灼け崩れる栄華
その日、月界ではいつものように月宮解放軍傘下の団体が現政権を揶揄した劇を広場で行っていた。
しかしその日はいつもと違い、批判的な内容を色濃く前面に出していたものなので、警備軍の面々に目をつけられ恫喝混じりの注意が入る。
当然団体側は受け入れるはずもなく、抗議の声を上げて反論しだした。そこまでは回数こそ少ないものの全くない話ではなかった。
だが今日は違った。
霊体となって姿を消している赤い巫女服姿の『ホオズキ』が、憂鬱気味に一人の警備軍隊員の背後に近寄る。隊員も、周りにいる取り巻きの誰一人として、ホオズキに気づく者はいない。
(まったく……皮肉なモンだ。まさか俺が、左派どもの自作自演に一役買うなんて、な。本当に……皮肉だ)
嘆息したホオズキが気持ちを切り替えて隊員に取り憑くと、憑かれた隊員はあげていた怒鳴り声をピタリと止めた。
異変に気づいた解放軍の女性が隊員の方を見やると、憑かれた隊員は無言で携帯していた突撃銃を発砲した。
目の前で、なんの脈絡もなく放たれた凶弾。
女性は避けることも出来ずに被弾し倒れ込む。
空を裂く悲鳴が広場に上がり、その場にいた無関係な一般人たちもその瞬間に気づき始めていく。
呆気にとられた隊員たちが取り抑えようとするも、憑かれた隊員はメチャクチャに乱射している。
その様子はネットワークを介して瞬く間に全世界に拡散された。
警備軍隊員が強制処分を判断して沈黙させるも、起きてしまったことは取り消せない。
ホオズキの手によって起こされた一件は、日頃神無の圧政によって抑圧されていた天月人たちの堪忍袋の尾を切れさせ、一時間も経たないうちに大規模なデモへと発展した。
月界中の国民だけではない。女性を中心とした名だたる人権団体や活動家。騒ぎを聞きつけ、これまで不信と不満を燻らせていた大企業もバックについたことで、デモの規模と声の大きさは警備軍を圧倒的に上回るものへと変貌した。
こうなってしまえば国民側が勢い付くのは自明の理。発足から二時間も経つと、デモの輪は更に広がり、世界中の天月人が首都へと集った。
群衆たちは神無が根城とする政法殿へと向かい始める。
警備軍側はどうすることも出来ず、ただただ後退を余儀なくさせられ、最後は本拠地である軍基地にまで追いやられていくのであった。
━━その一方、地上でまさかそんな事態が起きているとは夢にも思っていない神無は、どことも知れない地下で拘束した朔を拷問していた。
一糸纏わぬ華奢な少年の体は神無の能力である光線によって炙られ、猿轡を噛ませられている口からくぐもった悲鳴が漏れる。
「いいぞ、もっと声を上げろ。その方が私もやり甲斐がある。ほら、もっと、声を上げろと言っているのだ」
熱線を内に収めた手が傷の付いていないところに触れると、ジワジワと表面が焼かれ、皮膚の下の肉が焦げていく。
耐えきれない激痛に絶叫を上げる朔。その様を、神無は至極嬉しそうに見ていた。
不意に神無は猿轡を取り払い、荒々しい息遣いの朔の顔を覗き込んだ。そしてまた、満足気味な笑みを浮かべるのだ。
「……お前……悪趣味にも程があるぞ……こんなことをして……何が楽しい」
すると神無は、恐らくは神刺にすら見せたことはないであろう雲一つない純粋な笑みを浮かべて、言った。
「好きなのだ。傷一つない肌が傷つき、穢れていくところを見るのが。傷ついて、痛みや苦悶に上げる声。平時には絶対出すことのない在らん限りの声を出す様を見るのが、私は好きでたまらん」
まるで子どものような無邪気な笑み。しかし言っていることは常軌を逸した反倫理的内容。それを素面で言い切る神無を前に、朔は痛みも忘れて戦慄する。神刺とは異なるベクトルの、おおよそ国民の頂点に立ち、政を仕切る者が持つべきではない狂気に。
「朔、私はお前をみくびっていた。月詠の庇護の元でしか動けぬ、世知らずの童ほどだとな。しかしお前は、たった一人で私の秘密を暴いた。完全に私の予想を覆したのだ。これを褒めずにいられるものか。お見事。天晴れだ、朔。
━━故にお前は、とことん痛ぶってやろう。年端も行かぬ少年少女ほどいい声で鳴く者はいない。身体の一片たりと余す所なく私が汚すから、声が枯れるまで叫ぶがいい。そして最後は恐怖に慄きながら死ぬがいい。お前は上玉だ。私の期待を裏切るなよ?」
邪欲に染まった笑みを浮かべながら神無の手が朔の右目に触れる。
火のついたバーナーを根本から押しつけられるような、熱いを通り越して斬られているような鋭い痛みが朔の身体を襲う。
猿轡をされていないので、朔の絶叫は室内によく響き渡る。
嬉々としながら神無が拷問に熱中していると、突如部屋の奥で天井が轟音を立てて崩れ落ちた。
フワリと舞い降りて来たのは朔の愛人にして妻の『月詠』だった。
「月詠……なぜここを?」
「神無。私は今までお前の横暴や傲慢に目をつぶってきました。……しかし……私の朔に手をかけるとなるなら……到底許すことは出来ん!」
穏やかでたおやかな月詠からは想像もできない恐ろしい剣幕が神無を見据える。
だが神無は恐れというよりも厄介だと言いたげに顔をしかめると、腰に忍ばせた装置を起動させてその場から消えた。
「朔、朔! ああ、なんてこと……私の愛する者よ……」
神無が完全に離れたことを察知した月詠は慌てて朔へと向かう。
おびただしい傷と火傷塗れな朔は月詠の姿を見て緊張の糸がほぐれ、年頃の少年らしくワッと泣き出してしまった。さながらケガをして泣きじゃくる子をあやす母の姿だ。
「よしよし、痛かったでしょう? 怖かったでしょう? もう大丈夫ですよ、私の愛する者よ」
朔を抱きしめていると、部屋全体が轟音をたてながら崩壊し始めた。が、月詠はこれといって動じることもなく、自分を起点に淡い紫色の波動を放つ。
崩壊する部屋の動きがまるでスローモーションのように遅くなり、大小細かな瓦礫や砂塵の一粒すら目視で捉えられる。
これこそが月詠の基礎能力たる初符の力、重力の操作だ。常日頃から彼女が宙に浮いていられるのは、その片鱗である。
泳ぐように室内から脱した月詠と朔は海上の真上に出てきた。
そこで彼らが目にしたのは、空の上で轟々と燃え盛る月界の首都だった。
「し、首都が……政法殿が燃えている? 一体なにが起きたのですか月詠様」
「手短に言うと、つい先ほど暴動が起きました。警備軍の隊員が一般人に発砲したのがきっかけです」
「は、発砲?! なんだってそんなバカなことを! それで、撃たれた方は?」
「たった今さっき亡くなられました。この一件で、国民や月宮解放軍のみならず人権団体や活動家、大企業なども怒りの声を上げ、それに乗じてますます動きが激しくなりました。もう神無もお終いです」
絶句。現実に起きたこととは信じられぬ朔は、言葉を失って燃え盛る首都を見やる。
すると通信ホログラムが突如起動した。
輝夜の母『月魄』を探しに行った朔の部下二名が沈痛な面持ちで画面に映る。
『朔様、ご無事ですか!』
「僕のことは大丈夫です。それより、月魄様は見つかったのですか?」
『……結論から言います。月魄様は……亡くなられていました』
朔はまたしても言葉を失った。冗談だと思って聞き返すも、返事は同じだった。
『それだけではありません。朔様、落ち着いてお聞き下さい。
月魄様は━━身籠られていました』
「……え……?」
『すでに子も亡くなられています。この場所。月魄様が監禁されていたところは、いわゆる躾場です。ここで多くの暴行を受けたのでしょう』
「……そこはどこだ。月魄様は誰がそんなことをした!」
『月宮解放軍の秘密基地です。駐在していた隊員三名を逮捕して、今聞き取りをしています』
朔はハッと月詠を見た。
そう。首都で起きている大暴動に加担している面々の中に、月詠は月宮解放軍の名を上げていた。
月神『月魄』を監禁、陵辱し、最後は死亡させた疑いのある張本人たちが、である。
そこから嫌でも朔の思考が大まかな全貌を導き出す。
今起きている大規模なデモは、月宮解放軍が仕組んだ自作自演なのではないか、と。
確かに軍警が一般人に発砲することは言語道断の事態ではあるが、人権団体に大企業までが軒並み動くほどの事態に発展するのは、理由としてはいささか弱い。
しかし月界の象徴たる月神が崩命したとなれば、月界が揺れ動く大事態へ発展するのは火を見るよりも明らかだ。
「奴ら……なんてことを……!」
『朔様、お怒りのところ申し訳ありませんが、先ほどから本部との通信が出来なくなっています。首都を起点に通信網が麻痺してきていると思われるので、ここは一度他国への拠点移動を推奨します』
「分かりました。どの道、政法殿はもうダメでしょうから、瑠璃國の方で合流し、対策を練りましょう」
通信を切り、隣国である瑠璃國へ向かう前に、朔はただならぬ不安を覚えていた。
この仕組まれた暴動は早期に収まるものではないことと、これから多くの血が流れるということもあった。
しかしそれ以上に、目の前で朔を抱き抱える月詠が妙に落ち着いているのも要因だった。
冷静さとは異なる、まるで全てが予想通りであるというような落ち着きぶり。
愛する妻の得体の知れぬ違和感に、朔はただ黙っていることしか出来なかった。
※
装置によって帰還した神無を待っていたのは、恐慌と焦燥に駆られてやつれ果てた兵士たちだった。
口々に現在に至る推移と、現状の報告、そして今後の対応を神無に尋ねてくるが、神無はそれらを無視して中庭へと向かった。
眼下には老若男女の織りなす人の波が、玉座に座る神無目指してなだれ込んで来ている。
うねる人の波の中から一人が神無を見つけて声を上げると、無数の双眸が一斉に神無へ向けられる。
大気すら揺らす大音声。長らく溜めに溜め込んでいた怒りの声に、逃げ延びた隊員たちは尻込みしている。
神無は、微動だにしていない。
落胆と蔑視を向ける神無は、おもむろに目に力を込めて前方を凝視した。
建物が揺れんばかりの大音声は水を打ったように静まり、あれだけ勢い付いていた国民たちは途端に縮こまっていく。
「……つくづく貴様らは無能だ。己の行いが愚行の立証と顧みず、流れに任せて考えもなしに動く貴様ら。まるで獣と同じよ」
たった一人の声は百を超える群衆を震え上がらせ、興奮に過熱した魂胆を芯から冷やす。
それでも群衆の数にものを言わせ、勇敢にも神無へ言い返す者もいた。その声に便乗して少しづつ声の輪は広がるも、神無の一声にはすくんでしまう。
神無が鼻で笑う。
「これだから愚民というものは始末に負えん。貴様らがここへ押し寄せてきたのも、大方私が敷いている圧政と暴力政治の解放、自由と民主主義の復活を求めて、貴様らは来たのだろう?
愚か者め。そもそも私がなんのためにこの座に立っているのか、貴様らはもう忘れたのか。
果てのない混迷と内外で起きた紛争の数々。国民を無視し私服を肥やしていた官僚の怠慢と汚職。内外で起きていた貧富の紛争。これらの膿を取り除き、因果を断ち切るために私は立ち上がったのだ。
そして、立ち上がった私を選んだのは、他ならぬ国民による選挙の結果であり、民主主義に則った方法によるものだったことを、もう忘れたのか」
神無はあろうことか群衆へ演説を始めた。
しかし彼女の声から紡がれる一言一句は、反抗心に燃えていた群衆の心理を徐々に書き換えていく。
反発の声は上がれどあまりに心許なく、あっという間に場は神無が支配した。
「貴様らが願った暗黒時代からの脱却。腐敗に満ちた権力者の掃滅を私は確かに叶えた。低迷と無秩序による緩やかな滅亡を回避させ、安定した国家を私は確かに築いた。
喉元を過ぎればたちどころに今を悪とみなす貴様ら。その愚かな思想のせいでかつての政権ができたことが、なぜ分からない!」
事実の羅列。それだけで群衆の心は神無に奪われ、抗う気力を無くさせていく。
この場を完全に支配していく彼女は、実は何も能力を発動させていない。全て彼女の実力。天性の才能によるものだ。
絶望的な状況下になってもなお動揺せず、逆にその状況を好転させる材料にさせる彼女は、まさしく人の上に立ち、人を導き、人を支配するために生まれてきたと言っても過言ではないことを示している。
惜しむらくは、彼女も歴代支配者の例に漏れず行き過ぎた独裁と独善を通し過ぎたことである。
「貴様らの言う平和とはなんだ? 貴様らの言う正義とはなんだ? その日その時々その瞬間に定義すら変わる思想を軸に、難癖をつけて私を糾弾する貴様らを愚民と称して何が悪い。
その愚かで浅い思想がある限り、未来は更に堕落した世であることは必定である!
私の愛与が虐殺だと? 私の敷く政が独裁だと?
事なかれ主義の蔓延によってもたらされた結果が。和平平等主義を徹底した結果がいかなる世の中だったかさえ忘れた貴様ら! 天月人であるなら恥を知れ!」
今さっきまで打倒神無に燃えていた群衆の大半は、己を悔やみ、消沈し、とてもデモの出来る状態ではない。
そればかりか、神無の演説によって改心した群衆の一部がデモ隊と仲間割れを起こし、大混乱を引き起こした。
中庭では怒声と肉の打ち合う音、能力の発動すら起きて混沌としている。
そのどさくさに紛れて、神無は政法殿の奥へと逃れようとした。
すると突然、背後から耳を震わせる重低音が轟く。
黒ずんだ波動が質量など感じさせないように壁をなぞっていき、荘厳な空間は瞬く間に荒れ果てていった。
「さすがですね。あんな不利な状況を即興の演説一つで切り抜けるとは」
崩れ落ちる壁の先には朔を抱いた月詠。
忌々しげに見る神無に、口々に月詠の名を呼ぶ群衆。混沌に染まった場は、月詠の登場で更に加速する。
「ですが貴女がいくら美辞麗句を並べようと、貴女はやり過ぎたのですよ。靈光泉を独占し、秘密を知った朔を拷問した貴女は、これだけでも許されるものではないというのに」
月詠の言葉に押され気味だったデモ隊がにわかに活気付く。
しかし神無はこの期に及んで「なんのことだ」とシラを切った。
だが月詠は動じない。それすら想定していたと言わんばかりに。
「ええ、貴女は知らないと言うでしょうね。ですが、これを見ても否定できますか?」
月詠がホログラムを起動させて操作をすると、靈光泉を溜め込んでいた秘密の場所を朔が突き止めたところから映像が流れ出した。
群衆からはどよめきが。神無は余裕から一転して目を見開く。
だがその場で一番驚いたのは朔だった。
何故なら映像は朔の真後ろから撮影されていたからだ。
(あのとき、僕の後ろで誰かが見ていたのか? いや、そんな気配は微塵も感じなかった。ならばこの映像は一体!?)
「それだけではありませんね? 貴女、自分のお父様を殺めましたでしょう。証拠なら、こちらに」
月詠が画像をホログラムに映し出す。
廃墟さながらの打ち捨てられた一室の片隅に、腐敗が始まっている天月人の遺体が転がっていた。
白骨化しかけている顔が拡大されると、それは神無の父にして、元三月皇の一人。かつて月界で輝夜が起こした大虐殺を自らの暗符を使って終わらせた救国の英雄、幻月だった。
「幻月様のお部屋からは公私を含む通帳と、彼が受け持っていた国家間機密情報が記載された書類。他にも彼が携わっていた国際企画や、企業間交流の情報さえも無くなっていました。
幻月様は……貴女に甘過ぎるほど溺愛していました。その末路がこの仕打ち。政治も国も私物化しようとし、実の父さえ用済みとなれば手にかけるこの失態、とても看過出来ませんね」
追い詰められた神無は明確な憎悪の目を向け、自身の獲物である金色の大剣を実体化させた。
黒と紫色の光線が無告知に放たれ、群衆から悲鳴が上がる。
しかし光線は月詠に当たるどころか直前で重力の壁によってバラバラに散りだし、いずれも当たることはなかった。
お返しとばかりに放たれた重力の波動は、神無の光線をいとも容易く押し返しながら神無に直撃した。
重い衝撃と鈍痛に神無の顔が歪む。しかし月詠は攻めの手を緩めない。抑えていた怒りが沸々と爆発していき、隠すことのない憎悪を露わにする。
「逃がすものか。私の愛する者に手をかけたこと、死んで後悔しろ!」




