1-20-2.出場依頼が下った
鋭い視線に当てられ、ティリルは気後れから入ってしまう。いかに授業への姿勢に自信がついてきたとはいえ、実技の成績はまだまだ中の下と言ったところ。街中の注目を浴びるような大会で、何ができるとも思えなかった。
「あ、あの、私、バドヴィアの娘と言っても、魔法行使の実力はまだまだ全然なんです。その、大会に出ろと言われましても、私なんかじゃ何もできないですし――」
「その、ティリルを出場させろという依頼は、どこから来たんですか?」
ティリルの言葉を遮って、ヴァニラが口を挟んだ。
言われるまで気付かなかった、自分の迂闊さを省みる。そう、ランツァートは『依頼が下った』という表現をした。バドヴィアの娘を大会に参加させるのは、実行委員会の意図というわけではないのだ。ひょっとしたらまた、アルセステの陰謀という可能性もある、が。そこまで考えて、もう一つ気付くことがあった。
「依頼が、下った……?」ぽつりと、二人に聞こえないくらいの小さな声で、呟く。
「王城からです」
細めた目は、まるでティリルの呟きを聞き取ったかのよう。事も無げに、かつ種明かしを楽しむような悪戯な気配も漂わせながら、ランツァートは両手の平をティリルに、差し出すように向けた。
「え……、えっ? お、王城っ?」
「ははぁ、つまり王様からのご命令」
慌てるティリルに対し、納得したような落ち着いた声を溜息に乗せるヴァニラ。確かに『下った』という表現からは、話の主はある程度絞れただろう。けれど、国王陛下が自分の大会への出場要請を下すなど、正直想像が追い付かない。
「そう不思議なことではないですよ、ゼーランドさん」だって言うのに、ランツァートはすました笑顔でそんなことを言う。「先にも言ったとおり、この大会を陛下と宮廷魔法使様がご高閲下さるのは通例となりました。その中で、王陛下が直々に『あの人物が見たい』とご指名になることも最早よくあることなのです。時に、周囲から『なぜあの人物を』と疑問視されるような名声のない方がご指名を受けることもあり、過去には混乱が生じた事例もあったようですが、今回はそのような心配はないでしょう。バドヴィアのご息女。陛下がご注目なさるのに当然の肩書です」
またそのような言い方を。ランツァートの、白い絵の具のような口調に、ティリルは少しげんなりした息を零す。同じ言葉を繰り返すのは、最早食傷なのだが。
「あの、私はバドヴィアの娘と言っても、魔法行使の才能はあまり受け継いでおりません。ですのでそのような期待をかけて頂いても――」
「失礼、誤解があるかもしれませんが」その食傷気味な言い訳を遮って、ランツァートが右手の平を上げる。「私は、そして大会実行委員会の意図としましては、あなたの現在の実力については然程興味がありません。私たちにとって重要なのは、あなたが『シアラ・バドヴィアの息女』という肩書を持っている、ということです。大会の話題性を高めるという点で、これ以上を求めればバドヴィア本人を連れてくるしかない、というほどの大きなトピックでしょう」
おわかりいただけますかと、静かににこやかに確認を取るランツァート。
虚を突かれ、ティリルは動かしていた舌をそのままの形に固めてしまった。と同時に、ランツァートの言い分が砂に染み込むように理解される。必要なのはバドヴィアの娘の実力ではなく肩書。本来ならば憤るべき話なのかもしれないが、ティリルとしては納得の方が大きかった。
「ちょっと、その言い方はティリルをバカにしていませんか?」
代わりにヴァニラが鼻を鳴らす。横から覗き込むようにしてランツァートの横顔を睨みつけて。ランツァートは動じない。珍しく視線をヴァニラに向け、いいえ、と簡単に答えた。
「いいえってあなた――」
「ゼーランドさんが仰ったことですよ? ご自身、バドヴィアの才はあまり受け継いでいらっしゃらない、と」
ぐ、とヴァニラが言葉を飲み込む。それはその通り。まさか「またまたご謙遜を」なんて言ってほしいなどとはハチドリのクチバシの先ほども思っていない。額面通りに受け取ってもらえれば、それが一番助かる。
「ありがとうございます」だから、礼を言った。「でも私、本当に、もしその大会に出場したとして、本当に大したことはできないと思いますよ」
「多少の状況設定は致しますわ。競技も複数行われますし、どちらにご参加頂くかも検討事項だと思われます」
ティリルの疑問に、ランツァートは静かに微笑んだ。その程度は考えている。さもそう言いたげな、自信の溢れた表情だった。
ずいぶんとティリルも安心させられたものだ。ここまで胸を張ってフォローの体制を約束してくれれば、答える側も悩む余地は相当狭くなる。
「あの、では――」
「ああ、ごめんなさい。不躾なことで申し訳ありませんが、それ以上はまた今度に致しましょう。今日のところはお話まで。ご検討は少し時間を取ってゆっくりして頂いて、また改めてお返事を聞かせてください。
お二人のお時間を頂いてしまって、そのことは本当に申し訳ありませんでした。聞いてくださってありがとうございます。また、近々伺いますので、お返事はその折に」
そして、しかしある程度まで覚悟を決めたティリルに、ランツァートの言葉は素っ気ない。悩む余地は相当狭めてもらったし、そもそも王命とあらば悩む余地など最初からないに等しい。参加する旨、答えをもらっていけばいいのに、とティリルは肩を一つ揺らして下唇を尖らせた。
「では、私はこれで。ああ、私の分はあちらの席でもいいかしら」
ランツァートは構わず立ち上がり、ちょうどのタイミングでティリルとヴァニラの料理を届けに来た給仕に、そのように告げた。
周囲は広く、人影は数えるほどしかない。空席などたくさんあり、ランツァートが替えられる場所も、たくさんあるように見えた。給仕も快く頷いた。あちらの席、と気軽に指差したランツァートだったが、なんだかずいぶん遠くへ行っちゃったわねとヴァニラが呟き、ティリルも振り返って確認した。
並の声量で話していれば、まるで互いの話が気にならない、窓際から壁際まで離れたような位置。ティリルとヴァニラ、二人の空いた時間を埋める話もあるだろうが、今の誘いを検分する作業も必要だろう。どうぞ、進めて。遠目に見える背中に、そう言われた気がした。
「……とりあえず、食べよっか」
「そ、そうですね! せっかくの美味しいごはんですし」
「高いごはん。しかもティリルにごちそうしてもらうごはん。ありがたく、一口一口噛み締めながら頂きます……」
「大袈裟ですよ、ただの復活のお祝いです」
嬉しそうに白身魚の香草包み焼にフォークを入れていくヴァニラ。そして一口頬張るや「美味しい!」と微笑む。その春の野原の猫のような表情に、ティリルも思わず嬉しくなってしまった。
ごまかすように、自分の前に用意されたラッザーニャをつつく。焦げあとのついたオレンジ色のソースが、口の中だけでなく胸の中まで幸せで満たしてくれた。
「で、さ。今の副委員長の話なんだけどさ」
「あ、やっぱりそちらの話からします?」
予想半分、困惑半分。やや前のめりに話題をくれたヴァニラの輝く瞳に、ティリルはフォークを咥えながら苦笑いした。ヴァニラの今までの話を聞きたかったが、話題が変わるにはまだしばらく時間が必要なようだった。




