花火
龍吾はドラッグストアで一か八かの賭けに出た。とはいっても店員を脅迫するわけでも、万引きをするわけでもない。龍吾がニュースで取り上げられた人物だと知られないように、龍吾なりに考えたある方法を行うだけのことだ。その方法も、専門的な知識や、特殊な技法も何も使わない。
買い物の間、ただスマートフォンの画面をずっと見ていて、極力顔を見せないようにするだけのことだ。
一見するとすぐにバレそうな方法だが、龍吾の目論見通りすんなりと事は済んでしまった。
現代の地球で生きる人々は、スマートフォンの操作に夢中になって、他のことは片手間で行う人は非常に多い。
店員からすれば商品を持ってきた顔を見せない相手なぞ「スマホ中毒な今時の学生」程度に見るくらいで、淡々と業務をこなして終わるだろう。そう龍吾は見越し、この聞いているだけでは間抜けに思える方法を実行し、見事成功したのであった。
呆気なくマスクを手に入れた龍吾はすぐさまマスクをつけ、そのまま用賀に続く道のりを地図アプリで調べると、ルートに従って道玄坂を上って行った。
そのまま用賀まで歩いて帰るとなると、おおよそ七キロ半もかかる。
(徒歩で用賀まで戻るには時間がかかるし、マスク姿の俺も近いうちに奴らの手で割れるだろう。アイツらは今度こそ大勢で俺を封じてくるだろうから、池尻大橋駅まで歩いて、そこから電車に乗ろう)
池尻大橋までの道のりではマスクだけの変装は意外にも効果は高く、通報を聞きつけたパトカーや道ゆく人たちの目をことごとく欺いていく。多くの人々の頭には、マスクをつけていない龍吾の顔は思い浮かべられても、マスクやサングラスを付けた姿までは想像しないようだ。
マスク様々だと思いながら、龍吾はなだらかな傾斜の道玄坂を上り終える。その先には、かつて黒月と決死のカーチェイスを行った首都高に合流し、道なりに沿って一直線に歩いて行く。
神泉町を越え、青葉台タワーを横目に通り過ぎ、目黒川緑道の入り口まで来ると、ほぼ目と鼻の先に池尻大橋駅があった。
ほんのわずかな距離、わずかな時間でも、龍吾にはすれ違う会社員の人たちがいつ襲いかかってくるかと常に身構えている緊張の連続だった。電車に乗り込んだ後は、龍吾の考えた今時の若者風作戦に移ろうと考えていたとき、不意に道角の建物から一人のサラリーマンが出てきた。
特に気に留めることもなく、駅まで急ごうとした龍吾だがったが、通り過ぎようとした直前に男から「変装のつもりか」と冷たい一言が投げられる。
龍吾の足が止まる。そして瞬時に察する。コイツは秋子の組織に属する人間だと。
「普通の人ならごまかせるかもしれんが、俺たちはごまかせん。大人しく縄に着くことだな」
服の上からでも分かる屈強な体の持ち主である『一輝』は、降参を促すような優しい声色だ。
だが、素直に降参するほど龍吾はまだ諦めていない。
龍吾はすぐに踵を返すと、緑道の道に沿って全速力で走り出した。
「こちらサクラ12。ターゲットは目黒川緑道に逃走。目黒川緑道に逃走。出荷せよ。出荷せよ。挟み撃ちをかける。淡島、三軒茶屋銀座の二方面より増援も希望。淡島、三軒茶屋銀座の二方面より増援も希望。終わり」
耳に付けたイヤホン型の無線に通信すると、一輝の足が舗装された大地を蹴った。
距離にすれば軽く一キロほど離していたはずなのに、一輝と龍吾の距離はみるみるうちに縮まっていく。
脇目も振らず走る龍吾の前に、工場から出て来た作業員が三人駆け寄ってくる。
どうするべきかはもう決まっている。躊躇えば一巻の終わりだ。
龍吾は意を決してスミレに命じる。
「すまない、スミレ。頼む!」
言うが早いか瞬時に実体化したスミレは、手に持った双剣で目の前に迫りくる作業員姿の隊員の靭帯を流れるように切った。
思わぬ不意打ちに隊員は立つことすらままならなくなり、這いつくばっている隊員を尻目に龍吾はそのまま逃げて行った。
一連の様子を見ていた一輝は、合流するはずだった増援に救護の要請を送ると、ペースを落とすことなく龍吾を追いかける。
閑静な住宅街の中を必死に走る龍吾は、直感を頼りに元来た道を戻っていた。細かく曲がりくねる道には人気がほとんどなく、たまに出くわす普通の人でさえ追っ手かと錯覚してしまう。
道なりに走っていると、視界が開けて首都高が見えた。
ゴールが近い。遠回りする羽目となったが、このまま電車に乗れば終わりだと思った矢先、突如池尻クラブの駐車場から猛スピードで一台の車が飛び出て、龍吾目掛けて突っ込んできた。
避ける間も無く、車に直撃した龍吾の体が宙に舞う。
だが、当の龍吾には傷はもとより痛みすらない。
一心同体となっているスミレが車と当たる直前に龍吾の体に一体化し、致命傷にならないように龍吾の体を上手く操ったからだ。
神業ともいえる力の受け流し方と着地。一瞬の中で起きた一連の出来事に、操られている龍吾は我が身のことながら目を丸くして驚いている。
だがそんな龍吾を無視して、駐車場からは続々と車が出てきて進路と退路を塞いで行く。
後方から車のボンネットを滑るようにして乗り越えてきた一輝が、あれだけ全速力で走ってきたというのに息切れ一つ起こさずに涼しい顔をして龍吾に降伏を促す。
「いい運動神経だな。だが追いかけっこは終わりだ。大人しく俺たちに着いて来てもらうぞ」
「……お前ら、敵を見誤っているよ。俺らはむしろ被害者だってのに、何の考えもなしに俺らを狙いやがる。本当の敵は俺らじゃなくて、別の奴らだってのに」
「分かっていねえな。今のお前はな、爆弾なんだよ。危険物は早々に無力化するか、人気のないところで爆発させて処分する他にないんだよ」
一輝を筆頭に十名ほどの隊員が龍吾を囲む。
逃げ場はないに等しくても、龍吾の中からは未だ希望の灯は消えていない。
(俺は本当に頼ってばかりだ。自分一人じゃ何も出来ない。だけど今は、恥を承知で頼みたい。
スミレ、俺に力を貸してくれ。ここから逃げて、輝夜たちの元へ帰るんだ)
龍吾とスミレの意思が一つとなると、龍吾は首都高の伸びる大通りの方へと駆け出した。
「バカが、逃げられると思ってるのか」
一輝が耳に付けた無線のボタンをモールスのように決められた間隔で押すと、隊員たちは揃って懐からテーザーガンを取り出し、龍吾へ狙いを定めた。
射線は龍吾には当たるが、隊員たちには当たらないように緻密な計算されており、それを熟知している隊員は恐れることなく引き金を引いた。
内蔵された電極が、獲物に飛びかかる獣のように龍吾へと跳ねる。
単調な音を鳴らしながら電流の牙が剥かれ、一寸の狂いも瞬間の迷いさえなく、龍吾を全方位から狙う。
腕を伸ばせば当たるほどの距離まで電極が迫ったそのとき、その瞬間を待っていたと言わんばかりに龍吾の中で潜んでいたスミレが姿を現すことなく直近の電極をワイヤーごと切り捨てた。
側面や背後からの電極も難なく切り捨て、龍吾は何食わぬ顔で駆ける。
表情が表に出ないように訓練された隊員たちですら、目の前で起きたことには目を見開き動揺を隠すことは出来なかった。
それはあたかも龍吾の周りにバリアが張られているかのように、飛んで行った電極が弾かれたのだから無理もない話だ。
しかし呆気に取られるのもほんの僅かな時間。隊員たちは即座に肉弾戦に切り替えて龍吾を組み伏せようと構える。
が、ここでも隊員は不覚をとった。
龍吾の真正面で構えていた隊員は、龍吾から勢いよく飛び出したスミレの蹴りでアゴを弾き飛ばされた。
スミレは蹴った勢いを利用して、そのまま流れるように手にした双剣を周りにいる隊員の膝へ投げつける。
精密に投げられた剣は正確に隊員の膝を貫いた。
投げつけられた隊員は鈍い叫びを上げて倒れ込み、塞いでいた進路が完全にガラ空きとなる。
龍吾はそのままハリウッド映画さながらに車のボンネットを滑るようにして乗り越え、包囲網を突破した。
「俺が行く。負傷者をまとめて元に戻せ」
一輝は最低限のことを伝えると、龍吾の後を追いかける。
しかし住宅街とは異なり人気の多い大通りでは、全速力で追いかけることは目立つ為に出来ない。
そこで一輝は、駅で待ち伏せている隊員の方から逆に向かわせて龍吾を捕らえようとした。
「サクラ12より、ターゲットが駅に向かっている。場所、西口。場所、西口。駅内待機の隊員はターゲットを出迎えろ。駅内待機の隊員はターゲット出迎えろ。終わり」
通信を聞いた隊員たちが続々と西口の階段を上っていく。
後方の一輝、前方の伏兵。挟み撃ちにされたことに気づいた龍吾は、周りを見渡すと一台のタクシーが乗客を下ろし、歩道から離れて走り去ろうとしているところに目をつけた。
弾かれるようにタクシーに駆け寄り、激しくドアを叩くと怪訝な顔をしたドライバーが渋々ドアを開けてくれた。
「すみません、急ぎで用賀までお願いします」
「用賀ですか? 用賀でしたら電車の方が安く済みますよ」
一輝と隊員たちが迫りくる。
何も知らない運転手に苛立ちを抑えつつ、龍吾は「急いでいるんです」と言って、無理やりタクシーを走らせた。
一輝たちのことを残して、タクシーは走り去っていく。だが一輝はこれといって悔しがることもせず、イヤホン型の通信機に手を伸ばす。
「こちらサクラ12、セメントに繋げ。セメントに繋げ。送れ」
『こちらセメント。どうぞ』
「ターゲットはタクシーに乗って逃走。ナンバー、世田谷、◎□◎。☆の▼◆、@@。***タクシー。現在渋谷方面に向かっているが、用賀に向かう可能性が高い。タクシー会社経由でターゲットの乗ったタクシーを止めさせろ。送れ」
『━━了解。今***タクシー本部に連絡を入れた。手錠も向かわせるか。送れ』
「こちらサクラ12。手錠より花火を希望。花火を希望。送れ」
『……こちらセメント。理由を希望する。送れ』
「こちらサクラ12。ターゲットは人間だが、もう一人異世界人と思しき誰かがターゲットと共にいる。すでに五名が負傷しているため、手錠では切り抜けられる可能性が極めて高い。本部連絡を受信後、なおも進行する場合、花火による強制停止が妥当と判断。送れ」
『こちらセメント。了解。予測に合わせ、三軒茶屋の都道三号線と合流する地点にて花火を打つ。終わり』
※
タクシーに乗り込んだ龍吾は、一輝の率いる追っ手が来ないことを確認すると深く安堵の息を吐いた。
頭と呼吸の二つの息を整えさせながら、輝夜と合流した後のことを考え始める。
あれほどまでに強引な手段で龍吾を追い詰めてくる以上、今いる家にはいられない。極論ではあるが、彼らなら家ごと爆破してでも自分たちを始末するだろうというのが、比喩抜きで考えられるからだ。
しかし逃げるにしてもどこへ? 逃げたとしてどうやって生きていくのか?
すでに全世界に龍吾の名と顔は知れ渡っている。マスクやサングラスをして買い物をするのにも限界はあるし、いつどこで一輝たちと会うかも分からない。
ホームレスのような生活をするにしても、一般人に紛れて迫りくる組織の隊員に常に気を配り続けていくのを維持するのは至難の業だ。
目の前にとうとう現れた現実と、手の施しようがない自分の現状に早くも打ちひしがられそうになりそうな龍吾だったが、その直後に否が応でも気を引き締めなければならないこととなる。
タクシーの無線から、一輝が要請した連絡がたどり着いてしまったのだ。
『大きな忘れ物です。大きな忘れ物です。持ち主は半袖の白いシャツ。紺色の長ズボン。年齢は十八から十七ほどです』
通信を聞いた運転手の血相が変わり、すぐに手元の緊急事態スイッチを押そうとした。
しかし出来なかった。
スイッチを押す前に、龍吾がスミレの剣を運転手の首元に当てて動きを止めたからだ。
龍吾はタクシー業界の隠語や専門用語を知らない。しかし無線から龍吾の服装と一致する情報が車内に響けば、用語を知らずとも自分のことではと察するには十分すぎる理由だ。
「そのまま用賀……いえ……なんだったら駒沢大学駅まででもいいので、向かってください」
覚悟は決めたはずだった。しかし首元に剣を当てている龍吾の心中は、後悔の雷鳴が轟き、罪悪感の雨が吹き荒んでどんどん冷たくなっていく。
その度に龍吾は萎れた心に無理やり発破をかけて奮い立たせ、いつでも首を掻っ切れるように力を絶えず掴んだ腕に込めていた。
運転手は龍吾を刺激することを恐れ、黙ってハンドルを握って運転を再開した。
その後は渋滞にかかることも、信号待ちをすることもなくタクシーはスムーズに三軒茶屋まで進んだ。
都道三号線と合流する道路まで難なく進み、ほんの少しだけ龍吾に安堵が湧き上がろうとしたときだった。
運転手が唐突に「あっ!?」と叫んだ。
龍吾が窓の外を見ると、都号の方から一目で速度超過と分かる黒塗りの車が、ほぼ目の前まで迫ってきていた。
ぶつかる。
そう思った矢先に、スミレが龍吾を背後から抱きしめて後部座席へと引き寄せた。
瞬間、体が粉々に崩れてしまいそうな衝撃と爆音が起こり、目の前の世界が縦横無尽に入り乱れる。
「危ない、戻れ!」
けたたましい金属の絶叫が響き、もみくちゃの車内でスミレの身を案じた龍吾が叫ぶ。
だが直後に強く叩きつけられるような衝撃が起こり、龍吾の意識は闇の底へと落とされた。
早朝の街中で起きた大惨事。
猛スピードでタクシーに衝突した車は激突するだけでは止まらず、ビルにタクシーを押し込むようにしてようやく止まった。
通勤通学に足を運ばせていた人たちは、唐突に訪れた惨状に足を止め、雑然としている。
一般人に混ざって事故現場を見る皇護隊隊員が、手にした携帯で密かに交信する。
「こちらサクラ45。花火は上がりました。花火は上がりました。送れ」
『こちらサクラ12。了解。カメラと包帯、手錠を向わせる。各自は引き続き任務にあたれ。終わり』




