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遙かなるシアラ・バドヴィアの軌跡  作者: 乾 隆文
第一章 第十五節 炎の痕
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1-15-11.そして、黒幕の一言







 寮へ向かう、その途中の道で、思い掛けない相手に出会った。


「お久しぶりね、ゼーランドさん」


 癇に障る高い声。建物の脇から声をかけられ、虚を突かれて横を向く。


 いつものように三人。そこに仲良く揃っていた。待ち伏せされていたらしい。


「アルセステ……、さん……」


「何の用よ」


 驚嘆するティリルの代わり、ミスティが睨みつけ声を尖らせる。ミスティとて驚かなかったわけではないのだろうけれど、しっかりと敵に対して気勢を張っていた。


「あなたは、ええと、ルーティアさん、だったかしら?」


 とぼけた声を出すアルセステ。ヴァニラのことさえ知っていたのだ。面識のあるミスティのことなど、とっくに調査済みだろうに。


「それが? どうかした?」


「威勢がいいのね。別にどうもしないわ、安心して。一緒にいる人の名前くらい覚えておこうと思っただけよ」


「そ。別に覚えてくれなくてもいいけどね」


 ミスティの憎まれ口に、ふふと微笑みを口に浮かべるアルセステ。脇に控えるルートとアイントもいつも通り。無邪気な、静かな笑みを、それぞれに浮かべてこちらを睨んでいる。


 場所は、校内のメインストリートの、教室棟の影。ともすれば人に見つかってしまうような狭いところだったが、意外に覗き込む人も少なく気付かれにくいところでもある。基本的には人を寄せ付けず、さりとて大きな声を上げればすぐに何人も集まってきそうな。アルセステの狙いが易々と読み取れるような、そんな場所だった。


「で? 何の用? 直接会いに来るなんて珍しいんじゃない?」


「確かにそうね。でも、一言言わないといけないことができたから、悪いけどここでゼーランドさんを待たせてもらったの」


 あなたたちがここを通ることなんてお見通し。そう言われているようで、ティリルは両肩に鳥肌を立たせた。このところ接触がなかっただけで、実のところ自分の行動は全てアルセステに筒抜けなのかもしれない。


「へぇ、言わないといけないこと。どんなことかしら」


「着せられた濡れ衣について。昨日の火事が私のせいだって、主張しに来る連中がいたって教頭先生に伺ってね。先生が追い払ってくれたってお話だったけれど、私自身としても一言言わなければ気が済まなくて」


「濡れ衣! それはまたひどい目に遭ったものね」大袈裟にミスティが驚いてみせる。


「そうなの、酷いでしょ。証拠もないのにあの火事は私が指示したものだ、なんて。そんなことを言う人がいるらしいのよ。もう本当にショックでショックで」


「ねー。ラヴィーかわいそー。火をつけた奴がわかったならそいつが犯人、でいいはずなのに、わざわざそいつに嘘の証言させて『ラヴィーに命令されてやったんだ』って話をでっちあげようとしたらしいよ。ホント酷いよね」


 キシシ、と奥歯で笑うルート。本当にね、どうしてそんなことを言われるのかしら。劇がかった二人のやり取りに、ティリルでさえ溜息を飲み込むのに苦労した。相変わらず、茶番が好きなことだ。


「あのさ。私まだるっこしいの嫌いだから、この際はっきりしときたいんだけど」


 腕組みをして右足を半歩前へ。ミスティが、苛立ちを持って口を開く。


「あんたたちが私たちがしたことをわかってるように、私たちもあんたたちがやったことを知ってる。腹の探り合いなんか意味ないんだから、要点だけはっきり言ってくんない?」


「では簡潔に」


 コホン、と一つ咳払い。それからにんまりと笑ったアルセステは、蜘蛛の糸のような粘り気のある声で。


「あれやこれやと私がやったといくら声高に主張したところで、あなたたちに証拠が提示できるはずがないのだから、少し静かになさい」


「ずいぶん自信があるのね。証拠が出ない、なんて言い切っちゃっていいの?」


「いいに決まってるわ。そもそも、証拠なんて残りようがないのよ。私がたとえどんなことをしたとしても、ね」


 ふふん、といつにも増して威勢のいいアルセステ。今までは、ティリルのことを見下してはいても、申し訳程度の慇懃さは付け加えていた。今日はそれがない。ミスティの直截的な物言いがそうさせているのか、だとしたら他人のペースに引っ張られるのは彼女にしては珍しい気がした。


「たとえば、よ。私がゼーランドさんに薬を盛って眠らせ、その隙に下着を脱がせて盗んだ。また別の日に、ゼーランドさんに薬を塗りつけた本を貸して寝坊させ、一方で教師の研究室の窓に限定的な風魔法を張って鐘の音を聞こえなくし、授業に遅刻させた。その上で盗んだ下着をその教師の研究室で見つけたと言ってありもしない二人の密会を証言した。――として」


 ぞわりと。背筋の毛が逆立つような思いがした。


 アルセステの口から吐き出されるその話が、彼女の真意が、全て何かの間違いのように感じられた。


「もしもその一部始終を見ている人物がいたとしても、その人物が全てを暴露したとしても、それは証拠にはならないわ。だって、その人物が嘘をついている可能性の方が、よっぽど高いんだもの。私のような優等生が、そんなバカげた悪事を働く可能性よりも、ね」


「……あんた、本気でそう思ってるの?」


 ミスティがギリ、と奥歯を噛み締めた。ティリルにも聞こえる程の音。


「当たり前でしょう? 私がその全てを認めて自供しない限り、本当のことなんてもはや誰にもわかりはしないわ。当然、私が自供なんてするはずないけれどね。自分がしてもいない、『例えば』の悪事を自供するなんて、そんなバカげたことするわけがないでしょう?」


 くすくす、と鼻の先で笑う。


 彼らにとっては、働いた悪事の全貌など手品の種明かし程度のもの。いや、真っ当な手品師なら種明かしという行為を忌避する。そこまでの価値さえない、鳥の羽一枚ほどの重さもないただの塵芥に等しいものなのだ。


 ミスティがギリ、と奥歯を噛み締めた。凄絶なその表情が、他の状況であれば見る側の自分は恐怖を抱いていただろう。けれど今は鏡を見ているような錯覚に陥る。自分の口の中から響く鈍い摩擦音に、自分も今同じ顔をしているのだろうな、と感じた。


「ひとつ、教えてください」


 ティリルが口を開いた。


 そのことが意外だったのか、アルセステの口許から一瞬微笑みが消えた。蔓になったままふと目の前でぱくりと割れたスイカの実を見たように、一瞬目を丸くして、そしてまた何事もなかったようににやにやと微笑みを浮かべ直した。


「何かしら。ゼーランドさん」


「例えば、アルセステさんがそういったことをしたとして」


 踏み込んで、詰問する。声が震えそうになる。スカートの腰の辺りを右手でぎゅっと掴み、溢れそうになる水の勢いを何とか堰き止める。


「目的は何だと思いますか。何のために、そんなことをしたんだと思いますか」


 また、きょとんと目を丸くした。


 ルートとアイントと、アルセステとがまるで違った表情をしている。ルートが攻撃的な、アイントが静かな笑みを保っているのと対照的に、アルセステは、割れたスイカの中身が赤ではなく黄色だったのを見たような、驚嘆の表情を今度は崩さない。


「……本気で、その答えを私に求めているの?」


「ええ。突き詰めて、伺いたいです」


 よもやアルセステさんは、アイントさんのようなお為ごかしを心底から思っていらっしゃるわけではないでしょう。――よっぽど皮肉を付け足そうかと思ったが、やめておいた。攻撃的な態度は、取るだけで不利になることもある。口に出した言葉が、自分の足をすくうこともある。何より、まだ自分にはそこまでの度胸もなかった。


「突き詰めて、ねぇ。表面的には理解している、と受け取っていいのかしら?」


 肯じも否みもしない。黙って睨み返す。


 アルセステは、ようやくまた小さな笑みを口許に浮かべ。


「では、そうね。目的は、あなたに思い知らせるためとでも言っておきましょうか」


「私が、何を思い知ればいいんですか?」


「身の程を」


 端的な回答。


 憎しみを膨張させるには、十分すぎる熱量だった。


「たったそれだけのために、あなたは先生を学外に追放し、ヴァニラさんの絵を燃やしたっていうんですかっ?」


「あら怖い。散々言っているじゃないの、例えばの話だって」


 思わずあげた、そのティリルの怒声を待ち侘びていたかのように、アルセステはくすくすと笑い、意味のない注釈を繰り返した。


 話にならない。乱れる呼吸に、すっと冷たくなった指の先を、両手で揉んで必死に解す。ミスティがティリルの肩に手を置いた。そう、初めからわかっていた。話になどならないことは。


「まぁ、敢えて例えばの話を続けるなら――」


 その上でさらに、アルセステは笑う。この世の全てが、自分を楽しませるために存在している、と疑わない狂信者の笑い。


「『たったそれだけのことを、あなたはいつまで理解しようとしないの?』と、その私なら言うでしょうね」


 それを最後の言葉に、アルセステはティリルの前を離れた。


 握り締めた拳から、ゆっくりと力が抜けていく。


 いつの間にか辺りは日が沈み、夜闇に包まれていた。中央通りに並ぶ赤い街灯が、静かに炎を湛え、寮までの道を照らしている。


「行くよ、ティル」


 静かに、ミスティが言った。


 頷く。力なく。


 ただ強い脱力感だけが、二人の元にあった。この双肩に圧し掛かる重苦しい思いが、爽快な笑みに変わる日が来るのだろうか。その瞬間の存在を、今のティリルはとても信じられなかった。




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