断
ふわりと髪をなびかせながら、全身を黒月に向けると、輝夜と黒月の間を一陣の風が通りすぎた。
「お前は誰だ」「どこの差し金だ」そんな問いかけは愚問。それよりも輝夜が気になったのは、彼女が先ほどの邪気を放った者ではないことだった。
その証左として、あれほどの強大で無差別な邪気を目の前の黒月が今も発動しているなら、輝夜はもとより周囲の人々にも変化が起こるはずだが、それがない。
更にそんな能力を使っているなら、天月人の特徴たる眼の色などに何かしらの変化があるはずだが、黒月の目ははっきりとした発光はしていないし、目立った変化も一切ない。
牡丹を追っていった雛月は未だ帰ってこない。むしろ見計らったように、すれ違いざまに輝夜の前に現れた事を考えたとき、輝夜は内心で舌打ちを打ったように顔をかすかに歪めた。
(分断か)
※
時同じくして雛月もまた、突如現れた二人の刺客に、自分が陽動されたことを察した。
地上、空中と逃げる事は不可能。もはや戦う以外の道がないことに覚悟を決めた雛月は、おぼつかない足取りでゆっくりと立ち上がる。
「従者が立ち上がったぞ。魔力は使い果たしたはず」
「ですが万全では無い。誤差の範囲内ですよ」
巨大なトンボの姿をした彩が、意外そうに言うと、舞浜は余裕を含んだ声で返した。
舞浜は両方の袖口から上半身ほどの大きさがある扇子を取り出すと、上下に動かし二段階に展開した。扇子というよりは分度器に近いほど展開する面積が広い。
片や彩は、体から煙を吹き出すとトンボの姿から表面を白い外殻で包んだクモへと変身した。トンボの姿と同様に巨体なクモは、素早く後退すると音もなく姿を消した。
(……消えた?)
巨体の姿はどこにもない。代わりに巨大な扇を両手に構えた舞浜が、足から湧き出る泡の上を滑りながら一気に距離を詰めて来る。
雛月が態勢を整えようと後退しようとした時、本人の意思とは裏腹に頭から勢いよく倒れた。
立ち上がろうとすると、糊のようなネバネバした透明な何かが雛月の全身にひっ付いていた。
粘着性が強いそれは全力を出して起き上がろうとしても、地面に戻され寝かされる。特に雛月の長髪が、起き上がろうとするたびに、無理やり髪を引っ張られる痛みが彼女を襲う。
抵抗がままならない雛月が、仰向けになりながら舞浜と彩を探していると視界の真上、雛月の頭部側に立っていた。
「お手伝いして差し上げますね」
舞浜が柔らかな口調で言うと、開いていた巨大な扇子を閉じてさながらゴルフスイングのように思い切り叩き飛ばした。
テープを剥がすような音を立てて、雛月は鳥居の方に飛ばされた。頭を抑えながら起き上がると、泡に乗って休む間もなく持っている扇を持って優雅に一回転すると、続けて大きく宙返りした。
二つの攻撃はたしかに避けた。ところが舞浜の背中から突如として黒い手が伸び、不意をつかれた雛月は勢いよく境内の石壁にぶつかった。
着地した舞浜は間髪入れずに狙いを定め、今度は黒くて太い角を伸ばして雛月の腹部を刺した。
吐血した大小の血が黒い角に飛び散る。それを舞浜は「汚らわしい」と濁した声で言うと、背中から黒い手を一つ伸ばして石壁ごとなぎ払った。
咳き込みながらもゆっくりと立ち上がる雛月は、舞浜の着ているものに、見覚えがあり驚愕と混乱を露わにしていた。
(そんなバカな……。でもあの人が着ているのは、間違いなく……神逆器『黒揚羽』! なぜあの人が?!)
月界において、唯一無二にして禁断の宝具、神逆器。
能力を持たない人ですら能力者以上の強さを得ることができるといわれるものを、目の前にいる舞浜は確かに着ている。
能力者でありながら、宝具たる黒揚羽をまとった最悪の展開に、雛月は防御を固めて態勢を整えようとするが、雛月の足が後方から引っ張られまたしても彼女は倒れてしまう。
引っ張られる先には何も見えない。だが、体は引きずられる。
雛月はとっさに指先から火花を弾かせると、白く光る街灯に向けて放った。
放たれた火花が蛍光灯に当たるとショートを起こし、小さな爆発を起こして火の玉を道路に落とした。
すると細い道路一帯が瞬時に火の海となった。炎は雛月を瞬く間に包んで行くが、彼女は小さくうめき声を上げるだけで、炎を消そうとはしなかった。
舞浜が炎を見ながら後退して避けて行くと、雛月の体から一筋の炎が猛スピードで宙を伝う。導火線にも似た炎が屋根の上に到達すると、大きく炎が爆ぜて彩の悲鳴と共にその正体を表した。
家屋の屋根には巨大なクモが炎を消そうと、のたうち暴れまわっている。
彩の姿を捉えた雛月は炎に包まれたままシラユリを出させると、炎上している雛月の身を水で包ませて消火させる。
(なるほど。私の動きを抑えていたのはクモの糸でしたか。ですが、あの程度の火花でも大きく発火するものであるなら、もう対処は簡単です。ですが)
水が弾けて雛月が目を開けると、蝶の羽を羽ばたかせながらかかと落としを振り落とそうとしている舞浜を捉え、その場から滑るようにかわした。
前後に開脚し黒タイツに包まれた無駄のない美脚。そこから湧き出る泡。ほんのわずかな隙でさえ、身にまとった黒揚羽が竜巻のように回転して、舞浜に付け入る隙を与えない。
泡で滑りながら一回転して立ち上がると再び滑ってくる。
(問題なのはこの舞子。あの泡は初符で、扇は予め用意していたもの。機動力で勝る舞子をどう相手にすれば)
迫り来る舞浜への対処を考えていたその時、舞浜の背後から巨影が追い抜かして、雛月の眼前に迫り来た。
影の正体を視認しようとした次には、雄叫びと共に巨拳で殴られ雛月は吹っ飛ばされた。
車道に停められていた車に激突した雛月は、息が止まりながらもその影の正体を見た。
それは四肢が大きく発達した、巨大なゴリラの姿だった。先ほどの白い外殻に身を包んでいたクモの姿の名残はどこにもない、完全な別物だ。
雛月が考える間も無く巨大なゴリラは、その身にふさわしい大気が震えんばかりの雄叫びをあげながら車ごと攻撃した。
叩き、殴り、突進し、野生の動物さながらの徹底的な攻撃をした後は、その巨体に似合わない跳躍をして、重力と、自らの重量を合わせて拳を雛月に打ちつける。
華奢な体が砕かれんばかりの一撃は、雛月の意識を吹き飛ばすのには十二分なもの。彩はダメ押しに雛月の頭を掴むと、後部が原型をとどめていない車に数回叩きつけ、なだらかな坂道へと投げ捨てた。
その次には体から煙を吹き出して身を包み、煙が晴れるとそこには身の丈をはるかに超える大太刀を持った、白い魔力で象られた黄金色と空色の目を持つ女性。彩の娘が成人した事を予想した姿に変わっていた。
「舞浜! 自分の乱舞と合わせよ!」
投げ捨てられた雛月から瞬きの速さで距離を詰めると、大太刀の剣筋と彩自身が残像ができるほどの速さで四方八方、嵐のように切り刻んでいく。
眼からの残光が停滞して、雛月の周りが黄金色と空色のグラデーションが生まれていく。彩が四人いると思わせるほどの斬撃を五回切り終わると、かざした手から白い波動を放ち、雛月を吹き飛ばす。
そこに舞浜が間髪入れず、紅梅色の眼光を光らせながら、巨扇と黒揚羽を巧みに使い、吹っ飛ばされた雛月へ舞滑りながら追撃する。
風に飛ばされる葉のように抵抗は無く。体からは血潮が花のように散る。死んでいるとも生きているとも判別つかない雛月に、容赦のない攻撃が襲いかかる。
やや荒々しい息遣いになった彩は、娘の姿から再び煙に包ませると、今度は鈍色の二足歩行の象の背中にロケットブースターが装着された機械獣へと変身した。
地を揺らす四股を踏んで両足を道路にめり込ませると、背中のブースターが起動して熱に蒸されたブースターに炎が渦巻く。道路に深くめり込んだ足が、かすかながら前へと押し出されていく。
舞浜の乱舞が終わり、宙に浮かせた雛月を扇と扇の形に変化した黒揚羽が同時に叩き落とす。道路に落ちた雛月はコンクリートの地面であるにもかかわらず、勢いで大きくはね返る。
その一瞬、彩の溜めに溜めていたブースターが解放され、鈍色の象は音速の砲丸と化した。
鋼の巨砲は、雛月の体をたやすく吹き飛ばすだけでは飽き足らず、吹き飛んだ先の坂を大きくえぐりあげ、家一棟ほどの高さの壁を作り出した。
ブースターから排気の白煙が音を立てて吐き出され、排気の煙に混じりながら鈍色の象だった彩が、全身を装甲に包んだ元の姿へと戻った。
そこに泡で滑りながら舞浜が寄って、不服そうな声で彩に問いかけた。
「何故とどめをささないのです? 私の見立てでは、まだ彼女は生きていると見えますが。貴方の装甲は飾りか何か?」
「……分かっている。だが正直、驚きを隠せない。いくら天月人とはいえ、かのような少女がこれほどまでの攻撃を食らって、なおも生きているとは」
「虫の息ですがね。さぁ、感心は後です。とどめをさして下さい」
彩は体から白煙を出すと黒金で出来た巨大な機械兵へと変身し、腕を段階的にキャノン砲に変形させて三発雛月に撃った。
着弾するや爆発を起こして雛月は爆炎で焦げついているが、舞浜は不服さを更に露わにさせた。
「何故その姿なのです。先ほどの巨猿の姿ないし、大太刀の女子の姿で、奴の素っ首を切るなり、潰してしまえば確実だったでしょうに。今更ながら臆病風に吹かれましたか」
「……あの姿は他よりも魔力の消費が大きい。それでなくても魔力は、とうに半分は消費している。この後のことを考慮すれば、おいそれと変身はできん」
「では先のクモの姿は。鋼の象は。……どれもダメなら、機械のタコは?」
彩は装甲の下で、舞浜を横目で見下ろしながら小さく舌打ちをした。
舞浜は自分からとどめをさそうとしないし、素振りすら見せない。それはまだ雛月が虫の息とはいえ生きていて、何をしでかすか分からない為だ。
彩の頭部装甲に映されたホログラムには、雛月が生きている反応が事細かに表示される。加えて微弱ではあるが回復をしつつあるのを確認した。急かすように傍らで小言を言い散らす舞浜に、彩の判断が静かに乱れていく。
煙を吹き出し身を包ませると、機械兵の姿から先ほどのクモの姿に変身し、雛月に向けて不可視の糸を飛ばして動きを封じさせると、今度は機械で作られた黒いタコの姿へと変身した。
宙に浮いた鋼鉄のタコは、十ほどある眼が雛月に狙いを定め赤く発光し、全ての脚に付いた四つの鉤爪を開かせると、赤い光の刃が伸びた。
「舞浜、自分と並んで行くぞ。彼女が仮に切り札を出せたなら一回きりで、対象も一人だけだろう」
貧乏くじを自分だけ引かないようにするために、彩は同じ地で戦う者として平等に。そして舞浜の狡猾な考えを認めない。という意味を含めて出した提案に、舞浜は「良いでしょう」と素っ気なくした。
複眼が雛月に向けられると、全ての脚もとい光刃が前に移動して超高速で回転し始める。
光の刃は円になり、円の光は変身した彩の身を隠すほどだが、彩は刃のわずかな隙間から前方を見て、強いすきま風に似た音を立てながら雛月に向かった。
光の裁断機が雛月の目前に迫ったまさにその時。
彩の頭上からが勢いよく振り落とされた。
回転していた脚は未だに回っているが、本体はコンクリートの地面に深々とめりこんだ。そこにさっきの仕返しと言わんばかりに、ハンマーの主『オダマキ』が彩を叩き飛ばし、鋼鉄のタコは一軒のマンションの壁をへこませて止まり、力なく落下した。
その様子を、舞浜は邪悪な笑みを浮かべながらオダマキと雛月を見ていた。
「予想通り」と言わんばかりにオダマキを見て、オダマキ本人は、心底腹立たしげに舞浜を見ていた。なぜならオダマキの体と、武器のハンマーは粒ほどの白光を出して、どんどん透明になっているからだ。
無念。遺憾。殺意。報復でいっぱいになったオダマキは、今にも叫び出しそうな険しい表情を浮かべ、その度に舞浜は愉悦で口元が緩んでいく。
オダマキの鋭い眼が舞浜の眼と合った瞬間、オダマキは光となって消えた。それを見届けると舞浜は踵を返して彩の元へと歩み寄った。
複眼の赤い光が点滅しながら舞浜の方を見ると同時に、煙を吹き出しながら元の姿へと戻った。
仰向けに倒れている彩の身は、上半身の装甲はめちゃくちゃに壊れ、その中でも著しく破損した頭部の装甲からは、彩の素顔が露わになっていて、オダマキが繰り出した二回だけの攻撃がいかに強烈なものかを、十分に理解できる状態であった。
頭から流れ出る血に濡れるその顔は、彫りの深い西洋人じみた顔つき。『誠実』という言葉がしっくりと当てはまる空色の眼。幾多の戦場や日常で、葛藤や苦悩や消沈を味わい、その度に乗り越えてきた証拠である深いシワが、顔の至るところに点在する彼は、眼前の悪辣な舞子を忌々しく睨んでいた。
「……舞浜……貴様」
「私を恨むのは見当違いですよ。貴方は共に攻めるための合図をせずに、単騎で向かって行った。これでは合わせる技も合わせられません」
「嘘はずいぶんと下手だな……。大太刀姿での……乱舞の際には、合図無しでも合わせたというのに」
「偶然の一致ですよ。さて。どの道貴方は、もう戦える状態では無い。このまま着いてきても、足を引っ張るだけ。心置きなく月界に帰りなさい」
扇を収めて袂に引っ込めると、襟元から金色の四つ葉の形をした装置を取り出した。真ん中の茎と思わしき小さな点を押すと、四つ葉が少し浮いて回転し、二つ一組の葉となって上下に別れ不規則に動き回ると、装置そのものが発光し始めた。
舞浜はそっと彩の上半身に置くと、「さようなら」と一言だけ残して去っていき、彩はそのまま光に飲まれて消えた。
※
場は移って月界。
転送された彩が、一瞬で切り替わった光景を見上げつつ、自らの身を激しく打つ痛みを歯噛みしながら起こし、その場でうつむきながら胡座をかいた。
場所は政法殿の一角、粛清の間。
政法殿の高層部から、生えて出てきたように突き出ているそこは、三方を高大な壁に覆われ、これまで数多の悲鳴と慟哭がこだまし、老若男女問わず数多の血と命が奪われた忌まわしき場所。
そこへ二分と経たずして、月界の兵士達が彩の周りを囲った。レールガンとも光線銃とも見える銃を両手で構える者。三つの砲身を持つガトリングを両手に装備している者。中には彩のように、巨大な機械兵に変身している者もいて、その全てが彩一人に銃口を向け、逃げ道を塞いだ。
そこに兵士達が足音を聞いただけで、視認すらしていない人物に道を開けた。彩が上目で見ると、そこには神無が立っていた。
だが彩は驚きも恐れもせずに、一息吐いて視線を下に移しながら口を開く。
「従者、雛月は確かに仕留めた。自分はこのような無様な姿だが……。……輝夜は黒月とやらが倒すだろう。目的は果たされた。金満の約束通り、我が家族への、『疾病完治医療保険』の授与を願う。自分は今更命を惜しいと思わん。自分の願いは成就されて」
「一体貴様は何を言っているのだ? そんな約束、私はただの一度も聞いてはいない。その金満からもな」
とたん彩は血相を変えながら、顔を上げて神無に詰め寄った。
「なんだと!? 自分は確かに金満との約束を果たした! 『輝夜と従者の分断に成功すれば、勝とうが負けようが褒章を与える』という約束を!」
すると神無は鼻で笑い「なるほど」と呟き、側にいた兵士の一人に進言をさせると、兵士はその場で電子を次々と組み上がらせた。砲身が二つ付いたキャノン砲を両サイドに装備した、人一人分しか乗れない超小型の戦闘機に搭乗すると、あっという間に飛び去っていった。
その光景を唖然として見ていた彩に、神無の低い声色がかけられる。
「お前みたいな愚直な者はどの時代でも、どの星でも得てして利用され、捨てられる。金満だけじゃない。どんな天月人であれ同じだ。奴の約束が絵空事の内容だということは、冷静に考えれば誰でも分かること。ましてや彼の周りで飛び交う悪評を聞けば、虚言癖の持ち主だという事に行き着くのは道理よ」
彩が「騙されているのでは」と思わなかったと言えば嘘であり、金満の言うことを全て信じた訳ではなかった。
だが目の前の現実は、そもそも事前に約束はおろか神無と話さえしていないという、根本的なところから騙されていたものだった。その事実に彩は恐怖や後悔よりも怒りの方が勝る。
彩が叫び声をあげて立ち上がろうとした時、周囲にいた兵士達が一斉に発砲した。実弾とレーザーが入り混じりながら、彩は全身を蜂の巣にされその場で装甲の音が大きく鳴り響いた。
座り込んだ状態の彩には、意識はあるが動けない。天月人の特徴である頑丈さが仇となり、彩の後悔と憤怒が顔を大きく歪ませる。
「お前がもう少し利口な奴なら、あからさまな地雷を踏まずに済んだものを。私に楯ついた金満の加担者。あの世で己の無知さと愚かさを嘆いていろ」
神無の手中で黒い魔力が渦巻き、大剣が作られて神無が掴みとった瞬間、悔し涙を流す彩の口から無念の叫びが放たれた。
「おのれ金満! この怨み、死んでも決して許さん!」
慟哭が月界に放たれた次には、彩の身体は装甲ごと左右に別れた。行くべき場所に行くはずだった血流が、頭頂から股下にかけて盛大に噴き出し、別れた臓物や脳は血に染まりながら血の海に落ちた。
「清掃班、処理をしろ。兵士は全員ここで待機だ。奴は必ずここに来る」
神無は言い終わるとその場でゆっくりと、光で出来た玉座に座った。




