第七話 儀式の説明
「――さてと……」
エルリア城。国王執務室に集まった、三人の少年少女たち、及び大人二名。
現エルリエール王国元首、リチャード・エミリオ・レオポルド・エルリエール。
現存する最後の“勇者の血族”、クロエ・スルール。
若手冒険者の雄、リチャード・ケント。
その中で口火を切ったのは、エミリオだった。
他の二人はと言えば、クロエは元から家族以外と会話をすることは無い為に口を噤み、リチャードは一応自分の立場と相手の身分を弁えてはいるので積極的に発言しようとはしない。
最初の発言者が彼になることは、ほぼ必然だった、と言っても良いのだろう。
「そんなに緊張しないでくれ。堅苦しい言葉使いや挨拶も抜きにしよう。余とそこのリチャードは知らぬ仲ではないし、そなた等はこの後『世界の救世主』となる者。下手をすると、余如き一国の王より、よほど重要な人物ではないか?」
そう冗談めかして話す。
あながち冗談で済まない辺りが笑えない。
魔王の力の根源は、悪意のマナである。
怨嗟と悲哀と憤怒が彼を形作り、更に怨嗟と悲哀と憤怒を生み出す。
魔王が一度復活すると、その力は無限に増殖を続ける。この世界を滅ぼすまで。
エミリオの言った、『世界の救世主』という言葉も、半分以上は真実なのだ。
「とすると……俺は弟子に膝をつかねばならんか?」
リチャードの剣の師の一人で、近衛隊副隊長のレジアス・ダンパーもそう続く。
ニヤリと口元を歪ませていることから、冗談のつもりだろうとは皆思ってはいるが、どの程度本気で言っているのかは本人以外理解していない。
「――陛下も副隊長殿も冗談が過ぎますぞ……」
しわがれた声で冷静に諌めるのは、王国宰相チャールズ・ベルゼッフォ翁。
石で囲まれた光の入らない暗い部屋で、世界の行く末を占う話が行われようとしている。
「では、話を始めよう。とは言っても、何から話したものか。二人は儀式についてどの程度知っている?」
リチャードが右を見ると、クロエはふるふると首を横に振る。首の動きに合わせて、長い黒髪がフワフワと揺れる。
「俺も彼女も、儀式については殆ど知りません。せいぜい、旅に出る必要がある、という位でしょうか。魔王についても、彼の者が悪意の精霊であることと、王家の持つ魔剣・精霊殺しを持ってしか倒せない、という程度の知識しか持ち合わせてはいません」
その返答に、エミリオとチャールズ翁は、動作こそ違えど、同じように落胆したような態度を見せる。
「そうか。アルフォンス殿は何も伝えずに逝ったか……。質問をしてくれないか?その方が余も話しやすい」
複雑ではないが面倒ではある。
多少なりともややこしい事情がある以上は、エミリオの判断も間違いではないのだろう。
一番奥の執務机越しに、正面に向かい合わせで座る四人の男女を見やる。
今日はクロエが同伴しているということで、リチャードもソファーに座っている。乳兄弟や、上下関係という〝繊細な〟事情を理解できない師だけならばまだしも、国家の最長老でもあるチャールズ翁の前で無礼を働く気はさすがのリチャードにも無い。
不意に袖が引っ張られるような感覚があった。
リチャードが右に座るクロエを見ると、何事かを訴える様に、その丸く大きな栗色の瞳を上目使いにして、リチャードの顔を覗き込んでくる。
普通の男――だけでなく、例え女であっても、その瞳を見れば保護欲を掻き立てられるであろうが、クロエは家族以外とは目を合わせることは無いし、リチャードにとっては見慣れたいつもの光景に過ぎない。
クロエは、家の外で自分の意見を伝えたいときにこうする。
彼女にはそれ以外に手段はない。
リチャードはそっと耳をクロエに寄せる。
何事か話しているその姿勢は、まるで仲睦まじい恋人同士の様にも見えるのだが、当の本人たちも含めこの場にいるのは、そういった感性に鈍いものばかりであった。
「……では。まずは簡単なところから。儀式の日取りは決まっていますか?」
「お二人が可能ならば明日にでも」
リチャードの質問に答えたのはチャールズ翁だった。
手元に置かれた紙束に半ば目を落としながら、そそられない上目使いでリチャードを見つめる。
「明日、というと場所はこの近くなんでしょうか?」
「近いか遠いかでいえば、近い。場所はここだ」
この質問にはエミリオが答えた。〝ここ〟と言って、自分の目の前の机を指さして。
「詳しくは、エルリア城の地下深く。『封印の間』と呼ばれる場所じゃな」
チャールズ翁がこれに続く。
リチャードもクロエも、これには驚く他ない。今自分たちが暮らす王都の地下に、古の破壊の王、魔王と呼ばれる精霊が復活すると言われたのだから。
「……どういうことでしょう?」
リチャードはこう返すのがやっとだった。
それにチャールズ翁は答えた。
「どういうもこういうも無い。今言った通りじゃよ。この国の地下に悪意のマナが流れる龍脈が通っておって、ちょうどこの城の地下にその吹き溜まりがある、というだけの話じゃ。そもそも、この阿呆な大きさの窪地からして、初代勇者と初代魔王との決戦によって出来た物らしいしの」
龍脈というのは、巨大なマナの流れだ。
研究していた南メスレル大陸の学者が、自国の伝承上の生物〝龍〟の様に見える、ということからそう名付けた。
龍は蛇の胴体と猛禽の爪、獅子の足と鰐の頭を持つとされ、空を覆うほど巨大だと伝えられる伝説の生物だ。実在したかは定かではない。少なくとも、実在した証拠はない。
いくつかの支流が集まって大河を作るように、マナもそうして世界を巡っている。
人々――特に、マナを研究している学者たちは、その流れのことを龍脈と呼んでいる。
「――はぁ……。突拍子もない話ですが、嘘をつかれたとしてもどうすることもできない訳ですから、信じます」
「ずいぶんと恩着せがましい言い方じゃの?」
交わりあう目線。
お互いに、ニヤリとあまり善人には見えない笑みを浮かべている。
「それで?俺たち――というか、コイツに何をさせる気ですか?危険はないとは聞きましたが……」
「そうだな。儀式の中身について、順を追って話して行こうか」
そう言うとエミリオはチャールズ翁に続きを促した。
「儀式自体は単純じゃ。宝剣・精霊殺しを地下にある石に突き刺す。簡略的に言ってしまえばそうなるかの」
この説明にはリチャードもクロエも、それだけ?という顔を浮かべている。
「石はマナの吹き溜まり――精霊の揺り籠に直接繋がっておる。そこに精霊殺しを差し込めば、集まっているマナは拡散し、魔王の復活を止めることができる、というわけじゃ」
「なるほど。そんな簡単な儀式なら、時期を早めることも出来たんじゃないですか?それこそ一年置きとかにやれば、ここまで大事にはならなかったでしょうに」
尤もな意見である。事実、長い歴史の中で、幾度か検討された方法の一つである。
「確かにの。そういう考えもあった。じゃがそれは不可能だった。ずいぶんと昔に結論が出されておる」
「理由をお聞きしても?」
リチャードの質問に、チャールズ翁は鷹揚に頷く。
「元々そのための場。下手な遠慮はいらんよ」
そう言って、苦笑を浮かべるリチャードに笑いかけ、続ける。
「宝剣・精霊殺しにかけられている魔法は『逆理』。一言で言ってしまえば、反則級の魔法じゃ。特に対精霊、という立場から見ればの。勇者の血族しか使用を許さぬように、魔法的な制限をしたというのも頷ける。精霊はマナの塊じゃ。それは知っとるの?――うむ。本来マナというものは、流れ、漂い、フワフワと世界を彷徨い、一所に落ち着くことは無い。それは吹き溜まりに集まるマナも同じじゃ。精霊やそれに成ろうとしているマナの集合体には、周囲のマナを留め、集め、固めようとする力が働いておる。マナは自分の力でもあり、自分を構成するものでもあるからの。当然じゃ。我々、人が食事をするようなものだと思うと良い。……話が逸れたかの?『逆理』の魔法は、その力を覆す。〈留め、集め、固め〉という『理』を『逆』転させ、〈流し、弾き、放つ〉という理へと変換する力じゃ。――もう分かるの?つまり、より多くのマナが集まっておれば、剣の力も比例して強くなる。逆に、ただその場に漂うだけのマナには干渉できないというわけじゃよ」
一息に説明を繰り出したからノドが渇いたわい……、といって温い水を口に含む。
「……確かに。応用次第ではかなり『ヨロシクナイ』ことも出来そうですね」
「その通り。だから、余らエルリエール王家が剣を保管し、勇者の血族に連なる者たちは、政治・軍事にはともかく、王家そのものには近づけぬようにしていたわけだ。道を誤れば、魔王以上の脅威になり得る上に、止められる者もいないだろう。個人が持つにはあまりにも大きすぎる――『力』も『責任』も」
「勇者の一族が、武に秀でる反面、内政だの外交だのの才能がまるで無かったこともありますがの」
違いない、とリチャードは隣に座る美少女を見やる。
彼女も、彼女の父親も、素直で正義感の強い情熱家だ。腹芸をしようにも、口に出す言葉を顔と態度が見事なくらいに裏切るため、嘘の類が成功した試しは無かった。
きっと、他の『勇者』たちもそうだったのだろう……と確信していた。
場の空気が和み、そろそろ話はお終いかな、という方向に進みだした。
そこでリチャードは、最後の質問をすることにした。
「俺は父から、旅の準備をするように言われました。初めは儀式の場に行くために旅をするのだと思っていました。ですが、お話を聞くうちに、そうではないことが分かりました。ですから、質問します。勇者となったものはどんな旅に出るのですか?」
それに答えたのは、チャールズ翁だった。
「儀式はマナを拡散させるものじゃ。強い力で集められたマナを、それと同じ――あるいはそれ以上の力で拡散させる。その圧力は凄まじい。儀式を行った勇者は、その膨大なマナの放流に呑まれ、世界の何処かに弾き飛ばされるのじゃ。故に、勇者の旅とは、『目的地へ向かう旅』ではなく、『帰還する旅』となるのじゃ。我らもお父上もそのことを指している。本来勇者には、帰還を強制するものでは無い。それが望ましいという程度じゃな。じゃが、当代の勇者には後継者がおらん。何としてでも帰還し、子孫を残してもらいたいと思っておる」
「飛ばされるのは勇者一人ではないのですよね?」
これには確信があった。
飛ばされるのが勇者一人だけなら、父も彼らも自分に話をしないだろう、とリチャードは考えていた。
「そうじゃな。過去、何度も検証が行われた結果、一人だけ、勇者について行くことができるようじゃ」
過去には、傭兵やら兵士やらかき集めて一個大隊規模の従者を連れて行こうとした猛者(というか『勇者』)もいたらしいが、儀式終了後の部屋には、本人と従者一人が消え、残りの男たちは見事に(?)置いて行かれたという。
「飛ばされる先の場所は特定できないのですか?」
「難しいのぅ。分かっているのは、この世界の陸地の上の何処か。より詳しく言えば、精霊の近くじゃな」
これは、リチャードにも理解できた。
マナの流れに乗って世界のどこかに飛ばされるならば、精霊の傍――マナの吹き溜まりになっている場所にでる可能性が高い。
分かるのだが、
「……危険性もありますよね」
精霊の住む土地は、基本的には自然豊かな場所だ。そこは湖の畔だったり、深い森の中だったり。
だがそうではない場所もある。
「ベル=ヴェッキオ火山帯にでも出たらどうします?」
ベル=ヴェッキオ火山帯。
エルリエール王国を含む北メスレル大陸の南西に位置する南ゴルトリン大陸。その中心を南北に貫く火山地帯で、火属性の精霊の加護を得ようとする騎士・軍人家系の関係者が世界中から訪れる、世界最大の観光火山だ。
精霊が住む地は、その精霊に縁のあることがほとんど。
場合によっては火口の真ん中、という事態もありうるのである。
「そうじゃの。我々にもそれは分からん。どこかの火山地帯に出ることもあろう。最悪なのは『南アルクァル大陸』じゃろうが……」
南アルクァル大陸。
北メスレル大陸の南東に位置する大陸で、世界で唯一の未開拓地。
大陸のほぼ全土が渇いた岩と砂で構成され、永世的に人の暮らせる土地が無い『無人の世界』。
水と食料が現地で調達できないため、探索がほとんど進んでいない、正に未開の地。
一般には知られていないが、『勇者の儀式』の影響で、世界中の地図を作成する必要があったために、このエルリエール王国は世界最高精度の測量技術を持っている。
その技術をもってしても、外周をわずかに探索するに留まっているのだった。
「出たらマズイところは確かにあるが、世界全体からすればごく一部じゃよ。気にするなとは言わんが、確率的にはそう悪くない賭けじゃ」
命を賭ける話で確立を出されても……と思わないではないが、森に出ても他のどこかに出たとしても、それなりに命の危険はある。
だったら同じだな、と切り替えてしまえる辺りが、リチャードの精神的な異常度を示しているとはいえる。
実際、隣に座っているクロエの顔色は、先ほどから青くなったり白くなったり、あまり健康的ではない変化をしている。
「それに、例え何かあっても、お主が彼女を守るのじゃろう?なら問題は――」
「守りませんよ」
沈黙に包まれる室内。
「まぁ、危なくなったら手を貸すでしょうが……。彼女が危ない場面なら、俺は既に死にかけてますよ、きっと。そもそも、自分より強い相手を“護衛する”ってのも変ですしね。戦闘になったら、クロエの方が頼りになることは確かです」
「俺もそう思うな。リチャードが頼りにならん訳もないが、こと戦闘ならば嬢ちゃんの方が優秀ではある」
それに賛同するのは、しばらく発言しなかった近衛隊副隊長である。
その発言を聞いて、にわかに不安感が増してくる国王と宰相。
生活面含め、人間的なほとんどの部分において人の半分にも満たない能力のくせに、武の事になると歴史に残る英雄に比肩する才能を持つ男の、戦闘に関する発言にはそれなりに重みがある。
「嬢ちゃんが本気で逃げに回れば、リチャードはもちろん、俺やこいつらの親父、うちの隊長でも捕まえるのは無理だろうな。そういう風に育ててきたつもりだ。勿論リチャードの方もな」
安心できるわけはない。若手冒険者の雄とまで言われるリチャードの実力を疑うわけではないが、女子に劣ると言われて、安心できる筈はない。
かと言って、極度の人見知りのクロエの従者に、全くの他人を付ける訳にもいかない。
この部屋にきて、まだ一言も言葉を発していない事もまた事実なのである。
尋常じゃない不安は残るが、その部分はリチャードを信用するしかないのである。
「誰かの言葉ではないが――突拍子もない話ですが、嘘をつかれたとしてもどうすることもできない訳ですから、信じます……じゃ」
チャールズ翁はそう言って、ただ引きつった笑みを浮かべた。
「食料、水は負担にならない程度の量。それとわずかばかりの路銀。あとは装備品じゃな。採寸の関係もある。これからちょくちょく城に来てもらうことになる。確認と調整のためにの。それも含めて、出立は一週間後でどうじゃね?」
リチャードは視線を横に移す。
クロエは彼の瞳を見つめて、首を横に振る。
心の準備が出来ていない。そう告げていた。
「……はい。大丈夫です」
それをリチャードは無視した。
その言葉を聞いてクロエは、音もなく気絶するのだった。




