赤い巫女
ひぐらしの鳴き声を低くした音が辺りに鳴り始め、その音に気づいた三人が振り返ると、壊れた電灯からはもとより周囲にある僅かな電気が倒れている雷花へと集まっていく。
その光景を見たオダマキがハンマーを取り出し、とどめの一撃を刺そうと雷花に振り落とすも、伝わるのは地面の柔らかな感触だけだった。
そこへ雷花が躍り出て親指と人さし指、中指で逆向きのCの字を作り、オダマキの脇腹へと嵌めた。
するとオダマキの身体から大きな電気の弾ける音が鳴ると同時に、オダマキの手からハンマーが、力無く落ちた。
感電しながらも意識だけは残ってるオダマキは、しぶとく向かって来る雷花を睨むと、雷花の両手がオダマキの首を掴んだ。
「私にはね! 命より大事なものを背負ってるの! こんな所で負ける訳には行かないの! これで本当に終わりだ! 終符! 雷極!」
終符が発動した途端、雷花の周りに青白い光が、ドーム状に発光した。
その光を見た輝夜は、自らのドレスを盾のように拡げて前方を防御した。
瞬間、青白い光の膜から雷花の蓄電していた全ての電気が、青空が広がりはじめた世界で大きく爆ぜ轟いた。
雨によって濡れた身体は、電気を通しやすくなり、オダマキの頭頂部からつま先。隅から隅まで余すこと無く全身に電気が走り、肌があっという間に焼け、閉じていた両目は衝撃によってこじ開けられ、眼球の半分が外に出た。
攻撃の時間は五秒と掛からなかったが、オダマキはハリネズミのように髪が周囲に展開し、飛び出た眼球は動かず、先の輝夜と同じほどに惨憺な姿となった。
一方でオダマキの首を掴んでいた雷花は、頭にあった碇の集電器も壊れ、身体からはもう電気の音は聞こえなくなった。
満身創痍に疲労困憊が重なり、雷花は息継ぎ無しで長距離を走ったように、息を荒げながらオダマキを見た。
動かないオダマキから両手を離そうとした時、雷花の左手をオダマキの手が掴んだ。
ビクリと雷花が震える。まさか、そんなはずはという思考が表情に表われ、冷や汗が雫と共に流れ落ちてくる。そしてそのまさか、は現実だった。
オダマキが掴んだ、血と土に塗れた袖のシワが、深くなっていく。
オダマキはもう片方の手で飛び出た両目を親指でグイと押し戻し、はめ込むようにこめかみを叩いて雷花を見た。
雷花は血相を変えて震えていた。
輝夜と戦った時ほどの電力ではないにしろ首への大放電は常人はもちろんだが天月人でも、精靈でも、感電による死は避けられないはずだった。
なのにこの精靈はそれを耐えた。そして彼女は尚も戦う意思の眼差しを向けている。
「な……なんで! なんで倒れないの! なん━━」
動揺する雷花の左頬に拳が放たれ、よろめきながらうつ伏せに倒れた。
両手から解かれたオダマキだが、決して余裕のある状態ではない。両足は声が今にも聞こえんばかりに笑っており、姿勢を維持しているだけでもやっとという感じだ。
「ぐっ……うっ……ず、随分……優しい拳になりましたね?」
強気な言葉を発する雷花も、心身共に限界で、風に揺れる枝のようにフラフラとしている。
オダマキは姿勢を立て直しながら、しかし今にも崩れそうな危なっかしい足取りで、雷花へと駆け向う。
迎え撃つ雷花も、いつ倒れても不思議ではない。
そんな彼女の事など一切考慮せずオダマキは殴りかかるが、攻撃のキレは無くなり、大振りなパンチだけを繰り返していた。
更には三回攻撃したら一回は空振りを起こし、回数を重ねれば重ねるほど空振りの回数は増えていく。
片や防御に徹する雷花も身体や四肢の奥底から悲鳴が絶えず上がっているのか、オダマキの攻撃が当たる度に口から声の無い叫びを上げている。
その様子を見ている輝夜と雛月は、ただ傍観しているしかなかった。
「凄いわね。オダマキもそうだけど、あの雷花も中々どうして骨のある者とは思わなかったわ」
「命より大切なものを背負っている。そう言ってましたよね。それが雷花さんを動かしているのでしょうが、このままでは……」
「私達を狙う者に同情するの? 私は言ったはずよ。私に挑む者は全て返り討ちにしろ、と」
「……確かにそのとおりですが……ですが、私はあの人がどうにも不憫でならないのです」
いつしか雨は止んで、空には青空が広がっていた。
けれども空の下の一角では、苛烈な嵐がまだ吹き荒れている。
オダマキは勝利を得る事を。
雷花は学園の生徒の未来を原動力に。
それ以外は一切無く、互いに虚ろな目で、傷だらけの身体とやつれた心で、自身の意志を糧に本能で、がむしゃらに戦っている。
だけど、そんな時も終わりが来た。
オダマキの大振りなパンチが空振りしたその瞬間、それを待っていたかのようにがら空きとなった胸ぐらを掴む。
光の消えていた眼に。
炎の消えかけていた眼に再び炎と光が戻る。
掴んでいた手を思い切り自身の元に引くと、オダマキの腹に鋭いひざ蹴りが突き刺さる。
うずくまるオダマキの顔に追撃で大振りながらも、渾身のアッパーが直撃した。
空を仰ぐオダマキと、空に舞う彼女の血。
意識が青空の中へ吸い込まれるように倒れるかに思えたが、片足で体制を整えその場に立ち止まった。
オダマキも今の一撃で目が覚めたか、目に光が戻る。
お互いの拳が力強く握られ、オダマキはのけ反った顔を伏せた。
太陽が顔を出し、鳥のさえずりが園内を駆けめぐる。
先ほどの雷雨が嘘のようにさんさんと光が世界を照らす中、二人だけは時が止まったように動かない。
枝にたむろしていた鳥達が陽の差し込む世界へ飛び立った。
━━瞬間
同じタイミングで両者が攻撃を仕掛けた。
オダマキは腹を殴り、雷花は顔面を殴った。
果実が破裂したような音が鳴り、両者はそのまま動かない。
そして膝が草地に着き、澄み渡った空を意識を失う瞬間に見上げながら━━
オダマキが倒れた。
直後に雷花が口に含んでいた血を足元に吐き出すと、荒い息のまま輝夜たちの方へと目を向けた。
「……終わり……ましたよ。さぁ……次は、貴女たちです!」
輝夜と雛月は互いに顔を見合うと、雛月が輝夜の心中を代弁するように雷花に話しかけた。
「雷花さん、貴女は輝夜様、そして私の精靈オダマキを倒し、満身創痍で尚も立ち向かうその姿勢には最上の敬意を払わざるを得ません。ですが、貴女がどう捉えようと構いませんが、これ以上はおやめ下さい」
「……馬鹿を言うな……! そんな簡単に……やめれる問題じゃあないの!」
おぼつかない足取りで二の次の言葉を言おうとした途端、雷花の身体を青色の光の帯が巻きつき雷花は姿勢を崩して仰向けに草地に倒れた。
明らかに雷花の能力ではないことを察知した二人はその帯が伸びる方向へと顔を向けると青色の髪と目の、雷花と同じ白衣を身にまとった呼吸の荒い男性が立っており、彼の右手から雷花を縛る光の帯が出ていた。
「……また神無の刺客? 懲りないわね。まぁ、彼女に負けた私が言うべき言葉じゃないけど」
ため息混じりに嫌気が指した輝夜が男に向かって言うが、男の回答は二人の予想とは異なっていた。
「いいえ。自分は戦いに来た訳ではありません。彼女を。雷花を止めに来たんです」
その声の主を知ってか、雷花が光の帯に縛られながら顔を向けると、先の戦いとは違った驚きの表情を浮かべた。
「つ、月島?! ……な、なんで貴方がここに?!」
「雷花、輝夜さんたちの言う通りだ。もう止めよう。君はよく頑張ったよ」
「……な、何を言っているの? まさか、貴方まで……貴方まで神無の言いなりに! 奴に魂を売ったの!」
「違う! あんな奴に寝返る訳ないだろ」
二人は顔見知りで、同僚か先輩後輩の関係かなのかは定かではないが、とにかく話を聞く限りでは雷花の味方である事が、輝夜たちには分かった。
「貴方は知ってるはずだ! ここで私が諦めたら、神無は必ず私の生徒達に手を出す! 私の命だけで奴が終わることは無いという事を、貴方は知ってるはずだ!」
「そんな事は知ってるさ。だけどもうその心配は無いんだ」
話の意図が読めない雷花は困惑していた。
対して輝夜たちは雷花を止めようと来た男が、建前こそ雷花を止めに来たが、その実神無の命で精算をしに来た、と推測していた。が、その推測はすぐに違うことだというのが判明した。
「もう生徒達も教師の皆んなも、別の場所へ避難したんだ。あいつの息のかからない別の場所へ」
「どういう事……ですか?」
※
話は雷花が政法殿へと赴いた後に遡る。
雷花が神無の命によって徴兵された後、校長室にある縦に長い大理石のようなもので作られた机に全教師が集められ、緊急の会議を立てていた。
神無が雷花の願いを聞き入れるはずは無く、自分達も神無の命で徴兵される事を察知し、また学園の生徒も、神無の言う玉砕の道具として扱われ、逆らえば神無に愛与される事もすぐに予知出来ていた。
しかし逃げる場所も手立ても無い教師達にとっては、最早決断を迫られる事態となっていた。
「校長先生、どうしますか。我々も雷花さんみたく、徴兵の命が来るのは時間の問題でしょう。あの人が、雷花さんだけで済ませる訳がない」
「分かっているとも。だが……君達も知ってるだろう。逃げても隠れても、奴は必ず私達を見つけに来る。そうして見つかったらどうなるかなんて言うのは言わずもがな、だ」
「ならばせめて生徒達だけでも避難させましょう! 子供達を玉砕の道具になんか、あってはならない事です!」
「だが手段が無い! 私だってそうしたいさ! だが神無の兵は絶対我が校に目を光らせているだろう。我々は詰みの状態なのだよ。認めたくない事だがね……」
小柄な校長は卓上に両手を合わせて、静かにうな垂れた。周りの教師たちも皆、巨大すぎる権力の前では自分たちが無力である事に絶望していた。
すると、沈んだ空気の中には似つかわしくない、飄々とした声が室内に出た。
「そうだな。今の状態じゃあ詰みも良いところだ」
室内にいる誰の声でもない声のする方向に目を向けると、いつの間にか扉の前で赤い巫女服を着たノコギリのような身の丈以上の大剣を持った女性『ホオズキ』が「邪魔してるぜ」と言いながら立っていた。
教師達に緊張が走り、各々の能力をいつでも出せる態勢に切り替わって構える。
「おいおい初対面の奴に、いきなりお前呼ばわりで、しかもこんな出迎えはねぇだろう。もうちっと柔らかく行こうや、なあ?」
「どこの誰かも分からない存在がいきなり現れて、警戒しない方がおかしいだろ!」
「あぁそうかい。まぁ、んな事は良いんだ取りあえず座れよ。あんたらに話があんだよ」
不敵な笑みと、女性には似合わない言動をする者に、教師達はますます不信感を募らせる。だがホオズキが発した言葉で、教師達の顔色は一変する。
「おたくらの可愛い生徒達を助ける話さ。聞きたくねぇのか?」
その言葉を聞いた大半の教師は一縷の希望を提案する女に警戒を解いたが、一部の教師は尚も警戒していた。
だが校長は話を聞く事を決め、教師達に座るように指示を出す。
ホオズキはふてぶてしく卓上に腰掛けると、周りを一瞥しながら話し始めた。
「おたくらの教師が徴兵されて、今度はお前らの番が来るかもしれねえって話してたな。それは間違いじゃねぇぜ。神無は明日……いや、下手すりゃ今日の夜にでも、お前らの誰か……もしくは全員を徴兵しに来るかもな」
室内にまたしてもどよめきと緊張が走る。そんな事を他人事のようにホオズキは軽々しく話し続ける。
「拒否すればガキどもが使われるか、愛与されるかのどっちかだ。お前らが議論を何時間しようが、はっきり言って無意味だし時間の無駄だぜ?」
「だから大人しく神無の言う事を聞けって、言いに来たのか」
「はぁ? バカかてめぇ、話をちゃんと最後まで聞けよ。耳にクソでも詰まってんのかお前」
挑発的な言動と不信感が募り、教師達は眉を寄せるが、それを見たホオズキは逆に楽しそうに話を続ける。
「で、そんな絶望のどん底にいるてめぇらを、俺が助けてやろうって話なんだが……こんな空気じゃあ信用なんかされねぇよなぁ。まぁ俺は別に、てめぇらがどうなろうが知った事じゃねぇから? さっさと失せろって言うならそのまま帰るけどよ」
「ま、待ってくれ! ……分かった。信じるよ。信じるが一つ聞かせてくれ。何故そんな詳しい事を知っていて、それを私達に話すんだ?」
「校長先生、間者とも思われます。我々を陥れる罠かもしれません」
「……まぁ、俺はお前らの味方ではねぇな。しかし、罠だと思うならそこのテメェは残りゃいい。泣くか笑うかは後で分かるがな」
味方ではない。そんな不透明で、曖昧な答えをホオズキは平然と言うが、教師たちは自分の身はもちろん、生徒たちを助ける為なら、残された手段はホオズキの言うことを信じる他にない。
「分かった……。貴女を信じますよ。これも生徒達とその家族の為です」
「あぁ、そうかい。んじゃあさっさと準備しな。もうこの学校は今日で無くなるからよ」
『無くなる』という言葉に、決意を固めた教師達が一斉に目を向ける。
「無くなる? どういう事だ?」
「まんまだよ。お前らが避難した後はこの学校は無くす。木っ端微塵にな」
「な、何? 何故だ!」
「何故だ? お前よ、少しは頭使えや。先に徴兵の命を下しに来たのは誰だ? 三月皇の一人の神無だろ? あいつならあらゆる手段を使って探して来るぜ。この学校が残ってるのなら尚更よ。残ってる資料、備品、ごみ、調べられる物は隈なく調べて追いかけて来る。そうしたら意味がねぇだろ?」
「だからと言って! 我が校は、創立二百年の歴史を持つ学園なのですよ?!」
「その歴史を守るために、今いる生徒たちの未来が奪われても良いのか?」
ホオズキの言葉で核心を突かれた教師達は、もう誰一人として言葉を出さなかった。
一瞬の静寂が訪れると、ホオズキは考えの読めない笑みを浮かべながら、教師たちに口を開く。
「全ての準備が終わったら、この学校の近くに渓流があるよな? そこに赤黒色の船が泊まっている。それに乗りな。だが日付が変わったら遠慮なく出発する。乗れなかったら諦めな。乗りたかったらさっさと用意した方が良いぜ? 時は待ってくれねぇからよ」
ヘラヘラと笑いながら、ホオズキは背中からひっくり返ったと思うと、そこには誰もいなかった。
教師達は困惑する者もいれば、覚悟の出来た面構えの者もいた。
校長が時計を見ると、時は既に夕刻の十八時を迎えていた。
「……全教員に緊急の連絡を伝える。日付が変わるまでに大至急全校生徒とその家族、そして君達の家族をここに集めるのだ! ……神無の……奴の手に子供たちの未来を、奪わせるな!!」
かくして全教員は言うよりも速く担当しているクラスの生徒とその家族へ緊急の連絡を伝え、全ての生徒達が終わったら自分達の家族へと連絡を行なった。
全ての準備が整ったのは、夜の二十三時だった。




