灰の夢
記憶を見終わった龍吾は我に返ると目の前で妙に儚げに見える輝夜を見つめた。
「これが、私の過去よ。雛月にですら教えていないんだからね」
秘匿のベールに隠された輝夜の過去。それは純粋さが招いた悲劇であった。明かされた過去を前に、龍吾はポツリと呟く。
「……色々大変だったんだな」
「ええ、大変だった。特に、貴方とこんなに長く付き合うと分かっていたなら最初からもっと素直に接していればよかったと思うわ」
「だがそうせざるを得ないほど、輝夜は向こうで辛い思いをして来たんだ。億を超える天月人を殺したのだって、輝夜の父親がいらんことさえしなければ絶対することはなかった。だろ?
俺の自論だけどさ……輝夜、お前は悪くないよ」
龍吾の持論を聞いた輝夜から表情が消える。
龍吾は諭すように優しく続けた。
「人様の親を悪く言うのはどうかと思うが、それでも俺は言う。悪いのは輝夜の父親だ。お前が悪いんじゃない。
むしろ誇るんだ。偏見まみれの世界に一石を投じようとして、他の人ならやろうとも思わないことを輝夜はやった。そして事実に基づいて世界を良くしようとしたんだ。だけど輝夜は根っからの善人だから、妨害されたことを恨むより、今までずっと責任感じて自分を責めてきた。
でもな、今日でそれも終わりだ。胸を張って、間違った認識のまま続いた月の世界を笑いながら、堂々と生きるんだ。
輝夜はもう一人じゃない。味方がいないって言うなら俺がなる。天月人だろうが誰だろうが、輝夜を悪く言う奴がいたら俺がはっ倒してやる。悪夢の中で輝夜を笑うなら俺が側にいて共に闘ってやる。
だから、輝夜。もう怖がらなくていいんだ」
龍吾の真っ直ぐな言葉に、輝夜の中で忘れて久しい温もりが滲み出た。
凍りついていた心が溶けて、流れ出た雫は涙となって静かに輝夜の目尻から頬を伝い落ちる。
「……は……はは……。……おかしいわね。怒られた訳でもないのに……涙なんか……」
「おかしくないさ。泣きたいときには、思い切り泣きなよ」
龍吾の言葉に、輝夜は堰き止めていた涙を解き放ち、すすり泣いた。
やっと得られた共感と、心を許せる人に出会えた喜び。孤独に生きることを決意していたはずの輝夜にとって、予想だにしなかった僥倖に心が満ち満ちてゆく。
声を押し殺して泣こうとしても、時が経っていくと今までの我慢が連鎖的に爆発していき、最後は子どものように声を上げて泣いてしまった。
そんな輝夜を龍吾は泣き終わるまで優しくあやしていき、ひとしきり泣き終わると雛月を呼びに行こうとした。
「待ちなさい」
龍吾の袖を摘んで離さない輝夜は龍吾を上目遣いで見ている。
恥ずかしさに照れる輝夜の姿は夜の暗さと相まって妖艶さが格段に引き上げられており、龍吾の胸はいとも容易く小突かれる。
「……悪夢の中で私を笑う奴がいたら、側にいて戦ってくれるのでしょう? ……それなのに……は、離れてしまったら意味がないじゃないの……」
龍吾の身体が輝夜の方へと引き寄せられる。
拳一個分しかないほどに密接な距離で、輝夜の眼がほのかに紫色に光りだす。
共にいた時間が長いといえどここまで密着した状態は緊急時を除けば龍吾も初めてであり、それでいて女性との付き合いが全く無かった彼には強過ぎる刺激となっていく。
輝夜は「動かないで」と言うと、おもむろに額を龍吾の額と合わせてしばらく動かなくなった。
目を瞑る輝夜の顔が目の前にある状態の龍吾は何をされているのかというよりも、親以外の見目麗しい美人が目の前でキス同然の距離にいることの方が大事であった。
やがて輝夜が額を離すと、顔を真っ赤に赤らめる龍吾に見合う。
「い……今、何を?」
「契約よ。天月人はね、一生を添い遂げると誓った相手にこれをするの。これをすることで私は貴方と一心同体になった。貴方が生きている間、私は貴方と共に生き、貴方が死ぬときに私も共に死ぬ身となったのよ」
「い……一生を添い遂げるって……」
「なに? 怖気付いたのかしら? 嫌だって言ってももう遅いわよ。……その気にさせた……貴方が悪いんだからね……」
「……嫌なもんか。輝夜こそ、嫌だって言っても……離さないからな」
上気した二人はぎこちないながらも互いに抱き寄せ、ぎこちなく、初めてのキスを交わした。
これまで溜め込んでいた思いを発散するかのように濃厚なキスを交わし、二人は秋夜の帳の中で溶け合った。
互いに欠けていたものを補うように二人は熱く、熱く絡まっていく。
一晩明け、太陽が空の頂点に達した頃まで二人は寝続け、その間輝夜は一度もうなされることはなかった。
※
月界のとある高層ビル。
豪華な装飾が施されたエレベーターが最上階まで向かい扉が開くと、中から身体に無数の呪文が書かれた札を付けた呪術師『月影』が足早に出て来た。
VIPのみが座れる高級なソファに腰掛ける月宮解放軍のリーダー『赫皇』に、月影は有無を言わず頭を下げて報告をする。
「輝夜に仕掛けた私の初符が破られました。原因は奴と共にいる人間と思われます。奴の精神崩壊。後一歩のところで果たせず、誠に申し訳ありません」
赫皇は酷く不快な表情を浮かべて月影を見下ろす。
全面ガラス張りのフロアは地上で逆巻く火事が灯す茜色に染まっていて、まるで赫皇の苛立ちを表しているかのようだ。
「確実に奴を壊せるはずではなかったのか」
「はい、確かにそのはずでした。ですが……奴と共にいる人間が、最後の最後で私の初符を打ち破ったのです」
「人間だぞ。天月人と違って能力を持っている訳でもない! それがどうして破られるのだ!」
「……こればかりは申し上げ難いのですが……私ですら知り得なかった能力の弱点だったとしか……。重ねてになりますが、此度の失態、誠に申し訳ございません。ですが既に、私なりの最終手段は用意してあります」
言うと月影は懐から刃渡り三十センチはあろうかという、刃こぼれの多い飾り気のない包丁を取り出した。
赫皇は特に動じず、首元に包丁を添える月影を冷たくあしらう。
「お前の終符を使う気か。こんなことなら、最初からやっておいた方がよかったのにな。……ああ、介錯はしないぞ。お前の最期の誠意、この俺に見届けさせろ」
「勿論です。……終符『無窮呪幸』
赫皇様、月宮解放軍に栄光あれ! 万歳! 万歳! 万歳!」
冷酷で不誠実な対応の赫皇に対し、月影は不満や疑念を一切抱かないまま包丁を自分の首へ刺した。
ただ刺すだけでなく首を掻っ切るように横へ切り、月影は首から盛大に血を噴き出しながら力なく倒れた。
真っ赤な血が能力によってドス黒く変色し、月影の遺体は真っ黒な血と共に霧散してその場から跡形もなく消えた。
「……ひでえ言い方だなあ。勘付かれないように牛歩戦術で行こうって言ったのは兄貴じゃねえか」
奥から窓の外を見ていた『銀皇』が、言葉とは裏腹に飄々としながら赫皇の隣へ歩いてきた。
それに対して赫皇は悪びれることもなく返す。
「確かに言ったとも。だがこういう重要な作戦に当てられたなら、誰が言わずとも早急に達成するのが常識だろう。奴は一級の呪術師ではあったが、勤め人としては三流程度だった。全く嘆かわしいことだ。
そんなことよりも、泉取針は見つかったのか」
「いいや、見つかってない。下の奴らが血眼になって探してるが、政府が管理してる一品とあってそう簡単には見つからねえ。
ま、見つかったとしても予定より半日遅い時点で、靈光泉のことは失敗したもんだがな」
すると赫皇はテーブルに置かれたグラスを手に取ると、何も言わずに中身を銀皇へ浴びせた。
顔に酒を浴びた銀皇は「勿体ねえ」とヘラヘラ笑いながら言うも、赫皇は癇癪混じりに怒号を吐く。
「お前俺を苛立たせてそんなに面白いか! 地球の計画なんざ半日遅れようが一月遅れようがどうとでも取り返せる! 俺らが諦めるかどうかの判断をするのは月界のことだけだろう! 冗談は時を見て言えボケ!」
とても軍をまとめるリーダーらしからぬ後先考えないヒステリックな怒号にも、銀皇はどこ吹く風というように適当にあしらう。
すると突然ホログラムが勝手に映り出し、暴動と火事をバックにした活動員が緊迫した雰囲気で報告をしだした。
『報告します。第七隊隊長の冥と、彼女に感化された女性人権活動班が撹乱工作の班と衝突しています』
烈火の如くヒステリーを起こしていた赫皇は、その一報を聞くや否や急に冷めてソファに腰掛けて天井を仰いだ。
「いい、冥については予想済みだ。蛇蝎! 蛇蝎、応答しろ」
赫皇の呼応にホログラムがもう一つ映り出す。
見るからに柄が悪いチンピラ然とした彼の顔には、幾多の暴力によって浴びた返り血が点々と付いている。
『こちら蛇蝎。どうしました』
「冥と一部の女権班が裏切った。あの牛女と取り巻きは反逆罪でも何でもいいから、適当に罰を付けて慰み者にしてやれ。身体だけは一級品のバカに、裏切ればどうなるか思い知らせろ」
サラリととんでもないことを命じる赫皇に、蛇蝎は二回返事で応じた。
その様子を見ていた銀皇は肩をすくめながら再び窓際に行くと、彼が率いる部下の一人からの報告が小型イヤフォンに届く。
「俺だ。……ほう? それは吉報だ。制圧ご苦労」
蛇蝎との通信を終えた赫皇が、そば立てていた地獄耳に入った言葉を聞いて鼻息荒くしながら銀皇の元へやってきた。
「喜べ。天月絡繰が納められている基地を制圧したとのことだ。しかも場所は翠天基地。甲と乙型、両方が多数納められている所だ」
「ほう! それはいいな! よし、そうなればこんな所にいる必要はない。さっさとその基地に向かわねば。それで、泉取針はそこにはあったのか?」
「いいや、ない。元より軍用目的で作られたものじゃねえから、ある方がおかしいがな」
「……ならば、もうあの老害はいらんな。銀皇、下の奴らにもっと騒げと命じておけ。俺は片付けを済ませて基地へ向かう」
「おいおい殺すのか?」
「当たり前だ。元よりあの老ぼれの古臭い記憶に俺らは何度も振り回されて来た。天月絡繰だって、全く違う基地に格納されていたじゃあないか。潤沢だった金も無い今、奴を匿う必要はなくなった。生かして何の意味がある?」
「……俺はまだ生かしておいた方がいいと思うけどな」
「何か言ったか」
「いいや、何にも」
不満を言いたそうに赫皇はフロアを後にし、銀皇は銀皇で眼下に広がる地獄の最前線で活動する隊員たちへ命令を下し始めた。
「俺だ……ああ、首尾良くやってるみてえだな。それじゃあ次だ。●●街の⬜︎⬜︎番地、△△って店。あれは神無の政権擁護派の店主がいる店だ。そしてその付近の━━」
銀皇が上げる店名は、実の所虚実織り交ぜた内容だった。
しかし部下たちは愚直なまでに命ぜられた通りに店へと向かい、断罪・清算の意味合いを込めて襲撃する。暴君に肩入れした報いである、という名義の名の下に。
そうするとどうなるか。
やがて暴走を起こし始めるのである。
厳格な規律がある訳でもなく、乱れを律する者もいないとなれば、奔放に走るのは人の性。
正義という名の旗印の下、彼らが行う破壊と略奪は全て正当なものと信じて疑わない。
向かう先にいる者は皆罪人。抵抗してくる者も皆罪人。
殴る蹴るは当たり前で、能力による拷問すら行われている。
正義に狂った解放軍員はもう止められない。あちこちで火の手に混じって悲鳴と笑い声がこだまする。
火の勢いが増して行く街を見下ろしながら、銀皇は深いえくぼを浮かべていた。
「たまんねえなぁ、この瞬間は。最高だよ。そうら、終わりの始まりをもっと盛り上げろ。燃えろ燃えろ、何もかも。死ね死ね死ね、みーんな死ね」
※
時は神無が倒された後に遡る。
冥が月界に戻って最初に目にしたのは、燃え盛る月界の街だった。
冥の胸中で鳴りを轟かせていた不安が色濃さを増していく。
負けたのではない。負ける以上に悲痛で、陰惨で、最悪の事態。
冥は通信ホログラムを映すと、移動しながら風花たちを呼びかける。
「風華! 晶濟! 八千慧! 誰でもいいから通信に出て!」
『冥様! 今どちらにいますか!?』
通信に出たのは風華だった。
声からして一刻を争うことは容易に想像でき、冥は叶って欲しくなかった妄想が本当の現実に起きていると確信した。
「ここは……海岸の方だろう。いい、私がそっちに行く。風華たちはどこにいるの」
「蓬莱公園の方です!」
冥は「分かった」と言うと能力を使って影に溶け、瞬時に風華たちのいる公園へと辿り着いた。
そこには風華たちの他に、事情を知らされていない解放軍傘下の女性人権活動班の面々が恐々としながら一ヶ所にまとまっていた。
風華がことの経緯を話し出す。
冥が本部からの指令を受け取り地球へと向かった後、政法殿は陥落した。
後は黒幕の神無を倒すだけとなった解放軍は、多方へ捜索に出向くよう指示が出され、風華たちも最初はそれに従っていた。
異変が起き出したのは捜索をして二時間ほど経った後だった。
捜索にあたっていた班が、次々と月界の商店を襲撃。店内を散々荒らし回った後に、商品を略奪するという暴挙が発生しだしたのだ。
店内から濛々と煙が立ち込める中、両手に収まりきらないほどの商品を抱えて蜘蛛の子を散らしたように逃げ出す隊員たち。
哭き叫びながら止める店主は、手の空いた隊員たちに囲まれてたちまちリンチにかけられる。
「保守派め! お前が神無を支持し続けたせいで世の中が乱れたんだぞ!」
「これは罰だ。お前のような不届き者は罰せられなければならない! どうだっ! どうだっ! 思い知れッ!」
「うーうー汚い声で呻くな!」
異常。その一言に尽きた。
いくら個人が神無を支持していたとしても、ここまで罰せられる道理や理屈はない。
しかし月宮解放軍の隊員たちは、神無と同様に個人の思想信条を悪と断じ、容赦なく踏み躙っていく。
幼い風華ですら、目の前で大の大人が繰り広げる私刑執行が異常であるというのは理解出来た。
晶濟と八千慧は目の前で繰り広げられている光景に目を丸くして立ちすくんでいる。
リンチにかけられていた店主が断末魔の叫びを上げ、我に返った風華は一目散に逃げ出した。
走り去る風華を追って晶濟と八千慧も風華の後を追うようにその場を後にした。
蓬莱公園へ辿り着くまでの間、店や民家を問わず多くのところで同じような私刑執行が行われているのを目撃した風華たち。
決死の思いで蓬莱公園まで逃げて来た風華たちは、そこで同じように逃げ出して来た女権班と合流し、今に至るのであった。
「━━以上です。あの、冥様……わ、私も……あの、他の人と混ざってやるべきだったのでしょうか……」
「……否。断じて、断じて否! こんなの神無の横暴と同じ……いや、それ以上の悪行よ! 本部は? 本部はこのことを知っているの?」
「知らぬだろうな。ワシも先ほど本部に通信をかけてはみたが、通信網そのものが麻痺しつつあるからか応答がない」
ノイズ混じりのホログラムを見せる八千慧に、冥は集まった面々を見渡す。
恐れていた事実は現実となった。唯一の救いは、正気と理性を持った者が少なからずでもいたということ。
かくして冥は、本部へ直接報告をすることを決め、猛火に包まれた月界の都市を皆で進むこととした。
道中、解放軍員に襲われている店主や一般人を助けつつ、冥は解放軍の悪意と偽善に塗れた醜悪な本性を見て己の中にあった崇高で理想的な解放軍のイメージが音を立てて崩れていく様に歯噛みする。
全く疑わなかった訳ではない。
自分とは何もかも異なる赤の他人が寄り集まるのだから、一人や二人気の合わない者や主義に反していると疑いたくもなる者がいるのは当然だった。が、解放軍はそれがあまりに多過ぎた。
それでも彼女は愚直に信じていた。
閉塞された世の中と、目に見える進捗がない日々を過ごして来たからこそ、険悪で殺伐とした空気が充満しているのだ、と。この空気がなくなれば、皆、きっと元の崇高な人たちに戻るのだ、と。
だがそんな輝かしい理想は、包み隠さない現実によって呆気なく崩される。
本部まで残りわずかとなったそのとき、黒煙を吐き出している幼稚園から連れ出された園児を、片手で逆さ吊りにしながら壁へ打ち付けている隊員たちを、冥は見てしまった。
その瞬間に、冥は激しい義憤に駆られ、同じ隊員へ怒号を向けながら己の獲物を取り出して吶喊した。
「この外道がああぁぁぁッッッ!」




