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遙かなるシアラ・バドヴィアの軌跡  作者: 乾 隆文
第一章 第十六節 アリア王女に招かれて 
123/220

1-16-5.大衆食堂の風景







「ここ、ここのお店。親父さんは乱暴だけど、ここ本当に美味しいんだ」


 細い道に入ってさらに。くねくねと、まるで風になったように道の隙間を通り抜けてしばらく。やっとアリアが足を止めたところには、小さな大衆食堂が建っていた。


 このサリアの大都市に似合わない、古めかしい店構え。くすんだ壁、薄汚れた看板。恐らく、ユリの田舎町に並んでいても目を引いてしまうくらいの色の褪せっぷり。一人だったら、まず入らないだろう。そもそも一人でこの店の前を歩いて、ここが食ベ物屋だと気付けるかどうかも怪しい。


 ここが、天下の王太女たるアリア殿下の推薦の店なのだろうか。


 そうなのだろう。心の中で強く躊躇するティリルを尻目に、アリアは乱暴に木製の引き戸を滑らせ――、否、滑らない。ガツガツと上下に引っかかる扉を半ば無理矢理に開き、ずかずかと中に入っていく。


「おやっちゃん、来たよー」


「おう、姫か。さっさと入れ」


「待ってよ、今日は友達も一緒なんだ」


 促されて、ティリルも店内に足を踏み入れる。怖ず怖ずと中に入ると、何はなくともまず、カウンターに座る店主に目が向いた。


 昼飯時もそろそろ半ば。薄暗い店内に、人影は店主の男性しかいない。髪を剃り上げ、髭を伸ばし、筋肉質に鍛え上げた体に、白い洋服とエプロンを着けている。店の雰囲気も、作り手も、失礼ながらわざわざ案内してもらう程の繁盛店にはとても見えない。


「はん、姫に友達ねぇ」


 ホントかよ、なんて随分失礼なことを、頬杖をついたまま吐き捨てる店主。アリアへの態度が親しげなのはわかるが、こんな様子で客商売が立ち行くのか、他人事ながら心配にならないでもない。


「とりあえず、お昼食べに来たんだけど、いいかしら?」


 案内もされていないのに客用の席に適当に座り、ティリルのことも座るようにと促す。店主は何も言わない。本当に勝手にしてよいのか、不安が拭いきれない。


「飯屋に飯食いに来ていいも悪いもねぇだろう。何食うんだよ」


「私はいつもの! ティリルはね、なんかジャガイモ料理がいいんだって。おすすめある?」


「ジャガイモぉ? 若いお姉ちゃんが、またずいぶん地味なもの食べたがるんだな」


 バカにされたのかな、と一瞬首を傾げ、恐々と店主の方を見る。徐に立ち上がった男が、客席スペースからも覗き込める場所にある厨房で、ごそごそと棚の中からジャガイモを三個ほど取り出し。


「まぁ、もっとオシャレなものがいい、なんて喚き立てるガキくせぇ女どもよりずっといいけどな」


 顔を歪めながら、付け足した。


 表情と口調にはどうにも怒られているように感じられて落ち着かなかったが、アリアがボソッと「可愛い子が来ると機嫌よくなるんだから」と呟いたのを聞いて、ひょっとしてさっきのは彼なりの笑顔だったのだろうか、と疑心も持った。


 自分一人でこの店に来ていたら、とって食われると大声で悲鳴を上げていたかもしれない。いろいろな意味で、背筋の冷える想いだ。


「ほらよ、姫にゃいつもの牛肉の型焼き(ミート・ルウフェット)と厚切りパン。お友達の嬢ちゃんにゃ、キャベツとニンジン入りの挽き芋(マルスポテト)腸詰(ソルソー)添え」


 ガツンとぞんざいに、とはいえ店主の武骨さからしたら恐らく最大限の気遣いで、アリアとティリルの前にトレーを二つ運んできた。店主の人柄からは想像もできない程、皿の料理は色鮮やかで美味しそうで、ただし店主の人柄そのままにとても量が多かった。このトレー二つを一度に運んでくる腕力にも驚いたが、さて、先程お茶とお茶菓子をもらったばかりのティリルが、食べ切れるだろうか。


「やはー、これよこれ。ホントこれ、毎日食べたいくらい美味しいのよね。おやっちゃんホント、顔に似合わず料理上手だわ」


「一言余計だぞ! そんなんだったらちゃんと毎日来いっつーんだ」


「いや、それはさすがに飽きるし」


 発言が矛盾するアリアに、ティリルも思わず笑みをこぼす。


 そしてフォークを手に取り、一口芋を口に運んだ。芋の甘さの中に酸味と辛みが隠された、絶妙の味付けの挽き芋(マルスポテト)。キャベツとニンジンも歯応えにアクセントを加えている。ああ、これならこの量も食べ切れてしまいそうだなぁと、納得してしまった。


「お、今日は姫はここに来てたのか」


 と、後から団体客がやってきた。男五人。女四人。いずれも体格のいい壮年世代で、如何にもな肉体労働者たち。店主の口調に似合う、乱雑そうな、しかし心持ちのよさそうな笑顔の団体だった。


「なぁによ。今日は私友達とゆっくり昼食に来てるんだから。あんたたちはそっちの席で食べてちょうだい」


「あ? 友達ぃ?」


 浅黒い肌の、茶色い短髪の男性が、眉間に皺を寄せてアリアの向かいの席に視線を向けた。フォークを持つ手が止まる。その男性以外の視線もティリルの顔に容赦なく突き刺さり、気弱な少女の背筋を震わせる。


「あんた、姫さんの友達なのか」


 男性が、じっと目を見てくる。は、はい。頷く声が震えた。


「ちょっと! ティリルを怖がらせないでって。あんたたちみたいな粗野な連中には慣れてないんだから」


「はっはぁ。いや、そりゃよかったよかった」


 お節介を焼くアリアの言葉にはまるで返答を向けず、短髪の男性は何が嬉しいのか、満面に笑みを湛えて大仰に何度も頷いた。他の面々もすぐに続く。へぇ、この子が。見たことないけど、街の子かい? いやいや、どこの子だって構うめぇ。やっぱその方がいいやな。エルサにも似た慈愛の表情を浮かべて、頻りに頷き合う面々。訳が分からず、ティリルはぼんやりと彼らの笑顔を眺めた。


「な、何なのよその反応は」


 訳が分かっていないのはアリアも同じらしい。眉を吊り上げながら投げかけた疑問。


「いやさ、姫さんはよく城を抜け出してこういうとこに来るけどな。俺らみんな心配してたんだぜ。こんな場末の大衆食堂で俺らみたいな大人相手に遊んでちゃダメだろって。やっぱ年の近い友達と遊んだほうがいいんじゃねーかって、な」


「そうよぉ。あたしたちだって姫さん可愛いし、来てくれるのはありがたいけどね。こんなおっさんおばさんの相手ばっかりしてても、視野が狭くなっちゃうじゃないの」


「そうやわ。同い年くらいの友達と、喧嘩したり仲直りしたりしながら遊ぶ方がいいんや」


 にまにまと暖かく微笑んでは面倒見のいいセリフを重ねていく大人たち。「何なのよそれ! 余計なお世話よ!」声を上げるアリアを、見つめるティリルもいつしか暖かい気持ちになっていく。


「えーっと、ティリルとか言うんだっけ? あんた、いつまでも姫さんのことよろしく頼むよ」


「は、はい! こちらこそです!」


 突然声をかけられて、思わず声が上ずった。


 緊張して尚、黙らずに、どもらずに、声を震わせる程度でちゃんと受け答えができた。周囲が好意で満ちているとはいえ、すごい進歩なのではないかと、自分を褒めてやりたくなる。


「おら、お前らちっと落ち着け。ここは食堂で、てめぇらは客だ。だったらうだうだ立ち話してる間に、飯の一つも注文しやがれってんだ」


 店主が一撃、鍋を強く麺棒で叩くきながら、場の雰囲気を一蹴する。ぐわぁんぐわぁんと鈍く響く鍋の打撃音に、皆耳を押さえながら「うるせぇっ」と言い返す。


 血の気の多い人たちなのかと一瞬困った顔をして見せたが、彼らはそれ以上店で暴れるつもりなどなかったらしい。ぶつぶつと、ティリルたちの奥の席にめいめい腰掛け、それぞれてんやわんやに注文を始めた。


「ったく。うるさいったらないわ。せっかくティリルと静かにランチしてたってのに」


「は。あんたが静かにランチってタマかよ。普段俺らとぎゃあぎゃあ騒ぎながらナイフ振り回してるくせに」


「言わないどいてやんなよ。友達の前でいい子ぶってんだから」


「あんたたちぃ、いい加減黙んなさいよ!」


 そんな、アリアも含めた皆のやり取りを、ティリルはくすくすと笑いながら聞いていた。


 心地よい騒々しさの中、気が付いたら皿の料理はすべて平らげてしまった。それでも、ティリルたちより後から来た労働者集団は、皆ティリルよりも早く食べ終わって店を出ていっている。新たに別の集団も来ているので相変わらず店内は盛況だが。


 彼らの勢い、その明るさと声の大きさに、圧倒されっぱなしだった。




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