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胎動

 家を出た輝夜は、止む気配のない豪雨の中を頭の先からつま先まで、ずぶ濡れになりながら歩いていた。その後ろに自分の周囲を透明な繭に包んだ雛月が追っていた。

 雛月が「風邪をひきますよ」と強く警告しても、輝夜は「少し涼ませて」と言って聞かなかった。

 用賀駅に着いて、スクエアタワー外に並ぶ商業施設をまたぐアプローチ下で、雛月は人気を気にしながら自然に繭を解除した。

 輝夜はずぶ濡れの状態で、「ああ」でもなければ「うん」とも言わず、ただ立ち尽くしている。髪やドレスはもちろん、全身から雨粒がしたたり落ち、生気のない目が虚空を見つめていた。

 心中が締めつけられる思いで、雛月は輝夜に声をかけた。


「輝夜様。まずは身体の雨水を取りましょう。風邪をひいてしまいます」


 雛月の声に輝夜は反応せず、雛月は少々渋った表情をしながら、シラユリを出させると輝夜の身に付いた雨水を、シラユリの手一点に集中させて取り除いた。

 野球ボールほどの水の塊がふゆふよと手中で浮いている。それをシラユリはゆっくりと地面に落とし、地面は音もなく水に濡れていった。

 輝夜はうつろな表情で空を見上げていて、何を考えているのかさえ分からない。そんな輝夜を見て雛月は話題を変えるように、「近くの宿場を探しますね」と言って、小さな電子画面を出して付近を調べはじめた。付近に人がいない事を絶えず警戒しながら調べていると、駅前にビジネスホテルがあるのを発見した。

 未だに魂が抜けたように動かない輝夜を、雛月は優しく手を引いて向かった。



 場所は移って月界。

 金満(かねみつ)は黒月、(さい)舞浜(まいはま)の四人が、宇宙船の離発着用コロニーの一角。上級の船員待機室にいた。

 コロニーは格子状に作られた高い天井になっていて、窓の外は星々が光る宇宙が広がっている。一つの階層に二十を超える高低差のある円型のポートには民間用の船艦から、外惑星開拓用の宇宙艦。採掘艦。小型の軍艦などが停船している。

 その奥には大の大人が余裕で入れるほどの太さをもった、枝葉のない竹が無数に立っていて、運搬用のレールの先には巨大な球体の射出機が、階層を貫通して設置されていた。

 ━━出発する船艦はテールライトを光らせて浮くと、六角形の集まりで出来たドームに包まれた。

 発射口に四つのアームが伸び、青と紫色の二つの光のリングが交差して回転し始め、やがて中心から白い光が灯る。ドームは円形のトンネルに変わり、船艦は戦闘機のように瞬時に高速で発進すると、光のリングに入ると同時に閃光を放って消えた。

 停船する船艦はその逆で、光のリングと六角形で作られたトンネルが作られると同時に、閃光を放ってポートに停船している。

 四人がいる上級待機室では、各階層で離発着する無数の船艦や軍艦を一望でき、室内は待機室と言うよりは高級ホテルの一室と言った方がふさわしいほどに豪華だ。

 三人は黙して出撃の時を待っていたが、金満だけはしきりに玄関前で手持ちの時計を見ながら、あるいは金箔の扇子を片手に叩いて音を鳴らしたりと、とにかく(せわ)しない状態だった。

 すると金満と三人のちょうど間で、紫と赤色の炎が爆発し、火の粉をほとばしらせながら未だ衣服の乾かない濡れたホオズキが現れた。


「遅い! 何をしていたホオズキ! あと数分で一世一代の大事が、始まると言うのに」


「うるせぇ。そんな大事だったら、下地は尚更時間をかけるべきだろ。そんな事も分からねぇか」


 ホオズキは一片の怖気もなく暴力的な口調で割り込みながら返した。金満も核心を突かれたためか、ブツブツと物言いたげに引っ込み、傍で見ていた彩はホオズキの姿に、恐れ知らずとはこの事かと言いたげに、まじまじと見ていた。

 ホオズキは濡れた体を拭こうともせずに、羽毛で作られたベッドに腰かけた。


「さてと。そこの三人はもう用意は出来ているな? そこの金満に代わって俺が指示を出す。まず……彩と舞浜。テメェらは俺が最初に仕掛けるから、それに釣られた雛月を狙いな」


「おい、何を勝手に命令を出している。それはお前の役目じゃ」


「命令を出すなら現場見てから言えよ。憶測で計画立てることほどのバカはねぇぞ」


 ホオズキは金満を見ずに指差すと、そのまま話を続け付けた。

「それでどうして自分らは輝夜じゃないのか? って答えの理由は三つある。一つは単純に、お前らが束になっても敵わない、腕力なんかの天性の力を持っているから。残念だがこれは天地がひっくり返っても変わらん事だ。素直に諦めな」


 ホオズキの言うことに一同は、誰も異論を挟もうとはしなかった。ただ金満だけは、金箔の扇子を広げて(いぶか)しげにホオズキを見ていた。


「二つ目は、能力だ。ただでさえ『能力を一つ封じる』という、厄介なモノを初符で持っているのに、終符はいまだに誰も知らない。だからこそ最後の最後でひっくり返される可能性があるからダメなんだ」


 彩も、舞浜も、自分たちの実力を踏まえた上での理由であるがために、異論を唱えることはもとより、口を開こうともしなかった。しかしそこで金満が「待て」と、苛立ちを隠しながらホオズキに言って、歩み寄った。


「それだけでも十分な脅威となり得るのに、輝夜は黒月だけで大丈夫なのか。三人揃って奇襲をかければ良いではないか」


 するとホオズキは金満の言葉を聞いて、ややふざけた感じの目つきから一転して険しい表情になる。


「そんなことをすれば、この一大事が絶対に失敗するから言ってんだ。それが三つ目の理由。雛月の操る精靈に……神がいるからだ」


「……神? 神だと! なんとバカげた事を。これこそ正に笑止千万! そんな戯れ言、誰が信じると思う!」


「お前は見てねぇからそう言えるんだ。今日ほどでは無かったが、ある雨の日に、ほんの少しだけ『そいつ』を見た。……断言しておく。天月人であろうが誰であろうが、アイツを倒すのは不可能だ。それこそ『絶対に』な」


 ホオズキの神妙な発言は舞浜の笑みを徐々に消し、彩は装甲の下で(りき)んだ顔つきとなった。ただ金満だけは、場の空気を読まず傲慢にも「あり得ん」と一蹴する。


「神だか精靈だか知らんが、そんなのは押し攻めていけば封殺できる。おい、三人とも。輝夜と雛月の所へ集中して攻めるんだ」


 金満の命令を聞いた彩は前のめりになりながら、異を唱え始めた。


「お言葉ですが、現地を見てきたホオズキとやらの発言。そしてその発言に基づく理由は、決して見過ごせる事ではありません。ホオズキ、貴女には相手側にそんな神格的な存在がいても、勝てる算段があるのですか」


 割って入ってきた彩を金満は沸騰したように癇癪を起こし、ホオズキと異なって筋の通っていない支離滅裂なことを喚き始めた。

 それに対してホオズキは自分の獲物である大剣を手に取り、床を壊す勢いで突き刺して金満の声を止めさせた。


「算段があるからここで指示を出せる。従者の雛月は補助だとか修復、回復や、探知なんかの、支援的な事は得意分野だが反面、攻撃的な事は苦手だ。精靈も然り。攻撃的であればあるほど、通常の魔力の倍消費する。それが荒ぶる神を操るとなったら?」


 一同はホオズキの問いに確信的な答えを導き出し、自信をもった視線を向けた。


「ご想像の通りだ。雛月はあっという間に窮地(きゅうち)におちいる。しかも、ものの数秒もかからずにな。そこを二人が攻めれば雛月は、あっという間に落ちるって事だ」


 彩は納得の返事をして、舞浜は袖で隠した口から静かに笑った。金満は「では今すぐに支度を」と言い終わるより前に、ホオズキは「地球で明日の十九時あたりを目処(めど)にな」と言い切った。

 その言葉を聞いて金満が黙るはずもなく理由を問いただしてきたが、ホオズキは得体の知れない笑みと上目遣いをしながら金満に答える。


「ぶっ放す花火は特別なものだからだ。日本の夏は日の入りが遅い。花火はちゃんと夜の(とばり)が降りてから放つものだ。違うか?」


 彩はその言葉を聞いて「半刻も無いではないか」と言って、すぐさま部屋を後にした。金満は逆に「国議まで時間はゆうにある。私はどうすればいい」と少し慌ててホオズキに尋ねるが「論議の練習でもしてろ」とあしらわれてしまった。

 舞浜も後を追って金満の所まで来ると、「少しよろしいですか?」とくすぐるように耳元で囁いた。

 不意をつかれた金満は肩をすくめたが、声の主が舞浜だと分かったとたんに、にんまりと笑顔を向けた。


「なんだ? 心配事でもあるのか? 私に何でも言ってごらん」


「些事にございますが、彼女、ホオズキは貴方の精靈なのですか? (わたくし)、金満様は別の能力をお持ちになられてると思ってました」


「あぁ、ホオズキか。アイツは私の精靈ではない。はぐれ者ならぬ、はぐれ精靈だった奴だ。口も態度も乱暴だが中々使えて頭も切れるが故、手を焼く毎日だが重宝している奴だよ」


 舞浜は一言返答をすると笑顔を流しながら黒月と共に去っていった。

 全員がコロニー奥の竹が立ち並ぶ所へ行くのを見届けると、金満はホオズキに向かって自信をもった面持ちで口を開いた。


「これで輝夜の方は一段落だ。あとは私が国議でこれを言えば神無もお終い。いよいよ私の計画は成就するのだ」


 金満は手のひらに映された、カメラのレンズにも似たホログラムを軽く押すと、二つの輪郭が時計回り、反時計回りに動きながら中央のレンズ部分が展開した。

 円の中心から正方形が三つ、段階的に現れると、金満が改ざんしたものを含めていくつものデータが映し出された。

 金満はそのデータを見やりながら、もはや計画通りにいったと言わんばかりに高笑いをした。そんな金満をホオズキは冷めた目で見ていて、やがて「俺もそろそろ行く」と言って足早に部屋を後にした。


 ※


 場は戻って地球。

 澄んだ夜空を輝夜はビジネスホテルの窓越しから、悲哀の漂う目を向けていた。

 雛月と輝夜がビジネスホテルに着くのはさほど時間はかからなかった。問題だったのはチェックインの時だった。

 まず見た目。輝夜も雛月も、普段のドレス姿で行ったものだから、フロント側は物珍しげに終始チラチラと見ていた。

 次いで宿泊期間のことだった。七泊以上はロングステイ扱いになることから始まり、部屋はダブルかツインにするかと問われたこと。部屋の鍵はカードキーを使うこと。パソコンを使う際はインターネット専用線と、WIFIが完備されていること。雛月たちの部屋にはミニキッチンがあること。チェックアウトの時間。などの日本語と外来語が入り混ざっての説明に雛月は混乱を起こして何度も聞き返し、最後の方では「和語で説明をして下さい」と言って考えるのをやめた。

 ツインの部屋に入室したあとは、輝夜はずっと窓の外を見上げ、雛月は雛月でホテルに食事が無いことや、バスルームの中を見たりして、「日本の宿場はどうなっているんですか?!」と大きく困惑しながら、声をあげた。

 いつもなら輝夜が「ここは地球よ」などの返しが来るところだが、今の輝夜はそれすら言わず、心ここに在らずという感じに動こうとも喋ろうともしなかった。

 そうして今の時間までずっと外を見ている輝夜に、なぜか学生服の姿で夕食の材料を買いに戻ってきた雛月が、そっと話しかけた。


「輝夜様……心中お察しします。あの……きっと……。きっとこの先、吉兆がありますよ! 底まで落ちたら後は上がるだけ。って今も昔も言われている通りに」


 必死に輝夜を励まそうとする雛月に、輝夜は「雛月」と数時間ぶりに口を開く。


「貴女も、もう疲れたでしょう。こんな馬鹿な女に振り回されるのは」


「……輝夜様」


「私が地球に二回も降りた時も。災禍に(たけ)り狂った時も。投獄され脱獄し、三度地球に降りた時も。貴女はずっと私を庇ってきたのだろうけれども……。もう、うんざりしているでしょう」


 雛月は輝夜の言葉を黙って聞いているが、苛立ちや呆れたような表情は一切無い。落ち込んでいる子供の声を聞く、母のような柔らかな表情の雛月がそこにいる。

 輝夜は雛月の顔を見ず「貴女はもう好きに生きなさい」と言うと、雛月は持っていた荷物を下ろしてベッドの上に座った。


「好きに生きて良いなら、私は引き続き輝夜様の従者として生きます。これは私の意思で選択し、決めた事です」


 返事を聞いた輝夜は、ゆっくりと見返りながら雛月の方に目を向けた。確固たる意志を持った目を向ける雛月を、輝夜は「そう」と一言だけ返すと、再び窓の外へ目を向けた。

 その一方で、光の少なくなった用賀神社に一つの影が本殿の屋根に音もなく現れた。

 死人のように青白い肌。骨と皮だけで出来たようなやせ細った体。上腕と前腕からもう一つの腕が伸びた、異様に長い手。ボロボロに壊れた旭日を背負った異形の存在が屋根の上で一人立っていた。


「それじゃあ派手にやってくれよ。スイレン」


『スイレン』はホオズキの声を合図に目を大きく見開いて、その異様に長い手を伸ばし天を仰いだ。

 壊れた旭日が一瞬の赤を輝かせると、旭日の中心に吸い込まれ黒い太陽が光りだす。とたんに周囲の木々がざわめいた。


 ※


「もう我慢できない」


 しびれを切らした瑞穂が、唐突に叫んだ。沈黙に包まれていた今に緊張が走り、二人が同時に顔を向けると瑞穂は龍吾に詰め寄る。


「龍吾、貴方あの女に何を言われたの。なんでそんなにも気にするの。答えて」


 瑞穂の問いかけに、龍吾は顔に影を落とした。だが瑞穂は追求の手を休めることなく問いかける。龍吾の隣からは正樹が瑞穂に便乗して、瑞穂ほどではないが「どうしてなんだ」と聞いてくる。


「何も言われてないよ。ただ普通に……父さんと母さんが来るまで一緒にいただけさ」


「そんなこと信じれると思うの? 龍吾、正直に言いなさい」


「そうだぞ、り、龍吾。あの二人をずっと気にしてたんだろう? 父さんにも話してくれ」


 龍吾が強い苛立ちをあらわに「だから何も言われてない」と言おうとしたとき、突然龍吾の声が止まった。二人は龍吾を見ていたので、その変化にはすぐに気づいた。

 首を強く絞められているように苦しみだし、やがて痙攣をしてその場に倒れたのだ。

 そこに続いて瑞穂次いで正樹と同じような症状が起こり、一家は声すら上げることなく意識が闇の底へと落とされた。

 しかしそれは龍吾の家だけではない。世田谷区から、関東全域で痛みに声をあげる人、もがき苦しむ人、激痛に耐えれず気絶する人であふれた。勢いは止まらず東京を中心に、日本中に広まりつつあった。老若男女問わず人であるなら全ての人が痛がり、苦しみ、助けを求めた。

 街中では人々が次々と倒れ、道路では運転手が突然の発症によってあちこちで事故が多発している惨憺(さんたん)な光景が広がっていく。

 それは輝夜達も例外ではなかった。が、雛月の精靈『シラユリ』によって、症状はすぐに回復した。

 何事なのかを考えていた矢先、突如雛月から血相を変えたボタンが現れると、呼び止める間も無く一瞬で姿を消した。

 わずかな魔力の残滓(ざんし)を辿りながら、雛月は輝夜に一声かけて外に出た。


 ※


 ボタンが向かった先は自分の故郷、用賀神社。

 そこで彼女の表情は、生まれて初めてといって良いほどに大きく動揺した。

 神社は本殿の屋根にいる『スイレン』を起点として、日本を蝕む闇が放たれていて、辺りには魑魅魍魎(ちみもうりょう)がはびこる場所へと変わり果てていた。

 スイレンはボタンを光のない目で凝視していて、背後の闇からは人とも獣とも区別がつかない異形の魔獣に悪霊の群れがボタンへと目を向けて狙いを定めている。

 ━━だが、それがボタンの怒りを爆発させた。

 ボタンの目が朱の色へと変わり、眼中に収まりきれず炎のように光が溢れ始める。

 十体の悪霊がボタンへと向かったが、彼女の周囲三メートルあたりまで近づいたとたん、さながら風船が破裂するように一瞬で消滅した。

 明王の如き憤怒の形相のボタンは自らの故郷を汚されたこともあるが、何よりも敬愛する主神の住う社に不純の最たる魍魎が土足で上がっていることに激しい怒りを燃やしている。

 腰につけていた月輪が真っ赤な旭日へと形を変えると、屋根の上にいるスイレンへ瞬時に間を詰めた。

 ボタンが拳を突き出すとほぼ同時に、スイレンが片手で拳を受け止めた。

 周りにいた怪物は、ボタンの拳をスイレンが受け止めた衝撃で消し飛んだ。

 スイレンが拳を抑えていると、彼女の手から青白い皮膚が、どんどん剥がれ落ち、本来の姿だったであろう瑞々しい肌を持ち、目鼻立ちの整った、清楚な女性になっていく。


「━…━━ ━━…━… ━━ …━…… ━━━ ……… …━━━ ━━━…━ ………━ ━… …━ …━━… …━………」


 かすれた声とも、息遣いともとれる声がボタンに向けられるが、怒りが頂点に達しているボタンには意味が分かっても止まることはない。

 掴まれていた拳を引き抜くと、スイレンの腹部を突き上げるように拳を食い込ませる。

 大砲の発砲にも似た音が境内に轟き、境内にいた悪霊たちは、その音だけで全て消し飛んだ。

 あっという間に雲の上まで飛ばされたスイレンが、見開かれた目を地上に向けると、地上にいるボタンが天空にいるスイレン目がけて拳を大きく後ろに引き、勢いよく突き上げた。


 ※


 魔力の残滓を追って雛月が走っていると、空気が一点に収束する音が鳴ったかと思った次には夜空が目をつぶらずにはいられないほどに光り輝いた。

 重厚にして、玲瓏(れいろう)たる晩鐘(ばんしょう)の音が、天地を震わせる。

 日本を包みつつあった邪気は、関東の一角から発せられた光によって、一片のかけらも無くかき消された。

 天上の光が消えると、冬のように澄み切った夜空が広がっていた。

 少しづつ雛月が目を開けると、道ばたで倒れている人たちのうめき声や、苦痛に苦しむ声は無くなっていた。

 雛月にはその原因がすぐに分かり、急いで足を進めようとする。神社まで続く道までたどり着いたとき、突如雛月は力なく転び倒れた。

 雛月が自分の手を見ると、黒いヒビが余すところなく伸びている。

 それは両手だけで済まずに、全身に黒いヒビが走っていた。

 立ち上がろうとしても雛月の両手は震えていて、まともな力が入るような状態ではない。こんな状態が起こり得るのは、第三者の能力による影響か、あるいは雛月の持つ魔力が枯渇したかの二択。

 その二択のどちらなのか。という答えはあっけなく判明した。神社の方から白銀の光を放ちながら、ボタンが雛月の元に戻ってきた。

 一体となった雛月はボタンの事情を、瞬時に悟ったようで安堵の表情を浮かべた。それと同時に体を蝕んでいた黒いヒビが、徐々に薄くなっていく。

 すると蜂の羽音にも似た音が雛月の真上から迫り、見ると夜空に巨大なトンボの影が、クッキリと浮かんでいた。

 そして背後からは、漆黒の和服となじんだ巫女服を着た舞浜が、雛月の退路を閉ざした。


 ※


 部屋を出た輝夜は、辺りを見回しながら出入り口へと向かった。

 フロントではスタッフが二名倒れていて、そっと輝夜が両名の脈を確認した。


(脈拍は普通。気絶しているだけね。……一体あれほどの邪気は誰が?)


 輝夜が外に出ると用賀一帯は、ドラッグストア辺りからデジタルレコーダーに録音しておいた活気ある男性の声が、街中に空しくこだましているだけの世界になっていた。

 道ばたには先ほどの邪気で倒れている人たちが散見し、車は見渡す限り全て止まっている。中には歩道の柵を乗り越えて止まっているものもあれば、信号や建物に激突して止まっているものもある。

 変わり果てた一帯を見渡していると、輝夜の背後から靴音が聞こえてくる。

 上半身だけ振り向くと、白色の虹彩と、縦に伸びた光のない瞳孔で輝夜を見据えている黒月が、一切の表情を変えず輝夜の前で止まった。

スイレンのセリフの意味


「━…━━ ━━…━… ━━ …━…… ━━━ ……… …━━━ ━━━…━ ………━ ━… …━ …━━… …━………」



「・-・・ ・・-・- -- ・-・・ --- ・・・ ・--- ---・- ・・・- ・- -・ -・・- -・---」



「かみよ かれらをすくいたまえ」


という意味です。モールス信号でセリフを作ったのは、睡蓮が饒舌だと軽い印象を持たせてしまうのと、他の精靈と大差が無い。と思ったためです。

ホラー映画(特に邦画)でよくある、かすれた声での「あー」が「━」。「…」は呪○の伽倻○みたいな「ア」か「ア、ア、アア」みたいな感じで捉えて下さい。

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