1-25-5.ゼルの作戦 -あとは信じるのみ-
「最後はヴァニラだね。リーラと同じく、気になる人物のマークを頼みたいんだけれど」
「いいですよ、もちろん」ヴァニラは素直に頷いた。「私は魔法学についての知識は浅く、魔法行使の技術もなければ知識もない。できることはすごく少ないと思います。でもアルセステを許せないって気持ちは誰よりも強いつもり。できることは何でもするから、どんどん言いつけてください」
「ありがとう、頼もしいよ。
ヴァニラに頼みたいのはね」名前を聞いて、ティリルは息を止めた。「学院長の監視なんだ」
えっ、と一同声を揃えた。
そして、対峙したことがあるティリルは、ミスティは。確かに必要かもしれない、と共に思い至ったようであった。何をしでかすかは、思いもつかない。何かをすることなどないかもしれない。けれど、それでも、目を離していて安心は掴めない。不安は、エルダールに対するものよりずっと大きかった。
「学院長を監視……? ええと、どう、やって……?」
顔を、戸惑いの色に染めるヴァニラ。なんということはないと、ゼルは肩を竦めて見せた。
「見てること自体は難しくない。学院長ともなれば、大会中はまずほとんど離席できないだろうからね。その席が見える位置にいて、気を配っていればいい」
「見える位置って言っても。学院長の席って言ったら」
「そうだね。王族の方の席の近くだろうね」
こともなげに言ってのけるゼル。聞くだに、ヴァニラに課せられた役目が難しそうだと感じられる。
学院長と教頭は、当然学院のトップとして相応の位置で大会を観覧する。だが同時に、賓客である国王陛下や、宮廷魔法使殿を歓待する立場でもある。確かに監視する程に動きそうな対象ではないものの、そもそもどこから見守るのかという問題は大きい。
「あるじゃない。わかりやすい監視場所が」
ゼルが、またクイズのような物言いをする。えぇ、とヴァニラは頭をぐるぐるさせ、他の全員もはてと考え込む。誰一人、答えは思い付かない。
「ヒントは、ティリルに手伝ってもらう必要があるかもってことかな」
「え、私ですか?」
聞き返す。にやりと、悪い笑顔が返ってくる。
「いいかい? 学院長は、王陛下を歓待する立場なんだ。つまり王城の方や王族の方々とは、とても近い場所に座ることになる」
「王城の方や王族の方々……、って、ひょっとして」
「ん、気付いた?」
ゼルがティリルに目を向けた。気付いたかどうか実感はない。ただ、気になることが一つ。
「ひょっとして、アリアさんもいらっしゃるんですか?」
ご名答。ゼルが目配せをした。
正解を当てた感覚はないが、とりあえず自分の発言の内容が認められたことは理解した。アリアが来る。とりあえず自分は、王陛下のところとは別に、挨拶に向かうべきだろう。大会が始まる前に時間が取れればいいが、無理なら競技が終わった後か。
で。正解かどうかは恐らくその先の話だが。
「まさか、王女殿下の隣の席から学院長を見張れって言うの?」
ミスティが訝った。片目だけ歪め、首を少し前に突き出す姿勢。ゼルは平然と、胸を張って肯定する。
「学院長が何かを感じたところで、殿下の脇にいられれば咎められることはない。学院長も、陛下のご対応を放り出して離席することはできない。妙案だと思うけどな」
「それは、そうかもしれないけど……、実現できるの?」
「そこはティリルの協力じゃない? アリア殿下と仲いいんでしょ」
「えっ、な、仲いいって言いますか……」
矛先を戻され、肩を震わせるティリル。
問われれば確かに仲はいい。しかし、そんな無理を頼んでいい間柄だとも思っていない。
「そんな席に着いたら、学院長からもヴァニラさんの挙動がバレてしまうのでは?」
次の質問はマノン。
「それはむしろ望むところだろう?」ゼル。「見張っていることがバレたからって、気を使うようなことはない。むしろ、下手な動きはできないぞって抑止できる方が望ましい」
「えっと、ティリルのつながりで王女殿下の隣に座れたとして、私が殿下とお話ができるかはとっても不安なんですけど。ましてや学院長の見張りをしながら、だなんて。途中で追い出されちゃったりしたらどうします……?」これはヴァニラが吐露した不安。
「あの王女様に限って言えば、心配しなくていいと思うけどね。滅茶苦茶人好きするお人柄だし、むしろ俺は、話に夢中になっちゃって見張りを忘れてた、とかいう方が不安だな。
けどまぁ、多少強引な計画だっていうのは自覚してる。だからこれは最良の一手って思っておいてくれればいい。ティリルが頼んで無理だった時のため、あるいはそういうときのために、一般席で一番見えるところも確保しておくよ」
最後の一言は、ヴァニラに向けてというより、全員に向けた説明だった様子。その一言で、まぁそれならと息を吐く人物が、二、三人はいたようだった。実際ヴァニラも、小さく安堵の息を零していた。
各所からどれだけ懸案の質問が挙がっても、しかしゼル本人は、その手が最良の一手であるという考えには疑念を挟んでいないようだった。さらに、応援もあった。
「私も、ティリル先輩の繋がりを使ったこの作戦には大賛成です!」リーラだ。「ひとつだけ挙げるなら、ヴァニラ先輩より私の方が適任じゃないかなって思うんですけど。ほら! 私も王女様とは、クロスボールの試合の後で語らった仲ですよ!」
「え、……あ、あぁ、そうなの? 知らなかったなぁ」
胸を張るリーラに、ゼルは少し戸惑った様子を見せ、ここに来て珍しく答えをはぐらかす。ああ、はぐらかしている。ティリルは思う。絶対にゼルは、クロスボール観戦の後の飲み屋の概要を知っている。
「あらあら。エルダール先生の尾行の方が、リーラさんに相応しい重要事項だと思ったんですが、そちらの方は自信がなかったりされましたか?」
助け舟は、意外なところからやってきた。
「え。……マノン先輩は、そう思うんですか?」
「もちろん。エルダール教授と言えば学院随一と言われる魔法行使の実力者。その様子を探るなんて難しい仕事、誰にでもできるというようなものではありませんわ。ゼルさんは、もちろん表向きの作戦の鍵はルースさんに託してらっしゃると思います。ですが、実際に一番難しく、大変なのはリーラさんの任務だとお考えのはずですよ」
しゃべりながらちらりとゼルに目を向ける。ねぇ、と同意を引き出すよう。
「も、もちろんさ! 当然じゃないか!」
あはははは、と乾いた笑い。どうしたものか、ゼルは急に舌が回らなくなってしまっているように感じられる。
リーラ一人ごまかせないゼルではなかろうに、どうしてしまったのか。
「……そんな安い挑発で、私の気を逸らそうっていうつもりですか? マノン先輩」
「ティリルさんも、同じお考えのようですよ」
「え――、あ、ああ! もちろん! エルダール先生の様子、リーラさんに見てもらえたら頼もしいですねぇ!」
「わっかりましたあ! ティリル先輩のため、エルダール先生の一挙手一投足、髪の毛一筋の動きまで見逃さずに見張ってみせます!」
ぐっと両手を握り締め、ティリルに胸を張って見せるリーラ。ええ、ありがとうございます。そう返すティリルの視界の端に、澄まし顔でにまにましているマノンが映る。
本当に。今日もリーラはこんなに安い。簡単に乗せてしまう自分に罪悪感を覚える程に。
「と、とにかくだ!」ゼルが声を上げ、仕切り直す。「各々の役目は言った通り。細かい指示はこれから改めて。全体の流れをまとめよう。いいかい?」
改めて。ゼルの号令に、六人全員頷いて気持ちをまとめた。
作戦会議は、その後さらに、一時間以上続いた。
綿密な確認が繰り返された。ゼルの指示は緻密で、しかし複雑怪奇ではなく、それぞれの役割は単純だった。
これで本当にうまくいくのか。疑念は残った。それはそのまま、心の中の不安だった。
信じる他ない。
たくさんのものを我が物顔に踏み躙ってきた、ラヴェンナ・アルセステの暴虐を、ここで止めるために。信じて戦う外、ない。
震える心から目を逸らし、ティリルは最後にもう一度、皆の顔を見て、それからゆっくりと目を瞑った。




