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遙かなるシアラ・バドヴィアの軌跡  作者: 乾 隆文
第一章 第十九節 ミスティとの別れ
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1-19-5.意外な人物との対談







「ティリル先輩! ご飯できましたよ!」

「ティリル先輩! お洋服畳んでおきました!」

「ティリル先輩! お風呂、ちょうどよい温度になっていると思います!」


 一週間を一緒に過ごし、ティリルはリーラの声を思い出しながら、はぁと深く息を零した。


 闇曜日の午後。正門の手前、イチジクの木の立つ休憩所。ティリルは久々にここにきて、久々に一人の時間を過ごしていると感じていた。ここのベンチからは、校門の先までよく見える。広い街道に並ぶ木々は、だいぶ紅葉も進み、枝葉がずいぶん淋しくなってきたと感じられた。


 そんな秋の愁いだ様子を、日々を慌ただしく過ごしていたティリルはほとんど見ることができずにいた。もったいない、とつくづく思う。けれど、そんな思いもすぐに両の肩にずっしりと圧し掛かる徒労感に、あっという間に消し飛ばされてしまう。


 リーラは健気だった。それこそ不必要なほど。


 家事の分担を検討しようと提案したところ、「そんなの全部自分がやります」と張り切って主張し、さっそく台所に立つ。いやいやさすがにそれは、とティリルも後を追うのだが、何せあれこれ手際が良く、手伝う隙も見つからない。せめて魔法くらい、と思ったのだが、簡単な水火を操る魔法程度はリーラも使えるようで、つくづくすることがない。


 元来自分も、怠け者ではないと思っているものの、そこまで家事に対して意欲があるわけでもない。元々のルームメイトが、放っておけば二、三日は掃除も洗濯も、食事すらしないで教本にのめり込んでしまう性質だったおかげで、自分は少しは気が回る方なのではないかと錯覚できていたが、どちらかといえば自分も先延ばしにできることならしてしまいたい性分なのだ。何くれと先回りしてやってくれてしまうリーラに、かなうわけがない。


 本人が不満を抱かず熟してくれるのだからそれはそれで問題がないのではないか、という考え方もないではないが、ティリルの立場ではそうもいかない。何せ、どう見てもリーラは、部屋で自分の勉強を進めている様子がないのだ。予科の子の必須学習量がどの程度だかティリルにはよくわからなかったが、授業の後の復習が全くいらないはずもない。しかしいくらそのことを心配してみても、「大丈夫ですよぉ。これでも成績はいい方ですから。それに、私のことなんかより、ティリル先輩の身の回りのお世話の方が大事です!」と、まるで聞こうとしないのだ。ルームメイトで年長者である面目など、丸潰れである。


「……疲れるなぁ」


 膝頭の上に両手で頬杖をついて、もう一度大きな溜息。涼やかな風が、頬をさらりと撫でていく。


 今の二人の関係が、リーラのためにも、自分のためにもよくない、というその点も非常に大きな気掛かりだ。けれど何より、自分の心の汚れてしまったところだが、この寮室移動がアルセステの意志によるものだという事実が、どうしてもリーラの行動に疑念を生じさせてしまって、疲れるのだ。彼女は実は、アルセステの謀り事の一部に組み込まれているのではないか。彼女自身はアルセステの意に従うわけではないけれど、彼女の一挙一動がアルセステの計算の内に含まれていて、どんどんと罠に向かって進んでいるのではないか。そう思ってしまって、リーラの好意を素直に受け取ることが難しくなってしまっている。


 新しい人間関係を構築するのも、それが生活基盤の部分に関わってしまっていることも、更には余計なことまでいろいろ考えてしまっていることも。すべてにおいて、ティリルは疲れてしまっていた。


「もしかして、こうやって私を疲れさせることが目的だったのかなぁ」


 そんなわけはない、とはわかっているものの。いい加減自分の疲弊ぶりを省みると、そんなくだらない思いもついつい翼を広げてしまう。


「本当、アルセステさんって、何がしたくてこの学校に来たんだろう」


 視線を空に上げながら、呟く。


 他者を貶め、自分に諂わない者を許さない。相手を叩きのめすためなら、関係ない者を学校から追いやり、大切な作品を奪い、奪わせる。


 君臨するにしては世界が狭い。……いや、ティリルを罠にかけるために街の食堂の娘にまで呪いをかけたのだ。その魔手は学院の外、サリアの街にまで伸びている。決して単純に狭いとは言えないかもしれないけれど、しかし、視野は狭いと感じられて仕方ない。


 一体彼女は、もっと強い力を持っているんだろうに、どうしてこんなつまらないことにばかり躍起になっているんだろう――。


「なんだぁ? そんなこと考えてんの?」


 ふと、声が届いた。


 膨らませた紙風船のような、ふわりとした声。頭の中で警鐘が鳴り、突然尻尾を掴まれた猫のように体を震わせた。


 ベンチの脇に、にまにまとした笑顔を湛え、ティリルを睨みつけるようにして立っていた。――ルート。アルセステの腰巾着。ツインテイルの少女の名前を、胸中で反芻する。


「……どうして、ここに」


「え? どうしてっても、なんとなくグラウンド歩いてたら、見たような顔がいたから。挨拶に来たんだ」


「挨拶、……って」


 にこやかにほほ笑む少女の、真意がわからない。実際、彼女の今までの言動は、アイントよりも意図的な悪意を孕んでいた。ひょっとしてこのルートに比べたら、アルセステの方がまだ話が通じそうな気がする。


 何より、彼女は既にそんな本性を散々見せつけておきながら、今日の今はまるで仲の良い友人のように穏やかな微笑みをもって近付いて寄越す。不審な思いが広がらないはずがない。


「そういえば風邪はもういいの? 治りかけは大事にしないとダメだよ? って、もう結構経ってるか」


 その上まさかの見舞口上。不審を通り越して怖さすら感じる。


「あ――……りが、とうございます。ええっと、風邪はもう大丈夫、だと思いますよ。治ってずいぶん経ちましたし、元々体は丈夫な方ですし」


「そっか、そりゃよかった。あーでも、慢心はよくないからねん。風邪拗らせてころっと死んじゃった奴だって、私の友達にもいるんだから。気を付けなよ」


 きゃらきゃらと無邪気に笑いながら、そんな恐ろしいことを話すルート。そして徐ろに、ここ座るね、とティリルの隣に腰を下ろした。べすん、と。


 演技とも思えない、敵意の欠片も感じられない無邪気な態度。


「……本当ですか?」


「なにが?」


 そして、今話したことをもおうすっかり忘れ去る、切り替えの早さも持ち合わせているらしい。


「その、風邪を拗らせて亡くなったご友人がいるって……」 


「ああ、スターラのことね。うん死んじゃったよ。私が五歳の時に、ころーっとね」


「スターラ、さん?」


「あははっ、ゼーランちゃんってホント変な子だよね! 犬のことさん付けで呼ぶなんて」


 笑われて、絶句する。


 けれど、いつものいじめや嘲笑のときと違い、目の前のルートには悪意があるのやらないのやら、まるで判別がつかなかった。




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