第十六話 浮遊する自在剣
リチャードの合図を受けて突撃する一行。
男が使った魔法は、確かに一線級の兵士が使用するそれと大差なく、また、より発動の高速化が為されたものだった。
圧力だけで膝を付かせられるほどの風を生み出す魔法は、本来なら、ある程度の長さの詠唱なり、身の丈大の魔方陣の展開なりが必要になってくる。
それを、手のひら大の魔方陣一つで発動させてしまうのだから、男の能力の高さが窺えよう。
もしくは、相対した彼らに気付かれないように、魔法発動の準備を行っていたとも考えられるが、それはそれで中々の高等技術だろう。
しかしながら、研究が本職であろう男に近接戦闘の技術は無いように見える。
それは、先ほどリチャードの剣を躱した時の、拙い動きを見れば明らかだ。
接近して叩く――。リチャード達がそう考えるのも自然というものである。
「せぇいやあああぁぁぁぁぁッ!!!」
三人の先頭を走り、円匙を頭上に振り上げ男に迫っていくエリス。
女だてらにリチャードをも圧倒する筋力の持ち主は、やはり、瞬発力も素晴らしく、その速度もまたほかの二人の仲間を超えるものだった。
が――。
――ガィンッ……!!
振り下ろされた円匙を正面から受け止めたのは、かつての父が手に持つ剣だった。
「――くっ!」
思わず歯噛みするエリス。
今はもう、ただ男の命に従って動く人形となった父親。理不尽に命を奪われただけでなく、その肉体をも辱めるように弄ばれて……。
その暗い、光の宿らない瞳には、もうきっと自分の事も映っていない。
それはとても悲しくて、悔しくて。
元凶となった男に対する怒りへと昇華される。
「らああ゛ぁあああああああああああああッ!!!!!」
それは、かつてリチャードに向けた以上の全力。
振り下ろし、受け止められてなお、下向きに力を込める。
その力に、相手は地に倒れ伏す……筈だった。
「嘘ッ!?」
だが、その予想に反して、かつて父だった人形は、姿勢を崩すことさえなく、武骨な長剣を両の手で支えるに止まった。
どころか、気を抜けばこちらが抑え込まれる、と思わせるほどの力を見せてすらくる。
かつての父は確かに逞しくはあったが、“普通の人間”の範疇に収まる者だったはずなのに。
彼女にとって――或いは、かつての村での彼女とその周りを知る者にとって――は、それは異常なことだった。
事、腕力という一点に於いて、モラレスの集落にエリス以上の者はいなかった。
否。その表現では足りないかもしれない。
彼女の持つ温かく軽快な性格が無ければ、悪魔の仔、鬼子と呼ばれても可笑しくないほどに、それは人としての常識を逸脱した物だった。
誰が想像できるだろうか。
皆の手伝いがしたい、と言って、大人たちも扱いに苦労する重さの農具を片手で振り回す幼子を。
開墾した土地で、大人の男が数人がかりで掘り起こす切り株を力任せに引き抜く少女を。
力加減を間違えれば、それこそ、人死が出てもおかしくない、異常な能力。
それでも彼女が孤立しないで済んだのは、優しくも厳しく彼女を律してくれた両親あっての事だった。
彼らは言ってみれば普通の、所謂平均的な人間だった。自分たちを遥かに凌駕する力を持つ娘を、結果から見れば、二人は正しく導いたのだと言えよう。
常識の外にいた幼子であり少女であったエリスを、精神的に歪めることなく育て上げたのだから。
「構わん!!そのまま押さえてろッ!!」
腕力が拮抗する親子の横を走り抜けながら、リチャードはエリスに指示を出す。
倒せ、と言わない辺り、実はエリスを割と気に入っているのかもしれない、などと場違いなことをクロエは考えた。
案外外れてはいないんじゃないか?という疑念と、今はそんなことを考えている場合じゃない、という警告を一緒に振り払い、目の前の男に意識を集中する。
「うぇいッ!!」
下段左から振り上げる軌道でもって襲いかかる熊手。
それに対して男は魔法を発動させる。
「『其は其処に在る者』ッ!!【固定】ッ!!」
――ガツンッ!!
男の右の膝を打ち砕く筈だった鉄の爪は、しかし、何かに阻まれたように、男の身体からわずか離れた空中で止められる。
発動したのは最も単純な魔法の一つ、【固定】。
マナを使い、物体の位置を固定する。言ってしまえばただそれだけの魔法。
貴重な、しかし壊れやすい物を輸送する際などに、割と使われることのある、身近な魔法の一つだ。
それは、戦闘の場で利用されれば、強固な物理障壁となり得る。
大抵の場合――その例に漏れず今回も、【固定】の対象は周囲の空気である。
固定された空気は、いかなるものにも押し退けられる事が適わずに、その場所にとどまり続ける。
それは、目に見えない防護壁と同じだ。
強度や持続時間は術者の能力に依るが、少なくとも、ただの農具に突破できるほど軟ではない。
「ちぃッ!」
小さく舌打ちすると、阻まれた熊手を素早く引き、手に込める力を緩めることなく、振り下ろした。
が、これもまた、見えない壁によって止められる。
素早く男の後ろに回って、その細剣で突きを入れたクロエも、同様に空気の壁に阻まれていた。
「ふ、ふふふ……。む、無駄だと分からないのかね?」
口元を引きつらせながらも、男は問いかける。
リチャードはその様に素直に驚いた。
「傀儡と空気壁を同時に制御してなお、話す余裕があるのか……。だがまあ、無駄ではないさ」
男の魔法の才能は驚くほどに高い。
しかし、それだけでは意味がない。
この魔法は、発動中術者がその場を動けない、という欠点を抱えている。
魔法の座標が少しでもずれると発動しなくなるためである。
男に援護が来ないこの状況では、二つの魔法の制御のために集中し続けなければならない男と、その隙を狙いつつ圧力をかけて集中が切れるのを待つリチャードたち、どちらが有利かは言わなくても分かるだろう。
多くの魔法使いと同じように、この男も接近戦は苦手なようだ。
こう相手に接近されては、大きな魔法は使えない。自分も危険だからだ。
「リチャード。此処は良いから、剣を」
クロエが珍しく他人の前で口を開く。
どうやら、目の前の男は明確な敵として認定されたようだ。
「くぅッ!?」
幾度となく閃く光。
その度に響く金属音と男のうめく声が、戦闘の様子を伝えてくる。
クロエの剣が襲い、魔法で男がそれを防ぐ。
「分かった」
リチャードは剣を取りに壁際に走る。熊手は邪魔になるので途中で放り捨てておく。
拾い上げた、まだ僅かに魔法の残り香が漂う太く短い愛剣は、手になじむ感覚を返してくる。
仲間たちの方に視線を向ければ、エリスと傀儡の鍔迫り合いが終わろうとしていた。
エリスの敗北で――。
「きゃんッ!?」
エリスは悲鳴を上げて尻餅をつく。
肩を上下させ、荒く息を吐いている。疲労困憊という様子だ。
「そいつは良いッ!!こっちへ来いッ!!」
傀儡にそう指示を出す男。
指示を受けた傀儡は、立ち上がることも出来ないほどに疲れ果てたエリスを放置して、男の元に戻っていく。
(妙……だな)
リチャードはその様子に違和感を感じる。
傀儡魔法で操る対象には、声に出して指示を出す必要はない。
傀儡とは、言うなれば、拡張された術者の手足そのものである。
術者が思えばその通りに動くのが当たり前のはずだ。
もう一つ、感じたこともある。
(エリスを殺さなかったのは検体にするためか……?)
無力化した時点で止めを刺させなかったのは、おそらくそういうことなのだろう。
ということは、現段階での命の危険は無いことになる。
(まったく。甘いな)
敵ながら心配になる甘さだ。
「さて、形勢逆転じゃないかな?」
傍らに傀儡がやってきたことで、男は再び余裕を取り戻していた。
クロエは男と傀儡に挟まれる位置にいて、今は両方に気を向けさせられている。
リチャードはそこから少し離れていて、すぐにでも、という距離ではない。
これは、『魔法使いの距離』だ。
「投降してもらおう」
男は勝ち誇って告げる。
口元はいやらしく歪んでいた。
「俺もそいつも、まだピンピンしてるぞ?降参すると思うか?」
負けじとリチャードも言葉を返す。
この程度の状況で降参を選べるほどの鍛え方はしていない。
「疲労も死の恐怖も知らず、人に倍する膂力を持つ“兵器”を前にしても、かね?これの力は君の仲間が身をもって体験したはずだ。むしろ、これほどまでに保ったことの方が驚きだがね」
リチャードは眼を閉じて溜息を一つ吐く。
そして、右手に持つ剣を、前方に投げた。
男には当たらない軌道で。
(勝った!!)
男は勝利を確信する。
リチャードの行動を、降参の合図と見て取った結果だ。
自分なら“そう”する。
その曇った考えが、男の思考を鈍らせる。
「ふふふ……――がッは!?」
突然の息苦しさと、燃えるような熱さ。
胸元を見下ろすと、そこにあったのは、剣。
つい先ほど、自分の後方に放り投げられた、目の前の少年が持っていた剣。
何故?
男の脳裏に最後に浮かんだのは、その一言であった。
「傀儡が居たところで、術者を倒せば終わりだろうに……。そんなことも分からなかったのかねぇ……」
呆れたように、血の海に倒れた男と、仰向けに倒れたまま動かなくなった傀儡を見下ろして、リチャードは呟く。
浮遊する自在剣――。
それが、男を殺した術式。




