1-25-1.大会を目前に控え
暦が十二月を迎えた。
いよいよ魔法大会が近付き、学院は俄かに活気を帯び始めた。実行委員の面々や教授連はもちろん、それまでまるで興味がないと知らん顔をしていた学生たちすら、今年は誰が出場するのか、去年は誰と誰の試合が白熱した、とそんな話で盛り上がるようになってきた。
「ゼーランドさんも出場するんだって?」
例えば神学史の教室で、話しかけてくる学友がいた。
この頃はもう、ティリルの評判は「アルセステと対等にやり合える肝の据わった学院生」だ。さすがにアルセステ本人がいる教室ではそこまでの度胸はないようだが、そうでなければ、ティリルにちょっとした雑談を振ってくる者もちらほら現れるようになっていた。
「はい。第一種競技に」
「第一種って――、課題式? ウソ! 武闘式じゃないの?」
「俺、武闘式しかわかんないや。他のってどんなことするんだっけ」
どうやら皆の注目の的は、専ら第三種競技らしい。やいのやいのと目の前で盛り上がる学友たちを前に、あははと少々困惑した愛想笑い。隣席のヴァニラが「自分で出るわけでもないのに、みんな勝手なこと言ってるね」と耳打ちしてくれたが、当のティリルはそこまで居心地が悪かったわけではない。本当に、この雰囲気に。そしてほんの少しだけ、話題に。困惑しただけだった。
エル・ラツィアの窓から覗く街の様子は、輪をかけていた。
大通りに沿った並木に色とりどりの飾りをつけ、さらに魔法使たちが光を灯して街を着飾らせている。民家は窓から国の旗や王家の旗を掲げ、店は窓や屋根にも装飾を施す。
街の様子がきれいだからと、リーラに誘われた贅沢な夕飯。眺めに感嘆し、気が付けば、せっかくの料理の味を危うく楽しみそびれるところだった。
「すごいですね。魔法大会って学院の催しとしか思っていなかったんですけど、こんなに街中が盛り上がるものだったんですね」
「街としては、『魔法大会』じゃなくて『照闇祭』として盛り上がってるんですけどね」
リーラの注釈に、ティリルは聞き慣れぬ単語を鸚鵡返しにして首を傾げた。
聞き慣れない――、いや、一度ゼルが口にしていたのを思い出した。結局まだその説明は聞けていない、祭りの名前。
「なんですか? その照闇祭って」
「あれ、ユリではやらないんですか?」
ふるふると首を横に振った。サリア以外の他の町でもやるのだろうか。
「元々は『照闇の儀』っていうハース教の教儀式で、地方都市じゃ今でも特別礼拝が行われているはずですよ。要は、闇の月の闇を払おうっていうものです。闇に支配されてしまう闇の月の闇曜日に、神に祈りを捧げ光の力を注ぐことで、闇を照らし切り裂こうっていう」
「はぁ、なるほど」
わかったような、わからないような、気のない返事をする。
十二月のユリは雪が多く、とてもではないが特別礼拝などできない。
「じゃあ、街の賑わいは大会とは関係ないんですか?」
「いえ。サリアでは、照闇祭の一部として学院で魔法大会を開催してるんです。闇を払うのが目的ですから、とにかくみんな朝から夜まで騒ぎ倒します。街の人たちにとっては、大会はお祭りの余興なんですよ」
あっさりと身も蓋もないことを言う。聞けば、リーラは長く予科生としてサリアに暮らしている。出場資格もなく、応援するような先輩も去年まではいなかった身が、学院の催しとしてよりも、街の人たちが楽しみにするお祭りとして、この日を認識しているのは当然のことかもしれない。
ティリルとは反対だ。大会が近付くほど、「自分が出場する大会」として、「知った人間が出場する大会」として、意識を強めていく。街の人がそれをどう思っているのかは、こうして窓の外を眺めて視界に留める程度のもの。肌で感じ取る余裕はもうなさそうだった。
「……それで、先輩」今度はリーラが、自発的に口を開いた。「実際自信はどれくらいですか?」
自信?と首を捻る。アルセステと戦うことについてか、と一瞬本気で悩んでしまった。
「違いますよ。大会出場への自信です。課題式競技が注目されないからって、先輩までやる気がないわけじゃないんですよね?」
「あ」そっか、と自分の頭をこつんと叩く。いつの間にか、大会出場よりもアルセステ対策の方が重要になっていたらしい。少しだけ、自分のことが心外だった。
「あはは。すっかり忘れちゃってました」
「えぇ? 大丈夫ですか、先輩」
「大丈夫! 大丈夫です。というか、別に私自身、自分の成績がどうだったとしても、そんなにこだわっていませんから」
ぐ、と拳を握り、笑顔を作って見せる。
え、そうだったんですか? 答えるリーラは意外そう。
「かなりの頻度で大会実行委員会の準備室に行ってますよね? 私てっきり、大会に向けた準備のために時間をかけてるんだと思ってました」
「それは、そうですよ。もちろん」
じゃあ――。リーラが首を傾げた。ティリルの言葉は矛盾しているのではないか。そんな風に感じているらしかった。
「対策は、立ててますよ。でもそれは、課題に対して自分が十分に実力を発揮できるように、そのための対策です。大会のルールとか、流れとか。そういうものがわからないで戸惑っちゃったりするの、もったいないじゃないですか」
「……それじゃ、結果は何位でも構わないって思ってるんですか?」
「うん、そうだと思います。他の人と競えるほど、まだ私、自分に実力がついたって思ってませんもの」
微笑みを向けると、リーラは両手で頬杖をつき、これ見よがしに大きな溜息をついた。
「先輩らしい、って言えばらしいですけど……。それじゃ正直、応援する方はつまんないですよぉ」
そしてじとりとティリルを睨みつけてきた。思わずティリルも、むうと口を尖らせて不満を返してしまう。
せっかく応援するのだから、本人も勝気を出してほしい。リーラの言葉は尤もだ。それでもティリルは、誰かと競うことに大きな意味を持たせようとは考えられなかった。
春に大学に編入し、ここまで半年と少し。バドヴィアの娘であると、王城からの使者に、そして国王陛下に言われたその言葉を信じ、歩み続けている。が、自分の中に受け継いだ才能があるなどと、今までに一度も感じたことがないのもまた、真実だ。思い悩まないわけがない。何度国王に頭を下げ、奨学生を辞退させてもらおうと思ったことかわからない。
それでも。
まるで蝸牛の歩みのごときでも、確かに自分は成長している。自分の魔法の力は少しずつ蕾を膨らませ、花開く支度を整え始めている。ここ一、二か月で、ようやくそう感じられるようになってきたのだ。
誰かに勝つとか負けるとかそういうことではなく。与えられる課題に応えて、自分の実力と魔法への造詣は確かに強く深く育っていると、自分に示してやりたいのだ。それが、今の自分を支える自信になる。星を見るように、そう信じていた。
リーラに、その気持ちを理解してほしいとは言わない。その心を晒すこともしない。
だからティリルは、冗談めかして、こうやって答えることにしたのだった。
「リーラさん……、応援してくれないんですか?」
「そ、そういう意味じゃないですけどぉ……。やっぱりこう、ただでさえ課題式競技は地味なのに、出場するティリル先輩自身も順位に拘らないんだと、盛り上がらないっていうか――」
冗談めかした上目遣いに、やや本気で戸惑っているリーラの顔を見て、ティリルはくくと喉を鳴らす。ちょうどいい。リーラの困惑顔を見遣りながら、ティリルは胸を撫で下ろした。
食後に練り栗の焼き菓子と熱い香茶を頼みながら、もう一度窓の外に目を向けた。
寒さに震えているはずの街並みは、やはり祭の飾り付け、眩く光って一向に落ち着く気配を見せない。
自分の心の中のようだ。ティリルは無理矢理、そう思い込んだ。
大会は、目の前だった。




