黒い月下に咲く花
今回も若干文字数多めです。ご了承をお願いします。
裂傷と無数のすり傷。屋根がもぎ取られてオープンハッチになった、余すところなく凹凸に歪んだタクシーが、異音を鳴らしながら森アークビル前を通過した。
まばらに灯るビルの明かりを見上げていた雷花は、目的地と踏んでいた場所から離れていくことに気がついて、龍吾の方へと顔を向けた。
「龍吾さん。もしかして、ここではないのですか?」
「いや、ここで合ってる。合ってるんだけど、駐車場に止めなきゃ」
龍吾の答えを聞くと、少しの間、雷花はポカンとしていて、意味を理解すると首を振りながら、呆れたような声色で返した。
「い、いやいや。今そんなこと言ってる場合じゃないですよ。こっちは命を狙われているんですから」
「そうだけど、もしかしたらずっと置いておくことになるだろう? せめて駐車場に置いておいた方がいいと思うんだ」
雷花が怪訝な表情でいると、月島が「いや、これはこれで妙案だ」と、フォローをかけた。
「黒月は恐らく、自分たちが建物の前に駐車して、そのまま突入したと考えるだろう。だけど、あるはずの車がないとなれば、自分たちの車を探しだそうとするはず。その隙に、自分たちは輝夜さんたちを助ける時間が稼げるかもしれない」
雷花は半分納得できて、半分は解せないような感じで、怪訝な表情から複雑な面持ちを窓の外に向けた。
駐車場には、本来なら警備員や誘導係の一人はいるはずなのだが、今は影も形もない。それなのにも関わらず、車が何台も止まっているという矛盾した光景が広がっていた。
(こんなにも駐車しているのに、誰もいないのはおかしい。まさか、このビルにいる人、全員捕まったのか?)
スペースの奥まで入りきっていない、中途半端な駐車を済ませると、そこだけ暖色の電気が灯っている自動ドアをくぐって、ビル内に入った。
入ってすぐに、控えめな広さの受付カウンターが待ち構えていて、すぐ後ろにはカーボンと透明なアクリル板で出来たセキュリティーゲートが、EASTと書かれている通路を仕切っていた。
すぐ斜め前には、これまた同じ素材で作られているであろうセキュリティーゲートが、WESTと書かれた通路を仕切っている。正面受付ということもあって、ゲート数と広さはEAST側よりも圧倒的に広い。
さらに先を見れば、世界規模の大手コーヒーショップが右手にあり、左手の方は無人と化していることもあって、やけに広々としたエントランスがポッカリとあった。
空調の音がハッキリ聞こえるビル内。人の気配は一切ない。しかし、閉館や休館というには非常に中途半端な電気のつけ方と、整頓具合。誰が語らずとも、ここで何が起きたかを察するには十分だった。
「行きましょう。黒月もこちらを探しているでしょうから」
「あぁ。えぇと……シラユリ。輝夜と雛月はどこにいる?」
白光を灯しながら出てきたシラユリが、そっと手をかざすと、薄い水の膜が円の形で現れ、ビル全体の間取りを映し出した。
雛月は二十一階。輝夜は最上階の三十七階にいた。いずれも、敵側の護衛と思しき複数の影も確認でき、特に輝夜のいる場所に至っては、雛月の数倍の護衛が室内に待機している。
「面倒なことしてくれるぜ」
「逆に言えば、そうまでしなければならない相手だということでしょう。ですが一旦壁を崩せば、後は容易に攻略できるはずです」
龍吾が納得したように小さくうなずいていると、遠くの方でガラスの割れる音がフロア内に響き、四人に緊張が走った。
過敏とも言えるほどに研ぎ澄まされた五感が、ビル内へと足を踏み入れた黒月の存在を感じ取る。天月人ではない龍吾ですら、どこに黒月がいるのかを知っているようであった。
すぐさまシラユリが、水の膜に映し出されていた映像をビルの全体図から、黒月の居場所へと切り替えさせると、その場所を見ながら龍吾がゲートを指差して動き出した。
「こっちだ。ここのゲートから行こう」
黙ってうなずき、忍び足でゲートに近づく三人と、浮きながら周囲に注意を払うシラユリ。
ゲートの前に来た龍吾は、青く光るカードキーのマークが目に入り、渋い顔となった。
無理やり通るのは簡単だが、そうすれば間違いなく警報が鳴り響く。物音一つ立てたくない今の状況下で、警報を鳴らすのは自殺行為である
這って行くことも思いつかない訳ではなかったが、それでシステムの目を潜り抜けられるとは到底思えなかった。
悩ましげに見ていると、雷花が「その門をどうにかしたいのですか?」と、囁くように言った。
龍吾は黙って頷くと、雷花は目の前のゲートを少しだけ見て鼻で笑った。
「これくらいでしたら、何の問題もありません。私がいて良かったですね」
雷花は得意げに言うと、人差し指で空を軽くタップした。すると、触れてもいないのにゲートに点いていた照明が一斉に消えた。最新の技術が組み込まれたセキュリティーゲートも、要の電気が無くなってしまえばただの置物でしかない。
雷花が「行きましょう」と言うと、龍吾は、未だその場を動かない黒月が映る水膜を見て、「待ってくれ」と二人に言った。
「どうしたんですか? 黒月が気づく前に行きましょうよ」
「雷花さん。その電気を操る能力、ちょっとだけ使わせてくれ」
※
逆光で影となった顔に、白く光る目がゆっくりと左右に動かせながら、黒月は辺りを見渡していた。
あれだけ龍吾たちを執拗に追いかけてきていた時とは打って変わって、黙して待ち続けている。さながら、獲物が自ずと尻尾を出す瞬間を眈々と狙っているようでもある。
黒月の眼前に広がるコーヒーショップの席の上で、片付けられなかったプラスチックのカップが、外からの風で飛ばされて落ちると、フロア内にこだました。
それを合図にしたように、WEST側にあるセキュリティーゲートから警報がけたたましく鳴り響き、黒月の顔も自動的に音の方へと向けられ、弾かれたように走り出した。
猪突猛進という言葉を地で行くように、非常時以外封鎖されたドアを突き破り、ホール内を一瞥する。しかしそこにいるはずの三人はどこにもいない。即座に見当がついた黒月は、セキュリティゲートを突破し、EAST側のエレベーターホールに通じる、同じく非常時以外は封鎖されているガラスのドア目がけて走った。
その一方で、しきりにボタンを押す龍吾と、後方を見守る月島に雷花が焦りを露わにしていた。
確かに龍吾の考えは、黒月を欺くことに成功した。だが、それもほんの数秒のこと。いざエレベーターホールに向かって上りのエレベーターを呼んでも、来るまでには時間がかかる。
雷花の能力で、本来ならあり得ない状態である、全エレベーターのライトが点灯しているが、肝心のエレベーターが来る速さだけは変えられない。
高性能なシステムで構築された全てのエレベーターを一階に召集しても、幸いなことにエラーは起きなかった。しかし、全てのエレベーターが規定の速度を超過しながら来るとなれば、エラーが起きることが十二分に考えられたからだ。
やがて到着のチャイムが鳴ると、三人は一目散にエレベーターへと乗り込んだ。
その背後から、黒月が龍吾たちの乗ったエレベーターを見つけ、猛ダッシュで追いかけて来る。
二十一階のボタンを押して、ドアが閉まった直後、槍の穂部が隙間から勢いよく侵入し、黒月が自力でドアをこじ開けた。
龍吾は腰を抜かし、月島は龍吾の前に立った。
雷花は、両手が塞がっている黒月の眼前に、チョキの形にした手を向けた。
腕から伝う電気の輪が、手の方へと集約すると「失せろ」と、雷花が一言言うのと同時に、黒月の顔面に電気の弾丸が直撃した。
向かい側のエレベータードアに叩きつけられた黒月は、何事もなくヌルリと立ち上がった。
そして再びドアが閉まろうとしたとき、三人は揃って妙なものを目にした。
黒月が両手で縦長の四角を作ると、そこから片目で覗くように見たのだ。
ドアが閉まるほんの一瞬だけの光景だったが、その異様な光景を三人の脳裏へ鮮明に焼きつかせて、ドアは完全に閉まった。
重力が上り始め、無言となった空間で最初に声を出したのは龍吾だった。
「い、今アイツは……何をしてたんだ?」
「……分からない。だが、イヤな予感だけは確実に━━」
月島が言い終えるよりも前に、龍吾の立っている壁の外側に、何かが飛び移ってきた音が内部を静めさせた。
大きく身を震わせた三人が、壁の方へと目を向けると、飛び移ってきた何かが素早く天井へと上った。
スミレが現れ、音源に剣を振り上げた直後、槍の穂部が轟音を立てて天井を突き破り、剣に当たって弾かれた。
照明が明滅する中で、龍吾は叫びつつ全部の階層ボタンを押した。
月島が龍吾のそばに立ち、スミレと共に龍吾を守り、雷花は、雨あられさながらに天井から槍の腕を突き刺してくる黒月の居場所を見定めながら、反撃の機会を伺っていた。
やがて、一番近かった十八階にエレベーターが到着して口を開くと、月島は機を逃すまいと龍吾を抱きかかえながら、エレベーターから出た。
「雷花」と月島が叫ぶと、雷花は何かに気づいたような面持ちとなり、足まで届く髪が発光しはじめた。
今にも消えそうな照明の光に代わって降り注ぐ槍の雨の中で、天井からの攻撃を一つ捉えて掴むと、雷花は「月島、離れて」と大声で言った。
龍吾を連れて、乗っていたエレベーターから離れると、不規則に明滅している口内が、小さな暖色のライトだけが灯る薄暗いエレベーターホールを、眩しいほどに真っ白に照らす。
すると高周波の音が、辺りに鳴り響いた次には、室内で落雷の爆音が轟き、一面焦げついたエレベーターは甲高い金属音を鳴らしながら落ちていった。
「つ、月島さん! 雷花さんがエレベーターごと落ちちゃったぞ!」
ギョッとしながら月島に言い寄ると、「ここにいますよ」と、雷花が背後にさも当たり前のようにいて、龍吾へ言った。
ポッカリと暗黒の口を開いているエレベーターと、雷花の両方を「あれ?」という風に見ていた。
「私は、電気を操る能力を持っているのです。体を電気に変えることだって出来るんですよ」
非科学的なことが目の前で成立していることに、龍吾は改めて能力者というものに驚嘆していた。
EAST側のエレベーターは、先ほど雷花の能力で一台大破したことで、ボタンを押してもエラーが起きているのか反応はなかった。龍吾たちはホールにあるビル内部の地図を見て、WEST側のエレベーターへと向かっていった。
(……黒月は、どうやって俺たちのエレベーターに来たんだ? 隣のエレベーターを使ったのか?)
微かな黒煙を吐いている口から隣の扉を見やり、黒月の奇襲に対する違和感を龍吾が抱いていたが、時間が惜しい状況下、早々に考えを切るように、龍吾たちはその場を後にした。
森アークビルは、少し珍しい構造となっていた。外観は二つの正方形が、ほんの少しだけズレて重なった見た目をしており、中は縦に細長い雷の記号に近い形の廊下がビル内を横断しており、WESTとEAST側を分けている。
「この先に、もう一つのエレベーターがある方のところに着く。それを使って行こう」
二人が外来語を知らないことすら意に介さず、龍吾はエレベーターホールへと向かう。しかし、二人は説明はされずとも大まかにではあるが、何が言いたいのかは理解していた。
見知らぬ場所故に、一本道であっても周囲を警戒しつつ、ビルの半分までやって来た。
「もうすぐだ。この先がホールで━━」
龍吾が、背後にいる二人を見ながら、男子トイレの前を通ろうとした直後だった。
目の前でトイレと廊下を隔てる壁が、爆音を立てて内側から爆ぜ、中から黒月が現れた。
不意をつかれた三人が絶叫を上げ、龍吾はその場で尻餅をついてしまっている。
不自然に明るいトイレ内の明かりを背に、ガレキを蹴飛ばしながら、黒月の、白い残光を帯びた目が三人に向けられた。
「龍吾くん、こっちだ!」
雷花と龍吾が、男子トイレの側にある通路に向かい、月島は食い止めるように黒月の前に立ちふさがった。
両手から青白く光る帯を出し、狭い通路で振り回した。
薄く、細い帯の群れが壁に触れると呆気なく抉れていく。
黒月は帯の向かってくる方向を目で見極めると、素早く屈み、立ち上がる勢いを使って引っ掻くように反撃した。
眼前を通り過ぎる攻撃は、月島の顔面に小さな衝撃波がぶつかるほどで、直撃すればタダでは済まないことを悟らせた。
龍吾たちが向かっていった通路の奥から、雷花が大声で月島を呼ぶ声が響くと、月島は手中から太めの帯を出し、黒月に投げて巻きつかせた。
帯が腹部に巻きついたのを確認すると、先に使った帯の群れを、さながら繭のように全身へ巻きつかせた。
青白く光る繭が出来上がったのも束の間。背中辺りから出てきた槍の穂部が、黒い裂け目を作り、そこから黒月の黒く光る目が覗く。
月島の顔が蒼白していき、恐怖に飲まれそうになるが、胸の奥に据わった硬い意志が恐怖を吹き飛ばし、繭と化した黒月を廊下の先へと投げ飛ばした。
すかさず月島が龍吾たちの元へ行くと、雷花によってカードキーロックを解除されたフロアに駆け込んだ。
「アイツはどうしましたか?」
「しばらくは動けないようにした。龍吾くん、ここからどうやって行く?」
「あの……両開きの扉から出よう。さっきの地図が正しければ、あそこはエレベーターホールに繋がっているはずだ」
「そうか。だけど行かせねぇよ」
三人の誰でもない、気の強そうな声が聞こえて三人が振り向くと、そこには赤い巫女服を着た精靈『ホオズキ』が机の上であぐらをかいていた。「よお」と気さくに言うと、龍吾はその姿を見て血相を変える。
「お前……お前!」
自分の家庭を破壊させた要因━━真相は両親が破壊していたが━━を目の当たりにした龍吾は、沸点を一瞬で超えて怒りを露わにしていた。
「雷花、龍吾くんを連れて先に行ってくれ」
これ以上龍吾をこの場に居合わせていたら、我を忘れてしまうと察した月島は、雷花に先を促す。
雷花は何も言わずに龍吾をなだめさせながら、フロアを出ようとした。
しかし、気配に気がついた雷花がハッと目を向けると、自販機の陰から出てきた黒月が、背中から出した槍の腕を突き刺そうとした。
間一髪のところで、スミレの双剣が防ぐも、突如現れた黒月に、雷花と龍吾はひどく混乱していた。
(そんな……コイツほどの存在が近くにいれば、私でも気配が察知できるはずなのに、何故気がつかなかったの!?)
黒月に気がついた月島が、雷花の方へと振り向くと、背後から「おい、先生」と声がかけられた。
振り向くと、そこには笑みを浮かべて獲物を振り上げるホオズキの姿があった。
咄嗟に避けたものの、振り下ろされた獲物に左足を潰され、月島の口から悲鳴が出る。
ホオズキの獲物は、ノコギリのような鋭く細かい刃が全体に隈なく付いた鉄塊だった。
それが対となって合わさり、まるで金属のサメを思わせる形になっていた。
「悪りぃが、報酬もらってる手前、これも仕事でよ。ちょいと遊んでもらうぜ」
前方にホオズキ。後方には黒月。
どちらかの鬼を取らなければならない中で、月島が取ろうとしたのは、両方だった。
全身から帯を放出すると、器用に雷花と龍吾を弾いて、月島は黒月とホオズキを帯で作ったドームに閉じ込めた。
「行け、雷花! ここは自分が引き受けた!」
月島の言葉を聞いてか、ドームの外で二人の足音が遠ざかり、ドアが開いた音を最後にフロアは静まり返った。
健在な右足でホオズキを蹴り飛ばそうとするも、涼しい顔をしながら難なく避けた。
その代わりに、潰されていた左足から獲物がどき、両手を使って覚束ないながらも立ち上がった。
「正気か? お前」
「正気だとも。自分は教師だ。生徒を守るのは当たり前のこと。足の一本くらい、喜んでくれてやる」
「感動的だね。だけどな、そんな綺麗事が通るのは講談本の中だけだぞ」
ホオズキが、へばりつくような笑みを浮かべていることに違和感を感じた月島が、ふと背後を見やると、さっきまでいたはずの黒月は、影も形もなくなっていた。
(バカな。触れたり切り裂いたりした音も感覚もなかったのに、どうやってヤツは外に出た!?)
「先生、よそ見はいけねぇよ」
月島が振り返ると、ホオズキが間合いを詰めつつ、獲物でなぎ払った。
防御は間に合わず、鉄塊の質量と、鋭利で細かい刃が上半身に食い込んだ。顔に至っては直撃したところを起点に、皮膚をズタズタに抉り裂いた。
パソコンや本体が音を立てて床に落ち、参考書や書類が周囲に飛び交っている。
ホオズキが飛び跳ねて月島を通り過ぎようとしたが、青白く光る帯がホオズキの足を捕え、ホオズキはその場で盛大に転んだ。
うめき声を上げながらではあるが、月島は立ち上がり、ホオズキを見据えて指差した。
「上等だ、この不埒者め。教師を舐めるなよ」
鬱陶しげに立ち上がるホオズキが、対の獲物を軽く回すと、進路上にあるデスクトップや本体をなぎ払いつつ、月島に迫った。




