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遙かなるシアラ・バドヴィアの軌跡  作者: 乾 隆文
第一章 第十四節 美術棟を襲う災難
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1-14-1.ソルザランドの少年法






「それで、結局夕方まで一緒に飲んでたんだ。なかなか盛り上がったんだね」


 筆を動かしながら、ヴァニラが肩で笑ってよこした。いつもの水曜日。神学概論の授業でヴァニラと机を並べ、そのまま昼食を一緒にする。以前は食堂を使うことも多かったのだが、ここ二か月半ほどは専ら美術室。どこでも食べられるような軽食を買って、ここで二人で食べる形ばかりだった。


「アリアさんなんかもうすごく酔っ払っちゃって。呂律もうまく回ってないくらいで、でもまだ飲むんだって言って、結局私たちが帰るときももう一杯頼んでたんですよ」


 へえ、意外ねえ、あのお姫様酒豪なんだ。やはり振り向かずヴァニラが零す。脇の机に置いた、今日の昼食は夏野菜のサンドイッチ。カップに注いだ冷たい水も、先程からまるで手を伸ばそうとしない。


「アリアさんって私より年下なんですけど、大丈夫なんでしょうかね」


「大丈夫なんじゃない? よくはないだろうけど。体質的にお酒に強い人っていうのはいるし、周りに人もいたんなら、危険なことはないでしょ。あとは、お城に帰ってどれだけ叱られるかって話じゃない?」


「あはは、そうですね。お城の中で飲む分には、まだ問題ないんでしょうけど」


「やー、ダメでしょ。見つかって大目玉食らうよ。街中の方が匿ってくれる友達いっぱいいるんじゃない? あの感じだと」


「なるほど、そうかも」


「今どき成人式が初めての飲酒です、なんて奴むしろ珍しいだろうしね。どこの家だって十二の誕生日には子供にも酒を飲ませる風潮なんだし」


 え、そうなんですか? 思わず聞き返した。


 ソルザランド王国建国は、統合歴八一七年。建国の祖であるエルム一世王が王国全土にソルティア法を発布、施行したのがそれから二年後。以後歴代の国王たちによって少しずつ手を加えられ改良されてきた国法の中に、国民の成人と、伴う自由と責任についての規定があった。法律学には門外漢のティリルだが、以下の程度は常識の範疇で理解している。


 ――齢六を児童とし、未満を幼児とする。齢十八を成人とし、未満を未成人とする。齢三十六を賢人とし、未満を未賢人とする――。


 たとえば、児童の年になると就学の権利が認められ、賢人以上になると王城や国議会の要職、公務に就くことができる、などといった決まりごとがあり、飲酒は十八の成人以降と定められているはずだ。


「法律ではそうだけどね。今上陛下はその点に関しては緩い方のようよ。いつからかは私も知らないけど、この都では『十二の少年期を迎えたら、家の中で、身内だけで飲むのであれば問題ない』ってことになってるみたい」


「ふえ? そうなんですか? ユリじゃあそんなことしてる人いませんでした。十七でも、家の中でも飲酒がバレたら警察隊に厳しい注意をされてましたよ」


「都の外じゃあ、まだまだ通用しないルールよね。いくら王様が緩い方だって言ったって、各地の警察隊に『飲酒を取り締まるな』なんてお触れを出すわけにもいかないでしょうしねえ」


 けらけらと笑った。確かに、とティリルも追従する。


 そして、食べ終わったサンドイッチの包みの布を、静かに折り畳む。あとでこれを売店に戻すのだ。


「あ、そういえば」ヴァニラが、話題を変えた。珍しく、視線もこちらに向けて。「昨日のスタディオンからの帰り、アルセステ達を見かけたよ。どうも彼女たちはユニアの方を応援していたみたい。すっごい悔しそうにしてたわ」


「へえ、本当ですか」


 何度も痛感していること。心が汚れたなあと悲しくなる。アルセステが悔しがっていた、と聞くだけで晴れやかな気分になってしまうようになった自分が、つくづく嫌だった。


 それでも尚想像してしまう。いつも冷ややかで愉し気な薄ら笑いを浮かべているばかりの、アルセステが悔しがる顔、というのはどんなだったのだろう。想像の埒外にあるものについては、異国の珍獣の話を土産に聞かされた子供さながら、純粋な好奇心からも興味を抱いてしまう。


「見てみたかったですね。さぞ味わいのある表情をされていたでしょうに」


「あはは、味わいね。ティリルが見たらさぞ味わえたことでしょうね。まあ、チームが負けた後だからっていう、周りのユニアファンの人たちと同じような表情をしてただけだったけどね」


 同じような表情か。近いうちに、負けたチームのファンの人たちの顔を見に、またスタディオンへ行ってみようか。そんな悪趣味な想いまで頭を過ってしまったティリルは、慌ててぶんぶんと頭を振り、そんな気持ちを追い出した。


 がたん、音がする。何だろう、とティリルは首を傾げた。


「あれ、珍しいね。昼休みにどうしたの?」


 ヴァニラが入り口の方にちらりと目をやり、口を動かした。


 美術室の玄関の扉、誰かが潜って閉じたところらしかった。


「ああ、ちょっと忘れ物をね。ヴァーは相変わらず昼休みから籠りっきりなのか。根詰めすぎてもよくないぞ」


「ご忠告痛み入るわ。ありがたく聞き流させて頂きます」


「流すな。堰き止めとけ」


 低い、男性の声。随分と親しい仲らしい。軽口を二言三言交わしながら入ってきた彼が、そしてティリルの姿を目に留め、おやと息を吐く。


「なんだ、友達連れ込んでんのか?」


「ええ。よくお昼を一緒に取ってるの。いろいろあってね」


「あ、すみませんお邪魔しちゃってます。あの、私すぐ出ていきますんで」


「いや、いいよいいよ。気を遣わないで。言ったでしょ、忘れ物を取りに来ただけだから、こっちこそすぐ出てくからさ」


 上背は高く、手を伸ばせばこの美術室の低い天井になど届いてしまいそうなほど。肉付きは良くも悪くもなく。腕力は並の男子以上にはありそうだったが、それよりも着崩した制服と、耳が隠れる程度にまで伸ばした青い髪のほうが、余程印象深い。髪染めの風習は、耳にしたことはあったが、こうも露骨にしている人を目にするのは初めてで、正直気後れしてしまった。





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