深淵の黒
リボンのスクリーンセーバーは暗い室内で微かな光源となっていたが、ホオズキの武器によって薙ぎ払われたことによって物理的にシャットダウンされた。
スクリーンセーバーに代わって、ホオズキの目に灯った赤い光が残光を残しながら、月島の元へとデスク伝いに向かっていく。
左足がまともに機能しない月島は、その場から動かず、体から無数の帯を操りながら攻撃を行なっている。四方八方からホオズキに向かっていく帯が部屋を埋め尽くし、暗い室内が青白く照らされている。
対してホオズキは、ノコギリのような荒目の刃が隈なくその身に纏わせた一対の鉄塊を、軽々と振り回して攻撃を捌きながら距離を縮めていく。側から見れば、あたかも舞っているような光景だった。
ホオズキの進路上にある書類や書籍は紙吹雪のように飛び散らかり、キーボードにデスクトップに本体は、音を立てて無残な姿に変わり果てていく。
そうして難なく月島の元にたどり着くと、月島の上半身めがけて斬りつけようとした。
が、その攻撃は月島の身を隠すほどの盾へと変形した帯によって阻まれ、室内におおよそ帯にぶつかったとはいえないほどの重低音を鳴らした。
「どうした先生。防御一辺倒じゃ俺は倒せないぞ。それとも俺がバテるのを待っているのか?」
「そうだ。お前のように激しく動いては体力がいくらあっても足りん。ならばここは下手に動く必要はあるまい」
ホオズキは「そうかい」と言うと、獲物をヒョイと取り上げ、乱暴に蹴りつけて再び絶え間ない攻撃を繰り出した。
高セキュリティルームと称された、フロアを隔てる仕切り壁に、防御に徹していた月島が押しつけられると、ホオズキは一対だった獲物を合体させ、ハンマーのように振り回して月島に当てた。
直撃ではないにしても、盾が防御の意味を成さないほどの衝撃が月島に伝わり、帯の集合体であった盾がちぎれて霧散した。
衝撃を殺せない月島は、仕切り壁をぶち破り、フロア内の横長デスクに置かれていたパソコンをことごとくなぎ倒していき、壁と一体化している強化ガラスに背中からぶつかってようやく止まった。
体の節々から伝わっているであろう痛みに、顔を歪めていたのも束の間。目の前ではサメが口を開いている姿を思わせる、鉄の獲物が迫り来ている。
月島は体を転がして攻撃を避けたものの、ホオズキが軽く回りながら足下から獲物を振り上げる一撃は、負傷した左足を巻き込んで月島の下半身をなぎ払った。
押し殺したうめき声を上げながら、月島は強化ガラスを割って外へと放り出された。
光を反射する細かなガラス片が星よりも輝き、瞬いている。
次第に視界から遠ざかり、消えていく室内の様子を見ながら、月島は手から帯を一つ出して室内のデスクへと引っ掛けた。
落下を免れた月島の下からは、煌びやかな地上から吹き上がるビル風によって、髪をなびかせている。
さすがの天月人でも、足が負傷している状態で十八階から落ちれば、ひとたまりもないために、冷や汗が額を伝っていた。
「いい夜景だな」
背後からホオズキの声が届くと、振り向く間も無く月島の体が鉄のサメに食われた。
荒く、細かな刃が月島の体を容赦なく食い込み、削り裂いていく。
悲痛な叫びがこだまする中で、ホオズキはしたり顔で月島に言った。
「だから言っただろ。防御一辺倒じゃ俺は倒せないって」
宙に浮いているホオズキが、獲物ごと月島を両手で持ち上げると、はるか下の地上めがけて振り下ろそうとしていた。
「ご退場してもらうぜ、先生」
ドス黒さをまとった赤い目が、月島を舐めるように向けられる。
睨み返す月島は、チラリと元いた階に目を向けると、手から出していた帯をデスクから密かに解き、若干の弛みをもたせた。
すると、重力が一瞬上がったかと思った次には、大きな重力が月島の体を地上へと向かわせていた。
風を切る音が耳を振るさせる中で、月島は落ちる恐怖よりも前に、弛ませていた帯を見下ろすホオズキの首に絡ませた。
不意をつかれたホオズキが、大層驚いたように目を見開いた次には、浮力が負けて頚椎から引っ張られる形で、月島と同じように地上へと落ち始めた。
帯が引っかかったことを見た月島は、もう片方の手から帯を出し、強化ガラスを割って柱にくくり付けた。
落下が止まり、宙ぶらりんの姿で十三階に浮いている月島は、次いで落ちてきているホオズキを捉えると、手から出した帯を青白く発光させた。
帯の発光に気づいたホオズキは、首元から帯に向かって白いオーラが吸い込まれていくのを見た。
慌てて引きちぎろうとするも、既に時遅く、手に入るはずの力が全く入っていなかった。
月島の目の前を通り過ぎると、首に弛んで━━少なくとも今はまだ━━絡まっていた帯が青に変色し、上からの力でピンと張り詰めると、絞首刑よろしくホオズキの首を勢いよく吊るしあげた。
「がっ」という断末魔の叫びを聞き届けて、下方にいるホオズキはブラブラと力なく揺れて動かなくなっていた。
「だから言ったじゃないですか。激しく動いていたら体力が保たないって」
ホオズキの攻めは、疑うことなく脅威の連続であった。しかし、そこまで激しく動くということは、当然ながら持久力はもちろん、体力を消耗することには変わりがないことだった。故に、本来のホオズキならば首に帯が絡まった帯を自力で引き裂くことは造作もないことでも、とっさの事態に消耗してしまった持久力や体力が仇となってしまい、引き裂くことができなかった。ということに繋がったのだ。
ならば、精靈なのだからそのままでいれば良いかと言われれば、そこでも問題は生じていた。
それは、月島の能力が『帯に巻きついた者の魔力を奪う』ものだからだ。
そのままでいれば、あっという間に生命線である魔力を奪われるので死を迎えてしまう。
その二択が、帯の発光時にホオズキの脳裏をよぎったが為か、彼女らしからぬ慌てっぷりを見せながらの敗北、ということになった。
力なく揺れるホオズキを見下ろすと、月島は正面の窓を割って中へと入り、深く息を吐いた。が、その直後、前方に違和感を感じて顔を上げると、明かりのない室内で一際濃い闇の凝縮が蠢いていた。
床や壁、天井を伝って黒の粒子が蠢く闇に飲まれていく。
「なめ腐ったマネしやがったな、お前。よりにもよってこの俺に、絞首刑みてぇなことしやがって」
明確な憎悪と殺意が込められた、音程の低くなっているホオズキの声が闇から発せられ、フロア内にくぐもって響く。
丸みのある赤い光が二つ灯ると、フロア内を仕切る木製の壁を、音を立てて壊しながら、海洋生物ばりの光沢と質感を持った腕が月島を掴んだ。
「よくもやりやがったな、クソ野郎め! 嬲り殺してやる! このド畜生が!」
月島の目の前に現れたのは、大型の肉食恐竜とサメが合わさったような生物だった。
口内には不揃いの鋭利な歯が三層並び、奥にはもう一つの口が開いている。
しかし、月島を握る手は奇っ怪なことに、質感こそ海洋生物のそれだが、形は人間のものと同一である。対して後ろ足は、魚のヒレを思わせるものだった。
目の前の異形に月島は呆然と見ていて、抵抗はもとより反応が無いに等しかった。
逞しい腕が月島を投げとばそうとしたとき、異形の姿となったホオズキに囁き声が届く。
「もういいわ。帰ってきなさい」
ピタリと止まった次には、明後日の方向に顔を向けたホオズキが心底腹立たしそうに声の主に怒鳴りつける。
「なんだと? ふざけんな! このクソは生かしておけねぇ!」
「帰ってこい。と、私は言ったのよ」
悔しさに震えるホオズキは、一つ大きな咆哮を上げると元の姿に戻って「死ね、クソ野郎!」と捨て台詞を残してその場から消えた。
一人残された月島は「一体何だったんだ?」とひとりごちて、その後に思い出したように体の痛みがぶり返し、ようやく正気に戻った。
※
時は月島がホオズキと戦っている最中に遡る。
ホオズキと黒月の相手を一身に受けた月島の安否を気にしつつ、龍吾と雷花はエレベーターの到着を待っていた。
程なくして、二人が後にした室内から立て続けに、そして盛大に物が壊れる音が鳴り響いた。
龍吾が雷花の横顔を見ると、今にも不安に駆られそうな面持ちだった。
龍吾の視線に気づいた雷花は、自分にも言い聞かせるように励ました。
「大丈夫です。月島も私と負けず劣らずで、生徒を守るためなら……。彼だって強いんですから!」
健気という言葉がピッタリと当てはまる今の雷花を、龍吾は黙ってうなずくしかなかった。
到着のチャイムが鳴り、二人がエレベーターへと目を向けたときだった。
中から━━右方向に体を引いている黒月が現れた。
「━━龍吾さん!」
雷花が龍吾を突き飛ばすと、弾かれるように向かってきた槍の手に、雷花の顔が貫かれた。
突き飛ばされた龍吾がその瞬間を見たが、絶望するよりも前に雷花が黒月の頭をしっかりと鷲掴んだことで、彼女が死んでいないことを理解する。
黒月を視認したときに、彼女の体は電気の体へと変えたことで、致命傷を避けていたのだ。
白と黄色の織りなす光が不定期に輝く電気の体で、雷花は腕に溜めた電力を最大まで上げると、帯電している拳で全力で殴りつけた。
壁に大きな穴を開けて、フロアの奥まで吹き飛んだ黒月を見やると、再び元の体に戻った雷花が「行きましょう」と言って龍吾とともにエレベーターへと乗り込んだ。
(さっきから妙だ。黒月は私たちがいく先々へ、ほぼ正確に先回りしている。今だって、アイツは月島が能力で捕らえていたはずなのに、当たり前のように私たちの元に来ていた。瞬間移動の能力だろうが、ああいう能力は往々にして正確性が欠けているのが━━)
「あの……雷花さんは大丈夫なんですか?」
思案に耽っていた雷花は、龍吾の声でハッと我に返った。見ると、龍吾は心配と不安の混じった表情で雷花を見ていた。
胸中を思考で埋め尽くしていた雷花は、自身の生徒を置いてけぼりにしたことを悔やむように、龍吾へと身を乗り出した。
「私は電気の体になっていたので、問題ありません。そんなことより、龍吾さんは大丈夫ですか? 思いきり突き飛ばしてしまいましたが……」
自分が負傷したことよりも、とっさの事態に龍吾を突き飛ばしてしまったことを思い出した雷花は、ひどく後悔の念を抱いているようであった。
「俺は大丈夫だ」と答えると、エレベーターが二十一階へと到着した。
十八階のエレベーターホールは打って変わって、作りは豪華なものであった。
磨かれた大理石の床は、和紙を模した模様のガラスから注がれる暖色の光によって上品な空間に演出されている。
自動ドアの先には、全体的に木をメインにして作られた空間が広がっており、木目の床で出来たエントランスと受付の先には待合室と思しきガラスの床で出来た横に長いロビーがあった。
エレベーターホールで龍吾がシラユリを出させると、雛月がいる場所は五秒と経たずして見つかった。
場所は龍吾たちのいる反対のエリアで、西側の端にある三十名ほどは収められる間取りの一室にいた。しかしそこには、見張りの兵士たちも二十名ほど待機している。
「俺たちがいる場所の反対。セミナールームって場所に雛月がいるみたいだ。そこに行こう」
雷花は「分かりました」と心強い笑みを浮かべていた。
すると突然、雷花が龍吾から目線を外し、強引に龍吾の後ろへと回った。
それと同時に、両開きのドアを壊しながら黒月が現れた。
驚いた龍吾が腰を抜かし、黒月が龍吾へと掴みかかろうとしたが、生徒のためなら自分の身を全く厭わない雷花によって掴みあう状態になった。
しかし力の面では黒月の方が圧倒的に上であり、相撲の電車道よろしくあっという間にエントランスまで押し出されてしまう。
鋭く睨む雷花の髪が徐々に白く発光すると、周りにある照明がチカチカと点滅し始めた。
おもむろに口を開くと、口内から細くて青白い光線が黒月の頭部を包みこんだ。
それでも掴んで離さない黒月だが、体は異常なまでに痙攣しており、そばで見ていた龍吾も決着がついたと思っていた。が、その予想は呆気なく覆った。
超高圧の電気を受けたにもかかわらず、黒月は激痛に顔を歪めることなく、受付カウンターを割るように雷花を投げた。
カウンターに叩きつけられた雷花は、揺らめく意識の中で黒月が平然としていられる事態に、ひどく動揺していた。
(おかしい。コイツは痛みに無反応すぎる。これも能力なのか? だが、そうなるとコイツは三つも能力を持っていることになる。能力が複数あることで知られているのは、垢舐とかいう賊くらいだ。コイツも、その一人なのか?)
雷花を見下ろしていた黒月は、痙攣している顔で何度も雷花を殴りつけた。
電気の体になるのが間に合わず、直撃した雷花の下で破損したカウンターが更に破損していき、雷花はぐったりとして動かなくなった。
弾かれるように龍吾の方へと向けられ、未だ腰を抜かしている龍吾の前にスミレが現れる。
ブツブツと何かを呟くと、背中から鋭利な槍の手が伸びた。
窓の外で輝く光を背に、二対の腕をもった暗黒が、龍吾の前へと近づいてくる。
先手を打ったスミレは、流れるような攻撃を猛然と行うが、黒月は割り込むようにスミレの首根っこを掴み、壁がへこむほどの勢いで叩きつけた。
間髪入れずに、へこんだ壁が更にへこむほどのボディブローを打ち込んだ。
拳が刺さるたびに、スミレの顔が苦痛に歪むと、それを見た龍吾の表情から恐れが瞬時に引っ込んだ。
そして、龍吾が気づいていたのかいなかったかは定かではないが、ポケットに忍ばせていた、たった一つの獲物を取り出した。
銀の縁で歯車と細い鎖を全体に形どり、内部が見えるガラス作りとなった筆のない万年筆のような物。龍吾が輝夜たちと別れる際に、雛月から貰った護身用の道具。
(これは貴方が、戦うという意思に反応する武器。その名を『邂逅』と言います。これを護身用に肌身離さず持っていて下さい)
今や龍吾の心中には『殺す』という一心だけが燃え盛り、それに呼応するかのように筆先にあたるところから瑠璃色の光が出て、実体化し、ペティナイフほどの長さの鋭利な刃へと姿を変えた。
雄叫びを上げながら龍吾が黒月の頭部を鷲掴むと、手にした邂逅の刃先を黒月の左目に勢いよく突き刺した。
ところが黒月は叫び声を上げることはおろか、うんともすんとも言わない。倒れるどころかよろめくことさえしない。「何をしている?」と言わんばかりに、もう片方の目で龍吾をしっかりと見据えている。
「スミレに何をしやがる!」
龍吾が邂逅を引き抜くところを見計らい、黒月はスミレを離すとガラ空きとなった腹部に、後ろ回し蹴りを当てた。
壁に叩きつけられた龍吾は、その場でか細い咳をしながら悶えている。
その龍吾の前に、痛みを噛み殺した面持ちのスミレが、龍吾の制止さえ無視して双剣を構えつつ立ち塞がった。
一方黒月は、龍吾の元へと近づきつつ、失われた視野に違和感を抱いているようで、不思議そうに周りを見ていた。
その光景を見た龍吾は何かに気づいたように目を見開き、黒月はとどめの一撃を刺そうとした。が、背後から黒月の肩に手が置かれ、見返るとそこには涙を流しながら怒りに燃えている雷花が立っていた。
「私の! 生徒に! 手を出すな!」
雷花の背後へと黒月を回すと、帯電した拳で全力の一撃を顔面に当てた。
ロビーと会議室を隔てる厚めの壁や、ガラス張りの壁を壊しつつ、吹っ飛んでいったところを見やると、雷花は頭につけていた錨の形をした飾りを取り外した。
中からは、細長い香水ビンのようなものが一つだけあり、雷花は脇目も振らずフタを取ると「飲んでください」と言って龍吾に差し出した。
「俺はいい。それよりスミレを」
「精靈さんは、貴方の回復に伴って回復します。貴方がここで倒れれば、精靈さんも消えてしまいますよ」
雷花の指摘を聞いた龍吾は、淡い桃色の液体を景気よく一口で飲み干した。
程なくして効果は現れ、龍吾は蹴りを食らった腹部を驚きながら見ていた。
「腹があったかい。雷花さん、これは?」
「簡単に言えば、体の内部から負傷部を治す薬液です。即席のものですが、効果は確かなものですよ。あと、短時間ではありますが麻酔の効果もあります」
龍吾が関心していると、思い出したように口を開く。
「そう、分かったんだ。雷花さん、アイツは攻撃を受けても全く痛がらないが、アレは能力じゃない。アレは━━」
龍吾が言おうとしたとき、龍吾とスミレが雷花の背後にいつのまにか立っている黒月に気がついた。
龍吾の様子から敏感に察した雷花は、振り向くことなく背中から放電した。
黒月の背中から生えた槍の腕が雷花を貫くより前に、雷の棘が黒月を貫くが黒月は動じない。
それを見た龍吾が確信を持ったように言った。
「そいつは、無痛症の持ち主だ!」




