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遙かなるシアラ・バドヴィアの軌跡  作者: 乾 隆文
第一章 第十八節 服装と化粧
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1-18-4.ファーレル師の研究材料







「もちろん大歓迎だよ! 着てくれる人は多い方が嬉しいな」


 ファーレルなる若い男性教員が、ティリルの来室理由を聞くと、爽やかに笑顔を湛えた。


 ティリルが初めて足を踏み入れる予科棟、その一階の小教室――、特別な用途の教室らしく、そこそこ広さのある室内にはしかし長机が五つ、席は背凭れのない木製の椅子が十ばかり。そして、壁際になぜか置いてある、大きな黒白鍵盤琴(ファルトピアン)。音楽教室なのかとも疑ったが、それにしては奥に続く扉に掲げられた「実験準備室」の札が腑に落ちない。鍵盤琴を何の実験に使うのか。まるで想像できず、ティリルは内心首を傾げっぱなしだった。


 あとで誰かに聞いてみよう。ファーレル師に初対面の挨拶をしながら、ティリルはそんなことばかり考えていた。


「僕の研究テーマは民俗学と魔法の関係性でね。例えば同じように魔法文化を開花させているソルザランドとウェンデでも、魔法の仕組についての捉え方は全然違う。当然その受け止め方は国の歴史、文化とは切っても切り離せない関係にあるはずだ。では、歴史や文化と魔法とは具体的にどのような関係があるのか。民俗学的な観点に立てば、たとえば着る服によって魔法の結果に影響が出ることがあるのか。そんなことを研究しているんだよ」


 まるでファッションに頓着していないような、目許を隠すほどの長い前髪、腰まで届くような後ろ髪をふわふわと振り回しながら、ファーレルは饒舌に語った。ふんふん、とティリルは興味深く頷いて聞いたが、リーラとクリスは退屈そうに、ぱたぱたと足を鳴らしたりきょろきょろ教室内を見回したりしていた。


「ねえ先生? それで、その服っていうのはどこにあるんです?」


 待ち切れずリーラが聞く。


 ファーレルは事も無げに「隣の準備室だよ」答えた。


「着替えは隣の部屋。君たちはそこで着替えて、こっちで僕に素描きをさせる。いいだろ?」


「えっ、素描きってなんですか。聞いてないですよ!」


 不満げに、口を尖らせるリーラ。世話になっている教員に対して、ずいぶん横柄な態度だ。


「だって。実際に着た時の服の膨らみや立体感を記録するのが目的なんだから。絵に描く以外ないだろ!」


「えぇ……、時間かかりそう……」と零すのはクリス。こちらもなかなか腰高な様子だ。「グランディアの方には一瞬で風景が切り取れる機械があるらしいじゃないですか」


「写真投影機のこと? そんなの買えるわけないだろ。あれものすごく高いんだぞ。おまけに一枚写真を撮るのだって、結構時間がかかるらしいじゃない」


 大丈夫、服の様子を描くだけだし、一枚につき十分もあれば仕上げられるよ。口を尖らせ不満を募らせるクリスとリーラの言葉に丁寧に答えながら、ファーレルは静かに立ち上がる。


「とりあえず中のものを紹介しておくから、始まったら君たちで適当に判断して着てきてくれないかな。僕は記録を取っていくから」


 言いながら、師は隣の準備室に進んでいく。三人の女生徒を招きながら。誘われるままに隣室に足を踏み入れ、ティリルは圧倒された。


 ざっと、五十着。部屋の天井近くに長く引かれたロープに、洋服掛けにかけられた様々衣服たちが、ずらり並んでいる。


 ティリルが見たことのある服など、ほんの二、三着しかない。ローザがよく着ていたような、長いスカートのワンピースに薄手のショールを肩にかけるもの。サリアの街娘が時々選んでいる印象の、膝下辺りの長さのスカートと二の腕半ばほどの短い袖のブラウスの組み合わせ。首元からスカーフを垂らし、手首足首まで生地をぴっちりと伸ばしたシャツとズボンの組み合わせ。目で追ってわかるのはそれくらいだ。


 それ以外となると、なるほど確かに異国風で、ティリルなどは見たこともないような色とりどり、形とりどりの服飾が揃えられている。足許でふんわりと膨らんだ、裾の広いズボン。動物の毛皮で作られた、ふわふわとした肌触りのコート。中にはどうやって肌を隠すのかと悩むくらい、面積の少ない布もあった。


「このあたりがグランディア。あのあたりがバルテ。アトラクティアでは最近はこんなのが流行りらしいよ。とりあえず、レイデン君は向こうから、ウォルノート君はそっちから順番に着ていってくれるかな」


 てきぱきと指示を出すファーレル。二人はけだるげにはぁいと返事をし、それぞれ自分が着るものを確認し始める。


 さて自分はどうしたものか。二人の着替えを手伝うか。そんなことを悩んでいると、「ゼーランドさんはこれを着てもらえるかな?」ファーレル師が一着の服をロープから手に取った。


「え、私も、ですか?」


 思わず聞く。


「もちろん、嫌じゃなければ。君はなんとなく、カロリアの街辺りのイメージにぴったりな気がしてね。ぜひこの服を着てみせてほしいって思ったんだ」


 手渡された服は、やはりティリルには見慣れたものではない、ワンピースを基調にしたふわりとした雰囲気の衣装。布の他に銀のアクセサリーもいくつかついているなど、ぱっと見ただけではどう着るものやらあまり想像力が働かない。


「わ、こういうの、ティリル先輩似合いそう!」


 横から覗いたリーラが歓声をくれた。こんなの絶対似合わないですよ、と返す言葉がふわふわ浮ついているのに気付く。どうやって着るのかは想像もつかないながら、しかし見た目でかわいいとは思う。着てみたい。着てもいいんだ。そんな思いが胸中で喜びに結び付く辺り、自分のことを意外に感じた。あ、自分も年頃の女の子だったんだ。そんな風に感じて思わず苦笑してしまった。


「じゃ、用意ができた人から隣に来てね。待ってるから」


 長髪を揺らしながら、ファーレル師が上機嫌に部屋を出ていく。


 残された女性三人。しかし改まってそんな服装に着替えるとなると、気心が知れているわけでもなし、なかなかに恥ずかしい。


 端からと言われ迷う必要もないクリスは、さっそく着替え始め。同じく迷う要素はないものの、自分の着替えなどティリルの衣装の後でよいと、リーラはティリルの傍に寄ってくる。「何か手伝いますか」と屈託なく首を傾げるリーラに、大丈夫大丈夫、と苦笑しながら答える。複雑な形のアクセサリーについても、最初から横にへばりついて手伝いを待ち構えられるのはやり辛くて仕方ない。


 よし、と一つ深呼吸。まずは今着ている制服のブラウスを脱ごうと、胸許のボタンにゆっくり手をかけた。




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