1-16-6.姫を惑わす北の魔女、立ちはだかる勇者たち
店を出て、ようやくアリアと落ち着いて話ができる。後から来た集団にも、彼女はいじられっぱなしだった。また、それに楽しそうに受け答えしているアリアを見ているのも、ティリルにとっては楽しく、興味深い時間だった。
「いやぁ、あそこの店、料理が美味しいからお薦めだったんだけど、なんかごめんね。ちっとも落ち着けなかったよね」
失敗した、とばかりに後ろ頭を撫でるアリア。
表情に、まず自分自身がいじられすぎて疲れた、と書いてある。あの年代の人たちに人気なのはきっといつものことなのだろうに。逆にティリルは、彼らの日常風景に元気をもらったような気がした。
「なに? どうしたのよ。そんなにやにやしちゃって」
顔を覗き込まれていたことに気付き、ティリルは反射的に顔を隠す。にやにやなんてしていたのだろうか。恥ずかしい。
「何考えてたの? 言いなさいよ」
「え、や、別に、そんな大した話じゃないですよ」
意識すると、尚更口許が緩む。必死に顔を隠しながら、顔を背けながら、さりとて心中別に隠すほどの話ではないと、努めて正直に話そうとした。
「その、アリアさんは町の人たちに慕われてて、いい王女様なんだなぁって」
「は? 何それ。やめてよ。ふらふら遊び回ってて、まだまだ子供扱いもいいとこよ」
眉間に皺を寄せて、いやいやぁと首を振る。
そこも含めて、だと思うけれども。アレだけ人懐っこい大人たち、とはいえ、アリアが小生意気な、或いは権力を笠に着るような人間だったら、誰もここまで近付いてこない。
「今の国王様もよい方だと思ってますけど、私、アリアさんがこの国を統治するようになったら、また違った形でいい国になると思うんですよね」
「いやいやホントやめて。実のとこ、プレッシャーなんだよ?」
「そうなんですか?」
「そりゃそうでしょ。こんなこと人に言ったことないけどさ。生まれた時からほぼ一国のトップになる将来が決まっててさ。みんなからそんな目で見られるんだよ。でも私だって普通の女の子だって。王様やれって言われたって、お父様の半分もうまくできる自信ないって」
そういうものか。いまいち実感の湧かないまま、ティリルは流れに任せて頷いた。
自分だったらどうだろう。生まれた時から王女様で、父親が国王で、兄も姉もなく有力な王位継承者が他にいない、次の王位を継ぐことがほぼ間違いなく決まっている状況。自分だったら――。想像しようと試みたが、あまりにかけ離れた前提で、自分の身に置き換えて考えることはなかなか難しかった。
自分は、生まれももちろん、中身も当然、人の上に立つような器じゃない。それだけは再認識できた。
「アリアさんなら、きっと――」
大丈夫ですよ。彼女の不安の正体もろくに知れぬまま、通り一遍励まそうとしたティリルの言葉は、きゃらきゃらと眩しい笑い声に掻き消された、
「あっ、ひめだ! ひめだ!」
「ほんとだ。ひめーひめー」
大通りの反対側から、七つか八つくらいだろうか。ティリルのお腹くらいの身長の子供たちが五人ほど。アリアの姿を見付けて駆け寄ってきた。泥だらけの両手を広げ、汗まみれの髪を乱し、道端で積んできたらしい雑草を振り回して、いかにも腕白なイメージを全身で体現した、そんな男児女児たちだ。
「こぉら! 大通りを横切るときはちゃんと左右の確認しなきゃダメでしょ!」
「うへぇ、おこられた」
「なによー。ひめだっていつもエルサ姉さまにおこられてるくせにー」
「ちょっと! なんで私が『ひめ』でエルサが『姉さま』なのよ! 私にも『様』つけなさい? 『様』を」
「えー」
「にあわなーい」
「ひめは『ひめ』って感じだもんなぁ。なー」
なんだとー。拳を振り上げ怒る仕草を取るアリア。きゃあきゃあと逃げる格好を取る子供たちも、ひどく楽しそうだ。
「あ、こっちはなんだ! ひめの友だちかっ?」
中の一人、茶色いぼさぼさ髪の男の子が、ティリルの存在に気付いた。
突然指を刺され、挨拶もままならぬまま、あっという間に自分のことを取り囲む子供たちに、ティリルはあうあうと言葉にならない声を漏らす。
「ひめに友だちだって! うそだ! ひめいつも大人の人としかあそんでないじゃないか!」
「ひめに友だちなんていない!」
「あんたたちねぇ! 無邪気にそういうこと言わないの! かなり傷つくんだからねっ!」
あ、アリアさん本気で怒ってる。肩を震わせるアリアの姿に、ティリルは口許を引き攣らせた。
「おまえはなんだ! ひめをたぶらかすわるい魔女か!」
「わるいまじょか! わるいまじょか!」
「おれたちがひめを守ってやる! みんないくぞー」
「おー」
「え、……え?」
そして今度は、ティリルが狙われる番らしい。思わぬ展開に、相変わらず言葉を紡げない。そういえば、子供の相手なんてほとんどしたことがない。自分でも知らなかったが、ひょっとして、子供の相手は得意ではないのかもしれない。
「やめなさい! 他の人に迷惑かけるなら、あんたたち城の牢屋にぶち込むよ!」
アリアが叱る。その言葉に五人全員が体を震わせ、途端にしおらしく首を垂れた。
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
「だって、わたしたちひめを守ろうと思って!」
「ティリルは悪い魔女なんかじゃないの。あんたたちが何と言おうが私の友達。あんたたちだって友達に手を出されたら怒るでしょ? 私だって黙ってないわよ?」
往来のど真ん中。しょぼくれる子供たちに、腰に手を当て説教を始めるアリア。
その言葉を嬉しく思う反面、ひょっとして周囲に迷惑なんじゃないか、通行の妨げなんじゃないかと気を回してみるが、道行く人の視線もなんとも暖かいもの。「またアリア様が子供たちの相手をされてるよ」なんて、微笑ましそうに様子を見守る人がほとんどだった。
結局、アリアの叱責を子供たちは真面目に受け止めた様子だ。じゃあなと手を振る子供たちを、溜息交じりに見送るアリア。その背中に、親しみを感じるのもまた、ティリルだけではないのだと思い知らされた。
「ったく。ホントしょうがないんだからあの悪ガキども。ごめんねティリル、変なこと言われちゃって」
「え? あ、や。全然気にしてないです。アリアさんのせいでもないですし、謝らないでください」
首を斜めに、苦笑しながらティリルを振り返るアリアに、両手をぶんぶんと振って答える。
「つくづく、アリアさんは街の人たちに慕われてるんだなって思いました。アリアさんに自信がなくても、みんなが助けてくれますよきっと」
「あはは、そうかな。そうだといいな」
先程の話の続き。アリアがもし国王になったら。その続きを、今度はティリルは実感を持って言うことができた。アリアも満更ではないらしい。むしろ「それを狙ってこうやって街に顔を出すようにしてるんだ」くらい言いそうな勢いだ。
「……ティリルも、助けてくれる?」
そして、少し寂しそうな顔をしながら、そんなことを呟いた。
一瞬虚を突かれたティリルだったが、すぐに笑って、「はい」と答える。
街中に、国民中に慕われている王女様に、自分が頼られている、と感じられて、少しむず痒く、そして少しだけ誇らしかった。
「もうちょっと、散歩、付き合ってもらっていい?」
「ええ、もちろん。どこに行きますか?」
たとえ学院の守衛に嫌な顔をされようとも、今日は夜まででもアリアと一緒に遊ぼう。まだまだ日が高い刻限から、ティリルはもう心に決めていた。




