここは慎重に動いた方がいいと思うの。あいつが何を考えてるかわかんないけど、ルシャスのやり方とか、ティリルに嘘を吐いてたこととか、多分狙いはあなたよ。万が一……、あいつがアルセステ側に寝返ってるなら、尚更ね。

 あなたは動かない方がいい。安全な場所で待機している方がいいわ。そのために、まず私が動くの」


「でも……」


 確かにミスティの話には理がある。理があるが、だからミスティのことなら危険に晒していい、ということではない。


 それに、安全な場所などと言うが、どこにそんな場所があるというのか。


「ティリルがミスティ先輩のことが心配だって言うなら、私が一緒に行くわ」


 と、ヴァニラが手を上げた。


「私もミスティ先輩の話に賛成。だから、私と二人で行動すれば、少しは動き回る方の危険も減るでしょ?」


「そりゃいいけど、そうしたらティリルが一人に――」


「そっちは心配ないじゃないですか! 私が動き回れば、私が座っていた席が一つ空くんですよ」


 ああ。ミスティがぽんと手を叩いた。


 安全な場所。ティリルもその点に於いては納得してしまった。 


 確かに、ヴァニラの提案する形は、問題点をすべてクリアしているようだった。もちろん、それでもティリルの中の一緒に行きたい、二人のことを危険に晒したくないという思いは強いのだが――。


「わかり、ました」


 だが、この二人の意見を自分に覆せるとも思えない。ここはひとまず、二人に任せる状況なのかなと、渋々頷くことにした。


「正直、さ。私じゃお姫様の隣は荷が重いっていうかさ。そりゃあの姫様庶民的で触れ合いやすいんだけど、でもやっぱ緊張するのよ。ティリルの課題もろくに見てられなかったし、ティリルの方があそこに座って学院長や周囲の見張りをするのも適任だと思うな」


 片目を瞑り、こそこそと。ヴァニラがそんな話を耳打ちしてきた。


 ミスティがくくと苦笑してみせた。わかった、降参。もう何も言わない、とティリルはもう一度深く頷き、よろしくお願いしますと二人に腰を折った。


「任せといて。ゼル先輩が何企んでるのか知らないけど、絶対思い通りになんかなってやんないんだから!」


「ええ。あんのクソ野郎共。何考えてティリルにそんな嘘吐いたのか、そもそも何でティリルがバドヴィアの娘だって知ってたのか、ふん縛って全部白状させてやる」


 二人が、拳を合わせて頷き合った。


 おお、とティリルも迫力負けする。この調子で二人に任せておけば、きっと大丈夫。信じることができた。


 第二種競技のはじまりの声が響く。第一種に比べてショーマンシップに富んだ声音。芸術式競技は実行委員が司会を務め、数人の教員と一般学生が評価点をつける。そういう形らしい。


「ティリルは、特等席で競技を見てなさい。昼休みまでには解決してくるから、そしたら揃って昼ごはん食べましょ」


「はい! わかりました」


 駆け出す二人の背中を見送る。


 校庭では、色鮮やかな火花が立ち上る噴水の周りを踊り、歓声を催しているところだった。



 

「あれ? 席替え?」


 貴賓席の背後に伸びる四段ほどの階段をちまこまと上り、空席にちょこんと座るティリル。隣席で、退屈そうに肘掛けに頬杖をついていたアリアが、眉を顰めてティリルに質問した。


「ええ、その……。いろいろありまして」


「ふぅん……。まぁ、いいけど」




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