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遙かなるシアラ・バドヴィアの軌跡  作者: 乾 隆文
第一章 第十五節 炎の痕
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1-15-10.ヴァニラの判決







「このまま縄を解いちゃっていいって言うの?」


 ミスティが慌てた声を上げる。


「……はい。

 ねぇ先輩。一つだけ約束して。そしたら私もう、あなたに何も思わないことにするから」


「え、な、なんだよ……」


「二度と、私の前に姿を現さないで」


 冷たい声で、ヴァニラはファルハイアに言った。ごくりと、彼がつばを飲む音が、少し離れたティリルにもしっかりと聞こえた。


「は? 同じ専攻で? 無茶言うなよ」


「先輩、まさかこの後何事もなかったみたいに普通に学院にい続けるつもりなの? 私の絵だけじゃない、美学系の人たちみんなの、フェルマール先生の絵さえも焼いちゃったあなたに、美学コースにいる資格がまだあると思ってるの? 何を学ぶために学院に残るつもりなの?」


「そ、そりゃあ……」


「私は言うわよ。先輩が今後どうするつもりだろうが、私はみんなに言う。フェルマール先生は私の師で、私の憧れの人なの。それに、一緒に絵を描いてるみんなのことを、仲間だとも思ってる。先輩のことも思ってたけど、それは今日まで。仲間のことを、先生のことを裏切ったこと、みんなに黙ってなんかいられないから」


「…………」


 正論だ。当たり前だ。ティリルは頷きながらその話を聞いた。


 ヴァニラに怒る資格があるなら、同じく美術室を使っていた他の人たちにも怒る権利がある。彼らに黙っていてあげるような義理もないどころか、恨みすらあるヴァニラが、どうしてファルハイアの立場を酌もうか。


「そして、その上で私との約束も守ってもらう。もう一度でも私の前に姿を現したら、私は容赦なくあんたを生埋めにするからね」


「そ、そんなぁ。この狭い大学の中にいたら、専攻を変えたとしたって会っちゃうことはあるぜ?」


「いい加減軟弱なやり取りも煩わしいですね」


 マノンが口を挟んだ。彼女に似合わず、強い口調の物言い。ファルハイアとヴァニラの意識が、さっとマノンに向いた。


「はっきり言いまして、あなたあれだけのことをして、まだこの学院に籍を置こうなんてそれだけで相当図々しいですよ。それでもまだここで何かを学びたいと思うなら、誰にも会わないように過ごすくらいの肩身の狭さは受け入れるべきじゃありません? はっきり言って、それでもヴァニラさんは信じられないくらいの温情をあなたに向けてると思います」


 厳しい口調に、ミスティとゼルが黙って頷く。


 と、同時に、なんとマノンが縄を解いた。驚いて息を飲むティリル。けれど、他に誰もその行為を驚きとともに見つめる者はいないらしかった。ヴァニラですら、だ。敢えて驚いた表情を探すなら、ファルハイア本人だけはそう、ほんの少しだけ目を丸くしていた。解かれた驚きよりも、言われた言葉の重さに耐える顔の方が、ずっと印象的ではあるものの。


「ほら、これ以上私たちはあなたを束縛しない。あなたは自由です。ただし、ヴァニラさんの出した最低限の条件すら守れないようなら、私たちがあなたの身を破滅させます」


「は、破滅って……」


「いくらでもやり方はあるわ。王国の警察隊に放火犯として突き出すこともできるし、アルセステとは別の方法であなたのご実家を潰すこともできる。人生を破滅させることもできるし、本当に生き埋めにして生命活動を破滅させることだってできるわ」


 両の目を鋭く研ぎ澄ましたミスティに、ファルハイアは肩を震わせた。せっかく縄を解かれたというのに、自由になったことに気付いていないかのように両腕をだらんと垂らしている。


 生き埋めも、お家取潰しも、ミスティなら本当にやる。親友だからこそティリルは、その迫力の本気度合いを見て取ることができた。そしてファルハイアも、その本気の迫力に当てられているのだろう。少しだけ、同情もした。


「あとどうするのかはあんたの自由よ。ほら、さっさと行きなさい」


「あ、あのさぁ。もう一つだけ……」


 情けない声で、ファルハイアはミスティを見る。


「俺が、その、口を割ったことは、アルセステ様たちには……」


「そんなの約束できないわよ。私たちは、アイツらをそれこそ破滅させるのが目的なの。役に立つならなんだって使うわ。あんたの情報でもね」


「そんな!」


「グダグダ言わない。ほら、さっさとどっか行く」


「っきしょぅ、なんでこんな目に……」


 肩を落としながら、ファルハイアはすごすごと階段を下りていく。のちにヴァニラに聞いた話では、この後ファルハイアの姿を見かけることは一度としてなかった、という。また、後にゼルに聞いた話では、彼はこの一週間以内に自主退学を決めたということだった。


「よかったんですか? ヴァニラさん」


 そうっと、聞いてみた。


 ヴァニラは少しだけ、淋しそうな目を向けていた。今ファルハイアが降りていった階段を、じっと見つめながら。


「うん。もう、いい」


 自分に言い聞かせるように、ヴァニラは答えた。


「あいつだって、アルセステに脅されてなけりゃあんなことしなかったはずよ……」


「そうね。私もそう思うわ」


 ミスティが賛同する。


 ティリルも、肯いた。ラクナグ師の時も思った、こんなに事が大きくなってしまうのか、という暗澹。つくづく嫌な人物を相手にしたものだ。


 と同時に、申し訳ない思いも膨らむ。ラクナグも、ヴァニラも、直接アルセステを敵にしたわけじゃない。恐らく、証拠はないが、しかしほぼ間違いなく、彼らはティリルのとばっちりを受けただけだ。アルセステは、自分にしっぽを振らないティリルの存在が鬱陶しい。その、ティリルへの嫌がらせに、二人は被害を受けた。ティリルの周囲から人を排除するために。ティリルと仲良くするだけで、これほどの目に遭うのだと密やかに示すために。


 ヴァニラの絵も、ティリルがいなければ燃やされることもなかった。そう思うと、胸の辺りが握られるような苦しさを覚えた。


「ティル、変なこと考えてないでしょうね?」


 耳打ちするようなミスティの小さな声。ハッとして、知らず下がっていた視界を上げる。


「あなたは何にも悪くないんだからね。落ち込んだりしないでよ。そんな暇があったら、アルセステをどうにかすることを考えなさい」


「……うん」


 囁くように答える。


 実は、ティリルの顔を上げさせた、一番の理由はミスティの助言とは別にあった。幼馴染が自分を呼ぶときによく使った呼び名。自分のことを子ども扱いするような、ころころとしたその響きが、ティリルは嫌いではなかった。


 そして、ミスティにそう呼ばれることも、嫌ではなかった。ただ少しだけ、不思議な感じがしたのだ。


 一行、階段を下りて校舎を出る。そこで、今日は解散となった。


 ゼルとマノンが、小教室の鍵を返却した後自分たちの研究室へ戻ると言って、事務棟へ向かっていった。ヴァニラはさっそくフェルマール師に今日のことを報告に行くと言って、彼の作業室へ向かった。


 ティリルはミスティと二人だけになった。今からフォルスタ師の許へ行くのもかったるい。そろそろ夕日が沈む時間。ミスティとも意見が合い、今日はこのまま部屋に帰って夕飯にしようということになった。




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