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遙かなるシアラ・バドヴィアの軌跡  作者: 乾 隆文
第一章 第十九節 ミスティとの別れ
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1-19-2.仮説の上の仮説







 正直、耳の痛いところはある。学院長の言葉は敵意と害意に満ちていて、自分のためを思ってされた分析が一つもないことはよく伝わった。だが、それと、自分の中に後ろめたい部分があるかどうかとは別問題でもあった。


 すっと、一瞬だけ目を背ける。壁に並んだ扉付きの本棚。開かれた扉の内側には、つまらなそうな背表紙が、行儀よく並んでいる。


「そんなわけでゼーランド君のルームメイトは、君のような上級生ではなく、むしろ彼女の自立を促し、さらに彼女に責任感を芽生えさせるような存在――下級生の方が相応しいのではないか。そういった意見を検討したことが、第二の理由だ。

 ゼーランド君には下級生と寝食を共にし、上級生として規範となるべき態度を身に付けてほしい。だが、予科寮に移ってすべての予科生に背中を見せられるほど、優等な姿勢は整っていないだろう。本科寮で、下級生たる予科生の面倒を見てもらうことが、より彼女のためになる」


「規範だの自覚だの、ずいぶんティリルを縛り付けたがるんですね」


「口を慎む、という約束よルーティアさん」


 八重歯で唇を噛みつけるミスティに、すかさず教頭が注意した。


 振り返りもしない。実のところミスティもティリルも、この教頭に言葉が通じるなどとはもはや欠片も思ってはいないのだった。無論、彼女の言い分に耳を傾ける心づもりも。


「さて、ではルームメイトを入れ替えるとして、どのようにするか。ゼーランド君のルームメイトには下級生が適任だと結論したが、彼女の下級生となれば予科生しかいない。本科生が予科寮に移ることも、予科生が本科寮に移ることも、通例から言えば例外的な措置だ。

 これが第三の理由。もしゼーランド君が予科寮に移るとなると、今後二年ちょっと、この例外的な状況が続くことになってしまう。それならばルーティア君、君に予科寮に移ってもらう方が、特例を採用する期間が短くて済む」


「私は、専門課程に進むつもりですが」


「過程が変わればまた寮室移動も検討できる。本科過程三年の間で、何度も移動を重ねるのは、良くない面も多い」


「レイデン女史については」


「彼女も、あと一年と少しで本科に進学する。ウォルノート君とどちらの移動が好ましいか検討されたが、ウォルノート君はゼーランド君よりも年上であることに鑑み、年下のレイデン君の方がよりゼーランド君の自立を促してくれるであろうと結論した」


 名前を呼ばれ、リーラとクリスが揃って目を丸くする。


 予科生と言えば年下だろう、と勝手に思い込んでいた。そのことはティリルの中にも驚きと自省として芽生えた。そうか、クリスは自分よりも年上なのか。少しだけ、彼女を見る目が変わる。


「一応、教員方であれこれと検討した、ていを取っているんですね」


「体、とは? 私は君の質問に答えているだけだが」


 頬杖から顎を外し、僅か持ち上げた首でミスティを見上げる学院長。


 スヴァルト学院長にもこのような顔ができるのか、と、他人事のように感心した。もはやティリルの心の中は、新しい環境を受け入れる心境整理を始めている。戦ってくれているミスティには心底申し訳なく思わないでもないが、この時間に何かの実りを求められるとは到底思えなくなっていた。


 ミスティは、深い深い溜息を学院長に浴びせかける。彼女もいろいろを諦めたらしい。いや諦めと言えば最初から。ティリルが申し訳なく思うまでもなく、彼女も具体的な成果があるなどと思ってはいなかっただろう。


 溜息の正体はつまり、次の一言を言わなければならないその決心のため。


「では、次の質問を最後に致します」 


「ふむ」


「今回のこの決断について、利己的な理由でこの結末の形を指示した輩がいるかと思います。ああ、それについての回答は結構です。私たちは『いる』と信じて疑っておりませんし、いたとしてもいなかったとしても学院長や教頭の回答は結局同じだと諦めておりますので。

 伺いたのはここから先。そのような不逞の輩がいるものだと仮定し、その者をこの学院から排斥したとして、その折には学院長と教頭もこの学院から排斥する必要がありますか?」


「な……っ」


 反応したのは教頭だった。いや、正確には反射的に口から音を漏らしたというべきか。


 言葉を慎む、と言ったミスティの口から最後に飛び出したのは、暴言を通り越してもはや宣戦布告とも言うべき剣呑とした科白。ほとんど表情を変えることのなかった学院長でさえ、さすがに目を丸くしてミスティの顔をまじまじと見つめている。


「……真意を、聞かせてもらおうか」


「私はいまだ、先日学院長先生に確認を取った言葉を信じています。『この学院にはまだ、学生の研究のために全てを擲つ覚悟がある』と。

 もし、そのような不逞の輩が存在するとすれば、その者は当然、この学院の存在意義に基づいて排斥されねばなりません。そして、もしそのような輩を擁護したり受容したりしているのであれば、そのような学院責任者もまた斥けられるべきと考えます。スヴァルト学院長。ネルヴァン教頭。あなた方は、斥けられる必要があるような学院責任者であられるのですか?」


 ミスティの瞳はまっすぐだった。


 教頭の顔は、まるでペンキで塗ったように真っ赤に染まっていた。なんという暴言、と拳を震わせ、奥歯をギリギリと噛み締めている。


 リーラとクリスは、息を呑んでいた。ミスティの背中から漂うその迫力に、圧倒されているのだろう。むしろ当然だ。自分が彼らの立場だったら、場の空気の冷たさ、恐ろしさに、腰を抜かしていたかもしれない。


 学院長は、静かにミスティの言葉を受け止め、そしてまた、静かに机の上に組んだ両腕の頬杖に顎を乗せた。


「仮説の上に仮説は成り立たない。『もしも』を二つ重ねた上でそれ以上の言葉に意味を持たせることは、ひどく難しいことだよ。だから君の問いへの答えとして用意できるのは意味のない言葉だけだ。それでも良ければ、『確かに、その前提の上で、私と教頭はこの学院にいるべき人間ではないだろう』と答えておくよ」


「結構」


 ミスティは言い捨て、表情を何も残さずに踵を返した。




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