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遙かなるシアラ・バドヴィアの軌跡  作者: 乾 隆文
第一章 第十八節 服装と化粧
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1-18-1.愁象の秋







 日中も汗ばむことがなくなったこと。制服のブラウスを半袖から長袖に変えたこと。昼鳴く虫がいなくなり、夜鳴く虫が増えたこと。風の匂い。水の匂い。星の瞬き。


 様々な変化がつながっていき、一つの絵を描き始める。気が付けば、街は、学院の風景は、夏から秋への衣替えを終え、赤や黄色が似合う表情に移っていた。


 比較文明論の授業だったか。本題から外れた雑談での、教師の言葉が思い起こされる。


 ソルザランド王国は、エネア大陸十四か国の中でも、四季の移ろいの美しさ、華やかさでは一、二を争う土地だ。冬は、山奥だけでなく王都にも雪が積もり、街の風景を白で覆い隠そうとする。春は山々が新緑に染まり、空は鮮やかな淡い青に。夏は広葉樹の深い緑と、力強い日差しの光。


 そしてとりわけ、街が鮮やかに染まるのが、秋だという。


 木々が紅葉に染まり、紅と黄色と、少し残ったくすんだ緑が、家や、城や、建物群を静かなセピア色に染め上げる。色の鮮やかさが強烈だった夏に比べ、秋は風景が少しずつ褪せてゆく。その移り変わりのちょうど最中こそ、ソルザランドの国民が最も美しいと感じる景観となる。――愁象(しゅうしょう)の秋。彼らの言う、四季の美しさを現す表現の第一のもの。


 今まさに、ティリルの目の前には、愁象の景観が広がっていた。


 故郷のユリは山の中にあって、ここより景色は大きかったが、ここよりも寒く、紅葉を楽しめるのはほんの一瞬。すぐに雪が降り始めてしまうのに加えて、この時期は冬の準備で忙しい。住んでいた頃は、紅葉を楽しむ余裕などなかなか持ち得なかった。都会であるサリアの方が、山奥のユリより自然も美しいとは。


 校舎から少し離れた校庭の脇。日の光も温みだす、秋の午後。表面がざらついた木組みのベンチに腰掛け、ティリルは深く深呼吸をする。


 見上げれば、空の色は夏よりも僅か薄い青。白い鱗雲が散りばめられて、なお一層色味が淡くなったように感じた。


 ゆっくりと首を下ろし、今度は広い校庭を眺める。


 背の高い男子たちが、クロスボールの練習をしていた。


 白いラケットを振り回し、赤いボールをぽんぽんと飛ばしながら、紅葉の風景など知らぬ顔。広い校庭をまだまだ狭しと走り回っている。そういえば、クロスボール部がこの学校にもあると、ダインが言っていた。彼らがそれか。興味半分、せっかく座ってのんびりとしていたところで、わざわざ場所を変えることもないということで、なんとなく彼らの練習を眺めることにした。


 深い緑色を基調とした、赤と黄色のラインの入ったユニフォーム。誰も彼もがプレイの間隙に見せてくる、精悍な表情。引き締まった体躯。時々動きを止めては、今のはもっとどんな風にしろ、今のはあんな風にできただろ、と怒号にも紛える言葉が飛び交っている。


 さすがに、先日スタディオンで見た第一線の選手たちの迫力とは全く違うものの、さらに間近な距離で見るラケットの勢いは、かなり見所のあるものと感じられた。


 この魔法大学院には、実際、いろいろなことを目的にした人たちが集まってくる。


 多くは、魔法の実力の向上を。あるいは、魔法の真理の探究を。


 だが、ヴァニラのように絵の勉強をするために入学する者もいる。目前のクロスボール部員たちの中には、いずれあの熱狂のスタディオンのグラウンドに立ちたいと願っている者もいるだろう。中には、とんでもない話だが、ルースのように魔法の探究を諦めた中で、享楽に耽る者もいるようだ。


 人が集まれば知識が集まる。技術も、情熱も集まる。その中で何を求めるかは個人の自由。


「自立と自律、かぁ」


 背中を丸め、膝の上に肘を乗せ、両手で頬杖をついて。


 晴れやかな、紅葉の眩しい青空に向かって、深い深い溜息をついた。


 風邪を引いて、寝込んで、ミスティに苦笑いされて。休んだ授業こそ地曜日の王国史概論のみですんだが、ティリルの思いは複雑だった。


 秋晴れの空のようには、心の曇りは晴れない。


 自分はちゃんと自立できているのだろうか。自らを律することができているのだろうか。嫌なことがあったと言って、長風呂してのぼせて。頭を冷やすと言って夜中に寮を抜け出して、湯冷めして熱を出して。ミスティに迷惑をかけて、どこが自立した学生なのだろう。


 落ち込んでいるわけではないのだが、改めて考えてしまう。がむしゃらに論理系の勉強を進めても、魔法行使の技能が向上するわけではない。理屈を知るに越したことはないけれど、理屈を知っていれば誰でも使えるものではない。ましてや論理学の知識さえ、知れば知るほどわからないところが増えていく。むしろ知らないままの方が迷いなく「精霊」に思いをぶつけられたのではないかと、そんな風にさえ思ってしまう始末だ。


 ヴァニラは、あの後しばらくして、再び絵筆を取ったらしい。ミスティも毎晩、眠るティリルの隣室で、遅くまで学術書を開いているのを知っている。ダインですら、専門課程に進む努力を始めたと、フォルスタ伝てに聞いた。


 目の前で練習に励むクロスボーラーたちも、きっとチームの勝利という目標に向かって、努力をしているまさにその真っただ中。


 世界の中で自分だけが立ち止まっているような、そんな気にさせられた。


 かくん、と首を落とし、目を瞑る。


 世界が音になる。


 クロスボールの音。


 応援の黄色い声。


 校舎側を歩く学生たちの会話。


 風の音。木々のさざめき。鳥の声。砂の踊る音。


 少しずつ意識がぼんやりとしてきて、思考が音に支配されていく。


 ダメな自分も、頑張っている自分も、体と一緒に地面に引っ張られてとけてしまいそうになって、そして――。


「やっぱり、ティリル先輩だ!」


 とけ始める前に、名前を呼ばれて目を開けた。




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