神が堕ちる日
月詠と神無の攻防は終始月詠の一方的な攻めにより、神無は苦戦を強いられていた。月詠の能力である重力操作の前に、神無の光線はことごとく無力化されてしまうからだ。
神無の攻撃は当たらないのに、月詠の攻撃は普通に当たるという理不尽な戦況。ジリ貧な状況は刻一刻と濃さを増していく。
更に彼女の脅威は能力だけではない。
彼女の身体から生える絹のように滑らかな衣。この衣に包まれたものは、自重によって一切の質量や抵抗を無視して紙のように潰されてしまう。
神無を守ろうと月詠を阻んだ兵士の数名はこの衣の餌食となり、断末魔の叫びを上げながら肉の紙となって死んだ。
死への恐れよりも神無が恐れるのは失脚である。しかしその失脚はもはや回避不可能であり、最期の始末は生きながら償うか、死んで償うか以外の選択肢はない。
(私が……あんな言の葉一つで惑わされる意思薄弱の愚民どもに首を下げるのか? 冗談じゃない! ……だが……月詠、貴様……!)
応戦も虚しく、神無はとうとう船艦離発着コロニーへと追い詰められた。
何の連絡もなしに現れた神無と激昂した月詠を目にしたコロニースタッフは、クモの子を散らすように逃げていく。本能がここにいてはならないと警鐘を鳴らしたからだ。
「月詠、私を討ったところでこの世は堕落の一途を辿るだけだ。貴様も見ただろう。私の言葉一つで、まんまと信念を覆す無知愚昧な民衆の姿を!」
「愚鈍だな、神無。私がここまでお前を憎む理由。それは単に私の愛する朔をその手にかけたからで、他は二の次だ。観念しろ神無」
神無は応える間も無く四つの光線を撃ち放つ。
しかし月詠は動じることなく、自分の周囲から同じく四つの重力波を放った。
波動と光線が衝突する。
身体を内から震わせる重々しい音が辺りに轟く。
並の能力者では防御も無視する最大級の力と力のぶつかり合い。周りの床や天井は衝撃波と熱によって砕け、溶けていく。
拮抗状態の最中に、月詠はおもむろに口を開けた。
空間が歪むほどの渦が月詠の口内へ集約すると、光のない黒一色の光線が放たれる。
触れてもいない床や天井がへこみ、裂けていく。神無が寸前で光線を追加で放つも、拮抗することなく弾け飛ばして神無を吹き飛ばした。
それと同時に、月詠の背後から打倒神無を叫ぶデモ隊が遅れて到着した。
逃げ場を失い、戦力でも勝ち目のない状況下。
万事休すとなった神無だが、横目でコロニーに停泊している船を一瞥すると、神無は唐突に自分の手の中で光線を集めて拡散させた。
目も眩む光が晴れた先には神無はおらず、一隻の艦戦を操舵して地球へと向かって行っていた。
「……皮肉なものだ。あれだけ卑下していた地球に、己が命惜しさに堕ちるとは」
朔が一人呟くと、神無が逃げたことにデモ隊から勝ち鬨の声が上がる。
しかし月詠は未だに険しい表情だった。まるでまだ、戦いは終わっていないとでも言いたげなように。
※
神無が降り立ったのは中国、四川省。
首都から離れた自然あふれる地の一角に、神無は青筋を額に浮かべ、歯が自重で砕けんばかりに食いしばりながら夜空を忌々しげに見ていた。
「おのれ朔! おのれ月詠! おのれ愚民ども! おのれおのれおのれぇっ! よりにもよって! 私が輝夜と同じ地球に降り立つなどとは! この恥辱、貴様らの死すら生ぬるいぞ!」
慟哭を上げる神無。その背後で異変を聞きつけた人民軍が、こっそりと退路を断たせて包囲していた。
先陣の隊員が声をかけると、憤慨していた神無の動きがピタリと止まった。
おもむろに振り向いた神無に、兵士たちは息を飲んで最大級の警戒を━━ある者はすでに恐怖で心が屈しているが━━あてた。
恐るべき指導者であり独裁者である習近平とは次元の違う圧と殺気。おおよそ人間の出せる雰囲気を軽く超えた人ならざる空気の前に、数では優に勝る兵士たちは途端に尻込みしてしまっていた。
彼女から逃げろ。そう第六感が一同に伝心する。しかしおめおめと逃げ帰れば、それはそれで手痛い処分は免れない。
先陣の兵士が意を決して語りかけるが、神無は無反応だ。
無視をしているのではない。天月人は生来和語(日本語)しか喋れないから、話しようがないのだ。
日本人が唐突にアラビア語やドイツ語で話しかけられても反応が出来ないように、彼女からすれば中国語という見たことも聞いたこともない言語を前にして返しようがないのだ。
「貴様、何を言っている。言っている意味が分からんが、私の問いに答えよ。ここはどこだ」
兵士はひどく困惑している。
なおも中国語で話す兵士に神無は再度「ここはどこだ」と言う。
周りの兵士が割って入るが、彼らもまた中国語。
しびれを切らした神無は自分の言っていることを無視されたと踏んだか、目の前に野球ボール大の光を生み出すと、目の前の兵士たちの頭部を綺麗に吹き飛ばした。
「私を愚弄しているなら死ね。無礼者め」
辺りに緊張が走る。
兵士たちは一斉に手持ちの銃で掃射するも、人外の力を持つ天月人には全くの無力。
鉛玉のカーテンは神無の操る光線の膜によって消滅し、カケラの一片すら彼女に届くことはなかった。
お返しに放たれた幾筋もの光線は、屈強頑強な兵士を装甲ごと穿ち、後に遺ったのは身体のあちこちが欠けた歪な肉塊だけだった。
生き残った幸運な兵士一人が、壊滅的な現状を受け入れられず呆然と突っ立っている。
「貴様、これが最後だ。ここはどこだ? 言え」
胸ぐらを掴まれ、軽々と持ち上げられた兵士はたちまちパニックに落ち入り、武器を放り投げて片言ながら答え始めた。
「こ、ココ! 中国! 日本、違ウ! ノー、ニッポン!」
「……ちゅうんほぁ? 聞いたことがないな。おい、地図はないのか。兵の一人なら地図の一枚は持っていよう」
「……エ? エ?」
すると神無は掴んだ兵士をその場に落とすと、虚空から自分の獲物である大剣を実体化させて兵士へ突き付けた。
目の前で起こる非現実的な光景が矢継ぎ早に起こり、兵士は正気を保つだけで精一杯の状況下。そこへ神無はドスの効いた声で静かに怒鳴った。
「地図だ。二度も言わせるな愚か者め」
兵士は恐慌状態になりながら使い古した地図を取り出した。
片言の日本語で「ココ、ココ」と指差す兵士を押し除け、神無は地図を隈なく見つめる。
「……なるほど。地球も様変わりしたものだ。それに、輝夜のいる国とは海一つしか隔てていないが些事にすぎん。……しかし……小癪な。まるで蓋ではないか……」
地図を見ながらブツブツと呟く神無の背後で、兵士は護身用の拳銃を神無の後頭部へと向けた。
拳一つ分ほどの距離。常人なら避けることすら不可能だ。
しかし、兵士が勝ちを確信して引き金を引いた結果は、全くの無意味だった。
神無の身体は光線と化し、銃弾はその身が宿す熱によって瞬時に蒸発。致命傷はおろかかすり傷すら付けることもなく、神無は涼しい顔をして天を仰いでいた。
「……そうだ。簡単なことではないか。月界がダメなら地球で再起を図ればいい。何も難しいことではない。元より地球は私たち天月人が有する植民地の一つ。この星の主人に返してもらう日が来ただけのことではないか」
不発に終わったとはいえ神無は意に介さず笑っていた。
怒りと悔恨に歪んでいた目元と口元は歓喜に釣り上がり、消えかけていた希望は轟々と輝いている。
神無はホログラムを起動させて操作をすると、不意に彼女の髪に隠れた左目が赤く光りだした。
神無の身体からほとばしる赤黒い雷。
天に伸びる赤い光の柱。
魔力によって靡く金の長髪。
その姿━━まさしく『魔王』
世に混沌をもたらす魔王なり。
おもむろに振り向いた神無に、兵士は持っていた拳銃を力なく落とした。
振り向いたその顔の左側には、目の下と額に仏像の玉眼の如き目が兵士を睨んでいたからである。
「喜べ、人間。この星は今日この瞬間をもって変わる。新たな支配者がこの星を治めるのだ。手始めにこの星の靈光泉を一通り私が貰い受けて管理するとしよう。
だが、そのためにはこの星の大陸は、いくつか邪魔だ。私が取り除いてくれよう」
声高らかに笑う神無を前にした兵士は、廃人同然の抜け殻と成り果てていた。
相手は人外の下生。鍛えた身体も文明の利器も何一つとして役に立たない。
抗うことも逃げることも命乞いをするのも叶わぬならばと人体が選んだ選択肢は、一切の思考と活動を強制停止させ、最期の刻を待つことだった。
「天、葬、滅。天、葬、滅! 来たれ破滅の刻よ。来たれ終焉の帳! 是なるは神を殺す聲。是なるは星を配する鬨である! 伏して讃えよ。仰ぎて咽せべ! 次代を照らす無限の光輝。王は此処にて殷々と謳う!
恨畜生暴悪面、天魔生滅灰燼洯土!」
夜空の黒が真昼のように白く輝く。その輝きは、夜闇で濃さを増した山林を寸分と漏らすことなく照らし出すほど。
陽の光とは異なる空の眩さに国中の人々が眠りから覚めて空を見る。
中国だけではない。六大州の広い範囲で昼夜を問わず空が同じように輝いていた。
光は次第に輝度を増していき、やがて周りの輪郭さえかき消してしまうほどの明るさとなり、そして━━
━━地上に降り注いだ
降臨したのは神ではなく死。
人々は痛みも苦しみも感じることなく光に消え、地上に築かれた人類の痕跡も、人類が足を置いていた大地も一つの例外となくこの世から抹消した。
かつて陸地があった場所には海水が流れ込み、母なる海は図らずも領海を広げていった。
十分も満たない内に、全人口の四割が死んだ。たった一人の女の手によって。
ホログラムに映る様変わりした地球の姿を見て、神無の高笑いは大きくなる。
彼女は指揮をするかのようにホログラムを操作すると、今しがた消滅させた大陸の上空から靈光泉を汲み取る装置『泉取針』を出現させた。
「さあ輝夜、とくと見届けろ! この星の新たな支配者たる神無の偉業を! もはや遅きに失した世界の変貌を嘆きながら、この世の新たなる産声に耳を傾けるがいい!
地球に蔓延る人間どもよ、刮目し平伏せよ。この星を統べ、お前たち人間を創り出した創造主、ここに再臨せり!」
意気揚々と世界へ魔王は布告する。
空から人工の針が音もなく靈光泉の霊脈へと伸びる。
空の向こうでは航空障害灯のような赤い光が点滅し、雲間からは装置の無機質な側面が覗いている。
近未来的な世界の終わりが着々と目前に迫ったそのとき、ホログラムに表示されていた泉取針がほぼ同時に全て破壊され、各ゲージが赤く染まった。
かつての中国へ伸びていた針。すなわち神無がいるところに伸びていた泉取針も、細かな光の粒となって霧散するのを彼女は捉えた。
地球の技術では破損することすら不可能な技術の結晶を壊すことが出来るのは、それこそ天月人の能力以外にあり得ない。
神無は最後の一本を日本へ転送するも、それすらすぐに破壊された。
「……かあああああぁあぁぁぁぁぁぁぐぅうぅぅぅぅぅぅぅやぁあああああああああ!」
憎悪に満ち満ちた剣幕で神無は日本の方角を見る。
地平線の彼方、海を越えた先に怨敵がいることを確信した神無は、自らを光線へと変えてその場を後にした。
日本上空。
血管のように灯る光を眼下に、神無は再び左目を赤く発光させた。
彼女の頭上に先ほど六大州の半分近くを消し去った光線の、さらに数倍大きな光線が集約していく。
日本全土を容易に飲み込める規模の光線。それを放とうとした瞬間、黒い雷が神無を貫いた。
左目の発光が鎮まると光線も消えたが、右目は金色に光り輝いて雷が放たれたところを見据える。
その先には、夜空の彼方には、夜闇に紛れてなびく黒の影が一つ、佇んでいた。
「そこか。そこだな輝夜! 輝夜……おお輝夜! 我が怨敵! そこにいるのだな! 輝夜ぁぁぁぁぁ!!」
再び神無が光線と化すと、一直線に輝夜のいる方角へと向かった。
場所は中央前橋から離れて榛名山麓付近。
ネオンやビルの明かりとは無縁の自然あふれる一帯を眼下に、輝夜は宙に立っていた。
ものの数秒で到着した神無を、輝夜はこともなく躱す。
顔に魔力が枯渇している証の黒いヒビを生やしていながら、輝夜は不敵に神無を見ている。
「……その笑み……墜人になってもなお、相変わらず人を小馬鹿にするのが得意だな、ええ?」
「墜人と言うなら貴女もでしょう。月詠にはお暇を告げたのかしら? それとも月詠にすら見限られた? 幻月はどうしたの? 泣きつく余裕すらなかったか。
……ははあ、さては……孤立するほどのバカをして、命惜しさにおめおめと地球に逃げて来たのかしら?」
その場に居合わせてもいない輝夜に大半を見抜かれた挙句、輝夜と違い不本意で地球に降りたことを小馬鹿にされた神無は瞬時に沸騰し、目にも止まらぬ速さで輝夜を斬りつける。
しかし輝夜は相も変わらず涼しい顔で避けた。
「輝夜! 輝夜、輝夜輝夜! 輝夜ァァァァアッ!」
「図星を突かれて逆恨み? 見苦しいわね。元より全て貴女の身から出た錆。私を怨むなんてお門違いもいいところだけど……そんなこと言って聞くほど、今の貴女は利口じゃないわよね。いいわ。言ってダメなら存分に分からせてあげようじゃない。来なさい、墜人」




