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意図された宿痾

 沸騰したヤカンを想像してほしい。

 諸兄たちはそのヤカンに、喜々として触ろうとは思わないだろう。何故ならそのヤカンを触れば、単純に熱いし、痛いし、ヤケドを負うということが過去の経験に基づいて、あるいは紐付けられて分かるからだ。

 だが、黒月(かのじょ)は知らない。

 痛みを知らない。苦痛を知らない。恐怖を知らない。故に、命の危機というものを知らない。

 普通の人間ならば持っていて当然のものを、彼女は生まれながらにして患った無痛症によって知らずに生きてきた。

 月の医療技術なら、無痛症を治すことはできる。が、彼女はしなかった。

 治せるはずの病を治さないという選択を、なぜ選んだのか。庇護されるべき道を選ばず、殺し殺されの血生ぐさい世界で生きることを、なぜ選んだのか。今となっては、もはや誰にも分からない。

 教育か、環境か、それとも全てか。いずれにせよ、もし彼女の境遇に雷花や月島のような人物が一人でもいたならば、きっと彼女の運命は今とは真逆のものだったに違いない。

 だが、運命とは得てして残酷なものばかりであり、彼女も例外ではなかった。

 

 ※

 

 (無痛症だと。だが、それなら今までの尋常じゃない我慢強さの理由が結びつく。しかし……なんてことだ。黒月(コイツ)はその症状を、よりにもよってこんな最悪の手段に活かすなんて)

 

 やるせなさと、苦虫を噛み潰したような顔を混ぜた複雑な表情の雷花は、目の前にいる黒月を、一転して哀れみに近いものとして見ていた。

 反面、黒月はそんな気遣いがあっても意に介さず、ポッカリと空いた眼孔ともう片方の目で、依然雷花と龍吾を見据えていた。

 殺意は未だ消えず、ただ機械のように黙々と仕事を続ける。彼女を動かす理由はそれ以外にない。

 軽く一歩を踏み出して出された正拳突きは、龍吾の頭部を狙って風を切りながら放たれた。

 雷花が龍吾を引っ張って身代わりとなるが、その威力は大理石でできた廊下の壁を破壊しても止まらず、フロアの真ん中まで吹っ飛んでようやく止まった。

 龍吾が見せた先ほどの威勢も、目の前でありありと力の差を見せつけられては、心もとないほどにすぼんでしまう。

 狙いを外した黒月は、すぐさま龍吾の方に拳を振り上げたが、ダミ声で叫びながら突撃してきた雷花に黒月が押されて、攻撃はついに龍吾には当たらなかった。

 一面大理石でできたフロアから、元いた木をメインにして作られたフロアへと押し出し、もはや建物に対する配慮も無くしながら容赦なく攻撃を始めた。

 

 「生徒を守るためならね! 教師(わたし)は喜んで鬼になれるんですよ!」

 

 ほとんど涙目になりながらの雷花は、帯電させた両腕でがむしゃらに殴りつけた。

 それはかつて、雷花がオダマキとの戦いで見せた、戦略も技法もかなぐり捨てたもの。

両腕で感情の赴くままに殴りつける、素人丸出しの攻撃方法だった。

 だが、高出力で帯電をしている両腕から繰り出される一撃一撃は、彼女が通り過ぎた後の木目の床が盛大に砕かれてへこんでおり、さながら爆撃が起きたような光景に変わっていく。

 そんな攻撃を食らってもなお、黒月は表情を崩さない。無痛症であるが故にその威力が分からない。その無知が、今の雷花たちには大きすぎる脅威でしかなかった。

 壮絶な殴り合いを遠目で観戦していた龍吾が、月島の声で我に戻って振り返ると、次には傷だらけの姿に絶句していた。

 

 「自分は大丈夫です。雷花は」

 

 「あ、あそこだ。黒月と殴り合っている」

 

 一向に引く気配のない殴り合いを見た月島は、「あれじゃあ自分も巻き添えになる」とあっさり結論を言った。

 しかし、情勢は徐々にではあるものの黒月の方に傾きつつあった。

 片や力の面では圧倒的に上で、あまつさえ痛覚のない黒月。

 片や能力に頼らなければ非力で、痛覚も普通に機能している雷花が殴り合えば、いずれ軍配がどちらに上がるかは言わずもがなである。

 対岸にいるからか変に冷静となった龍吾は、ふと、頭をよぎったひらめきを逃さず、シラユリの名を呼んで目の前に出させた。

 

 「シラユリ。雛月の元に行って、雛月を助けに行ってくれ。雷花さんと雛月の二人だったら、アイツを倒す方法が見つかるかもしれない」

 

 少しだけシラユリはためらった表情を浮かべたものの、ほんのわずかな希望の光を見出して、すぐにためらいは消えた。

 シラユリの考えは、実力で輝夜に打ち勝った黒月も、逆を言えば力勝負でなければ勝てるチャンスがあるかもしれないという算段だった。

 そもそも、輝夜を助けて戻ってくるまでの間、雷花が保つかと問えば可能性は絶望的だろう。即席の戦力といえど、雛月も━━腕力の面では雷花と同じだが━━無力ではない。

 シラユリは意を決してうなずくと、龍吾の前から霧散した。

 ことに気づいた雷花が、切羽詰まった声で「月島」と呼んだ。

 

 「輝夜さんを、助けに行って下さい!」

 

 一瞥だけして再び黒月と殴り合うも、一瞬の隙を見せたことが仇となり、黒月は雷花の腹部を蹴り飛ばして立ち上がり、脇目も振らず龍吾の元へと駆け寄った。

 そこへ、電気の体となった雷花が真横から突撃し「行かせるか!」と再び馬乗りの状態になって攻撃を続行した。

 

 「行こう、龍吾くん」

 

 うなずいた龍吾は、少し離れたところで肉がぶつかり合う音と、電気の流れる音、時々雷花のうめき声を耳にしながらエレベーターのボタンを押し、やって来たエレベーターに乗った。ところが、そこで思わぬ誤算が待ち受けていた。

 

 「……なんで二十二階までしかないんだ?」

 

 シラユリが見せたフロアの図には雛月しかいなかった。なにより、ビルの高さからして二十二階までしかないのはあり得ない話である。

 何故だと言いたそうな面持ちになりながら手をアゴに当てていると、龍吾たちが一階のエレベーターに乗る際、通路を挟んだ向かい側にもエレベーターがあることを思い出し「しまった」という風にハッとした。

 

 「階層ごとにエレベーターを分けているんだ。このエレベーターは十三階から二十二階までしか行かない。最上階に行くには別のエレベーターに乗らなきゃならないんだ」

 

 「……つまり、一階まで降りなければいけないと?」

 

 龍吾がうなずくと「なんですかその無駄な作り」と月島がぼやく。

 そうこうしている間にも、黒月が雷花を倒して向かってくるかもしれない。かといって一階にわざわざ降りた先に、敵側の兵士たちがいないとは断言できない。むしろ騒ぎを聞きつけて、アリ一匹逃すまいと包囲しているであろう。

 龍吾は必死に頭を回しながら、周りを見渡して答えを導き出そうとしていると、エレベーターホールの隅にあるフロアマップに目が止まった。

 少しの間凝視していると「これだ」と言って、マップのある部分に手を当てた。

 

 「非常エレベーター! これなら最上階に行ける!」

 

 どんな高層ビルでも必ず存在する、搬送用兼非常エレベーターは、どの階層に関係なく全ての階に通じている。

 答えを導き出した龍吾は、慌てていた状況から一転して強気に「行こう」と言って月島も後を追った。

  

 ※

 

 雷花は鬼気迫る勢いで攻撃を続けていた。

 白衣の上部分は飛び散った血痕が、まだら模様を描いており、顔に至ってはオダマキと戦った時以上にアザだらけだ。

 満身創痍の体であるにもかかわらず、蹴り飛ばされても、投げられても、倒されても、彼女は即座に黒月へと飛びかかり、彼女を行かせまいと奮闘する。

 その彼女を動かす原動力は、龍吾という生徒を守る一心。生半可な信念や根性では到底掴めないものだ。

 そんな彼女でも、情勢は悪化の一途をたどっている。

 今や意識を保つのもやっとという状態で、雷花は一向に倒れる気配のない黒月に困憊していた。

 そんな雷花は、荒い息をしてヨロヨロとしながらも、目の前の相手に一つの疑問を抱いていた。

 

 (コイツ、さっきまで使っていた瞬間移動を、めっきりしなくなった。私よりも、龍吾さんの方が優先の度合いは上なのに)

 

 黒月が、雷花を鬱陶しく感じて標的を変えたという考えや、執念に興じて戦うという考えは非現実的である。

 現に、先ほどまで雷花と龍吾がいたときは、雷花よりも龍吾の方を手にかけようとしていた。

 瞬間移動の能力を使えば、わざわざ雷花と戦う必要はない。にもかかわらず、黒月は能力を使うそぶりを見せない。

 

 (しなくなった? いや違う。しないのではなく、()()()()のでは? それならどうして、さっきまでは私たちの元に移動できた? そもそも、あの能力を発動するにあたって、なにかきっかけのようなことが━━)

 

 様々な思考が縦横無尽に入り混じる雷花の脳内で、ここに来るまでの経緯を思い返し、その中で一つの出来事が猛烈な光を放って脳内を照らした。

 それは、三人がエレベーターで上がる直前、黒月がとった妙な行動。

 両手で縦長の四角を作り、そこから片目で覗くように見た、あの奇妙なポーズだった。

 当初は意味の分からない行動だったが、能力者という前提を踏まえれば、あの行動が導き出す答えは一つだけ。

 

 (あの構えだ! あれが能力を発動するきっかけだったんだ! あれで()()狙いを定めたから移動ができた。だけどそれ以外には狙いを定めていなかったから、龍吾さんにも月島の元にも移動できない。これがコイツの能力の正体だ!)

 

 能力の正体を暴き、対峙する黒月の全体像を把握した雷花を察したのか、黒月の攻撃が激しさを増した。

 背中から伸びる槍の腕からの攻撃をいなしていたわずかな隙を見出すと、雷花の頭を掴んで頭突きをし、次いで立ち上がりながらロビーの壁へ勢いよく投げつけた。

 駄目押しの蹴りが壁をへこませ、槍の手がこれでもかと言わんばかりに、めった刺す。

 おびただしい出血と傷でまみれた雷花だが、殴り合いのときに比べると、目を覚ましたようにハッキリと黒月を見据えている。

 手のひらに溜めたビー玉ほどの雷の球体を黒月にかざすと、小さな衝撃波ができるほどの光線が黒月に直撃し、壁を隔てた先にある休憩室まで吹っ飛んだ。

 なんの造作もなく立ち上がり、雷花の元へと向かおうとしたとき、ふと、黒月の足が笑ってその場に膝をついた。

 予想外のことにしばらく目線を足下に向けていたが、再び立ち上がると壁に開いた穴を見ながら唐突に消えた。

 

 ※

 

 「おい、外が騒がしくなってきたぞ。黒月様が来たようだ」

 

 「赤い巫女服の女が言ってた、従者の精靈と戦ってんのか?」

 

 「まさかよ。たった一人でここに来たって、無謀にも程があるだろう」

 

 セミナールームに集った兵士たちが、騒ぎに気づいてざわついてきた頃、最悪な気分と共に雛月が目を覚ました。

 意識が戻るや否や、重く鋭い激痛が全身を駆け巡り、うめき声を上げて目を覚ますと、 監視のためとはいえ兵士たちが部屋にすし詰めとなっているのを目にし、次いで舞月との戦いで負けたことを思い出して自分が囚われの身になり、今に至るのだと理解して大きく嘆息した。

 どうにかしてここから逃げなければと模索していると、突然雛月の視界が水中に潜ったときのように歪んだ。

 外から見ていた兵士たちは、雛月が水の泡に包まれていることに気づき、一同の視線がドアから雛月の方へと注がれた。

 一方の雛月は、魔力の感じか、あるいはこの手の能力を使う者を知っていたのか、どちらにしても、一際大きな鼓動が雛月の胸の奥で鳴った。

 直後に、両開きのドアからダムの放水さながらの大量の水が部屋になだれ込んだ。

 兵士たちが気づいたときには時すでに遅く、水勢に負けて足をすくわれてしまい、まともに動けないままもがいていた。

 等間隔で並んでいた窓ガラスも、強化加工されているとはいえ、ダムの放水並みの勢いをもった水流には想定しておらず、一つが割れると合図がかかったように他のガラスも割れていった。

 運が良かった兵士は、腰ほどの高さしかない空調機に頭をぶつけたり、壁にぶつかったりした。

 だが、運の悪かった兵士は、割れた窓から水流によって放り出され、なす術もなく二十一階から真っ暗闇の地上へと落下していった。

 断末魔の叫びが五秒ほど上がっていたが、大砲の轟きとも似た音が(いく)つか響くと、遠くの方で鳴る救急車のサイレンが澄み渡って聞こえるほどの静寂が訪れた。

 月界の技術で作られたアーマーは、二十一階の高さから落下してもヒビが入った程度ではあった。

 しかしその中身は、衝撃に耐えることができず、いたる所にできたヒビの間からこんこんと血が湧き出ており、当人はピクリとも動かない。

 アーマーに備え付けられていた『自動処理機能』が働いて光の柱が立つと、舗装された路面ごと溶かして兵士をこの世から物理的に抹消した。

 散らかりに散らかった室内で、雛月を包んでいた水泡が弾くと、シラユリがドレスをなびかせながらやって来た。

 

 「シラユリ……! 貴女、どうやってここに?」

 

 雛月が問いただそうとすると、雷鳴がフロアの奥で鳴り響いた。

 その音に聞き覚えのある雛月は、シラユリに聞くことを一旦止め、音の方へと向かっていった。


挿絵(By みてみん)挿絵(By みてみん)

黒月 能力値 特 上 普 下 苦


腕力 上

走力 上

守備力 特

察知力 上

持久力 特

知識 上


初符 追影子おいかけっこ

特徴:両手で縦長の四角を作り、そこから片目で覗くように見て、顔を覚えた相手のすぐ近くにワープする能力。一度覚えれば、相手がどんなに離れていてもすぐにワープできる。


弱点:連続でのワープはできない。

【すぐ近く】にワープできるのであって、必ずしも相手が目の前にいるとは限らない。


終符 死産葬爪しざんそうそう

特徴:背中から筋繊維がむき出しになった、腕の先が槍のような形状になっている腕を一対出す能力。終符でありながら、魔力の消費は少ない。


弱点:元の長さ以上の伸縮はできない。

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