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遙かなるシアラ・バドヴィアの軌跡  作者: 乾 隆文
第一章 第十五節 炎の痕
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1-15-1.友人の本音







 翌日。午前中に授業のない光曜日。 本当なら、昨夕足を向けなかったフォルスタの研究室に顔を出すのが筋だった。昨日の午前中の授業のフィードバックを、まだティリルはフォルスタ師の前でしていない。


 けれど、今はもうそれどころではない。


 朝一で人と会う約束があると部屋を飛び出していったミスティを見送るや、ティリルも素早く身支度を整え、事務室の隣にある救護室へ爪先を定める。それでも、到着までに思いのほか時間がかかってしまったのは、少なからず怖さも蟠っているからか。


『ねえ、ティリルっ? あなたシアラ・バドヴィアの娘なんでしょっ? どうにかしてよ、お願い、どうにかして!』


 ヴァニラの言葉は、今も耳の奥で響いている。気にすまいと心に決めて尚、いまだに。


 救護室は、かなりの広さがある。幸いにもティリルはまだ足を踏み入れたことはなかったが、初めて見るその部屋は二人用の個室の全面積を三倍ほどしたくらい。そこに、ざっと十五は並べられたベッドが、ずらりと並んでいる。そのうちのいくつかは白いカーテンと大きな衝立で区切られていた。ベッドとベッドの間に吊るされた、紐を走らせるレールカーテン。それからベッドと通路を区切る、人の身長以上の高さの木枠に白い布をぴんと張った、持ち運びが簡易な衝立。手近なそれの陰からは人の気配がした。恐らく区切られているのは使用中のベッド、ということなのだろう。


「どうかしました?」


 入り口脇の机。白衣の女性が一人、書類とにらめっこしている。ちらりと上げた目で訊ねられたティリルは、落ち着いて、要件を口にした。


「クェインさんですね。確かに来ていますよ。一番奥の角で休まれています」


 お見舞いですね、患者さんのお体に障らぬよう、お静かにお願いします。注意事項を付け足され、静かに頷いた。騒ぐつもりなど毛頭ない。病状を伺いに来たのと、絵を取り戻せなかったことへの謝罪。目的はその二点だ。


 昨日の火事を受け、直接的なケガをした者はいなかったと聞く。建物の中には誰もいなかったし、周囲に集まった者たちも、消火活動に参加した者たちも遠巻きに、決して距離を縮めはしなかった。


 ただ唯一、鎮火の後に救護室へ運ばれたのがヴァニラだった。傍目には絵が燃えてしまったショックで倒れたように見えたが、実際何が原因だったのかはまだわからない。ただ、ティリルにしがみ付いて錯乱した後、彼女は糸が切れた演劇人形のようにその場に倒れた。その様子は尋常には感じられず、友人の自分は何を置いても見舞いに来なければならない。そう、思っていた。


「ああ、それと。クェイン女史の元へは、ただいま別のお見舞い客が来訪中です」


「え? 別の?」


 思い出したともう一言添えた白衣の女性。


 ヴァニラの見舞いなら、美術学の先輩か、教師か。場違いなら改めた方がいいかなと考えつつ、ひとまず挨拶だけ、ティリルは角の衝立へ向かった。


 聞き覚えのある声。とても意外な声だった。


「あなたが、ヴァニラ・クェインさんですね? 初めまして。私、あなたの友人のティリル・ゼーランドの、実の姉です」


 ぽかんと、口が開く。その声の主が何を言っているのか一瞬理解できず、思わずティリルは、衝立の白い布の陰に身を隠してしまった。


「え……、え? お姉さん?」


「はい、そうです。ティロル・ゼーランドと申します。どうぞよろしく」


 躊躇なく出任せを並べるその様子。一朝一夕に嘘を覚えた舌先ではない。


 全く何を考えているのか、ミスティだったらこの辺りで二人の前に登場し、怒鳴り散らしていることだろう。もう少し様子を見よう、などと考えるのがティリルの甘やかさ。けれど、この見慣れないツーショットが一体どんな会話をこなすのか、少々気になってしまったのだ。


「は、はぁ。初めまして。ええと、ヴァニラ・クェインと申します。ティリルさんにはいつもよくして頂いて――」


「ええ、ええ。存じていますわ。ティリルはそれは優しい子ですからね。いつもよくして差し上げていることでしょう。あなたは果報者ですよ。あんな素敵な妹と友人でいられるなんて」


 思わず声を上げそうになり、慌てて息を飲み込んだ。


 何を言い出すのかこの人は。本当に姉だとしたら、こんな感じの悪い姉は絶対に嫌だ。しゃがみ込み、口を両手で押さえながら、ティリルは小さく小さく首を左右に振った。


「は、はは。ええ、そうですね。私もそう思います。ティリルは本当にいい友達です。今でも私、教室で隣り合っただけの彼女に『友達になろう』って声をかけた自分のことを密かに誇ってるんですよ。よくやったって」


 淋しそうな声でヴァニラが語る。


 彼女は、来客の嘘をどこまで見抜いているのだろう。どうにも信じているようには見えなかったが、それにしてはよく、その嘘に話を合わせていた。


「ふふ、それはその通りですね。

 あんなに優しい性格の良い子で、その上シアラ・バドヴィアの娘だというのだから、この学院で友達を作ろうと思ったらあの子は最高の相手だと思いますわ」


 柔らかな口調が言い放った、鋭いナイフのようなその皮肉は、一体どちらの胸に深く突き刺さったことだろう。ヴァニラは動揺を見せていた。「そ、それは……っ」反論しようとした言葉を、次の瞬間喉の深くまで飲みこんでしまう。


 なぜ彼女がヴァニラのセリフを知っているのか。ミスティに聞いたのか、それとも知らずにただあんなことを言ってみているだけなのか。


 隠れて聞いていたティリルの動揺も、また大きい。


 ヴァニラはそんなこと思っていない。自分のことをそんな風には思っていない。昨日はあまりのショックの大きさに、錯乱してしまっただけだ。そう、自分に言い聞かせて、今日この室まで見舞いに来たというのに。


 ヴァニラだけじゃない、他の誰かにとって、自分と友達になるということはそういうことなのだろうか。心に刺さったその棘は、大きさの割にはやけに深くて、なかなかすぐには引き抜けそうになかった。


「……私は、そんなつもりでティリルを友達にしたわけじゃありません。でも、辛いことがあったときに、彼女に当たるような言い方を、ティリルの友情を裏切ってしまうような言い方をしてしまったことは、確かです」


 ヴァニラが、口を開いた。


 相手の女性は、何も言わない。ただ黙って、ヴァニラの言葉を聞いている。


「ティリルがそのことで、私を拒むなら仕方がありません。私はただ謝るだけです。私の絵が燃えてしまったのは、事故で、誰のせいでもなくて、それを私は認められなくて、ティリルのせいだと言ってしまった。謝らなきゃいけないし、謝って許してもらえなくても、仕方ないです」


「そうですか。その覚悟があるなら、私からはもう何も言いません」


「ごめんなさい。ティリルのお姉さんっていうことは、あなたもシアラ・バドヴィアの血を引いていらっしゃるんですよね。あなたにとってもきっと辛い、嫌な言い方だったと思います。あなたに言ったわけではないけど、あなたにも謝ります」


「ああ、いえ。そのことは気にしないでください。私はティリルとは異母姉妹なので」


 すらっと出てきた新しい設定に、ヴァニラは言葉を失い謝ることもできず。陰で聞くティリルも最早呆れるのを通り越して感心してしまうほど。


 ただ、彼女の嘘のおかげで、思いがけず友人の正直な気持ちに触れることができた。そのことは感謝してもいいかな、と思った。よもやマノンがそれを意図してこんな不可解な嘘をついていた、とは考え辛いが。


「…………何やってるの? ティリル。そんなとこで」


 声を、かけられた。いつの間にか、そこにはミスティが立っていた。


 衝立の陰に隠れたと言っても、横になるヴァニラとその脇に座るベッドを囲んで立てられた、その衝立の陰のこと。外から見たらむしろティリルは、中の様子を窺う不審者然としていたことだろう。


「えっ? ティリルッ?」


 ヴァニラの驚く声が聞こえた。ミスティの声は、衝立の内側に届くくらいの普通の大きさの声だった。


「あらあら、来てたのね」


 カーテンをすっと開きながら、マノンがまるで悪びれる様子もなく、にこやかに自分とミスティを招き入れてくれた。まるで自分のコンパートメントのように。


 表情を見るだに恐慌しているのがわかる、ヴァニラ。


 嘘を聞かれたことなど欠片も気にせず、微笑みを湛えるマノン。


 今来たばかりと状況の把握に徹している、両手を腰に当て仁王立ちのミスティ。


 そして、ヴァニラとマノンに対し若干の気まずさをごまかし笑うティリル。


「えっ、あっ、えっと、え? あれ? その、この状況は、えっと……」


 パニックの止まぬヴァニラ。わたわたと慌てる声音には、ティリルへの気負いも含まれているのかもしれない。ただ、その声が少々大きくなってしまい、つかつかと歩み寄ってきた白衣の受付嬢に注意を受ける結果ともなってしまったが。


「もし具合がもうよくなっていたら、少し付き合ってほしいんだけど」。


 混乱に陥り始めた場の雰囲気をやや強めの口調でまとめたのは、溜息交じりに腰に手を当てたミスティだった。




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