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遙かなるシアラ・バドヴィアの軌跡  作者: 乾 隆文
第一章 第十七節 幼馴染と親友
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1-17-3.夜の散歩







「何が幻聴よ。どれだけ入ってるつもりだったの」


 大きなタオル一枚かけられただけの格好で、自室のベッドに横たえられたティリルの頭を、ミスティはゆっくりと手の平で扇いでくれた。その顔はまるではしゃぎすぎて道端で寝てしまった小さい子供でも見るかのよう。実際、「世話が焼けるわね」なんて言葉を耳許で聞いた気もした。


「ご、ごめんなさい。まさかこんなに時間がたってると思わなくて……」


 気が付けば夜ももうずいぶん更けて、半月が西の空に沈みかける程。計っていたわけではないが、ひょっとしたら一時間以上も風呂桶にいたのかもしれない。強い眩暈を味わったティリルは、最早ミスティに風呂場からベッドまで連れてこられた記憶がない。気が付けばここにいて、状況から推測して、ああ、迷惑をかけたなぁと額に右腕を乗せながら反省しているのだった。


「聞くまいと思ってたけど、さすがに心配だわ。何をそんなに考え事してるわけ?」


 結局ミスティに聞かれてしまった。


 あまり言いたくないなぁ、と心中を曇らせる。心配をかけたくない、というのもあるけれど、それ以上になんだか情けない悩みのような気がして、自分で言葉にしたくなかった。


「ごめん、なんでもないの。大丈夫だから」


 それだけ言った。ミスティも、それ以上はつついてこなかった。


 ただ、引き続き心配そうな表情で、黙ってこちらを見つめているだけ。申し訳なくなって、もう一言だけ付け足すことにした。


「魔法の成績のことだよ。だから自分でどうにかするしかない。わかってるんだ」


「そう? なら、いいけど」


 口調はまだ、歯切れの悪さを感じさせた。けれど、表情は穏やかになった。ミスティはそういう人だ。こと成績については、他人がとやかく言うべきでないと信念を持っている。感謝を抱きつつ、少しだけ、ミスティの視線が重い。


 腕に力を込めると、まだ頭がうっすらとぼやけたけれど、立ち上がって歩くことくらいはできそうだった。体にかかっていたタオルが落ちる。そういえば裸だったと、今更ミスティの視線を気にした。


「起き上がれるようになった? じゃあよかった。今日はもう、早く寝なさい」


 クローゼットから下着と、ふわりとした生地の薄紫のワンピースを取り出し、身にまとった。まだ髪や脇や、太ももの内側辺りが少し濡れていて、布地が少し湿り気を帯びる。


「ちょっと、夜風に当たってくるね。まだ何となく頭がぼーっとしてて」


「え、大丈夫なの?」


「うん、もうこの時間ならきっと誰も出歩いてないだろうし」


「いやそういうだけじゃなくてさ。体調的なこととか」


「大丈夫、大丈夫。ちょっと散歩するだけだもん」


 ミスティの心配を振り切って部屋の外に出た。


 外は、心地よかった。夏の終わり、夜も更けると風が涼しく感じられる。


 人の気配は、通りにはない。実のところ、最終の鐘が鳴った後は翌朝東の空が明らむまで外出禁止、が寮則だ。厳しく取り締まられるわけでもなし、そうそう気にしている者もいないのだが、ティリルのような小心者は、心のどこかに悪いことをしているというスリルをまつわらせてしまう。


 街灯の消えた通り沿い。手許に小さな炎を灯し、道を照らしてふらふらと歩く。月明かりでも大丈夫かと思ったが、今は建物に隠れ、その細い光はここまで届かない。


 校門に程近い、無花果の木の広場に来た。


 ひとりで散歩すると、いつもここに来る。そしてここで、よくゼルに出会った。さすがに今日はいないだろうけれど、何となく不思議な感じだ。


「ゼルさんも、いつもここで何をしてるんだろ」


 ベンチに座り、膝頭に両手を揃えて、ぼんやりと考える。どうでもいいことを考えていたかった。そうでないと、嫌なことばかり脳裡に浮かんでしまうから。


「そういえばゼルさんも、謎の多い人だよね……」


 薬のこととか詳しいし、この前の火事の時も、短い時間でいろいろ調べていたようだし……。まるで探偵か何かのような能力。ただの学生、とはちょっと思えない。


「前に街で見かけたこともあったなぁ。誰かと一緒だったみたいだけど、学院の外に知り合いがいるのかな」


 確かあれは、偶然出会ったアイントに連れられ、初めてエレシア満腹堂に行った日のこと。大通りの隅で、誰かと揉めている姿を見た。相手は確か、ティリルの知らない人物で、ただ何かが引っかかる――。


「うおぅ」


 低い、間抜けな声がして、ティリルはびくりと肩を震わせた。


 遠目に見える校門。その上の部分に、何かの影が引っかかって、そして落ちた。


「あで」


 誰か、来たのか。


 こんな時間に校門を乗り越えてくるなど、泥棒か、犯罪者か。腰を浮かし、拳を胸の前で握り、警戒を強める。校門の内側に落ちたらしい黒い影は、しばらくそのまま倒れていたが、やがてゆっくりと起き上がり、いででと腰の辺りをさすっていた。


 声をかけるべきか。それとも逃げるべきか。


 本当に危険な状況なら、悩んでいる時間がいちばんよくない。けれど、この場は本当の危機ではなかった。


「ん? 誰か、そこにいるのか?」


 聞いた覚えのある軽い声。その影が足を少し引きずりながら、少しずつ、小さな炎の光が届く辺りにまで近付いてくる。


「え……、あ、ひょっとして、ルースさん?」


 知った名前が、喉から零れた。


 黄色い髪を整髪剤かなにかでトゲトゲと逆立たせた、整った顔立ちと締まらない表情。顔やら腕やらに擦り傷を拵えたその様は、普段女の子を侍らせて悦に入っているプレイボーイのそれにはなかなか結び付かない。


「え、ティリルちゃんか。珍しいな、どしたのこんな時間に」


 それでも、曲がった腰を撫でながらでもさわやかな笑顔を作ってティリルにアピールをする。その根性は称賛に値すると、ティリルは思った。


「ちょっと長風呂でのぼせてしまいまして。夜風に当たって頭を冷やしていたところです。ルースさんこそどうしたんです? 平日なのに門の外にいるなんて」


「え、あは、あははっ! ちょっとね。野暮用で」


 わざとらしく誤魔化すルースに、一瞬目を丸くしたティリルだったが、やがてその誤魔化し笑いの中身に気付き、ふぅん、と鼻を鳴らした。彼が校外に行く理由。そうかひとつしかなかったなと、むしろ自分の愚問を後悔したほどだ。




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