1-26-1.アリアとエルサ
そして、魔法大会が開かれた。
illustrations by イコ様
「あ、ティリル!」
混雑の中、名を呼ばれた。
寒空ではあったが、爽やかな快晴。
朝からなかなかの驚嘆だった。正門が大きく開放され、何人もの学生や教員が立って人々を、表の広場から奥の校庭まで誘導していた。人々は、その誘導に素直に従い、和やかに校庭の周囲に自分の場所を取る。スタディオンの歓声を思い返せばささやかな人混みだったが、ここが学院の中であることを意識したら、ずいぶんとした喧騒だ。
「あ、アリアさん!」
呼ばれた方を振り返り、ティリルは笑顔を湛えた。
校庭のぐるりに用意された大会の観覧席。椅子が並べられていたり、地べたに布を敷いて座れるようにしてあったり、扱いは様々。南側の、高い塀を背後に赤い絨毯を広げて用意された、装飾華美な貴賓席。両脇に細く取られた、教員席と、実行委員と大会出場者らが座る席。教員席の更に隣に、二百人からが座れそうな学生席を置き、残りのスペースが一般観覧席に埋められる、という形だ。
ティリルは、補助についてくれたミスティと共に、大会の始まる二時間ほど前から出場者席に座っていた。いつもの制服に、上から二枚、黒い上着と丈の長いコートを羽織る格好。
後から悠々とやってきた王陛下方が貴賓席に着き、そして今アリアに見つかった。名を呼ばれた経緯だった。
「ご無沙汰しています。アリアさんも来てくださったんですね!」
「ご無沙汰もご無沙汰! ティリルったら、全然来てくれないんだもん。ホント薄情だよね」
わざわざ出場者席の方に来てくれたアリアは、挨拶もそこそこ、さっそくそんな憎まれ口をくれる。脇につくエルサが「皆、姫様ほどお暇じゃないのですよ」と相変わらずの毒舌を披露。変わらないなと、含んだ笑いを拳で隠した。
「お初にお目にかかります、殿下。私、今回の大会でティリル・ゼーランドの補助を務めさせていただきますミストニア・ルーティアと申します」
ティリルの背中から、ミスティが静かに頭を下げた。
そういえばミスティとアリアはまだ接点がなかったのか。ティリルの知るところでミスティが知らないことなどほとんどない印象だったので、紹介に気が回らなかった。
「あーはい。はいな? あそっか、初めましてさんなんだっけ。
えっと、私はアリア・エルディス=ハーグ。ご存知だとは思うけど、この国の王女なんてものをやってます。どうぞよろしく」
「殿下……」
くだけた挨拶に、また深い溜息をつくエルサ。確かにミスティの礼に対して、アリアの挨拶が柔らかすぎるとはティリルも感じた。自分がされる分には然程気にならなかったが、人がされているのを聞くと、確かに「これはどうか」と思う自分もいる。
だが、エルサの感想は違った。
「……以前に比べたら大分落ち着いたご挨拶ができるようになりましたね、成長を嬉しく思いますわ」
ええとぉ――。
「わかってるわよ。そうやってバカにして。でもごめんね、なんかあなたのことは初めましてって感じしなくて。ティリルが言ってた『五歳も年上のルームメイト』さんでしょ? よろしくね」
差し出されたアリアの手を、苦笑交じりにミスティが握る。
「あ、はい。え、ティリルってば、私のこと何か言ってたんですか?」
「ええ。せっかくエルサが『いつでも連れてきて』て言ったのに、ちっとも連れて来やしない。あなたに会えるのも楽しみにしてたのよ。だから初めましてっていう気がしなくて」
アリアの言葉に、まずはティリルが絶句した。そうだっけ? そんな話、したっけ。小さく首を捻っていつのことかを思い出そうとするが、わからない。思い出せない。
ほぉら、忘れてる。腰を曲げてティリルの胸を指差し、にまにまと笑うアリアに、えぇ?とティリルを非難するような目を背後から向けてくるミスティ。挟まれたティリルは、逃げ出すことができずにうぅと呻き声をこぼすばかりだ。
「ま、冗談はともかく。今日は精一杯応援させてもらうわ。がんばってね!」
「はい! ありがとうございます!」
元気にティリルの肩を叩くアリアに、ティリルはにっこり笑って頭を下げる。
そして、思い出す。彼女に用事があったことを。それを切り出そうともう一度彼女の顔を見つめようとすると、アリアは別の参加者に声をかけられ、素早くそちらを向いてしまっていた。ミスティが背中をつつく。早く言わなきゃ。だが、それより先にふと、エルサがティリルに耳打ちをしてきた。
「ご学友との関係は、いかがですか?」
最初は質問の意味がわからず、きょとんと、近付けられた顔を見つめ返してしまった。
もう一度、今度はもう少し言葉を増やして、その分声を小さくして訊ねてくれた。
「財閥のお嬢様とご関係は、このところは良好ですか?」
「え――……?」
どうしてそのことを。聞き返そうとした質問は、ミスティが口にしてくれた。彼女も聞いていてくれたらしい。あるいはエルサが、聞こえるように喋ったのか。
「先日お会いしたとき、ティリルさんの様子がおかしかったので。僭越ながら、学院の様子を少々調べさせて頂きました。なかなかの放埓ぶりですね、彼女」
親の顔が見てみたいですわ、などと、然も真面目な顔をして言ってのけるエルサ。「知らないんですか?」とミスティが訊ねると、事も無げに「国議会でよくお会いします」なんて答えてよこした。アリアの態度を云々する割には、彼女もまた随分ふざけた会話術の使い手だ。
「アルセステの行状について、王女殿下や王陛下はご存知なんですか?」
ミスティ。
「いえ、まだです。私が個人的に調べただけですので。陛下に進言するには証拠が足りない状況ですが、殿下は逆に事実確認もせずに逆上されるでしょう」
「なるほど……。なかなか難しい状況ですね」
「ですが、ティリルさんのこと、周囲の方々のことを思えば、放置してよい状況とも思えません。もし差支えがないようでしたら、王宮としても対応を取るよう、殿下と検討して参りますが」
これについては、今度こそ真面目な顔で提案してくれた。ミスティも真剣な面持ちで頷く。そして、集められる視線。二人とも、ティリルの答えを待っていた。
ティリルは答える。その心に、迷いはない。
「ありがとうございます。エルサさんが心配してくださっていたこと、嬉しく思います。もし本当にどうしようもなくなったら、お願いすることもあるかもしれません。でも、なるべくそんなことがないように、頑張りたいと思います。何せ――」
胸を張った。
「彼女との今までの関係は、今日で終わる予定ですから」
おお、とミスティが拍手した。
エルサも感嘆の息をこぼした。
ずいぶんと格好つけた言い方だと、自分でも思う。だが、ミスティにエルサ、信頼の置ける相手しかいなかった点を差し引いても、こんなセリフを拳も振るわせずに言えるようになったことは、誇れる自分の成長だった。
「わかりました。何か、お考えがあるのですね」
「あ。……はい。ええと、その、まぁ……」
途端に威勢が萎む。この辺りが、今後の課題に残される。
ミスティがつんつんと肘で突いてきた。目を丸くし、横を向き、そして、視線を読んで「ああ!」と声を漏らした。今しかない。今を逃したら、相当難しくなる。
「あの、ただ、一つだけお願いしてもいいですか?」
「え、はい。なんでしょう」
柔らかく頷くエルサに、ティリルはヴァニラの席のことを頼んだ。本来ならアリアに伝えるべきことだと思うのだが、彼女の他の人たちとの会話はしばらく終わりそうにない。それに、アリアなら、その辺りのさじ加減もうまく取ってくれるに違いなかった。
「わかりました。殿下の普段の交友の広さを考えれば、その程度のことは陛下にも咎められないでしょう。殿下は社交性も高いですから、お友達にも気兼ねを求める必要はないと思います」
「ありがとうございます!」
いいえ、とエルサは淑やかに頭を下げた。この程度しかお手伝いできずすみません。そんな嬉しい言葉までくれた。
一つ、胸の痞えが取れる。小さな仕事だが、ティリルの役目が一つ終わった。後はそのことをヴァニラに伝えるだけ。
イコ様に、イラストを頂きました。第一章表紙をイメージしたものでしたが、大会編の表紙にした方がカッコいいなと思い、こちらに掲載致しました。
イコ様、ありがとうございます!




