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遙かなるシアラ・バドヴィアの軌跡  作者: 乾 隆文
第一章 第十四節 美術棟を襲う災難
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1-14-3.マノン先輩とのふざけた会話






 翌日の昼休みは、久し振りの人と顔を合わせた。


「あら。珍しいですね、こんなところでお会いするなんて」


 校舎と校舎をつなぐ、大きな通り。真ん中に大きな池があり、小さな魚が何匹も泳いでいる。


 そこで、声を掛けられた。久し振り過ぎて、一瞬自分のことと思えなかったくらいだ。顔を見てすぐに思い出す。こんなに印象的な人間は、なかなか他にはいない。


「ご無沙汰してます、マノンさん。今日はミスティとは一緒じゃないんですね」


 口にしてから、当たり前かと思い到った。同じ研究室だとはいえ、常に一緒に行動しているなんてそんなわけはない。そもそも、ミスティは自分と過ごしている時間も長いのだから、マノンにしてみればこんな質問は心外かもしれない。


「……ごめんなさい。私、その名前はもう聞きたくないんです」


「え――っ?」


 意外な答えが来た。


 ミスティからは、何も聞いていない。だが、マノンの名前を聞くこともない、と言えば確かになかった。いつの間にやら二人は絶縁してしまっていたのか。何があったのか。聞いてもよいのか。困惑した。


「え、えっと、ミスティとの間に何が――」


「……言いたくありません」


「そんな。えっと、事情はわかりませんけど、絶対何かの誤解です、だから――」


「あ、いたいた。あれ、ティリルも」


 戸惑っているところに、ミスティが姿を現した。親しげに、マノンの肩を叩く。マノンもまた、待ちましたよと暖かに微笑み返した。あれ、と首を傾げる。


「なに? どしたの?」


「え、や、だって、マノンさん今、ミスティの名前なんかもう聞きたくないって」


「はぁ? あんた、私に喧嘩売ってんの?」


 ミスティがマノンの肩に手を掛けたまま、じろり睨みつける。マノンは到ってすまし顔。喧嘩なんて売っていませんわ、と軽く咳払いを一つ。


「つい先日辛いことがありまして……。その、ミスティという名前をあまり聞きたくないのです」


「辛いこと? 何よそれ」


「お部屋で飼っていた、その、猫が、死んでしまいまして……」


 眉を顰めるティリル。訝るミスティ。


「あんたまさか、飼い猫に私の名前付けてたんじゃないでしょうね」


「あの子の名前はミスティ。あなたはミストニアでしょう?」


「屁理屈こねんじゃないわよ。何でそんな名前にした」


 亡くなってしまった猫に、多少の気遣いはあるのだろう。いつもよりは軽い感じでミスティはマノンの首を、右の腕で締め付けている。マノンは苦しそうに表情を歪めながら、胸の前で両手を組み、「ああ、このままミスティの眠る天へ私も行けたら」とかなんとか言っている。


「アホか。猫の後追いなんかするな」


「首を絞めたのはミストニアでしょうに」


「わざとらしく本名呼びしないで」


「ああ、ミスティ。いくら言ってもトイレの場所を覚えないで、絨毯の上におしっこを零してしまっていたミスティ……。椅子に座る私の足元に跪いて、相手をしてくださいと上目遣いに私の足を舐めていたミスティ……。あなたはもう帰ってこないのね」


「悪意しか感じないわっ。気遣う気も失せるわよ」


 はぁ、と大きな溜息。ようやく話の全貌が見えて、ティリルもほっと肩の力を抜いた。


 少しだけ心配だったのだ。ゼルに協力を依頼して近日。ミスティはマノンにも話を通したと言っていた。アルセステ達がラクナグ師を追い遣った、その事実を明らかにするために、アルセステ達に復讐をするために。マノンにも、彼女たちの弱みを探してほしいと伝えたと言っていたのだ。


 そのことがマノンとミスティの関係を悪くすることになったら。あるいは、そのことでマノンがアルセステ達に嫌がらせを受けることになったら。謝っても謝りきれないと、ティリルはずっと気に病んでいた。


 マノンはマノンのようだ。心配する必要などない。ティリルよりもずっと上手だと、口許を引き攣らせながら痛感した。


「ところで、その後は何か進展はございました?」


 にっこり笑って、マノンが話題を変えた。


 ミスティも表情を厳しくする。そして、「その話はこっちで」と、マノンとティリルを通りから少し入った細い道に連れて行った。人気のない、静かな校舎裏。喧騒からはすぐ近くなのに、まるで死角になっていて人がいることを気付かせない。


「多分、ほとんどの連中はあれのことを怖がってるわ。中には積極的にあいつに協力する奴らもいるかも。人前であんまりその話をしない方がいい」


 声を潜めながら、さらに決定的な名前は口にしないミスティ。さすがだ、と感心した。


「で、まぁ進展なんてのは実際全然ないんだけど。ティリルも最近、ちょっかい出されることないんでしょ?」


「え、ああ、はい。そう、ですね。クラスの人たちはあれっきり、近寄っても来ませんし話しかけても来ません。アル――、彼女たちは、時々目が合うとにやにや笑って来ますけど、特に言葉を交わすことはないです」


 マノンに向けて、敬語で喋る。そうですか、と暢気な返事が来た。


「あんたの方は何? 最近聞いてなかったけど、何か得るものがあったの?」


「いえ、特には。私自身、彼女たちとは碌に面識もありませんので、噂話程度もなかなか届いては来ませんね」


 そう。小さく肩を落とすミスティ。


 もし何か得ていれば、マノンだって、先にミスティに報告してくれただろう。何もないのは十分想定済み。それでも肩を落としてしまう、手応えの少なさだった。


「むしろこっちから嫌がらせしてやろうかしら。学校辞めたくなるくらいの」


 過激なことを言い出した。


「ちょ、ミスティ。それは……」


「具体的にはどんなことをするの?」


 マノンが聞く。もしかして、乗り気なのだろうか。


「具体的には……、寮に火でもつけるとか?」


「それは…………、どうでしょうか」


「私たちの方が退学になっちゃうよ」


「いやまあ、わかってるわよっ。何も思いつかなかっただけでっ!」


 両手を振り上げ怒鳴るミスティ。


 行き詰まっているなぁ、と、ティリルは左の頬の内側を、歯で軽く噛んだ。


 もともと、ミスティはとても良い人だ。真面目で親切で、社交性もある。今回の件ではティリルやラクナグのために怒ってくれていて、ティリル以上にアルセステに反撃をしたがってくれている。だけれど、そもそも他人を陥れるようなことには向いていないに違いないのだ。言ってしまえば、ゼルやマノンの方が余程影を持っている。




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