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1 節間-1.リーラ・レイデン







「まーったく。ティリル先輩も、みんなも、ちーっとも私のこと信用してないのバレバレなんですよ!」


 誰もいない廊下をどしどしと歩きながら、リーラは腕組み、独り言ちた。


 帰路は一人。ティリルは大会を翌日に、師の研究室へ寄ると言う。他の者も、自然と別れてしまった。愚痴を聞いてくれる相手はいない。誰か同道者がいたとしても、そもそもリーラの不満を理解してくれる人物はいないだろう。マノンに丸め込まれ、ティリルに乗せられたとしても、明日の自分の役割は結局のところ重要とは言えない。それは、リーラ自身よくよく理解していた。


 仲間たちの中で、一人予科生だからかもしれない。


 アルセステに抱く思いが、ないからかもしれない。


 だがそれでも、代わりにティリルを守りたいという思いは、他の誰より強く持っている自負があった。自分一人蓮っ葉扱いなど許せない。自分だって、戦えるのだ。


 まるでその決意が認められなかったようで、リーラは肩に重い荷物を背負っているような錯覚に陥っていた。


「ホントにもぉ……。みんなもうちょっと、私のことだって認めてくれても……」


 さっきよりもずっと小さい声で、もう一度呟いた。


「ふふ、認められたいの……?」


 声をかけられた。


 誰もいないと思っていた、もう真っ暗になった校舎の廊下。薄ぼんやりと天井近くに浮かぶ、魔法で灯されたランプの明りが、ゆらゆらとリーラの影を廊下に揺らしている。


 すぐ目の前を曲がった角。ゆらりと、声の主が姿を現す。


 三人。


 黒髪のショートヘアは、中央で仁王立ち。


 脇のツインテイルとベリーショートは、体の向きを斜めに。


 三人とも、うっすらと微笑む表情が、鼠を見つけた猫のように煌めいている。


「あ、あの……」


「ごめんなさいね。聞こえちゃって。『もっと認められたい』、そう、言ってなかったかしら?」


 にっこりと笑う黒髪。


 そういえば、リーラは面識がない。顔を知らないことを、その顔を見ることで思い出した。何せ奇妙だったのだ。知らないのに、すぐにわかった、そのことが。


「あなた、あれよね? 大好きな先輩のために、もっと役に立ちたいんでしょう?」


 ねっとりと、まるで花の蜜のような。滑付いた声でアルセステが話しかけてくる。その正体がわかっていて、耳を傾ける意味などないとわかっているのに。この無暗な誘引力は、一体何なのだろう。


「私をご存知なんですか?」


 精一杯、話をごまかした。


「もちろん。ゼーランドさんの新しいルームメイトさんでしょう? 私、彼女のことは何でも知っているのよ。だからあなたのことも知っているわ」


 鳥肌が立つ、などという程度ではない。背中の皮膚の下を氷水が走ったかのよう。


「調べた、っていうことですか?」


「ふふ、大した話じゃないわよ。何せゼーランドさんは有名人だもの。あなたも知ってるでしょう? 情報なんて、黙っていてもいくらでも聞こえてくるわ。

 そんなことより、ねぇ。レイデンさん。あなた、ゼーランドさんに認められたいのね?」


「……別に、どうだっていいでしょ? そんなこと」


 顔を背け、拒絶する。目前に立つのは敵。話を聞いてはいけない。


 それがわかっているはずなのに、どうして――。自分はこの場を、立ち去ることができないのだろう。アルセステの眼力が、ランプの明りにくゆるリーラの影を、この場に縫い付けてしまったかのようだ。


「私ね、心を痛めているの。だって、経緯はどうあれあなたとゼーランドさんの寮室共有は学院にとっては革新的な実践のはずよ、本科生と予科生が同室になることは、学院史上なかったことなのだから。

 だからあなた方の良好な関係作りは、ぜひとも応援したい。あなた方の関係が成功すると失敗するとでは、今後の学院の歩みが大きく変わってくると思うわ」


「そ……、そんなの、別に……」


「本科も予科も関係なく、信頼関係を作る。部屋割りの如何に拘わらず、大切なことだとも思うしね」


 耳にやさしい。アルセステの言葉はリーラの心にすんなりと沁み込んできて、拒む余地を見出すのに苦労する程だ。


「あなたがゼーランドさんに認められることは、学院のためでもあると思うのよ。ねぇ? 協力させてもらえないかしら」


 いけない。


「――何を……」


 これ以上はいけない。


「……してくれるって言うんですか?」


「ふふ。大したことはできないけれどね。ちょうど今いいものを持っていたから、あなたに差し上げようと思って。ね」


 警鐘が、遠くなる。確かに聞こえていたはずの、忠告が消える。


 心に響くのは、アルセステの声のみ。後ろに立つ二人の女の笑顔すら。まして、この場にいない誰かの顔や声など。


 アルセステがポケットの中から取り出したのは、人差し指程度の大きさの、小さな薬瓶だった。


「この薬はね、一時的に魔法の力を向上させる薬。嫌精石の研究から生み出された、好精薬とでも呼ぶべき薬剤よ。まだ、この国には正規のルートでは入ってきていないけれど」


 右の親指と人差し指。二本でつまんだ小壜を揺らすと、中に入ったピンク色の薬液がふるふると震えた。見るからに怪しげな、私は毒だと名札でも貼っているような、そんな見た目と、紹介のされ方だった。


「正規のルートでって……。つまり、非合法の薬ってことですかっ?」


「声を荒げないで、人聞きの悪い。そんなわけないでしょう、もちろん。この国ではまだ使われていない、認知されていないというだけよ。入ってくるルートができて、その時に問題があると判断されれば、その時は非合法の薬になるかもね。でも今はまだ取り締まられていない」


「……そんな怪しげな薬、どこから手に入れたんですか」


「あなた、私のことを知らないの?」さぞ怪しげなルートを示されるのだろう、と思っていたが、アルセステの返答は呆れ顔。「私の実家は貿易商なの。グランディアやアトラクティア辺りのものならいくらでも手に入るわ」


 ああ、と納得した。そういえば、アルセステ通運の令嬢だった。危ない橋など渡らずとも、親へのわがままでいくらでも手に入るのだ。


「ね? 別に悪い薬じゃないって、わかったでしょ?」


「……じゃあ、どうしてそれを、私にくれるんです?」


 めげず、訊ねる。


「言っているでしょ? 私は、あなたたちの関係を応援したいのよ。今後、この学院が、本科と予科の垣根を取り払っていくために」


 初めて直接対峙したアルセステは、今のところは穏やかで優しい。抱くべき違和感が、違和感でなくなってしまう程。


「でも、私たちは明日、あなたと戦うのに……?」


 そして、つい口に出してしまった。


 アルセステの目が丸くなる。ベリーショートがぽかんと口を開け、ツインテイルがあぁあと呆れたように眉を顰める。


 当のリーラはしまったと手の平で口を押さえるが、その動作すらツインテイルの苦笑を催す大きな失態。


「へぇ。あなたたち、そんなことを考えているの?」


 余裕綽々に、大きく二度頷きながら微笑むアルセステ。取るに足らぬ、羽虫の蠢きに過ぎぬと言いたげな口許だ。


「ちっ、違うんです! 今のはその、そう言うんじゃなくて――」


「まぁ、別に構わないわ。あなたたちの小さな企み程度、どうとでもなるもの。

 それよりも今はあなたのこと。どう? この薬、受け取るつもりはない?」


 にんまりと微笑むアルセステ。自分たちが彼女を狙っていることを零してしまってなお、この表情。その笑みは神の御使いたる聖霊フォルレイネに例えるべきか、それとも妖魔ネダリオルか。


 今やリーラには、その区別すらつかなくなっていた。


「……その薬、何に使えって言うんですか?」


「それは知らないわ」しれっと、アルセステは唇を尖らせた。「何かの役に立つかも、と思ったからあげるだけ。使い方は、あなたが考えなさい。使えとも言わない。いらなかったら捨てればいいわ」


「そんな……」


「勘違いしないで。私はあなたに何かをさせたいわけじゃない。悩んでいたようだから、少しでも助けになればって思っただけよ。そして、受け取ることすら嫌だというなら、それもまた仕方のないことだと思うわ。何度も言っているつもりだけどね」


 にっこりと微笑み、もう一度。アルセステは、リーラに顔を近づけ、右の手の平に小壜を乗せて、前に差し出した。


 ついにリーラは、フォルレイネの慈悲に首を垂れ、あるいはネダリオルの誘惑に負けて、その小壜を手に取ってしまった。――使わなければいい。その一言を胸に抱きながら。


「明日。あるいはそれ以降。あなたの大好きな先輩が、自分の力だけでは乗り越えられない大きな壁にぶつかることがあるかもしれない。思いもよらない罠を仕組まれることがあるかもしれない。その時に、その薬が、あなたの力が役に立つことがあるなら、ぜひ使ってあげてね」


 アルセステはそう笑い、リーラの前から姿を消した。


 残されたリーラは、揺れる自分の影をぼんやりと見つめながら、今自分がしたことを振り返る。何もしていない。何もない。手許に残った薬など、その気になればいつでも割れる。土に吸わせてなかったことにできる。


 部屋に戻ったリーラは、そうして、何事もなかったようにティリルに笑顔を向けることができたのだった。





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