1-17-7.ミスティの叱責
「ちょ、ちょっとティリル! なにを起き上がろうとしてるのよ」
考えながら、両腕をベッドにつき重い頭を持ち上げる。ふらふらと視界がふらつき、何かのレンズを通して見たように風景が歪んで見えたけれど、だいぶ落ち着いたのか立てないほどではない。
「え、だって。もう起きてご飯作らないと。ミスティ、今日は朝早い予定でしょ?」
「あのね。私のご飯なんかどうでもいいの。聞いてた? 症状を重くすると大変なことになるのよ?
よっぽどの無茶しなきゃ大丈夫とは言ったけど、ああ、ごめんね。いわゆる風邪の時のよっぽどの無茶ってどのくらいなのか、わかんないわよね。歩かない、立ち上がらない。何もしないで横になる。あったかくしていっぱい寝て、汗をかいたら着替える。いい?」
がなり立てるミスティの言葉が、ぐわんぐわぁんと頭の中で響き回る。
叱られているのはわかっているのだが、何を言われているのか、理解するのに時間がかかる。あれ、私、こんなに頭が悪かったっけ? こんなに理解力がないんじゃ、フォルスタ先生にも愛想尽かされちゃう。
「聞いてる?」
「え、あ、や、あ、あの……」
「聞いてないの?」
腰に手を当て、威嚇してくるミスティ。はっきり言って、怖い。
「ち、違うの、違うの。聞いてないんじゃなくて。
聞いてるんだけど、頭がうまく働かなくて、その、何を言われてるんだか理解が追い付かなくて……」
「うん、熱が出てる証拠ね。普通に聞いてりゃわかる話が理解できない。そんな状態で起き上がったってろくなことできないでしょ。ご飯作ろうったって砂糖と塩間違うのがいいとこよ?
私の言ってることがわかんなかったら、わかんないままでいいから、これだけ守んなさい。『寝てなさい』。いいわね」
問答無用。そう切り捨てられたティリルに、もはやできることは何もなかった。
ベッドに再び横たわり、朝の光がこぼれるクリーム色のカーテンの隙間を見つめる。朝日は雲に覆われているらしく、部屋の中はいつもの朝よりは暗かったが、それでも夜が明けたことは十分に感じ取れる。
溜息をつきながら、ミスティは部屋を出て行った。ごそごそと台所で何やらをしている音。「く、固った……っ」と零れてくる独り言。火をつけるのを億劫がって、保存庫の固いパンをそのまま食べているのだろうか。
ベーコンエッグくらいつけてあげたかったな。今から行って、火をつけるくらい……。
「ほい、ご飯。って言っても病人食だからね。パンのミルク漬け、美味しくはないだろうけど」
そんなことを考えていると、ミスティが部屋に入ってきて、すっと木のボウルを持ってきてくれた。え、と半身を起こして覗き込む。中には確かに、一昨日あたりに購買で買ってきた固いパンが、ちぎってミルクに浸されただけのものが入っていた。
いや、だけではない。よく見るとうっすらと湯気が立っている。
「……ミスティ、火、どうやって?」
「あのね。魔法が使えなくても火をつける方法はあるのよ?」
「それは、わかってるけど……。ミスティ、今固いパンそのまま食べてたんじゃないの?」
「私はね。腹に詰め込んどきゃ何とかなるわ。お昼はどこかで美味しいもの食べてこられるしね。でも、病人に同じもの食べさせるわけにいかないじゃない」
そう言ってすっと差し出される木のボウル。気遣いがありがたくて涙が出そうになる。小さな声で礼を言い、素直に木の匙を手に取った。
甘い。口に入れて気付く。砂糖も入っていた。
「じゃ、私はもう行くからね。あとで一回様子見に戻るけど、安静にしてないとだめだからね」
「あ、うん。行ってらっしゃい」
「間違っても午後の授業に出ようなんて思わないでね? 体調不良の時の欠席届は後からでいいんだから」
「え、……でも、私午後には」
「ま、ち、がっ、ても! 思わないでね?」
「う……」
有無を言わさぬミスティの剣幕。午後まで寝ていればきっと回復すると思うのに。今日の講義は「王国史概論」で魔法行使学とは直接関係ないとはいえ、ただでさえ遅れている自分が欠席できる余裕なんてどこにもないというのに。
「じゃ、行ってくるわね。安静にしてなさい」
空になった木のボウルを受け取り、部屋を後にするミスティ。程なくして、玄関を出ていく音が聞こえた。
あの剣幕では、もし少しでも起き上がって何かをしていたのがバレたら、ただでは済まされないだろう。ああそうだ。そもそも自分は、昨日風呂でのぼせて、そのあと夜風に当たると言って散歩に出た。あのときもミスティは忠告してくれていたし、気もそぞろではあったけれど、確か帰ってきてからも「こんなに長い時間!」と叱りつけてくれていた。
全て軽視して体調を崩しておいて、優しく看病までしてもらっておいて、その上まだ言い付けに逆らうなんて、さすがに申し訳が立たない。
「大人しく寝てるしかない、のかなぁ。……うぅ、フォルスタ先生のとこにも行けないし、また他の人との差が広がっちゃう」
泣きそうな気持に押し潰されながら、布団をかぶって目を瞑る。じわりと、目許が雫でぬるむのを感じた。
せめて早く寝て、よくなろう。ひょっとしたら昼までに快復できるかもしれない。快復したら、風邪とやらが治ったら、ミスティだって授業に出ではいけない、とは言わないに違いない。
一握りの期待を胸に、気を切り替えて睡眠を求める。起きたばかりでまた眠りにつけるものかと不安もあったけれど、体が休息を求めているのは事実らしい。加えて、昨晩の夜更かし、くちくなった腹、窓を打つ雨の音。気が付けば自分を寝かしつける要素はたくさんあって、気が付けばティリルは小さな、どこか苦し気な寝息を立て始めていたのだった。
昼に、うっすらと目を覚ました。
起き上がろうとして、ふらつく体を感じて、朝ほどより風邪が悪化していることを実感した。泣きたくなったが、どうしようもない。
体はまだ睡眠を求めていた。倒れこむように横になり、再び目を瞑る。
耳が、ミスティが帰ってくる音を聞いたような気がした。けれど、目を開くことはできなかった。




