灰身滅智
嬉々としながら迫る二人は、完全に雛月の終符から解かれている。
一体どうやって彼女らは雛月の終符を破ったのか?
答えは、自害したのだ。現実と区別がつかないほど精巧な妄想の世界で自らの愛刀で腹を裂き、喉を貫いて。
雛月の終符が発動した直後、二人は確かに術中にはまっていた。
筆舌に尽くし難い残虐極まりない手法で、彼女らは輝夜や雛月を徹底的に痛めつけた。
しかし彼女たちは気付いたのだ。「何かがおかしい」「順調すぎる」と。
狂気に飲まれていながら更に鋭さを増した第六感の前に、彼女らは早々に今見ているのが偽物の世界だと判断した。
問題は、その偽物の世界からどうやって現実へ戻るかだった。が、彼女らは、さほど時を待たずして答えを導き出す。
これは夢なのだから、目を覚ます方法は夢を終わらせること以外にないと。
何のためらいも、恐れも無かった。相手は超常的な能力を人為的に使う天月人。人間の理屈や常識が全て通じるとは露にも思っていない。
そんな常人をはるかに超えた魂胆によって、彼女らは雛月の終符を破ったのだ。
雛月は自分の終符がまさか人間に破られるとは夢にも思っておらず、未だに目の前で起きていることを受け入れられていない。
すると龍吾が雛月の名を叫ぶ。
直後に雛月の真上から鐘の音をけたたましく鳴り響かせながら、春子が縦に回りながら落ちてくる。
サザンカの大盾が雛月を防ぐが、春子は翻りながら盾から降りて猛攻を仕掛ける。
昂ぶった精神を隠すことなく表するように、春子は奇声のような叫びを上げて刀を振り回す。盾の内側では、その絶叫と野太い音が雛月の意識を掻き乱していく。
しかしその乱れが、雛月の命取りなってしまう。
スミレと鍔迫り合いの最中にあった秋子が突如として力を緩めると、納刀しながら滑るように雛月へと向かった。
手詰まりの雛月という脅威を確実に潰そうという、姉妹ならではの以心伝心によるものだ。
「な……! ひ、雛月! 後ろだ!」
スミレが向かうには遅すぎるし、雛月が反応したときにはすでに秋子は雛月の目の前。
避けるにも時間はなく、故に雛月は背後の守りをシラユリへと託した。
意思を汲み取ったシラユリが、雛月の背後に水の壁を張る。
ぶ厚い水壁は常人には破ることの出来ない不落の壁。
しかしそれが、秋子たちだと話は変わる。
目の前で足音がはっきりと聞こえるほどに地面を踏みつけると、腰を深く落とした秋子が柄に手をかける。
刹那の間、雛月が「来る」の「く」の字を心中に浮かばせるよりも前に、秋子は、すでに抜刀を終えていた。
一秒にも満たない時間。しかしその時間は神が許した微かな猶予であり、耐え難き痛みに覚悟する一時。
雛月の脳が斬り終えていると認識したときには、シラユリが生み出した水壁ごと雛月とシラユリの身体が横一文字に斬れていた。
鮮血が身体という袋から噴出する。
出していた精靈の姿が薄まり、サザンカの大盾も急速に質量が失われていく。
そこを春子たちが見逃すはずもない。
霧のように薄くなった精靈を見るや否や、春子と秋子は全く同じタイミングで刀を鞘に納めた。
身を引き、全神経を集中させながら力を込める二人へ、龍吾はスミレを向かわせる。
「スミレ! 雛月を守れっ!」
風よりも速く雛月へ向かうスミレ。
動じない二人。
雛月も自衛のために、霧散しかけたサザンカとシラユリを実体化させて守りを固める。
スミレが翻りながら二人の喉笛を斬りつけようとした、まさにその瞬間━━
「チェエエアアァァッ!」
耳が痛くなるほどの大声量で二人が同時に叫ぶと、鞘に封じていた刀を全力で振り抜いた。
空間が微かに歪むほどの勢い。しかしそれだけではない。
あろうことかその剛の太刀筋は衝撃波を不可視の刃にさせ、スミレの剣を断ち割り、シラユリの水壁を裂き、サザンカの盾を砕いて、雛月の右腕を斬り落としたのだ。
目の前で無残に散りゆく四の花。
豪の一閃を前に龍吾は魂の髄まで思い知ってしまう。
勝てない。
死ぬ。
皆んな死んでしまう。
「やめろ……やめろッ!!」
絶望よりも先に、龍吾は雛月へと駆け出した。
手にした短刀から刃を出し、雛月を庇うように二人の前へと立ち塞がる。
「だ……ダメ! 龍吾様、逃げて!」
正直なところ、龍吾は今すぐにでも逃げ出したかった。
それもそのはず、目の前で笑う鬼たちの迫力たるや、体温が急激に下がり、見ているだけで心臓が痛み出すほどだ。
だが逃げなかった。
龍吾の恐れは家族を失うこと。
対峙する鬼たちもさることながら、今の龍吾には自分の命よりも家族を重んじていた。
非力でも立ち向かう龍吾へ、春子と秋子は笑いながら間を詰める。
切先は龍吾が気付くよりも疾く、龍吾の体へと向かう。
スミレと雛月が気づいても、常人たる龍吾の脳内へは信号が届いていない。
死角の一撃は慈悲なく忍び寄り、痛覚が騒ぎだすよりも前に龍吾の肌を切り裂こうとした。
しかしその直前、両名の刀が、止まった。
否、止められたのだ。輝夜のドレスから伸びた触手によって。
二人が刀に絡む触手を撃とうとした瞬間、二人の前へと躍り出た輝夜は春子へ剛拳を叩き込んだ。
リサーチによって彼女の一撃がどれほどのものかは知っていた。
しかし知っているのと、経験したことがあるの二つは雲泥の差がある。
直撃した春子は大砲が鳴ったかのような音を立てて吹っ飛び、大沼の湖面を水切り石さながらに跳ね回る。
一度も勢いは衰えずに対岸の森へと突っ込み、木々を薙ぎ倒しながら山の奥深くまで着いてようやく止まった。
秋子が気づいたときには、目の前に敵意をむき出しにしたオダマキが飛び出し、鋼の拳を腹へ食い込ませた。
笑みを崩すことなく痛みを堪える秋子をよそに、オダマキは仕返しと言わんばかりに秋子を殴り、蹴り、踏みつける。
反撃の余地も与えず一方的に痛めつけると、最後は大沼へと蹴り飛ばした。
アゴから蹴り飛ばされた秋子は、血のアーチを描きながら盛大に水柱を立てて沈んだ。
「……まったく、冷や汗かかせないでよね、龍吾」
荒い息遣いの輝夜は、呆然としている龍吾へ振り向いてようやく微笑みを向けた。
「……悪い。いてもたってもいられなくなって」
「もう! 輝夜様の仰る通りですよ。本当に危なっかしいのですから!」
右腕を抑えながら雛月は、愛嬌のあるムスッとした顔で龍吾へと近づく。手を切られたというのに血は全く出ておらず、細かい群青色の光が傷口に群がっている。
すると一秒もかからずに腕が元へ戻り、斬られた腕は光となって霧散した。
「雛月は平気なのか?」
「ええ。腕を斬られた程度では致命傷にも入りません。……ただ、人間相手に私と、私の精靈たちが敗れたというのは、猛省しなくてはなりません」
「いや……あれはあの二人がおかしいだけだ。さあ、もう行こう。雛月、頼んでばかりで悪いが、この山火事を消してくれるか?」
「少々お待ちを。……はい、大丈夫です。シラユリ、この山火事を消しなさい」
雛月がシラユリを出し燃え盛る赤城山一帯に雨を降らせる。
直後、湖から一つの影が重々しい足音を立てながら駆け寄って輝夜を斬りつけた。
アザと血に塗れ、鼻から赤い糸を絶え間なく流して笑っている秋子だった。
「おきてーおきてーおきてーおきてー」
意味不明のうわ言を言いながら狂ったように斬りつけてくる秋子に、一同は完全に恐怖の渦へ叩き落とされた。
怖気とは無縁のオダマキが、明確な殺意を込めて腹部に蹴りを食らわせる。
だが秋子は、追撃のハンマーが来るよりも前にオダマキの首を掴むと、腕力だけで捻り折った。
「かはっ」という、か細い声を上げて雛月の首もあらぬ方へと曲がる。
しかしこの程度では天月人は死なない。
死なないが故に、秋子の狂喜はますます加熱する。
「おきてーおきてーおきてー」
「やかましい! 気味悪いことをブツブツと!」
輝夜が秋子へ触手の群れを放ち、体勢を立て直したスミレと、首を無理やり元に戻したオダマキが怒りに震えながら向かう。
ズタズタになる和服。飛び散る血潮と肉片。欠けていく身体。
数でも多数に無勢。それなのに秋子は笑いながら渡り合っている。
ほんのわずかな動きと、刀と銃を駆使して、彼女は三人と共に舞い踊る。
殺意に満ちた死の白光が不規則に動いて輝夜たちへ向かう。もはや彼女の眼中に龍吾なぞ入っていない。今の彼女にザコへ割く時間は毛ほども無いからだ。
輝夜の脚が地を踏みしめ、空を突く蹴りを打つ。
紙一重で避けた秋子に、輝夜は剛拳を胴目掛けて放つ。
刀で受け止めた秋子は、刀を地面に刺していながら数メートル後退し、地面に黒い筋を残していく。
息つく間もなく背後からオダマキがハンマーを振り回す。
直撃した秋子は雨中にありながら燃え盛る木に激突した。が、悶えることもしなければ、動きが鈍くなることもなく、秋子は満面の笑みで向かって来る。
向かわせまいと阻むスミレが、新しい双剣で目にも止まらぬ斬撃を繰り出す。
それを秋子は、目視で弾き返していく。
所々で捌き切れなかった斬撃が秋子の身体を刻むが、秋子は意に介さない。
電光石火の戦いを前に龍吾の目が釘付けになっていると、奥の方で火花とは異なる光が二つ煌めいた。
その光はどんどん大きくなっていき、やがて唸り声にも似たエンジンの音を立てて猛スピードで突っ込んで来た。
猪突猛進に一同の間を横切った車は火だるまの家屋に突っ込んでいき、運転手は雨天の空にいた。
「キョオオォォォオオッ!」
雄叫びを上げて雛月に斬りかかるは、全身余すところなくボロボロの春子だった。
輝夜の一撃を受けてなお、春子は挑んで来た。
輝夜も雛月も状態は芳しくない。このまま続ければ全滅の可能性が濃厚である。
(こ、コイツら……ヤバすぎる! だけどまた俺が出れば、今度こそ次はない。でもどうすれば?)
焦燥に駆られる龍吾。すると後方から轟音が上がる。
新手と思い込んだ龍吾が振り向くと、先ほど春子が乗っていた車が突っ込んだ家屋が断末魔の叫びを上げながら目の前で崩壊した。
火の粉を舞い上がらせながら雨風も気にせず燃え上がる炎の先に、エンジンが付けっぱなしの車がガードレールを曲げて侘しく残っていた。
途端━━龍吾の脳を電流が駆け抜ける。
次いで輝夜たちを見た。
春子も秋子も輝夜と雛月たちに夢中で、龍吾のことなぞこれっぽっちも気にかけていない。
龍吾は一同から目をそらさずゆっくりと後退し、炎と重なるようにして姿を隠すと一目散に車へと走った。
そんな龍吾のことなぞ誰も意中にない一同は、負傷しているにも関わらず秋子と春子が優勢だった。
昂りはピークにかかり、感情の赴くままに振るう凶刃は苛烈さを増していく。
片や輝夜は依然として魔力切れの状態。雛月は折られた首を治していることもあって動きは鈍く、スミレたちが間一髪で相手の猛攻を凌いでいた。
そこへ秋子が割り込むように、指の先まで伸ばして掴みかかろうとする。
体は精靈たちによって徹底的に痛めつけられているが、秋子は全く気にしない。
悪意と殺意で歓喜する悪鬼が伸ばす手に、雛月はか細い声を上げた。
明確な死を悟った雛月は、抗う術も忘れて迫り来る秋子をただ見ているだけ。
すると秋子の側面が急に明度が上がり、目と鼻の先まで来ていた秋子は横から吶喊して来た車に跳ね飛ばされた。
いち早く状況を理解した春子が無言で龍吾の元へと向かおうとするが、それを輝夜が止める。
肩を掴んだ輝夜は、秋子の神速の抜刀よろしく拳を数発叩き込む。
天を仰ぐようにのけ反った春子へ渾身の回し蹴りを叩き込むと、轟々と燃え盛る建物へと突っ込んだ。
「今だ! 乗れ!」
ドアの開け方が分からない輝夜はドアを腕力で外すと、雛月を押し込ませて車に乗り込んだ。
アクセルを踏み込み急発進する車を、轢かれた秋子が立ち上がってボンネットに飛び乗った。
「おきてーおきてーおきてー!」
刀を突き刺して固定し、龍吾目掛けて銃を撃つが、スミレがそれを許さない。
目の前で全てを弾くと、秋子を掴んで真横へ殴り落とした。
転がり落ちた秋子はすぐさま立ち上がって追いかけようとするが、人間の足では追いつくことなど不可能。
最後の攻撃手段である拳銃も二発だけしか撃てず、一発こそリアバンパーに当たったが、もう一発は夜の闇に吸い込まれて消えた。
完全に見失った秋子は大きく息を吐くと、狂気に見開いていた目が閉じていき、その場に崩れ落ちた。
後方から和服の大半が焼け焦げてボロボロとなった春子が歩いていきて、雨に濡れる秋子の隣に並ぶ。
「……春子。連中に塩を送ってしまったわね」
「ええ。最後の最後でやらかしてしまった。こればかりは言い訳のしようがないわ」
「まったく……。……でも……私が逆の立場だったなら……きっと私も、同じことをしていたでしょうけど」
「そうでしょうねえ。あんな相手、一生に一度と会えることはないのだから。合間見えなければ、それこそ無礼でしょうに」
「……また会えるかしら」
「会えるわよ。近いうちにね。少なくともこの日本にいる限りは、絶対に私たちからは逃げられないわよ」
祭りは終わり、興奮から覚めた体に刻まれた負傷の数々が一斉に騒ぎ出す。
それでも二人は、豪雨の降りしきる路上で声を上げて笑っていた。




