白の百合
紺碧に染まった眼が残光を引きながら、ゆらりと雛月に向けられる。
土砂降りの雨の中を輝夜目掛けてずぶ濡れの雛月が走る。
雷花の周りからまた電気の走る音が聞こえ始め、雷が雷花を包み雨の中で一際輝く。
(真っ向から挑んで勝てる相手では無い! 私の精靈であの状態で渡り合えるのは、一人!)
「出で現われよ! ボタン!」
「来ますか。輝夜の従者」
電気の弾ける音が二、三鳴ると、雛月は精靈を出し、雷花はその場から消えた。
互いの行動が同時に行われた後、雛月の二歩手前でボタンが雷花の掲げた手を掴む。
輝夜ですら捉えられなかった攻撃が目の前にいるボタンただ一人に阻止された。
見る者に畏怖の念を与える眼差しが雷花を見据え、掴まれた手はびくともしない。
たじろぎながらも雷花は、体内に蓄積していた電気を、放出させようとした。
だがそれを察知したのか不意にボタンは雷花のもう片方の手を掴むと、雛月から距離を取るように龍吾の家付近へと力尽くで押し出す。
その間雛月は輝夜の元へと駆け寄るが、変わり果てた輝夜の姿を見るや否や、安否の確認より先に吐き気を催してしまった。
(……予想よりもあまりに酷い! だけどこの状態になって、未だ五分と経っていない。ならば蘇生回復には十分可能性がある。だけど……)
焦げ付きながらも雨によって冷えた身体を触りながら、雛月は豪雨の奥で戦うボタンと光を纏った雷花の戦いを不安そうに見ていた。
(私がここで輝夜様を蘇生治療すれば、ボタンを維持する為の魔力も加わって中途半端になる。しかも彼女が私に狙いを変えたら、戦闘と回復の両立は至極困難……!)
訓練と改良によって、ボタンを極力まで魔力を消費させずに維持させる課題は雛月に大きな成果を生み出した。しかしそれでもなお、ボタンの戦闘を維持するのには多大な魔力を要する。
回復に集中すれば、ボタンの維持に加え、雷花に狙われてそれを防がなければならない、という三つの可能性が生じる。
雷花を倒す事を最優先とするなら、その間輝夜の蘇生回復の成功確率は秒単位で減って行く。
完全な板挟み。
どちらを取っても、雷花を無視する事は不可能。
ボタンの足止めも決して長くは持たない。
最善の方法を考えれば考えるほど、底の無い沼へと飲まれて行く。
そして考えてるこの間も、時間は刻一刻と過ぎて行く。
ああでも無い。
こうでも無い。
冷静に考えようとしても、どんどん雛月に焦りが生まれていく。
それを嘲笑うように時間は過ぎて行くばかり。
雨粒の一つ一つ。ボタンと雷花の戦いが視認出来るほどにゆっくりと世界が動く。
そんな中、天から降って来た一粒の雨粒が、雛月の眼にぴちゃりと打つかる。
その時雛月の目が大きく見開いた。
(……違う。ボタンの維持して相手を倒すのでは無く、私が回復に集中するのでも無く、答えは、回復を別の者が行う! そしてその回復する者は、ここで生み出す!)
雛月は一つの答えを見つけ、天へ右手をかざした。
(来たれ不易の天の慈雨!)
かざした右手に雛月に降って来る雨粒が吸い込まれ、一つの水塊となった。
そして左手には白い光が集約し始めた。
(謳え救いの御光!)
右手の雨。
左手の光。
その二つを纏う手が、上下から挟んで合体させた。
一方雷花を掴んで離さないボタンは、呼応するように雛月のいる方向とは逆の方へ雷花を背負い投げた。
呻きながら叩きつけられ、勢いで宙に浮いた雷花はその眼で輝夜のいる方角に光が発せられているのと、同時にボタンが豪雨に混じって消えるのを見た。
それを逃さんとする雷花は宙に浮きながら雛月に狙いを定め、その身を雷へと変える。
遠くで一瞬の微かな光を捉えると、オダマキのハンマーが降り地面に接触しようとした。
━━正に同じ瞬間。
黒鉄のハンマーが地を揺らし、雷と化した雷花がハンマーに直撃した。
雷は雛月の頭上にある電線へと直角に飛び上がって、電線へと隠れた。
オダマキはハンマーを引き抜くと、すかさず傘の様に雛月の頭上へと掲げた。
刹那、電気の弾ける音が鳴る電線から稲妻が放出されるが、ハンマーには焦げ跡すら付かず、オダマキも雛月も感電はしなかった。
(萌えよ奏でよ命の旋律 来たりて救え! 白の百合!)
収束した光が緩やかな波を幾つも放ちながら、その精靈は現れた。
光沢のある白く長い髪。
身体は首元の飾りから放射状に広がる薄めの白生地に身を包んではいるが、肩は柔肌がそのまま露わになっている、西洋おとぎ話にでも出そうな姫を思わせる姿。
表情は柔和そのもので、慈悲深い微笑みを浮かべている。
シラユリは現れるや否や自身を光に変え、惨憺な姿の輝夜の身体に溶け込んだ。
すると熱した鍋に水を垂らす様な音が輝夜から発せられ、輝夜の身体にへばり付いた焦げ跡が徐々に細かな塵となって飛んで行き、傷一つ無い本来の肌が見え始めた。
口から出された焦げた臓物も同じで、焦げ跡は塵とり、臓物は在るべき所に戻ろうと順々に口内へと戻って行き、飛び散った脳漿と血も輝夜の身へと戻り始める。
奇怪で不快な光景だが、輝夜の身体は少しづつ、確実に回復して来ている。
だがそれを雷花が、見逃すはずがなかった。
電線に潜む雷花が再び雷を放出するが、放つ先はオダマキでも、雛月でも、輝夜でも無く、向かい側の電線。
雛月が気づき対応しようとする前に、向かい側の電線から電気が放出される。
雛月の左手が赤く染まり、高熱と痛みを必死に食いしばっている。
やはりと言うべきか、精靈を操る雛月へと雷花が狙い始めた。
傍らで倒れている輝夜の蘇生回復は順調である。
しかし、ここで雛月が倒れてしまえば、精靈も消えてしまう。
そうすれば必然的に、輝夜の蘇生回復は止まり、輝夜は死ぬ。
最悪の事態は忌避したいが、相手は光と同じ速さで攻撃してくる雷の刺客。
そんな彼女をまともに相手に出来るのはボタンだけ。
先のオダマキの攻撃で、雷花の突進を防げたのも、その実、九と五割は直感と運である。
残りは計算だがそれら全てを合わせ、次も通用するかと問えば答えは否である。
何より現在の雷雨に加え、今いる場所は電気が通っている物が多い。
電線、車、そして家。
空家だろうが家屋だろうが、電気が僅かでもあれば、そこから充電する。とどのつまり、この一帯では電気が絶える事は無いという事だ。
(蘇生回復は出来た。残るは彼女だ。私とオダマキで彼女と戦い、止めにボタンを使えば良いが、あの帯電状態を何とかしなければ)
いつ攻撃が来るのか。
互いに探り探りの状態が続いている時、雛月に一つの閃きが彼女の脳を駆け抜けた。
「オダマキ! あの電線を攻撃して!」
雛月の言葉と共に稲妻が雛月に目掛け放出される。が、オダマキのハンマーが一足早く稲妻を防ぎながら、ハンマーを盾にしながら突っ込んで行く。
弾力ある手応えがハンマーに伝わり、突っ込んだ衝撃で隣接する電線が波打つ。
雷花はハンマーを押し込むオダマキの場所からずれて雛月のいる場所へと攻撃をしようとするが、そこにいるはずの雛月と輝夜がいなかった。
奥の空き家に逃げたかと推測したが、雷花の見ている方向と逆側から車の排気音が鳴り始める。
その方を見ると、一台の白の軽車が駐車場から走り出し、雷花の元から離れて行く。
雷花が気づくと、オダマキは「やっと気づいたか」と言いたげな表情でその場から消えた。
(……どこへ行くのか分かりませんが、そんな亀の足で私から、逃げられると思ってるのですか!)
電線が光り始めると、電線を伝う様に雛月達を追い始めた。
一方で車内の後部座席では雛月とシラユリによる回復が二重に行われていた。
シラユリの召喚時に比べれば、輝夜の容態は復活目前なまでに回復している。
雛月の左手は本人の魔術で、回復するのにさほどもかからない程度。故に回復の優先度は輝夜へと向けられる。
車のハンドルや加速器は黄色の光を放ちながら勝手に動いていた。
雛月と言えど地球の車の構造や動かし方は分からない。が、車が動いてもらえれば話は別。
魔術で操縦を防止する機能の無い地球の車が。車は雛月の指定した所へ雨を裂きながら猛然と走る。
その道中、電線から稲妻が放出された。
車内が閃光に包まれ、稲妻が直撃した所からの衝撃で揺れる。
一度で終わらず、四方八方から稲妻が放出され、白色の車がみるみる内に焦げ跡だらけになって行く。
目的の地まではすぐそこまで迫っている。
後もう少しと言いたげな雛月の意思に反し、またしても稲妻が二つ同時に放出される。
すると車内でもはっきり響くほどの破裂音が鳴ると、車が大きくふらふらと走るようになった。
「な、何? どうして速度が落ちているの?」
車内には異変も異臭もしない。
速度計も、速度が落ち始めてはいるが異常があるようには見えない。ならば考えられるのは外側。
(……車輪! あの稲妻が車輪を焼いたのか!)
徐々に車体の揺れが大きくなるが、雛月は人差し指を運転席に向けると、車は最高速度まで速度を上げた。
目的地まで続く道路と、大通りが合流する所まで車は一直線に走り続けるが、その間車は振り子の様に大きく左右に揺れる。
周りの車から警笛が立て続けになる中に混じって、雷鳴が轟き車の背部に黒い跡を残す。
いよいよ車は魔術をもってしても、ミミズがのたくるような走行となった。
高速で動く鉄の蛇と化した車は、鉄柵と草垣を強引に突破し、歩道に乗り上げた車はそのまま園内にある無人の球場に突入する。
そのまま球場を突き抜け、草木を掻き分けながら車が走れるほどの歩道へ曲がり走る。
今や車体は、雛月が乗り込む時に比べると車体は焦げ跡だらけで、前面部に至ってはデコボコで、原型をとどめて無い。
やがて車は公園内の奥へと向かい、芝生広場へと掛かる橋に差し掛かった所で、自転車通行止めの鉄柵に打つかると車は宙に大きく回転し、豪雨に濡れた橋の際で転がりながら車輪が天を仰ぐ形で止まった。
橋を塞ぐ形で止まった車を街灯から電線、電灯へと伝って来た雷花が姿を現わす。
(死んだ……? 否、こんな事では奴らは死なないはず。だからこそ念には念を入れて、あの鉄塊ごと破壊する!)
雷花の右手から電音と共に白い雷が包み、その手が仰向けとなった車に向けられる。
(子供達の未来の為! これにて終わりです!)
右手がかざされ今まさに雷が放たれようとした時、仰向けの車が突如鼓膜を震わす低音と共に雷花へと突進して来た。
不意を突かれた雷花は、右手に溜めていた雷を本能的に放つ。
雨音以外の音と、人気の無い静寂に眠る公園の一角に爆音が園内に轟き渡る。
車体は完全に大破し、橋の真ん中でその屍が煙と炎を上げながら横たわった。
燃え上がる車体を見ていると、今度はその奥から金属の甲高い音が鳴った。
音源の方へと顔を向けると、園内の電灯が力無く倒れていく。また音が鳴ったと思うと、広場の電灯が次々と倒れていく。
その行動の意味を理解した雷花は身体から磁場を作り、目の前にある黒焦げの車体を浮かせて奥にいるであろう雛月と輝夜へ弾き飛ばした。
だが、弾き飛ばされた車はフワリと軌道を変え、あらぬ方向へと音を立てて落ちた。
そこには雛月と未だ目覚めぬ輝夜がいた。
「……よく無傷でいられましたね」
「魔術師ですから」
「左様ですか。だけど、すぐにあの車のようにしてあげます。私はね、ここでしくじる訳には行かないのです。その為ならやり方や、規律、道徳に人道なぞ安易に捨てれるのですよ」
雷花が言い終わるとその身体を雷へと変え始め、雛月目掛け接近する。
すると雛月の目の前に彼女の腰ほどの大きさの男子が突如現れた。
雷花の突進は子供の目の前でピタリと止まった。子供の姿を見て身体が微かに震えるが、直後その子供が幻と分かり顔を上げると、オダマキが雷花の胸倉を掴んだ。
オダマキの渾身の力を込めた頭突きを顔面に喰らわせ、合わせて雛月からは身体に炸裂する波動を喰らった。
赤々と腫れる顔面からは鼻血が吹き出て、身体は波動の勢いに流される。
だがそれで終わりではない。
オダマキは片手で吹っ飛んでいる雷花をがっしりと掴んで、続け様に頭突きをもう一発、二発、三発、四発。
果実が潰れる音と鼻血が頭突きの度に辺りに散乱する。
そして広場の方へと雷花を移動させると、オダマキは持っていたハンマーを消し、雛月と共に思いっきり雷花を殴った。
殴り飛ばされた雷花は雨に濡れた草地に半回転しながら倒れた。
雷花の顔周りの水溜りが赤く染まっていくが、雷花は鼻血が絶えず出でながらも、ゆっくりと立ち上がる。
「ひ、卑怯"な"……真似を"!」
「卑怯? 卑怯と貴女の口が言いますか。貴女は自分で仰いましたよね? しくじる訳には行かないから、やり方や規律、道徳に人道なぞ安易に捨てれる、と。ならば私もそれに従っただけです。私も、ここでしくじる訳には行かないのですよ」
雨足が少し弱くなり、雷花の赤くなった顔が遠目でも目視出来る様になった時、雛月は不覚にも呆気に取られてしまった。
雷花の肩がワナワナと震え、眼からは雨粒とは違う雫が、頬を伝っていた。
「……ばっ! 馬鹿"に"! しやがっでえ"ーー!」
泣いている。
大の大人が恥も自尊心もかなぐり捨てて、子供のようにぼろぼろと泣いている。
呆気に取られていると、雷花は雷を両手に纏い雛月へと向かう。
それをオダマキはハンマーを再び出現させ、盾にして防ぐが、明らかに先程の一撃必殺という攻撃ではなく、感情に任せて連続した攻撃。
それでもハンマーは一撃一撃の重みを示すように鎚から柄へと、攻撃の度に軽く後退するくらいの衝撃が伝わる。
すると不意に衝撃が止んだ。
攻撃を溜めてるのかと雛月は推測し、オダマキと自身の周りに青色の結界を張った。
だがそれは間違いだった。
上空から電気の音が鳴り、雛月が見上げると真上に小さな人影がポツンと浮かんでいた。
正面ではなく、上空からの攻撃。
察知が遅れた雛月が対処しようとした時、人影が雛月とオダマキ目掛け勢いよく落下し、辺りに雷の轟音が鳴り響いた。
シラユリ 能力値 特 上 普 下 苦
腕力 苦
走力 下
守備 普
察知力 上
持久力 特
知識 上




