疑惑
相続問題で起こった実話を元にしたお話です。お金に魂を売った妹が何をしたかを記録のに残したく思い、書くことにしました。人物、団体、施設等、仮称としています。
―令和四年九月―
ここは、東北のX県C市。とあるビルの4階にある角部屋である。通りに面した窓の大きなこの一室は、ブルースカイ法律事務所の応接室。本多陽一、由希夫婦は、陽一の従兄弟である阿部修一郎の付き添いの下、この法律事務所に、ある相談に来ていた。窓の外の通りは閑散とし、空は灰色の雲が覆っていて薄暗い。
三人が窓を背にして横一列に広々とした机を前に座っていると、部屋のドアが勢いよく開いた。現れたのは小柄で目がギョロッとし、白髪交じりの髪はくせっ毛で整ってるとは決して言えない、スーツにノーネクタイ、折り目が消えたマスク姿という、なんとも頼りなさそうな男だった。
「どうも先生、お世話になります」
修一郎のハリの良い挨拶に合わせて、陽一と由希は共に立ち上がって深く頭を下げた。
「あ、どうも、弁護士の高橋です。あ、これ、名刺です、グフッ。今日は相談ってことで、いいんですよね?グフッ」
受け取った名刺には確かに弁護士となっている。
(この人が弁護士…)
陽一は名刺に目をやりながら椅子に座り、弁護士のイメージとは違う正面の男を見た。由希は鞄からノートとペンを出した。
この弁護士は、修一郎が自身の経営する会社でトラブルが起きた際、弁護を依頼している人物で、今回は修一郎の紹介で本多夫婦が相談に来たのだった。
陽一は自分の母 芳恵の死後、遺産の行方が不明であること、同じ相続人である妹 恵の不可解な行動について話し、いかに自分が嘘をつかれ、騙され、悔しい思いをしている被害者なのかを説いた。すると、
「わかります、グフッ。わかります、が、実際損害は出てるんですか?」
と、ニヤニヤしながら弁護士は言った。
「損…害?いやいや、そういうことじゃなくて、お金の問題じゃないんですよ!お金が欲しい訳じゃなくて、妹のした事を……」
陽一は必死にお金目的のやましい気持ちではないと訂正しようとしたが、弁護士は
「いいえ、そういうことなんですよ、グフッ。これまでも「お金じゃない」という方を沢山見てきましたが、実際はお金なんです。裁判にしろ調停にしろ「お金」を問題にしないと争えないんですよ、グフッ」
陽一はハッとして息を飲んだ。修一郎はただ黙って二人のやり取りを聞いている。ノートを開いてメモを取る由希の手は止まっていた。
(お金を問題にしないと争えない…)
陽一は、少しずつ頭を整理しながら、恵の調査と遺産の行方の解明について相談した。すると弁護士は
「分割協議は…されてない?あ、なるほど。グフッ、まず遺産がどれ位あったかですね。銀行口座の照会は相続人だったら出してもらえるのでご自身でやってみて下さい。その方がこちらに依頼されるよりお金も掛からないですしね、グフッ。私が出来なくもないですが、委任状もらって同じことするだけなので、グフッ。とりあえず、出来るだけ自分で調べて具体的な数字を出してみて下さい、グフッ。まずご自身で本当のところをですね、銀行とか行ってどれ位の遺産があったかとか調べ集めて、それからまた相談ということで、よろしいてすね?グフッ」
陽一は、相談料の一万円を支払った。
―三ヶ月前―
「芳恵ちゃんの家、売ったのか?」
陽一の店に修一郎が来ていた。陽一は洋食屋を経営しており、もうじき二十年にもなるだろうか。
背格好はさほど大きくもなく小柄な陽一の従兄弟、修一郎。修一郎と陽一は疎遠とまではいかないまでも、お互い用のない限り、特別交流もない間柄だった。修一郎は母方の本家の長男である為、親戚内で何かあったときには必ずそこに存在し、威厳を放ち、叔父叔母構わず"ちゃん付け"で呼ぶ、誰もが一目を置く人物であった。その修一郎が陽一の店を訪れ、陽一の目の前でハンバーグを食べている。
「一応売ったんだけど、手続きでトラブってて…」
陽一の答えに修一郎が怪訝な表情を見せた。
「トラブってるって?何?」
修一郎の反応に陽一は少し身構えた。
「恵がZ県(中部地方)にいるから不動産屋が郵送で売買契約書送ったんだけど、いろいろ難癖付けて署名しないらしい」
「はぁ!?」
「不動産屋は俺の先輩で、いろいろ大変だろうからって、こっちを信用して俺と恵に半分ずつ、既に売買代金振込んでて…お金受け取ってるのになんか…とにかくイチャモン付けて手続きを先延ばししてるらしい。先輩に凄く申し訳なくて…」
陽一は言いにくそうに言葉を選びながら答えた。修一郎は明らかに面白くなさそうだ。
「難癖ってどんな?」
「なんか…先に俺に署名させろとか、契約書交わす前にお金送るってどういうことだとか、自分と夫は宅建の資格持ってるんだぞ、とか…」
修一郎がひときわ厳しい顔になった。
「はぁ!?金貰ってんだろ?それ不動産屋に訴えられるぞ!」
陽一は驚いた。だが反面、
(妹を訴えてくれるならそれでもいいか)
と思えた。陽一はこの時既に、妹 恵に嫌気がさしていた。
「俺の先輩の不動産屋だから、それはしないで待ってくれてるから、一応は…」
「ちゃんと遺産分けたんだろ?」
修一郎は鋭いことを遠慮せず聞いてくる。
「全部、恵が持ってるから任せてる。全部精算して8月頃に振り込むって言ってたから。一応、それを待とうと…」
「ああ!?お前何も見せられてねぇのか?」
「ん… 俺がやると疑われっから」
修一郎は陽一の煮え切らない態度に呆れながらもイライラしているようだ。
「相続の権利は同じにあるんだから、ちゃんとしたほうがいいと思うぞ」
「うん。俺が受取人になってる200万円の生命保険もあるはずだから、とりあえず今は8月迄待ってみるよ」
修一郎は納得がいかない顔で立ち上がった。
「なんかあったら相談しろよ、陽一」
由希は夫のやる気のなさにイライラしていた。
何もせずただ待ってるだけ。それをいいことに自分達は蚊帳の外にされ、義母 芳恵の死亡後、芳恵の仕事や遺産、保険の処理を恵夫婦がどんどん進めている。ましてや恵の夫は、相続人である義兄を差し置いて相談もなしに妻と共に勝手なことをしている。陽一は長男で恵の兄ではないか。処理をさせたとしてもチェックは入れるべきだろう。なのになぜここまで放置しているのか。
いったいどれだけ罪悪感に苛まれているのか。
―八月十日―
由希の携帯電話の銀行アプリが通知音を鳴らした。待ちに待った恵からに違いない。陽一は恵に、母 芳恵の死亡後にかかった様々な費用と金融遺産の精算処理後、自分の取り分を妻名義の口座に振り込んでくれるよう依頼していたのだった。
由希はアプリを起動した。振込みを確認、すぐさま金額を見た。
「来たよ、振込み。恵さん」
そう言って陽一に携帯画面を掲げて見せた。陽一は由希のふて腐れた表情も気にせず画面を見ると
「195万な」
と納得したように言った。すると由希はキッと陽一を睨み、声を大にして言い放った。
「19万5千だよ!桁違うよ!」
「ええ!?」
陽一は改めて由希の携帯を見直した。陽一の顔が真顔になり、血の気が引いてきた。
「ほんとだ…何でだ!?」
由希はますます腹が立ってきた。
「知らないよ!持ってかれたんじゃないの?全部!」
陽一は混乱していた。母 芳恵は貯金していたはずだし、死亡保険金も入院保険も入ってるはず。それに葬儀費用は既に恵と折半して支払い済みだから大きな費用が引かれるとは思えない。母が亡くなったとき、確かに陽一は恵に「母の預金はいらない」と言った。だがそれは陽一が受取人の死亡保険金200万円があるからそれだけでいい、という意味だった。しかしその保険について恵は
「知らなーい。探してみるからー」
と言ったきりで、それ以来その保険について触れることはなかった。したがって保険証券を陽一は見ていないし、恵から渡されてもいない。てっきり恵が処理し、その保険金を自分に渡してくれるものとばかり思っていた。そう、我が妹を信用していた。
(何でだ?…何が起きてる?いったい、どうなってんだ?…)
「任せ過ぎたんだよ!」
由希が怒りをあらわに噛み付いた。陽一はイラッときた。
「だから!俺が前に出ると疑われるからって言ったろ!」
「結果これじゃん!!」
由希がバンッとスマホをテーブルに置いた。正面を向いたまま腕組みをしている。顔には、怒りと落胆が溢れていた。陽一は苛立ちながらも、必死に頭を整理しようと今までのことを振り返る。
「だって…保険…あったはずだろ…」
今度は由希が苛立ち始めた。
「保険は!契約者か受取人しか手続きできないでしょ!第三者が処理してその人の口座に入ってから私の口座に送って貰うなんてこと、普通に考えればあり得ないって言ったでしょう!?それなのに全部任せてあるって信用してたのあんたじゃん!」
由希の大声に、カッと陽一の頭に血が昇る。
「だから!俺がやると金が目当てだって言われるんだって!何回も言わせんな!」
「やらせるにしてもちゃんとチェックは入れないと!」
「そうしたら信用してないみたいだろ!」
お互い口調が荒くなる。陽一は恵への信用が裏切られたことに怒り、由希は陽一が面倒くさい事を妹に丸投げし、責任から逃げ、挙句出し抜かれていた事に怒っていた。
(他力本願が!情けない)
しかし、この言葉を陽一へ投げつけることはできなかった。
陽一は助けを求めるように由希の方を向いた。
「じゃあ、保険金は何処に行ったんだ?」
由希は真っ直ぐ陽一を見て答えた。
「受取人変更して恵さんが受け取ったんだろうね」
「そんな事できるのか?」
由希はスマホを手に検索を始めた。
「”契約者本人が電話連絡の上書類を請求する”って。てことは、お義母さんがまだ元気だった時に手続きしたってこと?」
「お袋がそんなことするわけない」
陽一は断固たる確信を持って否定した。親子でなければわからない、意思の疎通でもあるかのように。
「じゃあ、お義母さんが生きてるうちに恵さんが”兄ちゃんはお母さんのこともう面倒みないから私しかいないんだよ”とか言って言いくるめた、とか?」
由希の言葉に、陽一はあることを思い出した。
「…あり得るな。Z県に連れて行くとか言って自分に変更するように説得したんだと思う」
「それ、保険金詐欺じゃん!!」
由希が強い口調で言い放ったその言葉に、陽一はハッとした。"保険金詐欺”というワードが陽一を目覚めさせたのだ。
お袋は、騙されていた。




