忠勇義烈
真っ暗闇の中で、龍吾とスミレの二人だけがポツンと佇んでいる。
切迫した面持ちでスミレを見据えながら、龍吾は伝えるべきことを口にする。
「スミレ、時間がないから頼みだけ伝える。今すぐに、輝夜と雛月たちの元に戻って、二人を連れてきてくれ」
龍吾の頼みにスミレは愕然とする。喋ることが出来ないのに、何を言いたいのかが分かるほどに動揺しながら。
「俺はこの後、あのクソッタレ共に酷い目を食わされるだろう。俺一人ならまだいいが、スミレが一緒だとスミレも一緒に傷つくこととなる。俺はそんなこと絶対にさせたくない。
それに向こうはスミレのことも多分把握している。もう不意打ちを狙うのは無理だろうよ。だからこそ、輝夜と雛月と一緒に来た方が逃げられる確率が格段に上がると思って、スミレに頼むんだ」
しかしスミレは頷かない。その理由は言わずもがな龍吾のことだ。
スミレがいないなら、龍吾は何の力もないただの人間となる。撃たれたり、刺されたり、折られたりすれば呆気なく死んでしまう。龍吾たちを狙う組織の連中は、仕留める方法に躊躇をすることはない。スミレにとってそれが最大の気がかりであるが故に、素直に従えないのだ。
スミレは「貴方はどうするの?」というように、そっと手を龍吾に差し出す。
「……俺のことか? ……気合でなんとかするさ。あまりに非現実的なことだが、実際それ以外で手段がないんだから仕方ないよな」
当然のことだがスミレは納得しない。何か対抗策や画期的な手段があるというならまだしも、根性論という思考を捨てたような答えが出れば誰だって納得はすまい。
しかし決断の時は迫ってくる。
真っ暗闇の世界が早朝のように明るくなっていく。
龍吾はスミレに頭を下げながら頼み込む。
「スミレ、俺はお前を信じている。だからスミレも、俺を信じてくれ」
世界と二人が白く塗りつぶされる直前に、スミレは龍吾の手を強く握る。
淡い瑠璃色の光がスミレの手元に移るが、龍吾はそれよりもスミレのひどく心配している表情を見て、少しだけ感動に浸っていた。
出会った当初の無表情さとは見る影もなく心を開いてくれたスミレに、龍吾はほんの少しだけはにかんだ。
※
まどろむ意識が覚醒した龍吾は、無機質を表したような白一色の天井をまず目にした。
心電図とポンプの音が一定のリズムを刻み、薬品の匂いが鼻をくすぐる中で、龍吾は顔だけを動かして周りを見る。
龍吾一人だけしかいない部屋は、彼が寝ている検査台とキャスター付きのスクリーン以外何もないがらんどうの部屋。小道具も窓も何一つない。
起き上がろうとするが両手足と胴周り、そして首に繋がれた強化プラスチック製のリングによって、体はびくともしない。
「お、起きたようね」
唐突にスクリーンが点くと、そこにはSF風な背景を背にしたアニメチックな3Dキャラクターが一人、コミカルな動きで龍吾に話しかけてくる。
「どこか痛む? それか苦しい? 安心しなさい、事故の傷では死ぬことはないわよ。あ、ちなみに私はこんなだけど、安心して。医療大学は卒業して知識はあるし、医師免許も持ってるわ。で、この姿なのは、訳あって姿は見せられないからなの。そこは許して頂戴ね」
滑らかに動く3Dキャラを使って一方的に話す女性は、龍吾のいる病室とは全く異なる場所にいた。
縁の薄いメガネに、カラーウィッグのように青いポニーテールが特徴的な彼女は、四季皇護隊は冬の角主の一人。
名を『竜咲 霧奈』。
彼女は名乗らないが、龍吾はその特異な登場の仕方や、病室の雰囲気からすぐに通信相手が秋子の仲間だと察する。
「ここは一体どこだ。俺をどうしてこんな風に繋ぐ?」
「見ての通り、ここは病室よ。ちょっと特殊なところではあるけど。アンタを拘束しているのは、綺麗に言うならヘタに動くと傷が開くから、強制的に動けないようにさせてんの」
「綺麗に? どういう意味だ。汚く言うとどうなるんだ」
「これからイヤでも動いてしまうようなことを、質問の答えによってはしなくちゃならないのです、っつったら満足かしら?」
飄々としながら冗談めかして言う霧奈の答えを理解した瞬間、龍吾の身の毛がよだつ。
龍吾の予想通り、彼女がこれから行おうとしているのは拷問だ。
二十一世紀にもなって、日本にいながら、まさか自分が拷問をされるなんて夢にも思わないだろう。
しかし霧奈は砕けた態度のまま通話する。
「ハイ単刀直入に言いまーす。アンタが隠している二人の異世界人と、アンタの中にいる異世界人と思しき何か。それを私に寄越しやがれってーの」
拷問をされることに加え、スミレのことも霧奈に見破られた。当たって欲しくない予想が次々と当たり、動けない龍吾の焦る心中に拍車がかかる。
もはや答えとして意味をなさないことと分かっていながらも、龍吾は「なんのことだ」とはぐらかして抵抗する。
「ちょっとちょっと、ここまで来て流石にそんなテンプレワンパターンな答えはないんじゃない? もっとこう……あるでしょう。捻りやジョークを織り交ぜた答え方がさあ?」
「知らねえものは知らねえから言っているんだ。それに、どこの誰かも分からん初対面の奴に答え方も何もあるかってんだ」
「強情ねえ。でもね、そんな見え透いたウソ言ったって無駄だってことくらい、アンタも分かってるでしょう?」
「だから知らねえって言ってるだろう。そもそも、仮に俺がその異世界人を知ってたとして、こんな扱いはねえだろう。お前は大学で知識を得ても、人への扱いは学ばなかったのか?」
意味がないと分かっていても、龍吾に出来る最大限の抵抗を惜しみなく行った。だが、霧奈は親しげな雰囲気を一転させ、挑発的で好戦的な口調に切り替わり、龍吾の儚い抵抗を鼻であざ笑う。
「自惚れんなガキ。大統領にでもなったつもりか? 今のアンタは殺人犯と同じ程度よ。生かすか死なすかはアンタが決めるんじゃない。私が決めることなの」
霧奈が言い終わると、龍吾の上半身がゆっくりと起き上がる。
すると天井のダクトのようなところから、これ見よがしに一人の男性が落ちてきた。
呻く男性の腕には、透明の液体が容器に入った、極太のギプスのようなものが取り付けてある。
「もう一度聞くわ。アンタが隠している異世界人と、アンタの中にいる異世界人を私に出しな。断るっつーなら、こういう目にあっちゃうわよ?」
霧奈の声を聞いた男性は、真っ青な顔で腕に付けられたギプスを外そうとする。しかし無情にもガラス容器の中に入った液体は、男の抵抗虚しく自動で腕に注入されていく。
けたたましい声で助けを求める男だったが、突然ピタリと声を出すのを止め、文字通り男の体がジワジワと青くなっていった。
何回かえずくと、男の口から一目で致死量と分かる血が吐き出される。
凄惨極まる光景であるのに、スクリーン内では音楽に合わせて霧奈が歌っていた。
プロの歌手顔負けの美声に、流暢な英語でスラスラと歌う霧奈は、一人の男性が死にかけているのにも関わらず、お構いなしに楽しんでいる。
一番の歌詞が終わると同時に力なく倒れた男は、体内で何かが暴れているかのように異常な痙攣を起こしており、穴という穴からおびただしい出血を起こしながら龍吾の目の前で息絶えた。
「━━えーと? ナンバー2085523-639-2D 30ミリ投与記録完了っと。……とまあ、こんな感じになっちゃうけど、どう? 答える気になった?」
「……お前、あの男性に何をしたんだ」
「質問に答えず自分の質問を投げるんじゃねえ。私は今、答える気になった? と聞いたのよ。まずはアンタがイエスかノーなのかを答えろ」
画面の中から怒鳴る霧奈に圧倒された龍吾だが、それでも「ノーだよ」となおも反抗する。
すると霧奈の3Dキャラクターが意外のあまり驚きの表情を浮かべ、次いでニンマリと笑顔を浮かべた。
3Dキャラクター越しにでも分かる邪悪な笑みは、同じ人間なのかと疑問符が浮かんでしまうほどにドス黒く、底知れない。
「大したタマじゃない。だけどさあ、アンタ。ひょっとして、自分は絶対に助かるんだって勘違いしてるんじゃない? 「俺を殺せば異世界人には会えなくなるぞ」って言えば、私たちはアンタを殺すことを躊躇するとでも?
驕るな。お前はこの日本では、掃いて捨てるくらいにどこにでもいる日本人でしかない。お前一人死のうが、私たちはもとより、日本全体から見ても些事にすぎないのよ」
「だからこんな人体実験を行うってか。こんなことが世間に知られたら、お前らの組織なんか解散で済むはずがねえ。お前ら自分で自分の首を絞めることをして楽しいのかよ」
すると霧奈は「楽しいわ」と、さもありなんというふうに答えた。圧迫されそうな静寂が部屋に響く。
「私はそれが許されて、この事実は誰にも知られることはないのだから。
言っとくけど、こんなことはアンタたちが知らないだけで、実際は全世界で行われてるのよ? あと、私たちのやり方なんかとっても社会に貢献しているんだから。
何せ、死んだって誰も困らないような囚人しか使わないのよ? 社会復帰なんか到底見込めないようなゴミが、最後の最後で社会の役に立って死ねるのだから、本人だって本望でしょうよ」
「……それじゃあ、今死んだこの人は……」
「伊藤 昇。四十一歳。未成年の少女に強姦殺人を三度行なった罪にて懲役五年の刑に服してた。今日はその出所日。
そんで今ソイツに打ったのは、研究段階の難病に効くワクチンの一種。ちょっと量が……いや、成分が濃すぎてオシャカになっちゃったけど」
「出所日? どう見ても死刑じゃねえか。こんなあからさまにバカなことやったらすぐにバレる……」
龍吾の体が、吹雪を直に浴びているかのように冷たくなる。
霧奈の言う通り、バレることは絶対にないと理解してしまったからだ。何故なら彼女らはマスコミ界隈を完全に手中に収めている。今朝のニュースに龍吾が織り込まれていたのがその証左だ。
スマートフォンやパソコンの普及によって、表立ったニュースは瞬く間に一般人に知れ渡るようになった。しかし報じなければ、誰も真実を知る由はないし、知ろうともしない。
彼女がこうもあっけらかんに話すのも、龍吾が何をどうしようが絶対にバレないと分かっているからだ。
一体これまでにどれだけの人間を同じように葬ってきたのか。自分たちの手元に入ってくる、秒単位で更新される情報は一体どれだけ彼女たちによって操作されてきたのか。
底知れぬ闇の深さと、知らぬところで彼女たちに支配されていたという計り知れない権力の大きさに龍吾は震えだす。その瞬間を見逃すほど霧奈の目は甘くない。
「怖くなった? そうよねえ、怖いわよねえ。でもアンタが私たちに異世界人を差し出さないと、私たちもやむを得ないのよねえ。それなら━━もう異世界人を渡しなさいよ。それがアンタのためでもあるし、日本という国にも貢献したことになるのよ?」
霧奈の甘い言葉が慄く龍吾の心をほぐし、揺らがせようと伸びる。
だがその言葉が、龍吾の意地と誇りを、逆に燃え上がらせた。
「……何を言っているんだか。そもそも俺は、最初から知らないって言ってるんだが」
「またそれ? もういいわよ、そんな見え透いたウソは」
「……もし仮に……俺がその異世界人と共にいたとしても、お前らになんか死んでも渡さねえよ」
途端、霧奈は興が冷めたように簡素な返事をすると、龍吾の腕に針の刺すような鋭い痛みが彼の体を駆け巡った。
「その意思がどこまで保つかしらね」
ファンが高速で回転する音、モーターの音が龍吾の寝る検査台から響く。
管を通る液体は針を経由して、龍吾の腕から体内に注ぎ込まれていく。
恐怖で呼吸が荒くなっていく龍吾の脳裏には、輝夜と雛月、龍吾の三人が卓を囲んで談笑していた数時間前の夕食の時だった。
二人の顔が見たいと思った次の瞬間、体の奥から強い吐き気が込み上げる。
体内に侵入した異常と、その異常を排除するために免疫細胞の戦争が勃発したのだ。
身体中から汗が出て、あっという間に体が高熱に包まれると、まるで車が腹部を潰しているかのような鈍痛が体を駆け巡る。軋むような鋭利な痛みも加わって、龍吾は喉が壊れんばかりの叫びを上げる。
万力で締められているかのような頭痛。火達磨になっているかのような絶え間ない激痛の嵐。そして追い討ちを常にかけ続ける吐き気の猛攻に龍吾の我慢はとうとう限界を迎え、龍吾は口から吐瀉物と血が混じった濁流を盛大に吐き出した。
「辛いわよねえ、分かる分かる。ねえ、まだ聞こえるわよね? その症状、早く治って欲しいでしょう。それなら台を手で叩きなさい。レスラーがギブアップを示すようにね。
異世界人を私たちに出すってことにして、アンタのその症状を治してあげるわよ」
霧奈から最後の進言が龍吾に投げられる。
白目を剥き、意識がほぼ無くなりかけて、陸に上げられた魚のように痙攣している龍吾は、台を叩くことなく霧奈に向かって中指を立てた。
「……あっそ。じゃあ━━死ねよ」
龍吾の体細胞が、外から訪れた侵略者にことごとく蹂躙されていく。
抗体を作る余裕もなく、抗う細胞も次々と鏖殺され、体の一部は体外の異常に征服させられたことを示すかのように黒ずんでいく。
思考は掻き消え、焦点の合わない目が一瞬だけ視界の隅で声のない慟哭を上げるスミレを見たのを最後に、龍吾の意識は途絶えた。




